第21話 拳闘士ロッテふたたび

 その後、薪を炉の中に入れつつ火を熾しながら、何故かバルトロメイはその場でシャルロッテと話をすることになった。

 途中で抜けてきた、と言っていたけれど、戻らなくてもいいのだろうか。こんなところでバルトロメイと話をするよりも、フランソワと旧交を温める方が良いと思うのに。

 しかし何故か、シャルロッテはバルトロメイが軍人として参加した、様々な戦争の話を嬉しそうに聞いていた。特に、他国での名の知れた英傑の話などには、よく食いついていた。最近の貴族令嬢の趣味は分からんな、と思ってしまう。

 もっとも、闘技場であれだけの強さを見せたシャルロッテを、最近の貴族令嬢の範疇に入れていいのかは疑問だが。


「では、フランソワとは後宮で知り合ったのか」


「ええ。ヘレナ様に弟子入りをしたのは、あの娘が一番最初でしたの。わたくしは四番目」


「ヘレナは、随分と後宮暮らしを謳歌していたらしいな」


 既に皇后の座についているヘレナを思いながら、バルトロメイは苦笑する。

 フランソワの極端なまでの弓の腕に、シャルロッテの常軌を逸した徒手格闘の腕を考えると、なんと見事な弟子を作ったものだ、と感心さえしてしまうほどだ。少なくとも、バルトロメイの副官であるアストレイを一蹴するほどに格闘の腕がある女性など、帝国全土を探しても他に存在しないのではないか、と思える。


「最初は妙な娘だと思っていましたの。無駄に元気ですし、無駄に声が大きいですし、無駄に頑張り屋ですし」


「まぁ……」


 残念ながら、否定をすることができない。

 元気で声が大きく頑張り屋なのはその通りだ。その全てを無駄だというのは些か言い過ぎだとは思うけれど、そもそもバルトロメイが最初に抱いたフランソワの印象が、「なんか変なのが嫁に来た」なのだし。


「実はフランは、弓を引いたのは後宮に入ってからが初めてらしいですの」


「そうだったのか……では、一年にも満たずにあの腕か」


「ええ。凄まじい才能ですの」


「シャルロッテ嬢も、十分凄まじいと思うがな」


 ヘレナの弟子は化け物揃いなのだろうか、と苦笑してしまう。

 もしかすると、バルトロメイが知らないだけで、以前に名前の出てきたクラリッサという女性や、今日一緒に来ているマリエルも、何かしら武術の才能を持っているのかもしれない。

 いつから後宮が、戦闘訓練施設になったのかは知らないが。多分どう考えてもヘレナのせいである。


「フランソワの弓を見ましたか?」


「……あの弓か」


 シャルロッテの言葉に思い出すのは先日、武器屋に行ってメンテナンスを頼んだ、フランソワの弓。

 希少で高級な素材を惜しげもなく使っており、フランソワの小さな背丈に合わせた弓だというのに凄まじい威力を発揮する代物だ。どう考えても既製品ではなく、金持ちが道楽で作ったものだ、としか思えない業物である。恐らく、フランソワの持ってきた嫁入り道具の中でも、一番高いだろう、と思えるものだ。

 熟練の弓兵ですら、あのような弓は持っていないだろう。


「あれは、マリーからのプレゼントですの」


「マリエル嬢か。確かに、それならば納得だな」


「まったく、お金持ちはこれだから嫌いですの」


 ふんっ、と鼻を鳴らすシャルロッテに、思わずバルトロメイは苦笑する。

 二人の関係がどのようなものなのかは分からないけれど、仲の良い友人だからこそそう言えるのだろう。そう考えると、そのように気丈なことを言うシャルロッテに微笑ましいものを感じてしまう。


「……む?」


 と、そこでふと疑問に思った。

 マリエルはリヴィエール――帝国最大の商会である、アン・マロウ商会の創設者の家名を名乗った。比べ、シャルロッテは家名を名乗らず、ただ名前だけを告げたのだ。

 後宮に入っていた、という事実を考えるならば、シャルロッテは間違いなく貴族の令嬢である。そして恐らく、貴族令嬢であるがゆえに、己の身分を偽って参加するために、闘技場では仮面をしていたのだとばかり考えていた。

 ならば、何故その家名を名乗らないのだろうか。


「そういえば、シャルロッテ嬢も貴族の娘なのだろうか?」


 と、そう何気無く聞いて。

 シャルロッテは、そんなバルトロメイの問いかけに、ただ肩をすくめた。


「まぁ、一応、そうですの。妾腹ですし、既に没落してしまっていますけど」


「没落?」


「ええ。バルトロメイ様は、エインズワース伯爵家についてご存知ですの?」


「……」


 聞いたことのある家名に、思わず顔をしかめる。

 エインズワース伯爵家は、一年ほど前には存在した家の名前だ。バルトロメイは貴族社会に詳しいわけではないが、現在の皇帝ファルマスが大規模な粛清を行った際に、取り潰された家の一つである。

 そこでようやく、納得した。

 シャルロッテが己の家名を名乗らず、ただシャルロッテと自分の名前だけを名乗った理由。

 それは、既に没落し、名乗ることを許されないがゆえに。


「なるほど……そうだったのか」


「ええ。今は、ただのロッテですの」


「では、生活などは……」


「今は、闘技場での報奨金がありますから、そちらで生活をしておりますの」


「そうか。困ったことがあれば言ってくれ」


 フランソワの友人であるならば、バルトロメイにしても他人というわけではない。

 貴族令嬢として暮らしてきたのを、いきなり庶民の生活をしろ、というのは難しいかもしれないが、バルトロメイにできる援助ならばするつもりだ。

 そんなバルトロメイの言葉に、シャルロッテはうふふ、と笑う。


「大丈夫ですの。割と闘技場での報奨金は多かったですし、暮らしていくのに問題はありませんの。やることなんて、鍛錬くらいですし」


「そうか……」


「このあたりは、わたくしとフランはよく似ていますの」


「確かにそうだな」


 バルトロメイもまた、苦笑する。

 確かに、フランソワも毎日やっていることなど、バルトロメイとの朝の鍛錬くらいのものだ。何も我儘を言わないし、何かを買ってくれ、という言葉も聞いたことがない。貴族の娘だとは思えないほどに、質素な暮らしを好んでいるような素振りもある。

 でなければ、毎日あのような汚れてもいいお仕着せを纏って、バルトロメイのために風呂を沸かすことなどするはずがない。

 少しは我儘を言ってくれてもいいのに、とは思うけれど。


「ですが……改めて、自分の弱点を知りましたの。バルトロメイ様のおかげですの」


「む……?」


「わたくしと戦って、どう思われましたか?」


「ふむ……」


 シャルロッテは、強かった。素直にそう思う。

 天性の第六感によるものなのだろうが、見切りが凄まじいのだ。恐らく、回避に徹すれば永遠に当たらないだろう、と思えるほどに。

 そして、刹那の見切りから的確なカウンターを与えるという、究極の後の先を追求したその戦闘スタイルは、恐らくシャルロッテにしかできないものだろう。


「シャルロッテ嬢は、十分に強いと思うがな」


「わたくしは速度こそありますし、見切りも十分だと思っていますの。でも、その代わりに体重は軽いし、その分だけ攻撃も軽いですの。でなければ、バルトロメイ様の筋肉に弾かれることなどありませんの」


「……まぁ、それは確かにそうだな。同じ体重ならば、負けていたかもしれん」


「ですから、わたくしの課題は一撃の威力を上げることですの。下手に体を作って、速度が落ちて攻撃を食らってしまうのは論外ですの。もっと鋭く、もっと的確な一撃を、と考えておりますの」


「だが、威力というのはどうしても体重による部分がある。軽い体では、結局軽い攻撃しかできない、とは思うがな」


「そうですの。ですから、貫手での一点集中などどうかな、などと最近思っているのですけど」


「しっかりと指先の訓練をしていなければ、痛める可能性が高いが……」


 うーん、と自分の指先を揃えて、貫手――指先で相手を攻撃する、拳よりも一点集中となる手の形をしながらシャルロッテが首を傾げる。

 拳よりも力を集中させることができる代わりに、弱いのが指先だ。それこそ、巻藁を相手に何度も何度も突き、突き指を繰り返してどうにか使えるようになるような技である。バルトロメイですら、下手に行えば指先を痛めるだろう。

 シャルロッテの、白魚のような細い指先では、あっさりと突き指をしてしまいそうにすら思える。


 だが、少し話して分かったことがある。

 シャルロッテの心には、恐らく戦うこと以外に何もない。ただ強くなりたい、という考えだけで生きているようにすら思える。

 いや、むしろ。

 そういうシャルロッテだからこそ、あれほどまでに闘技場での連勝を行うことができたのかもしれないが。

 だけれど、そんな生き方は。

 どこか、危うい――そう感じてしまう。


「あっ! シャルロッテさん! ここにいましたか!」


 と、そこで唐突に、フランソワが裏庭にやって来た。

 どうやらシャルロッテを探していたようで、バルトロメイと一緒にいる、という状況に僅かに首を傾げている。

 世間話しかしていないし、別にやましいことをしているわけではないのだが、つい背筋に力が入ってしまった。本当に、ただ話をしていただけだというのに、何故かフランソワに顔向けできないような気持ちになってしまう。


「ええと……バルトロメイ様とお話をされていたのですか!」


「ええ。色々、フランのことを聞きたかったですの」


「そんな! 恥ずかしいです!」


 きゃー、と頬に手をやるフランソワ。

 どうやら、バルトロメイが考えているほど、何も感じてはいない様子だ。そもそもバルトロメイとフランソワは結婚しているわけだし、そこで他の女性と話をしていたところで、嫉妬心などない、ということだろう。

 良識的な反応を見せてくれるフランソワに安心しながら、バルトロメイは更に炉の中に薪を足してゆく。

 もうそろそろ、適温に沸いたくらいだろうか。


「ちゃんとお話しておきますの。後宮で、フランは毎日のように『バルトロメイ様に相応しい妻になるために!』を合言葉に頑張っておりましたの」


「や、やめてください! 恥ずかしいですっ!」


「でも……それほどまでに、お慕いする殿方に嫁入りできたこと、素直に羨ましいですの」


「そんな!」


 自分のことを話されて、照れ臭くなってくる。

 元よりフランソワが後宮にいた頃から、慕ってくれていた、という話は聞いている。それゆえに、皇帝ファルマスに個人的に呼び出されて、後宮解体後にフランソワを嫁に迎えるよう命じられたほどなのだ。

 表向きは皇帝の寵愛する側室の揃った後宮だというのに、そのように他の男の名を連呼していて良かったのだろうか。


「んもうっ! さぁ、シャルロッテさん! 戻りましょう! マリエルさんも待っていますし!」


「ええ。あ……少し待ってもらえますの?」


「はい! バルトロメイ様! シャルロッテさんがごめんなさい!」


「いや、俺は別に構わんが……」


 バルトロメイにしても、興味深い話が聞けた、と思っているくらいだ。

 まだまだバルトロメイの知らないフランソワは多いし、恋人という関係を経ることなく夫婦となったがゆえに、分からないことも多いのである。

 このように、フランソワの純粋な友人から話を聞ける、というのは貴重な機会でもあるのだ。


「バルトロメイ様」


「む……どうした、シャルロッテ嬢」


「ロッテと呼んでくれて構わないのですけど」


「そういうわけにはいかんよ。妻の前でもあるしな」


 肩をすくめて、そうやんわり拒む。

 妻、と言ったことでフランソワがきゃー、と頬に手を当てていた。そろそろ慣れてくれていいはずなのに。

 もっとも、そのように言うバルトロメイも、どことなく恥ずかしいのだけれど。

そんなバルトロメイの返事に、シャルロッテは苦笑して。


「では、少し大きい声では言えない話がありますの。お耳を拝借してもよろしいです?」


「む……何の話だろうか?」


「大したことではありませんの」


 フランソワよりは背が高いけれど、それでも小柄の範疇に入るであろうシャルロッテの背丈に合わせるように、僅かに屈む。

 あまり大きい声では言えない話ということは、フランソワに聞かれたくない、ということだろう。

 妻の前で内緒話をする、というのも気が引けるけれど、それがシャルロッテの希望ならば叶えるのは吝かではない。


「実は……」


「うむ」


 シャルロッテが、そうバルトロメイの耳に唇を近付けて。

 ふっ、と、熱の篭った吐息と共に。

 その頬に、唇をちゅ、と当てた。


「――っ!?」


「えっ……!」


 驚きは、バルトロメイ、フランソワの両方。

 そして、そんな驚きをその場に生み出した、その要因は。

 嬉しそうに、微笑んだ。


「わたくし、強い男は好きですのよ」


 そう。

 屋敷の裏庭に、特大の爆弾を落とした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る