第16話 謎の待ち合わせ
さて。
フランソワは先に出た。ひとまずバルトロメイも早く出なければならないだろう。
だが、どのくらい後に出るのが正解なのだろうか。フランソワの求めるタイミングがよく分からない。
もうあまり気にせず、さっさと向かうか――そう、玄関で靴を履く。
「ダン」
「はい、バルトロメイ様」
「夕刻には戻るゆえ、夕食は用意しておいてくれ。あとは……日中のうちでいい。我が家でも専属の料理人を雇おうと思うゆえ、手続きを頼む」
「承知いたしました。触れを出しておきましょう」
「任せた」
ダンには、ひとまずそれだけ言っておけばいい。あとは面接だとかは、全部ダンに任せればいい。
と、そのようにダンに面接など全て任せているせいで、使用人が仕事に入るその日までバルトロメイに会うことがないのだ。それゆえに怖がられる、という理由もある。
最終選考あたりは参加して、怖い顔に耐性のある者を選別した方がいいだろうか。
「では、行ってくる」
「行ってらっしゃいませ」
慇懃に礼をするダンに見送られ、そのまま屋敷の外へ。中央広場の噴水前までは、歩いてそれほど掛からない距離だ。
だが、果たしてただ待ち合わせ場所に向かって、到着して、待たせたか、いえ、今来たところですっ! というやり取りをするだけで大丈夫なのだろうか。ここはバルトロメイがちょっとしたサプライズなどを用意しておいた方がいいのでは、という謎の葛藤が頭を過る。だが、かといって何をすればフランソワに対するサプライズになるのか、というのがよく分からなかった。
あれだろうか。
後ろからだーれだ、とやって、はいっ! バルトロメイ様ですっ! みたいなやり取りをするべきなのだろうか。
自分でそれをやる姿を考えて、一瞬で棄却した。どう考えてもバルトロメイが行うべきものではない。
多分、それをやったら通報される気がする。そして、慌ててやって来た騎士団の面々に事情を説明して、呆れられる未来しか見えない。
結論。
普通でいいのだ、普通で。
「さて……」
と、思考が益体もない方向にずれているうちに、中央広場に到着した。
休日ということで、割と人数がいる。恐らくバルトロメイたちと同じく、待ち合わせをしている者も多いのだろう。そわそわと待っている男や、時計をみながらぼーっと突っ立っている少女など、そこにいる人々は様々だ。
帝都の民が平和を謳歌している。それは軍人であるバルトロメイにとって嬉しいことであり、意図せず頬が緩んだ。もっとも、そんなバルトロメイの機嫌の良い笑みは、獰猛な獣が威嚇しているようにしか思えないため、周囲から軽く「ひっ!」と悲鳴が上がった。
もう慣れているために、特に気にせず。
しかしそんな笑みは一瞬で、強張った。
「ねぇねぇ、可愛いよね。誰かと待ち合わせしてんの? 友達?」
「いっ、いえっ! わ、わたしはっ! そのっ!」
「じゃあさ、オレも友達誘うからさ、キミの友達と一緒に遊ぼうよ。ね、何人? オレ、五人までなら集められるからさ」
「わ、わたしっ! 旦那様とっ! 待ち合わせをしておりますのでっ!」
「またまたー。まだ結婚できる年じゃないっしょ。え、彼氏? んじゃ、オレがボコボコにしちゃうよ。そしたらさ、オレと付き合ってくれる?」
「や、やめてくださいっ!」
噴水前で立っているフランソワに、そう声をかける茶髪の優男が、いた。
恐らくフランソワよりも少し上、といったところか。随分とおちゃらけている姿に、思わず憤慨する。
帝都の民が平和を謳歌しているのは何よりだが、しかし時に、このように汚泥が表面化することもあるのだ。
「さ、こっち来てよ。いいとこ連れてってやるからさ。あ、友達来るんなら、友達も一緒にかな。ちゃんと可愛い子来る?」
「いえっ! ですからっ!」
「ま、いいや。キミだけでも。ほら、もう、うるせぇな! さっさと来いよ!」
「バルトロメイ様ぁーっ!」
だっ、と思い切り地を蹴り、駆ける。
そして急いで、そうフランソワの手首を握り、連れて行こうとした若い男の肩を掴んだ。
「おい」
「あん? なんだよ、うるせぇ……」
がしりと掴んだ肩を、思い切り引き寄せる。それと共に男がバランスを崩し、そして不機嫌そうに振り返った。
そして、その三白眼でバルトロメイを見据え。
ゆっくりと。
その顔から、血の気が引いた。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「何をしている」
「はぁっ!? えぇっ!? 何オマエ!? オレに何の用だよっ!」
恐怖にそう叫びながら、思い切りバルトロメイから離れようとする男を、睨みつける。
ただでさえ恐怖を与えるバルトロメイの強面は、それが怒っていれば尚更だ。
汚い手でフランソワに触れやがって――そう、言いようもない怒りと共に、ぐっ、と肩を握る腕に、力を込める。
「いだだだだだだだっ! 痛ぇっ!」
「何をしている、と聞いている」
「痛ぇっ! 離せよっ! 何なんだよオマエっ!」
「何をしている、と聞いているのだ!」
ふんっ、と男を地面に叩きつける。
バルトロメイの常人を超えた怪力は、この男一人ならば片手で投げることくらいはできるだろう。
だがここは中央広場であり、バルトロメイと男の諍いに足を止めている者もいる。中には、「誰か騎士団呼んで!」と叫んでいる者もいた。
下手に投げて、そんな罪もない群衆に当てるわけにもいかない。
「い、痛ってぇっ! な、何を……!」
「汚い手で、俺の妻に触れるな」
「つ、妻ぁ!? ちょ、ちょ、それ……はぁ!?」
「俺の妻に触れるなと言っている!」
男を、思い切りそう一喝する。
今回の待ち合わせは、フランソワの望んだことだ。だが、フランソワの可愛らしくも幼い、その姿はこのようなやくざ者に好かれるのだろう。もしもバルトロメイが来るのが遅れれば、彼らの餌食になってしまっていたかもしれない。
そう考えると、この男を万死に値するとして断罪することに、何の躊躇いもない。
「く、くそ……!」
「まだ何かあるのか」
「い、いや、ねぇよ! もうやめてくれよ! 怖ぇよ!」
「ならば、さっさと立ち去れ!」
「ひぃっ!」
男がそう悲鳴を上げて、そのまま四つん這いで逃げてゆくのを見送る。
全く、光があれば影もある。豊かな帝都であるがゆえに、あのような輩も少なからず湧くのだろう。
どれほどフランソワが望んでも、もう外では待ち合わせをするまい、と心に決めた。
ふぅ、と一息ついて、改めてフランソワを見やる。
「はぅ……! つ、妻……! そう、わたしは、妻……!」
なんかトリップしていた。
いつもながら、何故妄想にそれほど入り込むことができるのだろう。バルトロメイはあくまで事実を述べただけである。もっとも、そのようにフランソワが繰り返すせいで、無性に恥ずかしくなってきたが。
まぁ、いつも通り暫くすれば目覚めてくれるだろう。出かけるのは、その後からでも遅くない。
と――そこで、群衆をかき分けながら、何かがやって来た。
「こっちです! あの男です!」
「女の子に手を出して!」
どうやら、遅れてやっと騎士団がやって来たらしい。既に元凶はどこかへ行ってしまったし、丁重にお帰りいただくのが一番か。
顔見知りならば説明は簡単なのだが――そう、やって来た騎士団の面々を見て。
そして、目を見開いた。
「……あれ、将軍」
「リヴィア?」
それは、青熊騎士団の一個小隊と共にやって来た、青熊騎士団筆頭補佐官であるリヴィア・ルクセンハルトだった。
リヴィアはあくまで筆頭補佐官であるし、このような警邏など行わなくていい立場にあるのだけれど。
バルトロメイを見て、それからフランソワを見て、さらにリヴィアのやって来た方向にいる群衆を見て。
ぽん、と手を打った。
「……ええと、将軍を? とりあえず、捕まえる?」
「どうしてそうなった!?」
「……通報があった」
「詳しくは俺から説明をする。決して俺というわけではなく」
「……熊のような大男が可愛らしい女の子に声をかけている、って」
「それは間違いなく俺だろうな!」
どうやら、あの軟派な男に対しての通報というわけではなく、バルトロメイへの通報らしい。
このように騎士団を呼ばれるのは慣れているけれど、毎度ながら視線が刺さる。
一体どういうことだ、とでも思っているのだろうか。
中には、後ろに可愛らしいフランソワを、前に女性として成熟したリヴィアを置いて挟まれるバルトロメイを、羨ましいと考える男もいるかもしれないが。
はっ、とそこでフランソワが我に返ってくれたらしい。
「はうっ! こ、これは失礼しました、バルトロメイ様っ!」
「……ええと」
「まぁ、なんだ。どう説明すればいいか分からんが……」
「……将軍が、未成年略取?」
「違う! 俺の妻だ!」
「………………あー」
そこで、思い出したように手を打つリヴィア。
結婚をしたこと自体は言ったものの、リヴィアやアストレイといった部下は結婚式に来ていないのだ。
そもそもヘレナの主催だったあの結婚式自体が、国を挙げて行われたものだ。それゆえに、バルトロメイとフランソワの家族以外は、そのほとんどが上級貴族の当主だとか嫡男だとか、あとは大臣だったり将軍だったり、という地位がなければ参加していなかったのである。
だからこそ、リヴィアとフランソワが会ったことがあるのは、一度弁当を届けに来た時だけだ。そして、あの一瞬の邂逅であるがゆえに、顔を覚えていなかったのだろう。加えて、あのときには妻であることを否定してしまったし。
ちなみに、バルトロメイもフランソワの友人に会ったことはない。せいぜい、皇妹のアンジェリカくらいのものだ。
何度か話に出てくるクラリッサとやらとは、一度会ってみたいものだけれど。あとはマリエル、シャルロッテ、といった名前もよく出てくる。
「つ、つつつ、妻の、フランソワと申します! はうっ! 言ってしまいました!」
「……将軍」
「何だ」
「……ろりこん?」
「違う!」
「……でも」
「言いたいことは分かるが、俺も皇帝陛下より直々に受けた縁談だ。そこに俺の趣味も私情も何一つ挟んでいない」
「……ふーん」
なんとなく疑っていそうだが、しかしそれ以上は言ってこない。
これ以上言ってくるなら、殴るつもりだが。青熊騎士団は男女平等である。
そこでリヴィアは、大きく溜息を吐いた。
「……じゃ、戻る」
「ああ。だが、何故お前が警邏の指揮官になっているのだ。仕事はどうした」
「……指揮官が、急遽休み。代わりが、わたし」
「そういうことか」
大抵、休んだ場合はその上官が代理で任務を行うことが多いのだ。指揮官を抜きで行く場合、警邏は新兵あがりの者が多く配属されるために、部下だけに任せる、ということができないのである。
今回は、リヴィアの直属の部下だった、ということか。
「……将軍は、何してる?」
「俺か……俺は、まぁ……」
「……ん」
正直に答えていいものか、少し悩むが、別段問題はないか。
どうせ結婚したことは知れ渡っているのだし、今更だ。
「妻と一緒に、出かけるところだ」
「……デート?」
「まぁ、そうだな。結婚式から今まで休みがなかったのだ。少しくらいは一緒に出かけなければなるまい」
「………………わぉ」
きゃー、と頬に手をやるリヴィア。
そういう仕草をするならば、せめて顔を赤らめて欲しいものだ。完全なる無表情である。
「……じゃ、また」
「ああ」
「あ、ありがとうございましたっ!」
「……ん。お幸せに」
リヴィアの背中を見送る。特に何をされたわけでもないのに、そのように礼を言うフランソワの心は分からないけれど。
嵐は去った。これでようやく、まともに出かけることができそうだ。出かける前から既に疲れている、という本末転倒ではあるけれど。
「さて、フランソワ……」
「あ、あのっ! バルトロメイ様っ!」
「む……?」
フランソワが、必死の形相でそうバルトロメイへ声をかけてくる。
突然の言葉にそうたじろいで、しかし言葉の続きを待つ。
はぁ、はぁ、と荒い息で、顔を真っ赤にしながら、じっとバルトロメイの目を見て。
そして、笑顔で言った。
「い、今来たところですっ!」
「……」
確かに言ったけれど。そういう流れをやる、と言っていたけれど。
いざ本当に言われてみて、思うことはただ一つ。
知ってる。
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