第26話 相談

「フランソワは、どこか行きたい場所などあるだろうか?」


「は、はいっ!? 行きたい場所ですか!」


「ああ……」


 仕事を終えて風呂に入ってから、夕食の時間。

 いつも通りにフランソワと見合いながら夕食を咀嚼しつつ、バルトロメイはそう尋ねた。

 ちなみに、夕食を作ったのはシャルロッテであり、そんなバルトロメイの斜め後ろにダンと並んで控えている。さらにその隣にいる妙齢の女性は、シャルロッテの専属侍女であるエステルだ。屋敷勤めの料理人に侍女がいるなどという話は聞いたことがないけれど、実際にいるのだから何も言えない。


「あ、あの、どういうことなのでしょうか!」


「ああ……いや、俺たちは、新婚旅行をしていないと思ってな」


「新婚旅行!」


 はぅぅっ! とフランソワが、今にも椅子を倒すのではないか、と思える勢いで立ち上がる。

 突然のそんな動きに、バルトロメイもまた困惑して退く。

 しかしフランソワは、そのように立ち上がってバルトロメイをじっと見つめたままで、暫く動かない。


「……ど、どうした?」


「わ、わたしとしたことが! 新婚旅行を忘れるだなんて!」


「いや……まぁ、別にいいのだが……」


 実際、バルトロメイも忘れていた。

 だが僅かに安心する。実は新婚旅行に行きたいことを言い出せなかった、というわけではなさそうだ。むしろ反応を見る限り、完全に忘れていたのだろう。

 ならば、せっかくだしどこに行くかを話し合ってもいいだろう。


「ええと……まずは座ってくれ、フランソワ」


「はぅぅ……! バルトロメイ様に、そのように仰っていただけるまで気付かないだなんて……!」


「いや、いいんだ。俺も気が利かなかった」


「わ、わたしは……!」


「ではわたくし、ガルランドに行きたいと思いますの」


 そして、何故かそのように話すバルトロメイとフランソワに、割り込んでくる声が一つ。

 それは――バルトロメイの斜め後ろ。


「……どういうことだ、シャルロッテ」


「ロッテで構いませんのよ」


「いや、それはだな……」


「シャルロッテさんには関係のないことです! これはわたしとバルトロメイ様の新婚旅行なのですから!」


「う、うむ……その通りだ」


 言いたいことを全部言われてしまって、そのように同調するしかない。

 そもそも、シャルロッテを愛人と認めたわけではないのだ。料理人として雇うことには何の問題もないし、実家が没落して生活に困っている部分も少なからずあるために、バルトロメイの屋敷で暮らすことは構わない。だが、どうしてもフランソワという妻がいる以上、シャルロッテのそのような誘いに乗ることは忌避してしまうのだ。

 それも、バルトロメイの頭が固いからなのかもしれないが。実際に、妾を多く持つ貴族だって少なからずいるのだから。


「まぁ、そんなことを仰るのですか、旦那様」


「こ、こら……!」


「は、離れてくださいシャルロッテさん!」


 そして、からかうようにバルトロメイにしなだれ掛かってくるシャルロッテに翻弄されるのも、いつものことである。そして、そのたびにフランソワの機嫌が悪くなるのだ。

 何もした覚えがないというのに、どうしてこうなったのだろう。

 むきーっ、と怒りを露わにするフランソワに、こほん、と咳払いをして。


「と、とりあえず離れろ、シャルロッテ。これは、俺とフランソワの新婚旅行の話だ。お前には関係がない」


「……残念ですの」


「以前も言ったが、お前よりも強い男が良いのならば、俺の友人を紹介してもいいぞ。あやつは独身であるし、間違いなくお前よりも強い」


 はぁ、と溜息を吐きながら、そう告げる。

 シャルロッテよりも強い男となると、それほど人数がいるわけではない。だが、間違いなくバルトロメイの友人――『赤虎将』ヴィクトル・クリークならばシャルロッテよりも強いだろう。

 三十過ぎでありながら未婚であり、浮いた噂も特に聞かない。娼館によく行くという話は聞くけれど、そのくらいの女遊びは独身の男ならば当然だろう。

 ちゃんとした婚約者がいれば誠実に振る舞う男であるだろうし、シャルロッテを紹介するのは吝かでないのだが――。


「あら。わたくし、バルトロメイ様の愛人ですの。他の殿方に嫁入りするだなんてとてもとても……」


「認めてませんからね! シャルロッテさん!」


「あらあら。フランは分かっていませんの」


「何がですか!」


 うふふ、と笑うシャルロッテ。

 むきーっ、と敵愾心を露わにしているフランソワ。

 溜息を吐くのはバルトロメイ、ダン、エステルである。ちなみにフランソワの侍女クレアは、今日の昼間に居眠りをしていたことが発覚したために昼から今までずっと庭の草引きをやっているらしい。真剣にフランソワ専属の侍女を、他に雇うべきだろうか。


「フラン、よくお考えなさい」


「何をですか!」


「バルトロメイ様は、とても素敵な殿方ですの」


「ええ! 分かっています! わたしの自慢の旦那様です!」


「お強いですし、大陸最強とも謳われていますの」


「ええ! バルトロメイ様はとても強いです!」


「それほど素敵なお方が、女性にもてないはずがありませんの」


「ええ、そんなわけがありません!」


「つまり愛人の一人や二人はいて当然ですの」


「なるほど!」


「おい……」


 言いくるめられている。

 シャルロッテの口が回るのか、フランソワの頭が足りないのか――恐らく両方か。

 バルトロメイが女にもてるなど、青熊騎士団の面々が聞けば失笑するような言葉である。鉄面皮のリヴィアですら、眉を寄せるかもしれない。


「そういうわけで、わたくしが愛人ですの」


「え、ええと……バルトロメイ様には愛人の一人や二人いて当然でそれがシャルロッテさんで……はうっ! 混乱してきました!」


「大丈夫ですの。ちゃんと現実を受け入れますの」


「やめろ、シャルロッテ」


 頭から湯気を出しそうなフランソワに、さらに詰め寄るシャルロッテを止める。

 なし崩しに料理人として雇ってしまったけれど、真剣に解雇しようかと思ってしまう。主にバルトロメイの心の安定のために。

 ヴィクトルに紹介をするのが、全員にとって最も幸せな結果になると思うのだけれど。


「何度も言っていると思うが……俺は愛人など囲うつもりはない」


「いつかは心変わりさせてみせますの」


「……そのいつかは、来ないと思うがな」


 フランソワだけでいっぱいいっぱいだというのに、これ以上増えられてはたまらない。

 まぁ、それはいい。もういい。

 ひとまずシャルロッテの件については、考えないようにしよう。愛人と本人は言い張っているけれど、既成事実さえ作らなければただの料理人なのだから。

 残念そうに唇を尖らせるシャルロッテを無視して、再び咳払い。


「で、だ……フランソワ。フランソワ?」


「愛人が五人……愛人が六人……七人……八人……!」


「何故そこまで増える!?」


「はうっ!? バ、バルトロメイ様っ!」


「な、何だ……?」


「フランは、せめて五人まででお願いしたいです!」


「意味が分からんのだが!?」


「あ、あとはクラリッサとエカテリーナさんとクリスティーヌさんとカトレアさんとレティシアさんと……はうっ! 越えちゃいますっ!」


「勝手に俺の愛人を増やさないでくれ!」


 何故増えたのだろう。というか、その名前のどれにも聞き覚えがないのだが。フランソワが後宮で親しくしていた者なのだろうか。

 あうあう、と頭を抱えるフランソワの、その頭を撫でて。


「フランソワ、落ち着け」


「あう……! バルトロメイ様、わたしは……!」


「ひとまず落ち着け。話はそれからだ。ほら、深呼吸だ」


「すー、はー、すー、はー」


「落ち着いたか?」


「はい! フランは大丈夫です!」


 深呼吸からの輝く笑顔は、まさにいつものフランソワである。良かった。

 ひとまず話が逸れに逸れてしまったが、問題は新婚旅行である。議題から斜め上に邁進していった気しかしない。


「それで、どこか行きたい場所などはあるだろうか?」


「あ、あの……! わたしは、バルトロメイ様にご無理をさせたくはありません! 数少ないお休みを、わたしのために使っていただくなんて申し訳がありません!」


「いや、それは……」


「わ、わたしは、屋敷でご一緒できるだけでも嬉しいです! 鍛錬をしたり、お話をしたりして過ごすのがいいです!」


「ふむ……」


 確かに、それもいいかもしれない。

 一般的な新婚旅行となれば、遠出をするのが当然だ。だが、実際にバルトロメイにはあまり休みが多くないし、まとまった休みも取りにくい。それならば普段よりも少し多めくらいに休みを取り、その時間をフランソワと自宅で過ごすのというのも悪くない。

 だが、本当にそれでいいのだろうか。

 新婚旅行とは、一生に一度のものだ。まさしく、新婚夫婦が一度だけ行う旅行なのだから。

 それは一生に残る思い出だろうし、決して蔑ろにしていいものではない。

 フランソワがバルトロメイの体を気遣ってくれるのはありがたいが、そんな風に慕ってくれるフランソワにちゃんと返したい、と思うのも人情である。


「あら、ではフランはバルトロメイ様と旅行に行きたくありませんの?」


「い、行きたくないわけではありません! でも、わたしのためにご無理をさせるのは……!」


「では、わたくしがその権利を貰いますわ。さ、バルトロメイ様、一緒にガルランドへ」


「勝手に決めるな」


 シャルロッテが横から攫おうとしてくるのを、そう嗜める。

 これはあくまで、バルトロメイとフランソワの旅行だ。バルトロメイとシャルロッテの旅行ではない。

 何より、ガルランド王国。

 ガングレイヴ帝国の西にある、大陸の北西を占める大国だ。そこへ旅行をしようと思えば、軽く二週間ほどは休暇を取らねばいけないだろう。

 さすがに、そんなにも長期の休暇は取れない。


「それほどまでにガルランドに行きたいならば、一人で行け」


「あら、つれないですの」


「ガルランドで何をするつもりなのだ」


「ヘレナ様の妹御が嫁いでおられるらしいですの。徒手格闘に優れた妹様だそうなので、少し手合わせを」


「より一層一人で行け」


 まさかの武者修行だった。


「まぁ、それは冗談ですの」


「冗談でなければ困る」


「フラン、いいことを教えますの」


「何ですか!」


「……そうやっていつも言いくるめられているのに」


 大抵、このようにシャルロッテがフランソワに言うことは、ろくでもないことばかりだ。

 だというのに、毎回のように素直に聞いているフランソワは、どれだけ学習しないのだろう。

 もう全身というか、頭まで弓で支配されているのかもしれない。


「バルトロメイ様は、フランと旅行に行きたい」


「まぁ、うむ。そうだな」


「ですが、フランはバルトロメイ様に休んでいただきたい」


「そうです! わたしのためにご無理を!」


「ならば、その折衷案を取ればいいですの」


「は?」


 ぽん、とシャルロッテが手を叩いて。

 そして、満面の笑顔で告げた。


「温泉旅行をすればいいですの」

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