第23話 肉体言語

 一触即発、とばかりにフランソワとシャルロッテが睨み合う。

 交わった視線の間で火花が散るのならば、既に裏庭で火災が起こっているのではないか、と思えるほど、強く。


「クレアさんっ!」


「は、はいっ!」


「わたしの部屋から、矢筒を持ってきてください!」


「はいーっ!」


 弓を持ち、後ろに控えていた侍女クレアへ向けて、フランソワがそう告げる。

 そして、そのように闘気に溢れるフランソワの言葉にクレアは逆らうことなく、すぐに踵を返して屋敷の中へと入っていった。

 フランソワの視線は、じっとシャルロッテを見据えたままで。


「大丈夫ですのよ、フラン」


「……」


「矢のないあなたに勝ったところで、意味などありませんの。矢筒が用意されるまでは待ちますの」


「その余裕が! 命取りにならなければいいですね!」


 フランソワはシャルロッテをじっと見据え。

 そして、シャルロッテもフランソワから目を逸らさない。

 互いの視線がぶつかり合い、一挙手一投足すら見逃さない、という気合が分かる。

 それだけ、互いに真剣なのだということ――。


「ええと……シャルロッテ嬢? どういうことだ……?」


「マリーが素晴らしい提案をくれましたの。必ずわたくしが勝ちますの。バルトロメイ様、お待ちください」


「ふ、フランソワ……?」


「いいえっ! 勝つのはわたしです! バルトロメイ様を愛する気持ちは! 誰にも負けませんっ! 待っていてくださいバルトロメイ様!」


「どうしてそうなっているのだ……」


 はぁ、と大きくバルトロメイが溜息を吐く。

 先程まで、平和的に解決しそうな雰囲気だったのに。どうしてこうなったのだろう。

 どう考えても、マリエルが唐突に言い出したことが発端なのだろうけれど。


「勝負方式は、以前と同じでいいですのね」


「はい!」


「致命傷、もしくは」


「決定打と思われる攻撃が!」


「致命傷なら一度」


「決定打ならば三度!」


「当たるまで!」


 何故か口を揃えて、そう叫ぶ。後宮でどれほど戦闘訓練を重ねてきたというのだろうか。

 むしろ、本当にそこは後宮だったのだろうか。極秘の戦闘訓練施設とかそういうわけではなく。

 多分、今宮廷にいるであろう、全ての要因となったであろう皇后を考えて溜息を吐く。


「ロッテが有利ですわね……。この立地なら、あたくしも危ないかもしれませんわ。どう戦いましょうか……」


「マリエル嬢、お前もか……」


「はい?」


「いや、何でもない」


 そもそも、ここに三人いて、二人が戦闘脳なのだ。残る一人は違う、ということなどあるまい。

 マリエルが何に特化しているのか、というのは疑問だが、この際そのようなことは関係ない。徒手のシャルロッテ、弓のフランソワ、といったところだから、剣か槍、といったところだろうか。

 矢筒が届くまでの間、じっとフランソワとシャルロッテは睨み合う。


「お、お待たせしましたぁー、フランソワ様ぁー!」


「はいっ!」


 走ってやってきたクレアから、フランソワは後ろ手に矢筒を受け取る。

 クレアが持ってきたのは、普段の朝の鍛錬で使っている、鏃を取り除いた矢が百本入っている大型の矢筒だ。それを二つ、両手に抱えて持ってきている。

 フランソワはクレアを一瞥もせずにそれを受け取り、矢筒の一つを腰に、もう一つを背中に回した。

 朝の鍛錬での、二百発連続射撃を行うことのできる、フランソワの基本装備だ。

 そんな矢筒を装備したフランソワに、シャルロッテが片眉を上げる。


「随分、矢が多いですの」


「バルトロメイ様に嫁入りをしてから、わたしの腕は上がりました! 後宮にいた頃のわたしとは違います!」


「それは、楽しみですの」


「おい……」


 まるで、バルトロメイの屋敷が戦闘訓練施設であるかのような言い方はやめてほしい。

 実際、朝にはフランソワと毎日鍛錬をしているから、あながち間違ってはいないのだけれど。実際に、嫁入りしたすぐの頃には連射を行うことのできる本数は百本くらいだった。それが気付けば、背中にも矢筒を回して二百本射ることができるようになっていたのだから。

 だが、そんなフランソワの言葉に。

 シャルロッテは、不敵に笑う。


「わたくしも、闘技場で実戦を重ねましたの。後宮にいた頃よりも、強くなっていますの」


「さぁ、では始めましょう!」


「いきますの!」


 たんっ、と軽快に地を蹴るシャルロッテが、一気にフランソワとの距離を詰めようとする。

 そしてフランソワはそんなシャルロッテの動きに合わせ、そのまま後方へ飛んだ。

 遠距離攻撃を主体とするフランソワの戦いは、基本的に接近戦には向かないのだ。弓格闘術はそれなりに習得しているが、シャルロッテのような近接徒手格闘術に特化している者を相手にしては、やはり一枚劣る。

 それゆえに、できる限り距離をとる戦い方をするのが、フランソワの戦法なのだろう。


「はぁっ!」


「甘いですの!」


 フランソワが体勢を崩しながらも、しかし矢を射かける。動きながら、崩れた体勢で、しかし間違いなくシャルロッテの眉間を狙った一射である。

 シャルロッテはそれを左腕を旋回させ、矢の半ばから叩き落とす。直線的で、単純な一撃などシャルロッテには届かない、という間違いない証左であろう。

 元より、シャルロッテの強みは、その天性の第六感による回避――。

 しかし。

 そのままで終わる、フランソワではない。


「い、やぁーっ!」


「くっ!」


 ひゅんひゅんっ、と風を切り裂いて、フランソワから五本の矢が飛んでゆく。

 それぞれ別の軌道を描きながら、しかしその全てがシャルロッテへ向けて。

 どれほどの熟練した弓兵ならば、連続で五本の矢を弓に番えて、その五本全てが目標に当たるように撃てるというのか。

 そして。

 それを、刹那の見切りで躱しながら、避けきれない部分は叩き落とすシャルロッテも、また怪物。

 矢筒から矢を取り出し、弓に掛けるその一瞬の隙を、見逃しはしない。


「はっ!」


「うっ……!」


 強い踏み込みと共に距離を詰めたシャルロッテが、素早い拳を突き出す。腰を回さず、体重を乗せず、ただ牽制として放つ一撃。

 だが、そのような牽制の一撃ですら、フランソワにしてみれば攻撃以外の何物でもないのだ。ゆえに、僅かにでも反応はしてしまい、体勢が崩れる。

 そして牽制の一撃を囮にした、もう片腕――腰を回し、体重を乗せ、威力を強めたその一撃が。

 フランソワに、襲いかかる。


「はぁっ!」


 だが。

 フランソワとシャルロッテには、大きな違いが一つある。

 それは。

 武器を持っているか、否か――。


「ちっ……!」


「当たり、ませんっ!」


 シャルロッテの威力を強めた一撃は。

 そのまま、フランソワが己の目の前に突き出した弓が、しなる体と共に受け止めていた。

 徒手であるがゆえに、防ぐ術を持たないシャルロッテ。弓という細い武器であれど、それを防御に回すことのできるフランソワ。

 だが、それが確実に。

 フランソワの有利になるかといえば、そうでもない。


「ふんっ!」


「きゃあっ!」


 フランソワは、ただ受け止めただけだ。

 そこにシャルロッテが力を加えれば、押し負けるのは道理でもある。

 そして何よりも、弓という唯一の持ち得る武器を防御に回した時点で、フランソワから攻撃する手段は失われるのだ。敵からの攻撃が来ないと分かっていて、手を抜く者などいるまい。

 つまり、シャルロッテにしてみればこれは連撃を行うなによりの機。


「はぁぁぁぁぁぁぁっ!」


「くっ……!」


 シャルロッテの放つ拳の連撃を、必死に弓で防ぎながら後退するフランソワ。

 その動きは、シャルロッテの軌道を全て分かっているかのような。

 まるで事前に打ち合わせをしているかのような、演武のような滑らかな動き。

 そんなシャルロッテの攻撃の最中。

 フランソワが思い切り、その弓の弦を引き、弾いた。


「痛っ!」


 弓に防がれていたシャルロッテの拳へ向けて、矢を番えずに弦だけを引いたことによる、鞭打である。

 そして弓を引くために限界まで細く作られた弓の弦は、そのまま相手を切り裂くような攻撃に変えるのだ。

 シャルロッテが左手を引くと共に、その拳から僅かに流血をしているのが分かった。


「はぁっ!」


 そしてシャルロッテが怯んだその瞬間に、フランソワはそれまでの我慢を一気に解放するかのように、後方へ跳躍する。

 一歩では踏み込めないほどの距離を保つと共に、矢筒から瞬時に矢を番え、まず一射。

 そのまま、一歩踏み込んで――シャルロッテに近付いて、もう一射。


 ぞくり、と背筋が震える。


 初めて見たときに、化け物かとさえ思った、フランソワの弓の冴え――その極地。

 時間差で二本の矢を撃ちながらも、しかし一歩を踏み出すことにより目標に当たる瞬間を全く同一とした連射。

 同一の機に同時に向かってくる、別の軌道を描いた二本の矢。シャルロッテにしてみれば、敵の弓兵が二人いるかのようにすら感じる攻撃だろう。


「残念ながら――」


「うっ……!」


「――それは、知っておりますの」


 同時に向かってくる矢の一つを、紙一重で避ける。そしてもう一つを、右腕を回して叩き落とす。

 それは恐らく、現在のバルトロメイがフランソワの射撃に対応できるように、数多くの戦いを共に行ってきたからこそ分かるもの。

 種の知れている攻撃など喰らうことはない、というシャルロッテの矜恃。

 フランソワが更に射撃を行うが、しかしシャルロッテはその悉くを叩き落とす。常人ならば対応できないほどの矢の雨にすら、全く動揺することなくフランソワとの距離を詰める。


 ただ、バルトロメイは、見惚れていた。


 弓術の極地とさえ呼べる、フランソワの技の冴え。

 徒手格闘の天才と称せる、シャルロッテの技の鋭さ。

 目の前で行われている戦いが、それぞれの武術の達人だ、と言ってもおかしくない、そんな境地での戦いなのだ。

 思わず、身震いすらしてしまう。これほどの若さで、これほどの技を、どのように身につけたのだ、と。


「うーん……」


 しかし、そんな二人の、演武のような戦いを見ながら。

 もう一人――この状況の発端とも言える、マリエルは下唇を突き出しながら、眉根を寄せていた。


「もし、そちらの方」


「は、はい? わたしでしょうか?」


「ええ。少し、お願いがありますわ。何でもよろしいので……あたくしの背丈くらいある棒を持ってきてくれません?」


「は、はい……? わ、わかりました!」


 何故か、フランソワの侍女クレアに対して、そのように命令をするマリエル。

 どうしてそのような棒が必要なのだろう、とは思うけれど、だがバルトロメイは二人の動きから目が離せない。

 フランソワの弓については、知っていたつもりだった。

 だが、恐らくシャルロッテとフランソワは、後宮で何度となく拳と弓を合わせていたのだろう。それゆえに、お互いを知っているからこそ、これほどまでに息の合った攻防が行われているのだ。

 どれほどのフランソワの矢が、シャルロッテに叩き落とされたか。

 どれほどのシャルロッテの拳が、フランソワに防がれたか。


「はぁっ!」


 フランソワが腰元を見もせずに、空になった矢筒を投げ捨てる。

 それと共に、背中に回していたもう一つの矢筒を腰に回し、そのまま恐るべき速度で取り出し、放ち続ける。

 まさに、弓にだけ特化した武。


「ふんっ!」


 シャルロッテが距離を詰めながら、的確に拳をフランソワへ向けて放ってゆく。

 迫り来る矢を全て叩き落とし、そして矢を喰らわぬように、と身を屈めた姿勢のままで揺らがない。

 まさに、徒手格闘にだけ特化した武。


 末恐ろしさに、目眩すらしてきた、そこで――。


「はぁっ!」


 その二人の間に、棒が乱入した。

 思わぬ場所からの攻撃に、シャルロッテが焦って後ろに跳ぶ。フランソワは弓を構えたままで、距離を取る。

 そんな二人の間に、乱入したのは。


「あたくしも混ざりますわ!」


「何故ですかマリエルさん!」


「あなたには関係ありませんの、マリー」


「だって楽しそうですもの!」


 マリエルが持っているのは、先程クレアに用意させたのだろう、長い棒である。

 彼女の身長よりも僅かに長い程度の棒であり、先端には切ったような跡がある。よく見ればバルトロメイの隣に、箒の先端が転がっていた。どうやら勝手に切ったようだ。我が家の備品だというのに。

 マリエルは、嬉しそうにそんな棒をくるくると回し、その先端をシャルロッテとフランソワ、その中間へ向ける。


「いきますわっ!」


「話を聞いてくださいっ!」


「邪魔ですのっ!」


 どうやらマリエルの特化している武は、棒術らしい。それだけは理解できた。

 理解できたが、一体これは何なのだろう、本気で。


 目の前でそのように、嬉しそうに楽しそうに拳と矢と棒を交わす三人を見ながら、バルトロメイはただ佇んでいることしかできなかった。

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