第24話 新たなる頭痛の種
結局、三人の戦いは泥試合の様相を呈し、日が暮れるまで続けられた。
それをバルトロメイは最後まで見続けながら、どうしてこうなったのだ、という溜息を吐かずにいられない。勝敗と呼べるものは特になく、結果的に三人が好き勝手に戦っただけである。
マリエルの棒術の冴えも、素晴らしいものだった。フランソワの弓、シャルロッテの格闘にも劣らぬ代物であり、達人にも程近い存在だろう。アストレイなら押し負けるのではないか、と思えるほどである。本当に、後宮で一体何が起こっていたのだろうか。
思えば、皇帝の妹御である皇女アンジェリカも、初対面のときにはバルトロメイに向けて銀食器(シルバー)を正確無比に投げつけてきた。後宮、ならびに宮廷の女性はどうなっているのか、本当に疑問である。
と、そのように戦って疲れた三人は、揃って今バルトロメイの沸かした風呂に入っている。
仲違いをして戦い始めたかと思えば、仲良く三人で入浴をしているのだから、本当に何をしているのだろう。ちなみに、そんな風に三人が風呂に入る、と言い出したため、バルトロメイはまだ入っていない。
しかし、貴族の間では一緒に入浴をすることが親愛を示す方法でもあるのだろうか。思えば、フランソワも最初は背中を流しに風呂へと乱入してきたし。
バルトロメイには理解できない風習だ。
恐らくバルトロメイが最も親しくしている友人は、『赤虎将』のヴィクトルである。だが、かといってヴィクトルと一緒に入浴をするか、と言われると気持ち悪さしか感じないのだから。
「ふぅ! さっぱりしました!」
「いいお湯をいただきましたの」
「申し訳ありません、先に使ってしまって」
「ああ、いや……構わないぞ」
湯上りの、上気した肌を見せながら、三人がそれぞれ食堂へとやってくる。
折角だし、夕食を一緒に、と誘っていたのだ。既に日も暮れてしまったし、空き部屋は無駄に多いので泊まっていっても構わない、とは言ってある。
だが、バルトロメイにしてみれば年の半分にも満たない、若い娘三人の湯上りの姿を見せられると、どうにも直視しにくい、というのが本音だ。
あとはバルトロメイが早々に風呂に入り、そして出てから夕食である。
「ではダン、準備は任せた」
「はい、バルトロメイ様」
「俺も風呂に入らせてもらうとしよう」
「はいっ! バルトロメイ様! お待ちしております!」
フランソワに見送られ、できる限り湯上りのシャルロッテとマリエルを見ないように心がけながら、風呂へと向かう。
女性陣の入浴は長いが、バルトロメイは別段体と頭を洗い、ある程度体を温めることができればそれでいいため、手早く入浴を行う。
毛深いと自覚のある体をしっかりと拭いて、客の前に出ても大丈夫だろう、という程度の部屋着に着替えた。
そして、そのまま食堂へと向かって。
「皆、待たせ――」
「シャルロッテさん! まだそんなことを!」
「あら、わたくし、思ったことを言っただけですの」
「もう、そんなにケンカしないのよ、二人とも……」
「マリーには関係ありませんの」
何故か、随分と騒がしく口論をしていた。
一緒に入浴をするほど仲が良いというのに、何かがあればすぐに論戦をするのが、この三人の特徴なのだろうか。議題が何なのかはさっぱり分からないが、多分バルトロメイには関係のないことだろう。
ふぅ、と小さく溜息を吐いて、席へと座る。
それと共に、ダンとクレアが料理を運び始めた。
「では、夕食の方を用意させていただきます」
「まぁ! ありがとうございます!」
「どうぞ、奥様」
どうやら、客が来ているということで、ダンもそれなりに気合を入れて準備をしたようだ。
普段よりも二割増しくらいに手間のかかった前菜が、それぞれの席の前に並べられる。
「では皆、大したもてなしはできないが、食べてくれ」
「ええ。いただきますの」
「これはなかなか……」
「……マリー、せめて話を聞いてから食べますの」
もぐもぐ、と先に料理を口に運んでいるマリエルを、ジト目でシャルロッテが見ながら溜息を吐く。
割と常識人かと思っていたけれど、先程乱入していたことといい、存外自由人なのかもしれない。そのあたり、師によく似ている。誰とは言わないが。
そしてシャルロッテも同じく食事を始め、フランソワも嬉しそうに一口で前菜を食べていた。
「こちらでは、専属の料理人を雇っておりますの?」
「いや、我が家には料理人がいなくてな」
「そうですの? では、どちらが……」
「我が家の食事は、大抵ダンが作ってくれている。クレアも一応、家庭料理なら作れるらしいが……」
「そうですの……」
ふむ、と何やら考えるように、顎に手をやるシャルロッテ。
確かに、バルトロメイ自身は将軍として一代限りの名誉貴族に過ぎないが、そのような家で料理人を雇っていない、というのは不思議に感じるだろう。大抵の貴族家では、専属の料理人がいるのだから。
特にそれが、エインズワース伯爵家という、昔は隆盛を誇った貴族家の出身であるシャルロッテにしてみれば、当然の疑問だ。
「でも、美味しいです! ダンさんの料理はすごく美味しいんですよ!」
「確かに、良い腕ですわ。あたくし、専属の料理人だとばかり思っていました」
「ありがとう」
バルトロメイにしてみても、ダンはよく従ってくれる使用人だ。そのように褒めてもらえることは、素直に嬉しい。
そう話しながらも、ダンとクレアが次々と夕食を運んでくる。
どうやら今夜は、コース料理のような形をイメージしているらしく、前菜からサラダ、スープと経て魚料理と順にやって来ている。
そして。
そこでふと、マリエルがこてん、と首を傾げた。
「そういえば、バルトロメイ様はお酒を飲まれないのですか?」
「むっ……いや、それは」
「確かに疑問でしたの。せっかくお仕事が終わったことですし、どうぞ、わたくしたちに憚らずお飲みください」
「はっ! き、気が利かずっ……! ダンさんに言ってきます!」
「い、いや、構わん! 別にいい!」
そもそも、最近は酒を飲むのも、大抵執務室で一人酒だった。
フランソワが嫁入りしたその日、一応それなりに高い酒を開けさせて振舞って、フランソワの酒癖の悪さが露呈したのだ。下手に夕食の席に置いて、フランソワが飲みたい、と言い出してはいけない、と一切の酒類を夕食の場には出していない。
だが確かに、不思議に思うだろう。
「そうだな……食後には、紅茶でも淹れさせよう。それとも、何か飲みたいものでもあるかな?」
「い、いえ、そういうわけではありませんわ。差し出がましいことを申し上げました」
「いや、構わん。至らぬ点は多々あるだろうし、何でも言ってくれて構わない」
「ありがとうございます」
どうやら、酒の云々についてはごまかすことができたようだ。
これは、今夜は執務室でも飲まない方がいいかもしれない。もし明日の朝にでも、酒精が残っていれば「何故!」と糾弾されるかもしれないからだ。
「でも、意外とちゃんと奥様しておりますのね、フラン」
「そ、そうですか!」
「ええ。そんな風に幸せなところを見せられると、あたくしも結婚したくなってきましたわ」
「すればいいですの。アン・マロウ商会の娘なら、縁談など腐る程来ているでしょうに」
「でも、あたくしの恋は、もう叶わぬものですから」
うふふ、と微笑むマリエル。
一体どのような事情を持っているのかは知らないが、下手に踏み込むべきではないのかもしれない。そういったことを知りたがるのは、ただの興味本位でしかないのだ。
ならば、そっと――。
「えっ! そのような方がいらっしゃったのですか!」
「……」
だというのに、何故踏み込むフランソワ。
言いたくないことの一つや二つはあるだろうし、そのように聞いていいことではない、ということも分かっているだろうに。
だが、マリエルはむしろ、そんなフランソワに笑顔を見せた。
「ええ。もう、その方は結婚しておりますわ」
「そんな……!」
びくっ、とそこでフランソワが肩を震わせた。
そして同時に、バルトロメイの背中にも寒いものが走る。シャルロッテのような行動もあるし、既に結婚をしている者に対してそう感じている、ということは――。
まさか、とそう思いながらマリエルを見やると。
「あたくしの愛しの君。ずっとずっと想い続けている、本当に愛しい方。でも大丈夫ですわ。あたくし、受け入れられずとも……ちゃんと、お側にいられますから」
「……マリー、それってまさか」
「ヘレナ様に決まっていますわ」
椅子から転び落ちなかった自分を褒めてやりたい。
ほう、と熱の篭った吐息で、遠くを見つめるマリエル。その視線の先にいるのは。
この国を背負う皇帝の伴侶――皇后なのだから。
朝。
いつも通りに、バルトロメイは起き上がり、そのままフランソワとの鍛錬を行った。
矢を放ち、それを叩き落とし避け続けるというだけの、いつもの訓練である。昨日のシャルロッテの行っていた動きも考えながら、できる限りにバルトロメイは力に頼らず、動体視力と反射を磨きながらフランソワの矢に対応し続けた。
「すごいですわね……」
そんなバルトロメイとフランソワの鍛練を、終始眺めていたのはマリエルである。
見ていて楽しいものではないだろうに、そのようにじっと眺められてはどこか緊張してしまうのが分かった。
「はぁっ!」
「ふんっ!」
都合二百発の矢を避け続ける、というだけの訓練を終え、そのままマリエルも含めて三人で屋敷の周囲を走る。
常に、鍛練の後には軽く走り込みをしてから体を落ち着けさせるのだ。これで、今日も一日しっかりと仕事をこなすことができるだろう。
屋敷の周囲をぐるりと一周して、ふぅ、と大きく息を吐き、ダンから手拭いを受け取って汗を拭く。
あとは朝食を終えて、軽く一服をしてから仕事だ。
「ではマリエル嬢、朝食も良かったら一緒にどうだ」
「ええ、いただきますわ」
「わたしも食べます!」
「いや、フランソワは当然なのだがな……」
もう朝食を用意してくれている、という食堂へと三人で向かい、席につく。
シャルロッテを起こしても良かったのだが、昨日はフランソワと全力で戦ったようだし、疲れているのだろう。のんびりと寝てもらい、それから戻らせたのでいい、とダンには指示をしてある。
ダンは、随分と目を泳がせていたけれど。
「どうぞ、バルトロメイ様」
「うむ」
昨日と異なり、朝食はプレートだ。
一枚の割と大きなプレートに、パンとオムレツ、野菜に、それから腸詰肉を焼いたものなどが乗せられている。シンプルながらも、いつも通り美味しそうな朝食だ。
バルトロメイはオムレツをまず一口食べて。
「ふむ……」
「お口に合いませんでしたか?」
「いや、美味い。だが、普段と味付けが少し違うな」
「ええ。どちらがよろしかったでしょうか?」
「こちらの方が良いな。汗をかいた後だからこそ、少し濃いめの方が好ましい」
うむうむ、と頷きながらバルトロメイは食べ。
少しだけダンが、寂しそうな顔を浮かべるのが分かった。
褒めたはずなのに、何故そのような顔をしているのだろうか。
「美味しいです!」
「ええ……美味しいんだけど……なんだか食べたことがあるような……」
フランソワはもぐもぐといつも通りに健啖であり、マリエルは何故か首を傾げている。
そんな風に、満足している様子を見て、ダンが小さく溜息を吐いた。
「では、仕方ありませんね。合格です」
「良かったですの」
「むっ!?」
そこで、ダンの後ろの扉から出てきたのは――シャルロッテ。
それも何故か、エプロンを装着し、笑顔である。
まさか――。
「そちらの朝食は全て、シャルロッテ様がお作りになられたものです」
「えぇっ!」
「道理で……なんだか食べたことがある気がしましたわ……」
「何故……」
そこで、昨夜の会話を思い出す。
専属の料理人は雇っているのか、と尋ねられ、いないと答えたそのとき。
何やら考えるような素振りを見せていたシャルロッテ――それは、このためだったのか。
「ダンさんから、専属の料理人を探している、と聞きましたの。まだそれほど腕があるというわけではありませんけど、わたくし、それなりにできますのよ」
「そ、そんな……!」
「バルトロメイ様がご満足してくださる品を作れば、合格だと言ってあったのです」
はぁ、と大きく溜息を吐くダン。
思わぬ料理人希望に、バルトロメイも言葉を失うことしかできない。もっと、こう、シャルロッテならば良い職があると思うのだけれど。
「フラン」
「な、何ですかっ!」
「わたくし、まだ諦めてはおりませんの」
「そんなっ……! バルトロメイ様の妻はわたしです!」
「ええ、存じておりますの」
そしてシャルロッテは、ゆっくりとバルトロメイに近付き。
その肩に手を置き、そのまましなだれかかった。
「しゃ、シャルロッテ、嬢……?」
「ご安心ください、バルトロメイ様」
うふふ、とシャルロッテは。
その唇に、指を当てて、妖艶に微笑んだ。
「わたくし、愛人いけますの」
「はぁっ!?」
バルトロメイに分かったことはただ一つ。
少なくとも、これから先。
バルトロメイの頭痛の種が、また一つ増えた、ということ――。
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