青熊将と恋する若妻/筧千里

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第一部 なんか変なのが嫁に来た。

第1話 若妻、襲来

「はぁ……」


 ガングレイヴ帝国の武の頂点と言われる八大将軍が一人、『青熊将あおくましょう』バルトロメイ・ベルガルザードは大きく溜息を吐いた。

 豚と猪と熊、それに幻想にしか存在しない鬼を掛け合わせればこのような顔になるのではないか、と思われる凶相である。加えて体躯も並の男より頭一つ分大きく、はち切れんばかりの筋骨隆々。さらに幾筋も顔に加わった刀傷は、初めて会った子供に大抵泣かれる、というほどの強面である。歓楽街を歩いていても、歴戦の娼婦ですら彼には声をかけないほどだ。夜道で出会えば間違いなく、泣くか逃げ出すかのどちらかだろう。

 目の前にあるのは、バルトロメイが将軍として率いている青熊騎士団における、事務手続き用の書類である。非番である今日のうちに終わらせておこう、と朝から睨み合っているのだが。

 一向に、内容が頭に入ってこない。


「バルトロメイ様」


「……どうした、ダン」


「もうそろそろ、お時間でございます」


「……そうか」


 そんな凶相を前に全く動じることなく、白髪を後ろでまとめた老人が慇懃に頭を下げる。

 バルトロメイの生家である、ベルガルザード子爵家に古くから仕えている、家令のダンだ。バルトロメイのことを幼い頃から知っており、それゆえにバルトロメイを恐れることはない。

 しかし、ダンを除く使用人も数名いるのだが、バルトロメイに極力近付いてこない者ばかりだ。むしろ、使用人がそのようにバルトロメイを恐れるがゆえに、昔から知っているダンをわざわざ実家から呼び寄せている、というのが真実である。


 バルトロメイは、ベルガルザード子爵家の次男として生まれた。

 元々武の名門であったベルガルザード家は、八大将軍を何人も輩出してきた名家である。それゆえに次男であるバルトロメイは、幼い頃から戦いを叩き込まれた。特に次男という立場は家を継ぐ必要がなく、軍に入ることを何よりも良しとしたからだ。

 そしてバルトロメイには、ベルガルザードの家系全てを含めても、他に追随する者がいないほどの武の才能に溢れていた。それゆえに、二十五を過ぎたあたりで歴代でも二番目の若さで八大将軍へと就任した。元より、ガングレイヴ帝国の全土を探しても、恐らく一対一でバルトロメイに勝てる者など存在しないだろう、というほどなのだ。


「……はぁ」


「バルトロメイ様、じいは嬉しゅうございます。バルトロメイ様の奥様をこのようにお迎えできること、ベルガルザード家に仕える者として、感極まる想いでございます」


「……」


 ダンの、目元にハンカチを当てながら言ってくる言葉にも、溜息しか返すことができない。

 ダンの感激も、バルトロメイの気落ちも、どちらもその原因は同じなのだ。

 それは――もう間も無くやってくる娘。


 ガングレイヴ帝国は、つい二年ほど前に、若い皇帝が即位したばかりだ。

 それゆえに政治の混乱があり、また若き皇帝を甘く見た他国との戦争が巻き起こった。

 一時は三正面作戦にまで発展したものの、現在は各国との講和が落ち着き、バルトロメイも最前線から帝都に戻ることができている。近頃の任務は治安維持や訓練くらいのもので、騎士団の面々からも退屈だ、という声が上がっているほどだ。


 そんな若き皇帝が、新たに正妃を娶る、ということが大々的に報じられたのはつい先日のことだ。

 そして、それと同時に数人の側室を残して、国中から集められた美姫の揃った後宮を、解体すると宣言したのである。


 だが、後宮にいた女というのは、皇帝の手により純潔を失った、とされるのが当然だ。そこに事実関係があろうとあるまいと、貴族社会というのは純潔を重んじるゆえに、そう判断されてしまうのである。

 それゆえに、後宮を解体する場合、居場所をなくした女には縁談があてがわれるのだ。

 そして、そんな美姫を一人、娶るように命令を受けたのが、バルトロメイである。


 バルトロメイは現在で四十になるが、未婚である。

 一応は子爵家の次男であり貴族の一員でもあるのだが、持ち前の凶相のせいで、これまで結婚相手などいなかったのだ。

 十年ほど前に、子爵家の当主である父から無理やりに見合いを決められたが、その際に出会った貴族令嬢は、会った瞬間に叫んで泣き出したくらいである。

 歴戦の娼婦ですら声をかけないバルトロメイに、貴族家の令嬢が耐えられるはずがないのだ。

 だからこそ、バルトロメイは生涯一人で生きてゆく、と決めていた。

 将軍職としてそれなりの給金は貰っているし、貯蓄も相応にある。家もそれほど広いわけではないし、そもそも戦場に出ることが多いために、あまり帰らない。そのため、家の管理はダンに任せている、というのが現実だ。


 いくら皇帝からの命令とはいえ、どうせ逃げ出すに決まっている、と考えてしまうのだ。


 だが、そんな娘を娶るように、と命令を出したのは、誰でもないガングレイヴ帝国の最高権力者、皇帝である。

 八大将軍という武の頂点に存在するバルトロメイであるとはいえ、皇帝の命令を無下に断ることはできない。ゆえにひとまず命令を受け入れ、その上で逃げ出すのならば仕方ない、という態度で迎えることにした。

 そんなバルトロメイの花嫁がやってくる日が、今日なのだ。


「ダンよ」


「は」


「逃げ出すならば、追うな。むしろ、実家まで届けてやれ」


「……バルトロメイ様、そのように悲しいことを仰らないでください」


 ダンはそう悲しげに眉を寄せるが、バルトロメイにしてみれば当然のことだ。

 後宮に集められた美姫ということは、深窓の令嬢である。そんな貴族令嬢が、遥かに年上で鬼のような凶相をしたバルトロメイの妻になるなど、耐えられるものではないだろう。

 だからこそ、訪れる未来をそう告げたのだが。


「きっと奥様は分かってくださいます。バルトロメイ様はお顔こそ厳しいですが、お優しい方だと」


「……どうだかな。もう五年は雇っているというのに、使用人ですら慣れてくれんのだぞ」


「それは……」


 ダンが言い淀む。

 実際に、掃除をする女中を労って、そのまま叫ばれたことすらあるのだ。バルトロメイも自分の顔が怖い、ということを知っているために咎めなかったが、以降も対応が改善しているようには思えない。

 ゆえに、使用人に対して命令を出すのはダンの仕事であり、バルトロメイは極力他の使用人と関わらないようにしている。

 そもそも戦場に出ることが多く、家を空けることが多いため、それほど苦労はしていないが。


 窓から、外の通りを眺める。

 二階にあるバルトロメイの私室からは、帝都の中央通りの様子がよく見える。今日も賑わう商店街や、現在は閉めている歓楽街、それにやや霞がかって見える、厳かな宮殿。

 そんな中央通りを抜けて――バルトロメイの家の前に、一台の馬車が止まった。


「……来たか」


「はい、バルトロメイ様。玄関まで出迎えに参りましょう」


「……仕方ない」


 馬車には帝家の印があり、宮殿から来たもの、というのが間違いなく分かる。

 そして今日のバルトロメイに、皇帝の印がついた馬車が来る以上、用件など一つしかない。

 入ってすぐのホールへと行き、そこでまずは待つ。

 すると、扉に据え付けてあるノッカーが、カンカン、と乾いた音を立てた。


「いらっしゃいませ」


 すぐにダンが扉へ向かい、開く。

 そこには――小さな少女が一人、いた。


「は、はは、はじめましてっ! あ、あの、こ、ここ、こちらはっ! バルトロメイ・ベルガルザード様のお屋敷でしょうかっ!」


「はい。お待ちしておりました。小生は家令のダンと申します、奥様」


「お、奥様っ! 奥様だなんて! あ、ありがとうございます!」


 鮮やかな、癖のない赤毛を後ろに流した少女である。

 綺麗というよりは可愛らしい、という言葉が似合うだろう。低い背丈に細い体つき、それに幼い顔立ちは、どことなく庇護欲を掻き立てるものだ。

 だが同時に、深窓の令嬢とは思えないほどに声を張り、汗だくになっている。それほどまでに緊張しているのだろうか。

 早く家に帰らせてやろう――そう思いながら、バルトロメイは一歩前に踏み出し。


「バルトロメイ・ベルガルザードだ」


「あ、ああ、あああああっ!」


 少女は、そんなバルトロメイを見て、そう声を上げる。

 ここから叫ぶか、それとも逃げ出すか、泣き出すか。


 しかし――少女は、満面の笑顔を浮かべた。


「お、お会いしとうございました! バルトロメイ様!」


「む……む?」


「ああっ! ようやくこの日が  フランソワは感激に胸が震えております! ああっ! 申し遅れました! わたしはフランソワ・レーヴンと申しますっ!」


「あ、ああ……」


「ふつ、ふつつ、ふつつつつつかモノですがっ! よろしくお願いしましゅっ!」


 思い切りそう、バルトロメイに向けて頭を下げる少女――フランソワ。

 ひとまず、そんな彼女にバルトロメイが抱いた感想はただ一つ。


 なんか変なのが嫁に来た。

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