第17話 闘技場の見物

 フランソワと二人でまず武器屋に向かった。

 本来、女性を連れて行くような場所ではない、ということは分かっている。だが、これまで女性と関わったことが全くないバルトロメイにしてみれば、連れて行く場所が特になかったのだ。

 結局、武器屋で色々と武器を見繕い、またフランソワの強弓をメンテナンスに出すかたちに落ち着いた。バルトロメイの主に扱う武器は二振りの大斧なのだが、そちらは先日メンテナンスに出したばかりだったのだ。剣あたりを出すべきだったかな、と考えるが、毎日磨いているし最近は実戦もないため、現状は問題ない、と判断できた。

 そして、メンテナンスに出した代わりに、とフランソワに新しい弓を買った。これまで使っていた強弓よりも、もう少し格の落ちるものだが。むしろ、現在フランソワの使っている強弓が、高級な素材を使っている代物だ。余程の金持ちが道楽に作ったのではないか、と思える代物である。

 そして、二人で簡単な食事をした後、向かった先。


 闘技場、である。


 大理石を組まれた外観は、その素材の割にはとてもシンプルな印象を受けるものだ。そして外観はまだしも、内部になると白い大理石に、数多の血痕が残っている。それだけ歴史を重ね、死者すら出ることもある戦いが行われてきた証だ。

 現在は拳闘士が、素手での戦いを行う、というだけだ。だが、遥かに昔は戦闘奴隷による殺し合いが行われてきた歴史もある、と聞く。相手を殺すまで行う戦いを娯楽にしていた、という非道な時代の名残とでも言うべきか。


「さて、入るか」


「はいっ!」


 入り口で券を購入し、中に入る。闘技場は毎日のように拳闘士による戦いを、朝から夕刻まで行っているのだ。いつ入っても、適度に楽しめるのである。

 もっとも、入り口で「大人一人と子供一人ね」と担当者に言われて、フランソワはむくれていたけれど。

 子供料金は大人料金の半額であるため、誤解して貰っていた方が得をしたのだが、とりあえずバルトロメイの方から大人二枚に訂正しておいた。少々安くなるよりも、若妻の機嫌を直す方がバルトロメイにとっては大切なのである。


「わぁっ!」


 闘技場の中央に作られたリングの上で、男二人が拳で語り合っていた。

 大柄な男と、やや小柄な男である。お互いに身体中に歴戦の傷が残っており、二人ともかなりの拳闘士なのだろう、と知れた。

 適当な、リングをしっかり見ることのできる近い位置へと、フランソワと並んで座る。

 今が何ラウンド目なのかは分からないが、どうやら戦いは佳境に入っているらしい。


「うおぉぉぉぉぉ!」


「はあぁぁぁぁぁ!」


 男二人が打ち合い、互いの拳を互いの体に当ててゆく。

 体格だけを見るならば、大柄な男の方が優れている。だが、どちらかといえば敗勢にあるのは大柄な方のようだ。

 小柄な男は巧みに体を使い、ひたすらに大柄な方の拳を避け、うまく隙をついて一撃を当てている。

 これは恐らく、小柄な方の勝ちか――そうバルトロメイが判断した直後に、大柄な方がリングの中に沈んだ。

 わぁぁぁぁ、という歓声の中で、小柄な男がリングから去り、大柄な男が担架で運ばれてゆく。

 ちらり、とフランソワを見やると、興奮しながら鼻息荒くリングを見ていた。


「すごい! すごいです! バルトロメイ様っ!」


「そ、そうだな……」


 あまり大した技量ではなかった二人だが、確かに近接戦闘ではフランソワよりも強いだろう。バルトロメイならば一瞬でリングの中に沈ませることができるだろうけれど。

 すると、一際大きな歓声が湧いた。


「さぁ皆様! お待たせいたしました!」


 リングの中央にいる、どうやら司会者らしい男の声も、どことなく歓声に掠れて聞こえにくい。

 だが、どうやらメーンイベントがこれから始まるようだ。

 いい時間に来ることができたらしい。


「我らのアイドル! 拳闘士としてこれまで百戦以上無敗! ただの一月で伝説を作った女が、今日もまた来てくれたぁーっ!」


「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


「さぁ! ご登場いただきましょうっ! 謎の仮面女拳闘士! その名はぁーっ!」


「ロッテぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」


 最早波とすら思えるほどの、強大な歓声が湧く。それと共に登場したのは――小柄な女だった。

 舞踏会のような蝶を模した仮面を被り、動きやすい水着のようなコスチュームで登場した女は、身軽にとんとん、と跳躍してリングに上がった。それと共に、更なる歓声が弾けるように流れる。

 それが。

 謎の仮面女拳闘士、ロッテ――。


「ロッテ……?」


 バルトロメイもここ最近、闘技場には来ていない。だが、月に一度は来ていたはずだ。

 先月、そんな名前を聞いた覚えはない。

 すると、隣から妙に愛想の良い声がした。


「なんだい、アンタ知らないのかい!」


「む?」


「うおっ! 顔怖ぇなおい!」


 どうやら昼間から飲んでいるらしく、酒臭い息をした中年が、そう仰け反る。

 顔が怖いのは生まれつきだ。それよりも、何の用だというのか。


「まぁいいや! アンタ、ロッテを知らないのか?」


「ああ、今日初めて聞いたんだが……」


「あの女は伝説を作りやがったんだよ! 最初に現れたのは、二十日くらいは前だったかな!」


 丁度、フランソワがバルトロメイの屋敷にやって来た頃くらいだろうか。

 そういえば確かに、あれから闘技場には赴いていない。だからこそ、バルトロメイは知らなかったのだろう。

 リングの上で、挑発的なポーズを取るロッテを見ながら、男が嬉しそうに語る。


「大体な、拳闘士ってぇのは、一日でやれても二戦が限界だよ。んで、毎日なんて来れやしねぇ。だってのによぉ! ロッテは一日五戦は当たり前! しかも全勝無敗ってこった!」


「ほう……」


「ロッテはいつも、勝てたらマスクを外してやる、って言ってんだよ! だってのに、まだ誰もロッテの素顔を見てねぇんだ! 俺もロッテの素顔が見たくて通ってるってのによぉ! 誰もあの女に勝てやしねぇ!」


「それほどなのか……」


 凄まじい経歴だ、と素直に思う。

 バルトロメイは昔から軍属であったし、戦場以外で戦うのを好むほどの戦闘狂というわけでもなかったため、拳闘は基本的に見るだけだ。だがこれまでバルトロメイの見てきた限り、百戦以上も全てを勝利している、という拳闘士はいない。

 それを女の身で、しかも一月足らずで成し遂げた、となればまさに伝説だろう。

 どれほど強いのか、試してみたくなるが。


「しかもだ! 始まるぜぇ!」


「何がだ?」


「まぁいいってことよ! 見てろって!」


「む……」


 よく分からないが、ひとまずリングに目をやる。

 フランソワはリングの上で構えるロッテを見ながら、「かっこいいです!」と興奮していた。出たいと言ったら全力で止めよう。

 そこで、中央の司会者が、一際大きく声を張り上げた。


「さぁ! 今日のロッテへの挑戦者は誰だっ!」


「誰だぁぁぁぁぁっ!」


「そう! ロッテは相手を選ばない! いつだって! 誰の挑戦でも! 歓迎するぅぅぅぅぅぅ!」


「ロッテぇぇぇぇぇぇ!!」


「そういうこった!」


 司会者の言葉に、嬉しそうに男がそう追随した。

 なるほど、とバルトロメイは頷く。


「ロッテの経歴は、それだけ見りゃヤラセみたいなもんだ! でもな! 違うんだよ! ロッテは最初から、相手をその場で募集するんだ! 半端ねぇんだよ!」


「なるほど……」


「お、あいつが挑戦するのかなっ!」


 男の言葉に目をやると、リングの端から上がってゆく姿があった。

 それは細身の優男。だが、鍛えているがゆえに無駄な肉の削がれた引き締まった体だ。

 狐目のような細い眼差しに薄笑いを浮かべ。

 青熊騎士団副官――アストレイ・シュヴェルトがそこにいた。


「……何をしているのだ、アストレイ」


「あ、あのっ! あの方は……!」


「我が軍の副官だ……まったく、非番だからといって何をしているのやら……」


「で、ですよねっ!」


「まぁ……だが、アストレイなら負けはしまい。あれで、あいつは強い」


 アストレイは、青熊騎士団の中でもバルトロメイに次ぐ強さの持ち主だ。

 さすがに『赤虎将』ヴィクトルや『黒烏将』リクハルドといった面々には劣るが、相応の強さは持っている。市井の女になど負けはしないだろう。

 アストレイはリングの上に上がり、ロッテと睨み合う。


「さぁ、ロッテ。今日は、僕がお前の伝説に終止符を打ってやろう」


「名乗りますの」


「僕はアストレイ・シュヴェルト! 青熊騎士団の副官だ!」


「わぁぁぁぁぁぁ!!!」


 大きな歓声が流れる。

 軍属ということを、そんなにあっさりと言わないで欲しいものだ。まぁ非番であるし、何をしようとも個人の勝手であるが、自分が負けたら青熊騎士団の尊厳にも関わる、ということを分からないものだろうか。

 明日、殴っておこう。そう心に留めておく。


「さぁ、行くぞロッテ! その仮面を、僕が外してやろう!」


「全力で遠慮いたしますの」


 まずは、アストレイの先制。

 アストレイは細身だが長身であり、ロッテは逆に女性としても小柄だ。リーチは圧倒的にアストレイの方が長い。

 ステップから一気に距離を詰め、アストレイが鋭い一撃を放つ。


「ご、ふっ……!」


 だが。

 そう一撃を放ったアストレイの方が、膝をついた。


 バルトロメイは思わず、目を見開く。

 その動きは、まさに神業としか思えないものだった。アストレイの踏み込みは素早く、そして攻撃も鋭いものだったというのに。

 ロッテはそんなアストレイの拳を、まさに紙一重で避けたのだ。もう僅かにでもずれていれば当たっている、とさえ思える距離で。

 仮面という視界を遮るものがありながらにして、神業のような回避を見せるそれは、まさに天性の才能だろう。

 視界、聴覚、気配、そして第六感を鍛えに鍛えたからこそ見せることのできる、勘だ。

 それを用いてアストレイの攻撃を躱し、そのままの勢いで肉薄し、その腹に一撃を加えた――それが理解できた者が、この会場にどれほどいるだろう。

 きっと、攻撃をしていたアストレイにすら分からないものだったはずだ。


「すげぇ! さすがはロッテだ! 絶対にロッテは当たらない!」


「すごいです! すごいですっ!」


 両隣がやたら興奮しているが、バルトロメイにとっては戦慄すら感じるものだ。

 まさか、闘技場にこれほどの強さを持つ女がいるとは――。


「降参しますの?」


「くっ……!」


 膝をついたアストレイに、ロッテがそう告げる。

 だが、大口を吐いたアストレイに、逃げるという選択肢はあるまい。ここからどう出るか――。


「そんなわけが、ないだろうっ……!」


「ならば、来ますの。千の攻撃を、万の攻撃を、わたくしは返しますの」


「ぐぅっ……!」


 強い。

 ロッテに対する、バルトロメイの感想はそれだけだ。本当に強い。

 アストレイとは徒手格闘訓練を何度かやったことがあるが、アストレイの腕では勝てないだろう、と思えるほどだ。

 その後も、何度もアストレイが攻撃をしかけるものの、悉くを避けられ、カウンターで一撃を貰っていた。

 既にアストレイも、膝から下が震えている。

 最早、勝機はそこにない。


「フランソワ」


「は、はいっ!?」


「少し、出てくる。フランソワ、俺が戻るまでここにいろ。不埒な者には絶対について行くな」


「ま、まさかっ!」


「ああ」


 そんなつもりはなかった。少なくとも、フランソワの側を離れたくはなかった。

 だが、アストレイは自分を青熊騎士団の者だ、と。しかも副官だ、と名乗ったのだ。

 副官が敗北したということで、会場の観客に、青熊騎士団が弱い、と思われる可能性もある。そして、その声が大きくなってしまっては、軍の存続にも繋がるのだ。

 それは避けたい。


「俺が出てくる。フランソワ、見ていてくれ」


「は、はいっ!」


 それに加えて。

 ロッテの強さは、バルトロメイの血を騒がせるものだった。久々に全力で戦えるのではないか、と思えるほど。

 戦闘狂というわけではないが、バルトロメイとて強者と戦いたい、と時に思うことがあるのだ。


 そして、何より。

 少しは、この若妻の前で、格好いいところを見せたい――そう思ったのだ。

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