第28話 旅行準備
割と忙しい日々を送りながらも、しかし時の流れるのは早い。
気付けば、バルトロメイの申請した休日は明日にまで迫ってきていた。勿論、この休日をしっかり休むために、前倒しで行った仕事が多くあるけれど。そのおかげで、普段よりも書類が三割増しくらいで多かった。
「ふぅ……これで、終わりだな」
「お疲れ様です、将軍」
「では、俺はこれで帰らせてもらおう。俺が目を通さねばならないものだけ、残しておいてくれ。緊急のものはヴィクトルに頼んでくれ」
「承知いたしました」
アストレイの言葉に頷いて、そこで定時の鐘が鳴る。
明日から、新婚旅行だ。そう考えるだけで、頬が緩むのが自分で分かる。どことなく流れで決めてしまった感じはあるけれど、それでもバルトロメイとしてもフランソワと過ごす時間は欲しいと思っていたのだ。ただでさえ仕事一辺倒で、ろくに家庭を鑑みることができないのだから、こういう罪滅ぼしがあってもいいだろう。
弾む気持ちのままで乗合馬車に揺られ、屋敷への道をゆく。その間、ずっと頬が緩みっぱなしだったためにひそひそと噂する声が聞こえた。普段は「怖い」だが、今日に限っては「気持ち悪い」が多い。もう少し口を慎めないものだろうか。
だが、それでもバルトロメイは特に注意をすることなく、黙って揺られる。今更のことだ。この凶相は生まれつきであるし、今更どうしようもないのだから。
こんな顔の男でも、愛してくれる女性はいる――。
「ただいま」
「あっ! お帰りなさいませ! バルトロメイ様!」
「お、お帰りなさいませ……」
「あら。お帰りなさいませ」
迎えてくれたのは、三つの声。
いつも通り元気なフランソワと、どことなく頭を抱えているように見えるダン、加えて無表情のシャルロッテだ。
そして何故か――そんな三人が囲むのは、バルトロメイの身の丈ほどもありそうな包みである。
「……何だ、それは」
「あ、バルトロメイ様! お風呂が沸いております! どうぞ!」
「いや、質問を……」
「わたくしがお背中を流しますの、バルトロメイ様」
「何を言っている!?」
「シャルロッテさん!」
バルトロメイとフランソワの双方から言われて、唇を突き出すシャルロッテ。
いつもいつも、このように誘惑してくるのが難点だ。そのたびにフランソワが不機嫌になるため、バルトロメイの胃痛は止まらないのである。
「……それで、その包みは一体?」
何か物が届く予定でもあっただろうか、と首を傾げる。
何故か包みからは枕や竿竹のようなものもはみ出しているし、雑多に物を入れたただの包みに見える。一体、どうしてこんなものが玄関先に置いてあるのだろうか。
だが、そう疑問を浮かべるバルトロメイに向けて。
フランソワは、特大の笑顔を浮かべた。
「はい! 明日の準備です!」
「…………………………ほう?」
「ちゃんと、必要なものは全部入れておきました!」
「…………………………」
意味が分からない。
旅行の予定は一泊二日である。しかも温泉だ。少なからず着るものは用意されているだろうし、一日や二日ならば同じ服を着たところで問題ないのだ。持っていくのは下着くらいだろうと考えていたくらいである。
だというのに、フランソワの身長を遥かに越える大荷物。
一体、中に何が入っているのだろう。
「……フランソワ」
「はいっ!」
「その……中を、見せてもらってもいいか?」
「えぇっ!?」
真っ当なことを言ったはずなのに、そう盛大に驚かれる。
これだけの大荷物を持っていく必要などない。中身を確認して、必要がなさそうなものは全部置いていけばいいだろう。というより、九割方必要のないものだと思えるし。
フランソワは、そんなバルトロメイの言葉に、顔を伏せる。
「も、申し訳、ありませんっ!」
「いや……」
「一生懸命包みました! 開くと一斉に落ちてしまいます!」
「それは最早持っていくこともできないよな!?」
どう背負うつもりだったのだろう。バルトロメイですら抱えるのに一苦労しそうなほどの大きさだ。
さすがに、新婚旅行に行くのに二人で荷車を引くというのも絵面としてどうかと思うし。
しゅん、とフランソワが残念そうに包みを見る。
「ちゃんと、バルトロメイ様とわたしの旅行に必要なものをと! そう思ったのですが!」
「ふむ……まぁ、まずは開いてくれ。話はそれからだ」
「仕方ないです! ダンさん、もう一度お願いします!」
「……はい、奥様」
ダンが憔悴しながら、そう答える。恐らく、ずっとこのフランソワの荷物選びに付き合っていたのだろう。
いつもながら苦労をかけている。近々連休でも与えた方がいいだろうか。シャルロッテもいることだし、食事の支度も問題はないし。
フランソワはぴょんっ、と跳躍をして包みの上部に行き、そのまま縛っている紐を解く。
それだけで包みは開かれ、同時にがらがらっ、と一部で決壊が発生した。
「……ええと」
「はいっ! バルトロメイ様!」
「……何故、寝台が入っているのだ?」
恐らく、部屋から運んできたのであろうフランソワの寝台が、一番下にある。重くなるのも大きくなるのも当然だ。
どこの誰が、旅行に向かうのに寝台を抱えていくのだろう。そして何故誰もフランソワに常識を教えてくれないのだろう。
しかし、そんなバルトロメイの疑問に対しても、フランソワが返してきたのは笑顔だった。
「はいっ! 別の部屋にお泊まりに行くときには、寝台を持っていかなければいけませんでした!」
「……後宮では、そうしていたのか?」
「はいっ! ヘレナ様からお教えいただいた二週間の
「お前のせいかヘレナぁぁぁぁぁっ!!」
本来、皇后に向けてそのような物言いなどできない。だけれどここに本人はいないし、宮廷勤めの者もいないため問題ない。
そして、ようやくそこで理解する。
フランソワに常識がない最大の理由は、きっと師が悪かったのだ――と。
しかし、そんなバルトロメイの叫びにも、フランソワはきょとんと目を丸くしていた。
「な、何かおかしかったでしょうか!」
「うむ……まず、寝台はいらぬ」
「えぇっ!?」
「大抵、宿泊施設というのは寝台が置いてある。ちゃんとシーツも整えてある。でなければ眠ることができないだろう」
「なるほど! 確かにその通りです!」
どこから教えればいいのだろう。もう本気で、『常識の教師』がいるのなら雇いたいくらいである。
だが、嬉々としてヘレナが立候補して来そうだからやめておくことにした。
ひとまず寝台は片付けてもらおう。そして、さらにその上に重ねられているもの――。
「……これは?」
「はいっ! お着替えです!」
「……何故、箪笥ごと持っていくのだ?」
そんな寝台の上に、存在感を主張して鎮座しているもの――それは、フランソワの部屋に置いてあるものと、バルトロメイの部屋に置いてある箪笥だった。
旅行に向かうのに、家具ごと持っていくという話など聞いたことがない。大貴族の長い旅路ならば荷馬車の一つに乗せるのかもしれないが、あくまで一泊二日の旅行でしかないのだ。箪笥ごと持っていく必要など全くない。
だというのに――。
「はいっ! ちゃんと服は選ばなければいけませんから!」
「……今のうちに着替えを選んでおけば、良いのではないだろうか?」
「えっ! でも、マリエルさんがその日の気分で服を決めるため、選択肢は多い方がいいと!」
「これだから金持ちは!」
きっと一度だけしか着ず、そのままクローゼットの肥やしになっている服が大量にあるに違いない。マリエルとはほとんど話をしていないけれど、大商会の娘だということは知っている。
そして名高きアン・マロウ商会の一人娘ならば、それこそ数千数万の単位で服を持っているのではなかろうか。
悪い影響ばかり受けている。どうにか矯正しなければ。
「……今日の気分で、服を選んでおけ。荷物は軽い方がいい」
「は、はいっ! 分かりました!」
「それから……これは、非常食か?」
先程決壊した場所を見ると、缶詰が転がっている。魚や果物など、その種類は様々だ。そして缶詰は保存に向き、非常食としてバルトロメイも屋敷に幾つか置いてある。
いざというときの備えであり、期限が近くなればその都度夕食などで消費して、新しいものを追加するという形にしているのだ。
そして、一泊二日の温泉旅行で非常食が必要な事態とは一体何なのだろう。
「はいっ! 食料はちゃんと持っていかなければいけません!」
「……フランソワ、恐らく食事は出るぞ」
「えぇっ!?」
「……大抵のそういう宿泊施設は、衣食住をちゃんと整えてくれているものだ」
「そうだったのですか!」
本当に、どれほど知らないのだろう。
もしかすると、今までそういう旅行などをしたことがなかったのかもしれない。思えば十二歳の頃から後宮に入っているわけだから、そういった家族の時間を設けることができなかったのだろうか。そして、後宮にいる色々と歪んだ連中に変わった習慣を教えられた、と。
そう考えれば納得だ。納得はできる。理解はできないが。
「はぁ……それからこれは……酒か?」
「はいっ!」
「片付けておけ、ダン」
「そんなっ!?」
フランソワの叫びも、無視する。酒は与えるわけにいかないのだから。
寝台、箪笥、非常食、酒瓶――これで荷物の七割は消えた。
そして残るところは枕だとか、いつも抱いている不細工なぬいぐるみだとか、あとは弓に矢筒といったところだ。さすがに旅行先で鍛練をするのはどうかと思うために、ぬいぐるみ以外は置いてゆくことにする。
そして、最後。
「フランソワ」
「はいっ!」
「何故……これが必要だと思ったのだ?」
「はいっ! 薪割りをするためです!」
いつも使っている斧と、薪割りの台として使っている切り株、加えて山盛りの薪である。
確かに毎日行っていることだろう。だが、かといって旅行先でされても困るというのが真実である。
だが、そうやってきらきらと無垢な眼差しを向けてくるフランソワに。
「……薪割りを、するのか?」
「はいっ!」
「……………………そうか」
それ以上、何も言えなかった。
薄々は気付いていた。
間違いなく心のどこかにはあった。
だが、今日を経て確信に至った。
うちの嫁は若干アホである。
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