第3話 若妻の手料理

「バルトロメイ様」


「む……ああ、どうした、ダン」


「そろそろ昼食のお時間ですが……」


 ひとまず、輿入れの道具とやらを搬入したらしいダンがそう言ってくる。

 確かに、時間としてはもう昼が近い。意識はしていなかったが、やや空腹感があるのも分かった。


「ああ。用意してくれ」


「バルトロメイ様は、自室の方でお召し上がりになりますか?」


「そうだな……」


 ちなみに食事を用意するのはダンである。

 元々バルトロメイは独り身であり、料理人まで雇っていない。雇っているのは掃除や洗濯を行わせる女中二人に、家令のダンだけだ。そのため、バルトロメイが家にいるとき、料理を作るのはダンである。

 いつもならば、自室で食べる。仕事も残っているし、何より気楽なのだ。

 だが――。


「バルトロメイ様っ! どうか! ご一緒に!」


「……ああ、そうだな。食堂に、俺とフランソワの分を、両方とも用意してくれ」


「承知いたしました」


 ダンが慇懃に頭を下げ、離れてゆく。

 これから用意するわけだし、時間はかかるだろう。それまでは、フランソワに家の中を案内すればいい。

 だが、バルトロメイがそう考えているのとは裏腹に、フランソワはどことなくそわそわとしていた。


「あ、あの! バルトロメイ様!」


「どうした?」


「お食事は! 専属の料理人がおられるのですか!?」


「いや、料理人は雇っておらぬ。ダンに大抵任せておる」


 ダンは意外と器用で、毎日別のメニューを出せるくらいには料理が出来るのだ。

 もう高齢であるため、そろそろダンの後継者を探さなければならないのだが、なかなかダンほど器用な者がいない、というのが目下悩みの種である。

 だが、そんなバルトロメイの言葉に、フランソワは手を叩いた。


「まぁ!」


「どうした?」


「では! わたしに作らせていただいても! よろしいでしょうか!」


「む……」


 フランソワのそんな言葉に、思わず黙る。

 バルトロメイにしてみれば初めての結婚であり、初めての妻だ。一般的に、妻が何をするのか、ということは知っている。

 貴族ならば料理人を雇っていることが多いが、市井では妻が食事を提供することが多いのだ。


 つまり、フランソワの提案は、妻として相応しいものである。

 特に断る理由は、ない。


「ふむ……まぁ、いいだろう。厨房に案内しよう」


「ありがとうございます!」


「いや、俺の方こそ気が利かなかった」


 フランソワは出来る限り、バルトロメイの妻として振舞っている。

 それを、部屋は別、とか食事は別々に、などと拒んでいたのはバルトロメイだ。

 この若妻に、少しはそれらしいことをさせてやるのも、夫であるバルトロメイの務めだろう。


 どことなく、るんるん、とでも言いたそうな機嫌の良さで、フランソワと共に厨房へと向かう。

 どうやらまだダンも始めていないらしく、エプロンを羽織るところだった。


「おや……どうかされましたか?」


「いや……」


「ダンさん! わたしはバルトロメイ様の妻です! 妻たる者、夫のお食事を用意するのは当然です!」


「……ああ、なるほど」


 フランソワの言葉に、納得がいった、とばかりに手を叩くダン。

 そして、笑顔で厨房の中を手で示した。


「そういうことでしたら、お任せいたしましょう」


「ありがとうございます!」


「バルトロメイ様、よろしいでしょうか?」


「ああ。俺もそのつもりで連れてきたのだ」


「では奥様、私はお手伝いいたしましょうか?」


「はい! 奥様! わたしです! い、いえ、そうではなく! 大丈夫です!」


 フランソワは笑顔を浮かべながら、どこからかエプロンを取り出して羽織る。

 中央に可愛らしいクマの描かれたそれは、年相応に似合うものだった。


「では、調理器具の場所だけお教えしておきます。材料などはあちらに……」


「はいっ!」


 嬉しそうなフランソワと、そんなフランソワに教えるダンを見ながら。

 バルトロメイもまた、自然と笑顔になっていた。

 どのような料理が出てくるのかは分からないし、まだバルトロメイとしても、フランソワを妻として完全に受け入れられたわけではない。まだ初日ということもあり、なんとなく距離感に困る、というのが本音だ。

 だが。

 それでも、フランソワが、その手ずからバルトロメイのために料理を作ってくれる。


 それは、嬉しかった。












「お待たせいたしました! バルトロメイ様!」


「うむ。どのような……」


 運ばれてきたのは、皿が三つ。

 バルトロメイの前に並べられたそれは、料理が盛られているものだった。きっと料理が盛られているものだった。

 そこにあるものを、料理だと判断できるならば。


「………………え?」


「は、恥ずかしいです! どうか! お口に合うかは分かりませんが! 召し上がってくださいっ!」


 まず、左のやや深い皿。

 そこに溢れるほどに満たされているのは、紫色の汁だった。そんな紫色の汁に浮いているのは、毒々しい色をしたナニカ。一体何をどのように調理すれば、汁が紫色に変色するのだろうか。


 次に、右の平皿。

 そこに載せられているのは、生野菜を散らしたものである。単体でも十分美味いであろうそれに掛かっているのは、真っ青な何かだった。何故か激しい酸味と苦味のきいた臭いすらもしている。


 最後に、中央の最も大きな皿。

 中央にメインであろう黒焦げの何かが置かれ、その側に黒焦げの何かと黒焦げの何かが飾り付けられており、端にトッピング程度に黒焦げの何かが添えられている。最早何が並べられているのか理解できない。


 そんな昼食(?)を見ながら、戦慄に震える。

 万の敵を相手にしたとしても感じない、恐怖がそこにあった。


「………………ダン」


「バルトロメイ様、申し訳ございません。何度も手伝うと申し上げたのですが……」


「………………そうか」


 フランソワは食堂で、対面となる自分の前にも、同じものを置く。どうやら、本気でこれを昼食だと思っているらしい。

 そんなフランソワの考えに、慄く他に何もできない。


「さぁ! バルトロメイ様! お召し上がりください!」


「う、うむ……」


「わたしも食べます! いただきます!」


 フランソワがフォークで、中央にある黒焦げの何かを口に入れる。

 本当に食べられるものらしく、ばきっ、ぼきっ、と食べ物にあるまじき音を立てながら、フランソワが咀嚼し、喉を通した。

 そして、てへ、と頬を搔きながら首を傾げる。


「あはは……え、えと! ちょ、ちょっぴり焼きすぎたみたいです!」


「………………そうか」


 バルトロメイもまた、そんな黒焦げの何かをフォークに刺す。

 これを今から食べるのか――そう恐怖に体が動かないが、しかし妻であるフランソワが、丹精込めて作ってくれた昼食だ。

 無下にするわけにもいかず、ただ覚悟を決め、気合を入れ、それを、ゆっくりと口元へ。


「――――――っ!」


 口の中に、何とも形容し難い味が走る。

 当然ながら焦げているために苦く、しかし後味にしつこ過ぎる甘さ、加えて強い塩気がある。黒焦げのために何なのかは全く分からないが、食べてみても全くその正体が分からない。

 無理やりに噛み締め、なるべく味が分からないように鼻で呼吸をすることを堪えながら、思い切り飲み込んで。


「い、いかがでしょうか!」


「う、うむ……」


 ごふっ、と逆流した空気だけで、吐きそうになる。

 まだ目の前には、四品も存在する――それだけで、気が遠くなるような感覚に陥った。

 だが同時に、物凄く期待を込めた眼差しでバルトロメイを見つめる、フランソワが気に掛かる。

 本音を言ってもいいが、きっとフランソワは傷つくだろう。


 端的に言えば、不味い。

 何をどう形容しようとも、不味い。

 これまで食べてきた何よりも、不味い。


 だが、バルトロメイはそう口にせず。


「……う、うむ。こ、個性的な味だな」


「まぁ! ありがとうございます! フランは! これからも頑張ります!」


 万の敵を相手にしても先陣を走り、兵を後ろに続かせ、勝利してきた男――ガングレイヴ帝国の誇る英雄、『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザード。

 近隣諸国でもその武名は響いており、バルトロメイを倒せる者など、この大陸のどこにもいない、とさえ称される最強の男。


 だが。

 その命を奪うのは、もしかすると。


 この、可憐な笑顔を浮かべる若妻かもしれない。

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