第2話 将軍の困惑

「ああっ! この日を待ち望んでおりました! フランはっ! ようやくっ!」


「あ、あの……奥様?」


「ま、まぁ! そうです! わたしは奥様っ! ああっ! バルトロメイ様の奥様と呼ばれるなんて! わたしは幸せで死んでしまいそうでございますっ!」


「え、ええと……」


 逃げ出すでもなく、泣き出すでもなく、叫ぶでもなく。

 ただ少女――フランソワは、感激していた。

 こんな反応など全く想定しておらず、ついたじろいでしまう。


「……あの、奥様」


「奥様っ! はいっ! わたしです!」


「は、はい。そうです。あの……お輿入れの道具などはございますか?」


「はいっ! 馬車の方にあります!」


「フランソワ様ぁ! 待ってくださいって言ったじゃないですかぁ!」


 すると、扉から現れるもう一つの人影。

 フランソワよりも頭一つ分は高いであろう、女中の格好をした女性だ。恐らく、お付きの侍女なのだろう。南の血が混じっているのか、やや褐色の肌をした健康的な女性だ。


「あっ! クレアさん!」


「あっ、じゃないですよぉ……私からまずご挨拶をして、フランソワ様を紹介する、って言ったじゃないですかぁ」


「ごめんなさいっ! ついっ! 心が逸ってしまって!」


「もぉ……えっとぉ、あ、すいませーん。お輿入れの道具を色々馬車に積んでるんで、下ろすの手伝ってもらって……」


 間延びした口調で、そう言ってくる侍女。

 そんな侍女が、眠そうな目できょろきょろと屋敷の中を見て。

 そして――バルトロメイと、目が合った。


「……あぇ?」


「……」


「うきゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 うん、これが普通の反応だ。そうバルトロメイは頷く。

 普通の女性ならば、このようにバルトロメイの姿を見た瞬間に叫び出すのが当然だ。そういったことも全くなく、むしろ感激すらしていたフランソワは明らかにおかしい。

 とはいえ、叫ばれることで安心する、というのもおかしな話だが。


 しかし、さすがに失礼だと感じたのか、侍女は無理やりに自分の口を塞ぎ、それからバルトロメイを見た。

 明らかに視線から、え、何これ人間、という疑問がはっきりと分かる。


「……し、しし、失礼、しましたっ!」


「別に構わん。慣れている。フランソワの侍女か?」


「は、はいっ! クレア・レイモンドと申します! フランソワ様に仕えています!」


「そうか。別に咎めるつもりはない。まずはダン、荷物を下ろすのを手伝って差し上げろ」


「承知いたしました」


 ダンが礼をして、それから侍女――クレアと共に玄関から出てゆく。

 自然、その場に残るのは、バルトロメイとフランソワだけとなった。


 フランソワからの視線を感じる。

 視線を向ける。

 目が合う。

 フランソワは真っ赤な顔で、目を逸らす。


 こんな風に女性に反応されることなど初めてで、思わず戸惑ってしまうのが分かった。


「あー……その、フランソワ?」


「はうっ! バルトロメイ様に名を呼んでいただけるなんてっ! フランは帝国一の果報者でございますっ!」


「いや、その程度で……」


 どう相手にしていいか分からない。

 全くもって、このような反応など想定外なのだ。逃げ出すとしか考えていなかった。

 だが、どうやら逃げ出すつもりはなさそうだ。むしろ、喜んでいる。

 何故このような顔の、遥かに年上の男に嫁ぐことを、それほど喜んでいるのかは謎極まりないが。


「その……フランソワ。部屋を案内しよう」


「は、はいっ! ありがとうございますっ!」


「一応、部屋は準備しておいた。こちらだ」


 ダンに言って、一応やってくる妻のための部屋は用意しておいた。

 八割がたその場で叫ぶか逃げ出すかするだろうけれど、もしかすると最初は耐えるかもしれない、と一応用意させておいたのだ。

 完全に想定外の反応ではあるが、用意させた部屋が無駄にならなくて良かった。


「こ、この屋敷がっ! これからのわたしとバルトロメイ様の愛の巣……っ! ここでわたしは愛を育んでいくのですねっ! フランは幸せで蕩けそうです!」


「……」


 なんだか後ろで物凄く叫んでいるが、とりあえず無視することにした。

 何をそれほど感激することがあるのだろう。


 ひとまず二階に上がり、階段から最も近い部屋の扉を開く。全体的に掃除をされ、悪趣味でない程度に調度品の置かれたその部屋は、以前は客間として利用していたものだ。軍の同僚などを泊めるときには、大抵ここを使っていたのである。

 何故そのような部屋を使うのかというと、ここ以外は使用人の宿直室以外に、寝る環境が整っていないのだ。

 とはいえ、シーツなどは新しくしているし、問題はないだろう。


「ここが貴女の部屋だ。我が家だと思って寛いでほしい」


「ありがとうございますっ! 素敵なお部屋です!」


「食事は三食、ここに運ばせよう。お付きの侍女の部屋までは用意できていないゆえ、少し待ってほしい」


「え……」


 バルトロメイの言葉に、フランソワが首を傾げる。

 そして、不思議そうにバルトロメイを見た。


「ここで、お食事なのですか!?」


「ああ。勿論、俺は私室で食べさせてもらう。安心してくれ」


「えっ!?」


「……どうかしたか?」


 バルトロメイとしては、至極当然のことを言ったつもりだ。

 このような顔を前にしては、食事も美味くないだろう。だからこそ、気を遣ってフランソワの食事は、ここに運ばせるつもりだ。

 一階には一応食堂のようなところもあるが、最近は私室で食べることの方が多いため、あまり使っていないのだ。


「あ、あの! ご一緒に召し上がらないのですか!?」


「ああ……そのつもりだったのだが」


「それはいけませんっ! 夫婦とは一緒にご飯を食べるものだと聞いたことがあります! わたしはバルトロメイ様の妻でございます! ああっ、そう宣言できるのが嬉しいです! あ、そうではなく!」


 騒がしい。

 それが正直な感想だ。


「家族とは食卓を一緒にするものなのです! わたしは! バルトロメイ様とお食事をご一緒したいと思っております!」


「む、ぅ……」


「どうか! フランと一緒にお食事をしてくださいませっ!」


「いや、それは……」


 別段、問題があるわけではない。

 ただバルトロメイと一緒に食事などしたくはないだろう、と考えて気を遣ったつもりだったのだが。


「まぁ……」


「それに!」


 ばっ、とフランソワは、部屋の隅――ベッドを指差し。

 そして、顔を赤らめた。


「ば、バルトロメイ様は、お体も大きいですしっ! ベッドがあれではっ! わたしは落ちてしまいます! い、いえっ! バルトロメイ様が抱いてお眠りになられると仰るなら! フランは全身全霊受け入れる所存でございますっ!」


「……え?」


「え!?」


 そこにあるのは、当然ながら一人用ベッドである。

 むしろ、バルトロメイの家には、一人用のベッド以外に存在しない。

 バルトロメイとて、人より大きな体であるけれど、一般的なサイズのベッドを使っているのだ。おかげで、時々落ちることもある。


「いや……俺は自室で眠るが……」


「えぇっ!?」


「それほど驚くようなことか?」


「そんなっ!」


 だがどうやら、フランソワは不満らしい。

 何をそこまで不満に思うのか。眠るときくらい、一人でリラックスするのが一番だと思うのに。


「仲の良い夫婦はっ! 同衾するものなのだと聞きましたっ! わ、わたしはっ! バルトロメイ様とご一緒に眠るものだとばかりっ!」


「む、それは……」


 思わず、バルトロメイの顔にも熱が走る。

 同衾。

 それは、眠るときに同じベッドで夜を過ごすということだ。


 バルトロメイとて、一応男である。歴戦の娼婦にも声を掛けられない身であるためほとんど経験はないが、若い頃には何度か、そういう男女の営みをしたことはある。

 そして、男女が同じベッドで過ごすということは、そういった行為に至る、ということだ。


「わたしはっ! バルトロメイ様とご一緒に眠りたく思いますっ!」


「むぅ、だが……」


「フランはもう十四歳でございます! いつでも準備はできておりますっ! フランはバルトロメイ様になら! 縛られても大丈夫です!」


「その偏った知識はどこから来た!?」


 しかもいきなり縛るとは。


「はいっ! クラリッサに色々教えてもらったのです!」


「分かった。とりあえず落ち着こう……」


 クラリッサとやらが誰かは知らないが、きっと耳年増なのだろうな、と考えてしまう。

 先日まで後宮にいたわけだし、後宮は女性の園だ。そういった知識を共有する場も、少なからずあったのかもしれない。


 だが、それよりも聞き逃せない真実が、一つ。


「……フランソワは、十四歳なのか?」


「はいっ! 先日十四歳になりました!」


 満面の笑顔を返してくるフランソワ。

 幼い少女だとは思っていたが、まさか実年齢まで幼いとは思わず、頭を抱えてしまう。


 少なくとも。

 部下や同僚に結婚を報告するにあたり、どう言うべきか。

 どちらにせよ、からかわれる未来しか見えず、バルトロメイは嘆息することしかできなかった。

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