第34話 一夜明けて
朝が来るまで一睡もすることなく、バルトロメイはフランソワ、シャルロッテとはぐれないように下山した。
全く眠ってこそいないけれど、目は閉じていたためにそれほど眠気はない。もっとも、考え事が多いことには変わりなかったけれど。
そして夕刻と異なり、木々の隙間から陽光の届く日中は、特に迷うこともなく下山することができた。そもそもテオロック山は観光地ということで、ちゃんと整備された道があるのだ。そういう道に出ることができれば、あとは下りるだけなのである。
「はぁ……やっと道に出られた」
「疲れましたの」
「誰のせいだと思っている」
シャルロッテに恨みがましい目を向けるが、逸らされた。
だが、ようやくそんな整備された道に出ることができたので、あとは下山するだけだ。シャルロッテのせいで散々な新婚旅行になってしまったため、今度はちゃんとした新婚旅行に連れて行かなければ。
慣れない野宿を強いてしまった――そう、労いの言葉をかけようとして。
「冒険みたいで楽しかったです! あ! この道を行けばテオロック山からの景色が見えるのですね! 行きましょう!」
「……まだ登るつもりなのか?」
そんなバルトロメイの気遣いなど全く意味がないらしく、今日もフランソワは元気抜群だった。
慣れない野宿でも十分な睡眠がとれたらしく、途中にゴロゴロと寝相で遠くへ行こうとして、二度ほどバルトロメイが回収に向かった。何度か寝ているフランソワを寝台に戻したことはあるけれど、あれほど寝ている間に動き回るのならば、毎晩寝台から落ちて当然である。
まぁ、元気なのは良いことだ。元気なのは。
「はい! 以前に、テオロック山の五合目から見える景色は素晴らしいと聞いたことがあります!」
「うむ……そうか」
「フランは見てみたいです!」
「……そうか」
本音を言うならば、帰りたい。
迅速に屋敷まで戻り、少しくらい仮眠を取りたい。
だが、折角テオロック山まで来たのだ。このままでは、旅行の思い出が野宿と天然温泉だけになってしまう。少しでも景観を見るなど、そういう思い出を作るというのも悪くはないだろう。
少しくらい無理をしても、それがフランソワの望みだと言うならば――。
「よし、では行こう」
「え……まだ登りますの?」
「シャルロッテは先に帰っていてもいいぞ。フランソワは登りたいようだから、俺も一緒に行く」
「ありがとうございます! バルトロメイ様!」
「……」
バルトロメイの言葉に、シャルロッテが沈黙する。
さすがに、元気抜群のフランソワと異なり、シャルロッテには疲労の色が濃く見えるのだ。恐らくバルトロメイと同じく、早く帰って少しでも眠りたいというのが本音なのだろう。
この帰り道で、景観を見るために登山をしたいと言い出すフランソワの方がおかしいのだ。
「……ああ、もう! わたくしも行きますの!」
「はい! みんなで行きましょう!」
「帰ったら、泥のように眠りますの……!」
「……俺も同じだ」
本来、下山をするだけだった帰り道。
それを、わざわざ上の方に登ってゆく。だが、これも全てフランソワのためだ。
景観を見ることがフランソワの笑顔に繋がるのならば、バルトロメイに否はない。
のんびりと、急がずに登る。
テオロック山は巨峰であるが、五合目までは十分に整備されているのだ。馬でも登ることができる。本音を言うならば馬で行きたいが、残念ながら馬を貸してくれる場所は近くにない。
そのため、徒歩である。日が昇ってすぐに野宿から動き始め、それから特に時間もかからず道を発見したために、まだ朝方だ。恐らく、昼までには五合目くらいには到着するはずだろう――そう見込んで、バルトロメイは足を動かす。
「きゃっ!」
「おっと」
「あ、ありがとうございます! バルトロメイ様!」
「うむ」
途中、足を滑らせたフランソワが転びそうになるというアクシデントはあったものの、それくらいだ。
フランソワがバルトロメイの手を引いて先頭を歩き、バルトロメイがそれに引かれる形で追い、その後ろをシャルロッテが歩くという形で、登ってゆく。
バルトロメイでさえ、僅かに足にだるさが生まれるくらいの頃に。
太陽が中天に差し掛かったところで。
ようやく――五合目に到着した。
「ほう……」
「わぁ!」
景色が、まるで視界いっぱいに広がるようだった。
断崖絶壁のその向こうには、テオロック山の麓に広がるパタージュ大森林の雄大な緑と、その向こうには広がる草原が見える。そして、さらに向こうにある帝都を一望できるものだった。
まるで豆粒のようにすら感じられる、帝都の建築物たち。そして雄大な緑は、風と共に波立つかのように震えている。
高山ゆえの澄んだ空気と共に、まさに心奪われる絶景がそこにあった。
「これは……確かに一見の価値があるな」
「はい! 素晴らしいです!」
「うむ……ここまで登ってきた甲斐があったというものだ」
「わたくし、疲れましたの……」
ぜぇ、ぜぇ、と肩で息をしながら、シャルロッテが崖の壁にもたれかかって座り込む。
フランソワも元気ではあるが、やはり疲労は少なからずあるのか、息は荒いし大粒の汗が流れている。軍人として日々鍛えているバルトロメイでさえ疲れているのだから、二人は尚更だろう。
ふぅ、とバルトロメイもまた、崖に体を預けてそのまま座る。そんなバルトロメイの隣に、フランソワもまた座った。
「これで食事があれば最高だったな」
「はっ!? 確かに食べるものがありません! バルトロメイ様!」
「うむ……まぁ、何か食べたいのが本音だが……このあたりには何もなさそうだな」
「も、申し訳ありません……! わたしが我儘を言ったばかりに!」
「いや、構わん。俺は別段、食わずとも大丈夫だが……」
「……わたくしは、構いますの」
顔を伏せたまま、そう呟くシャルロッテ。
とりあえず、聞こえていないふりをすることにした。
「ふぁ……」
澄んだ空気に絶景という心を癒す環境に、意図せずそう口から欠伸が漏れる。
やはり一睡もしていなかったということで、多少の眠気はあるようだ。少しだけ仮眠をして、それから下山した方が良いかもしれない。
シャルロッテもまた同じく、こくり、こくり、と船を漕いでいた。
元気いっぱいなのはフランソワだけである。
「では、バルトロメイ様!」
「む……?」
「少し、お眠りになられては如何でしょうか! その後で下山いたしましょう!」
「ふむ……」
魅力的な提案だ。少しだけ仮眠を取って、それから戻った方が体力は回復してくれるだろう。
それに何より、この雄大な景色を見ていると、どうしても眠気が止まりそうにない。このような状態で下山するよりは、軽く仮眠をとってしっかりと意識を覚醒させてからの方が良いはずだ。
バルトロメイはふふっ、と微笑んで。
「では、言葉に甘えさせてもらおうか。俺は少し眠らせてもらう」
「はい!」
ちなみに、そんなバルトロメイの視界の端にいるシャルロッテは、既に眠っていた。
両膝を抱えて顔を伏せながら。よくあの姿勢で眠れるものである。
ふぁ、とバルトロメイも欠伸を一つして腕を組み、背中にある崖に身を預けて。
「ささっ、どうぞ!」
「む……?」
目を閉じようとして、そんなフランソワの言葉に眉を上げた。
何故かフランソワは地べたに膝をついて、そんな自分の太腿をぱんぱん、と叩いている。
ちなみに膝をついても大丈夫なように、薪割りをするために持ってきていた品が入っていた風呂敷を自分の下に敷いて。
「……どうした?」
「へ!? い、いえ! 殿方はこちらが喜ばれると!」
「……いや、何が」
「はい! 膝枕にございます!」
「……」
ふいっ、と視線を逸らして、そのまま顔を伏せて目を閉じる。
さすがにこんな昼間に、フランソワに膝枕をされている自分を見られるのは困る。テオロック山は登山客がそれなりに多いし、この五合目を目的に来る者も多いのだ。そういった者に見られることを考えれば、決して頷いてはならない提案である。
だが、そんなバルトロメイに対してフランソワは。
「ど、どうぞ! さぁ! バルトロメイ様! ご遠慮なく!」
「おやすみ」
「そんな!? フランの膝はお気に召しませんか!? 大丈夫です! ちゃんとぷにぷにです!」
「そういうことは聞いていない!」
「あ、でも、膝は固いです! はっ!? これは膝枕ではなく腿枕と呼んだ方が良いのでは!?」
「だから、もういい! フランソワはゆっくりしていてくれ!」
もう寝かせてほしい。
そう思いながら、わーわーと叫ぶフランソワの声を聞きながら。
気付けば、眠っていた。
「ん……?」
ぱちぱちと火の弾ける音、それに鼻腔をくすぐる香りに、バルトロメイは顔を上げた。
思った以上に疲れていたらしく、いつも眠りの浅いバルトロメイにしてみれば、かなり寝入った方である。このように毎日眠ることができればいいのだが――そう、目を開くと。
目の前に焚き火があり、その周囲で枝に刺した肉が焼かれていた。
「あ、バルトロメイ様! お目覚めになられましたか!」
「これは……?」
「はい! ごはんを用意いたしました!」
「え……?」
焚き火は分かる。そのために薪割りの道具を持ってきていたのだから。
火もどうにかして、摩擦で点けたのだろう。あとは枯れ枝を集めて、次第に大きな薪に変えてゆけば焚き火は作れる。
だが。
その周囲で焼かれている――この肉は一体何なのだろう。
「ふぁ……いい匂いがしますの」
そして、どうやら同じタイミングでシャルロッテも目覚めたらしい。
くんくんと鼻を動かしながら、寝起きのややとろんとした目で焚き火へと近付く。
フランソワが、えへん、と胸を張りながら腰に手をやっていた。
「シャルロッテさんも食べましょう!」
「いや……フランソワ、これは一体?」
「バルトロメイ様がお眠りになられている間に、用意しておきました! どうぞ!」
差し出される、肉の塊。
初日の食卓に並べられた、黒焦げの消し炭とはまた違う、ひどい出来だ。
ずっと同じように焼いていたのだろう、片方は真っ黒に焦げており、逆側は生焼けである。そんな肉を受け取り、とりあえず生焼けの部分を軽く炙ってから焦げを払って落とした。フランソワの作ったものにしては、まだ食べられる出来だ。
口に運ぶ。
焦げた部分の苦味はあるけれど、十分に食べられるものだ。
「あ、割と美味しいですの」
「うむ……美味いな。これは一体、どうしたのだ?」
「はい!」
バルトロメイの質問に対して、フランソワは胸を張って。
その隣にある、手で剥いだのだろう皮を見せてきた。
班模様の、毒々しいそれを。
「蛇を捕まえて焼きました!」
「……」
「わたしも食べます! ああっ! 久しぶりにわたしの作ったものをバルトロメイ様に召し上がっていただいています! あっ! 美味しいです! でもちょっと苦いです!」
「……」
蛇の肉。
それは確かに、ゲリラ戦においては貴重な蛋白源である。捕まえやすく、調理もしやすく、味も悪くないそれは重宝したものだ。
ゆえに、バルトロメイには特に抵抗はない。
だが。
何故フランソワが蛇を捕まえているのだろう。
そして何故それを、フランソワもシャルロッテも特に抵抗なく食べているのだろう。
「久しぶりに蛇肉食べましたの。やっぱり美味しいですの」
「鶏肉みたいな感じですよね!」
「ただ、途中でひっくり返した方がいいですの。片面だけ黒焦げですの」
「大丈夫です! まだお肉ありますから!」
もしかしたら、ゲリラ戦に慣れている軍人よりもサバイバル能力が高いかもしれない二人の令嬢を見て。
バルトロメイは、ただ溜息だけ吐いた。
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