第15話 いざ、デートへ

「おはようございます! バルトロメイ様!」


「うむ、おはよう、フランソワ」


 朝。

 非番であるとはいえ、バルトロメイの日常は何も変わらない。基本的にはフランソワと共に行う訓練から始まるのだ。

 いつも通りに柔軟体操をして、体が温まってきたあたりで上着を脱ぎ、上半身裸になる。それと共に、フランソワが僅かに照れるのが分かった。

 毎朝、基本的にバルトロメイは半裸で行っているのだから、そろそろ慣れればいいのに。

 その後簡単に体を動かして、メインとなるフランソワの弓対バルトロメイの開始だ。


「ではっ! いきますっ!」


「うむ、来い!」


 バルトロメイは気合を入れて、フランソワを見据える。

 フランソワの弓術は、それだけ優れているのだ。恐らく並の戦士であれば、近付く前に矢で射られるだろう。才能の塊としか思えない射撃は、まさに天才のそれだと呼んでいい。毎朝のように百を超える回数を避けているバルトロメイだからこそ対処できるが、初見の敵ではとても相手にできないだろう。

 その代わりに、近接戦闘が苦手な部分はあるけれど。

 弓を用いた弓格闘術を一度相手にしたことがあるが、一般兵程度のものだった。まぁ、そもそも貴族令嬢が八大将軍レベルの弓の腕と、一般兵レベルの近接戦闘力を持っている、という点でそもそもおかしいのだが。


「はっ!」


 そしてフランソワから、目にも留まらぬ射撃が放たれる。

 本当に狙いをつけているのか、と思えるほどの早業。矢尻を弦に掛けたそのときには、既に放たれているのではないか、と思えるほどその動きは早い。そして、そのタイミングを知っているからこそバルトロメイは全力で回避に動くのだ。

 全くもって、バルトロメイを戦闘訓練でここまで追い込める者など、他にいない。フランソワが弓を放ってくるのを、バルトロメイは反撃しない、という縛りを用いての訓練ではあるけれど、ここまで苦労するとは思っていなかったのだから。

 放たれてくる矢を避け、時に叩き落とし、バルトロメイはひたすらに体を動かす。

 そしてフランソワも、そんなバルトロメイを気遣うことなく、神速の射撃でバルトロメイを翻弄するのだ。緩急をつけた射撃はリズムを掴んだ瞬間に狂わされ、そして避けられぬ一射を放つのである。

 ただ集中し、躱し続ける。


「くっ!」


 その瞬間に、異なる軌道を描いて二つの矢が同時に飛んできた。

 ぞくり、と背筋が震える。全くもって、どれほどの才に溢れているというのか。

 種は簡単だ。まず一撃、射を放つ。そして、間髪入れずに前進し、もう一度射を放つのだ。それで、ほぼ同時に二つの矢がバルトロメイに到達するようにする。

 だが、こう説明したところで、それが出来る者が他にいるだろうか。

 一本を叩き落とす。だが、同時にやって来るもう一本は、バルトロメイの肩へと当たった。


「ちっ!」


 鏃を外したそれは、刺さるわけではない。だが、少なからず痛みはあるのだ。

 そして、そのたびにフランソワが悲しげな顔をするのが問題でもあるけれど。

 だがバルトロメイは何も気にせずに続け、そのままフランソワの矢が尽きた。


「ふひー! バルトロメイ様! 矢が終わりました!」


「うむ……では、終わるか」


 フランソワの矢は、最初に比べると随分増えた。嫁入り道具として持ってきていたのは十本だけで、その後バルトロメイが買い与えて百本となり、更に現在では二百本ほどに増えている。

 さすがにそれだけの数を矢筒に入れることはできないが、フランソワは百本を入れた矢筒をまず腰につけ、背中にもう一つ同じ矢筒を背負い、片方の矢筒が尽きた瞬間に入れ替えているのだ。それにより、継続して二百本の矢を避ける訓練になるのである。

 だが、さすがのフランソワも二百の射を行うと、腕が限界のようだ。そもそも、ただの弓ではなく熟練の弓兵が引く、強弓である。並の弓兵では、十本も撃てば腕が上がらなくなるだろう。それを二百も放つことができる時点で、化け物じみているとさえ言っていい。

 さて。

 いつもならば、ここから少し屋敷の周囲を走るのだが。


「では、バルトロメイ様!」


「朝食としよう。その後は、共に出かけようではないか」


 今日は少しだけ早く訓練を切り上げ、そして二人の時間を過ごすのだ。

 フランソワと並んで屋敷に入り、そして「お疲れ様でした」とダンから手拭いを受け取り、簡単に汗を拭いてから朝食だ。

 そして二人で対面して食堂に座り、ダンの並べる食事を食べる。


「ダンさんのごはんは美味しいです!」


「ありがとうございます、奥様」


「でも、いつも申し訳がありません! 明日の朝はわたしが!」


「ご安心くださいませ、奥様。このダン、バルトロメイ様と奥様がご一緒に訓練を行うことを邪魔は致しません。奥様は安心して、小生に食事をお任せくださいませ」


「まぁ! ありがとうございます!」


 本当にありがとう、ダン。

 そう心の中だけで感謝を送る。それに加えて、専属の料理人でも雇うべきだろうか、と少し思った。ダンももう随分と高齢であるし、食事の準備くらい任せられる者がいなければいけないだろう。

 フランソワに任せる、という選択肢はない。むしろ専属の料理人を雇えば、その者の仕事を取ってはならない、という判断をしてくれるだろうか。


「バルトロメイ様! 本日はどちらに向かわれるのですか!」


「む……そうだな。フランソワがいいなら、だが」


「わたしはバルトロメイ様とご一緒できるのであれば、どこであっても楽しいです!」


「そ、そうか」


 そのように直接的に言われると、照れてしまう。

 できる限りフランソワが楽しめるように、と考えてみた。多分、青熊騎士団を率いて戦うときの戦術よりも熟考した。

 だが、そもそも女性を連れて出かけたことなど一度もないため、どこに連れて行っていいものかさっぱり分からなかった。

 結局、バルトロメイが連れて行くことができるのは、女性の喜びそうにないところばかりだ。しかし、それをバルトロメイ本人も分かっていない。


「少し、鍛冶屋に用事があってな。武器のメンテナンスを頼もうと思っているのだが、共に向かうか」


「はいっ! わたしも弓を見てもらいます!」


「うむ……良い弓があれば、フランソワの弓の予備を買ってもいいかもしれんな」


「そんな! わたしにはちゃんと、今の弓がありますし!」


「武具は決して永久に使えるものではない。むしろ、極端に言えば消耗品だ。だからこそ常に手入れを行わなければならんし、戦場では槍と共に腰に剣を携えるのだ。槍が使い物にならなくなったときにでも、戦えるようにな」


「なるほど! それもその通りですね!」


 そして、これはあくまで夫婦が朝食を共にしながら行っている会話である。決して、軍の先輩と後輩の会話というわけではない。

 もっとも、会話をしている本人たちは、そんな自分たちの異常さに気付いていないけれど。


「その後は、昼食だな。フランソワは何か食べたいものがあるか?」


「で、ではっ! わたしがお弁当を作りますっ!」


「い、いや……」


 それは困る。

 真剣に困る。

 というか、絶対にやめてほしい。


「フランソワは、俺の妻だ。俺は将軍職ではあるが、一代限りの名誉貴族だ。そして、貴族家の妻が厨房に入り、料理をするというのはあまり良いことではない」


「そんなっ! 何故ですかっ!」


「貴族は使用人を雇うことで、彼らに雇用の機会を与えているのだ。貴族が何もかも自分で行うとなれば、使用人を雇わなくなる。そうなれば、彼らに雇用の機会がなくなる。結果的に、平民に失業者が増えることにも繋がるのだ。だからこそ、貴族は己の身の回りの世話を、使用人に任せなければならない」


 どうにかして料理をしない方向に持っていきたかっただけだが、あながち間違いというわけではない。

 結局世の中というのは雇用者と被雇用者に分かれており、貴族は雇用者なのだ。そしてバルトロメイの屋敷においても、家令のダン、フランソワ専属侍女のクレア、それに掃除、洗濯といった専門の使用人を雇っているのである。

 そうすることで失業者を減らし、経済を循環させているのだ。そのあたりの詳しいところはバルトロメイには分からないけれど。


「え、ええと……! どういうことなのでしょうか!」


「うむ……まぁ、つまりだ。ダンもそろそろ高齢であることだし、専属の料理人でも雇おうと思ってな」


「まぁ! そうでしたか!」


「今すぐというわけではないがな。いや……話が逸れたな。まぁそういうわけだ。今日については、外食をしよう。たまには外で食事というのもいいだろう」


「はいっ!」


 良かった。そう、真剣に胸で撫で下ろす。

 フランソワに絶対に厨房に入るな、と指示するのは簡単だ。だが、傷つかないように、と考えるとどうしても迂遠な言い方になってしまうのである。

 バルトロメイが顔ほど冷血であるならば、あっさりと告げたのだろうけれど。残念ながら根は真面目な男なのだ。


「と、いうわけだ。何か食べたいものはあるか?」


「いえっ! フランはバルトロメイ様とご一緒できるのでしたら、どちらでも構いません!」


「そ、そうか……」


 ならば、行きつけの料理屋でも行くべきだろうか。だが、下手によく行く店に顔を出せば、フランソワのことを聞かれるかもしれない。そこで妻だと説明したら、からかわれる未来しか思い浮かばない、というのが現実だ。

 つまり、普段行かないようなちょっとお高めの店に行けばいい、ということだろう。特別な日であるし、そのくらいの贅沢は悪くない。


「では、店は適当に見繕っておこう。それから、その後だが……」


「はいっ!」


 そこで、ふと思い浮かぶ。

 物は試しに、フランソワを連れて闘技場に行ってみてはどうだろうか。騎士団戦を見ながら随分と興奮していたようだし、戦いそのものを見るのは好きかもしれない。

 ならば、まさに闘技場の中で真剣勝負を行う拳闘士の戦いを、見に行くのは良いのではなかろうか。

 本来、女性を連れて行くような場所ではないだろう。だが、フランソワは自身で弓格闘術も扱うことのできる武人だ。そういう戦いを見学するのも、一つの糧になるかもしれない。


「フランソワは……戦いを見るのは好きか?」


「えっ!」


「大抵毎日、闘技場では拳闘士の戦いが行われている。勿論、誰もが強いというわけではないが……まぁ、一つの社会勉強だと」


「行きます! 見たいです!」


 食い入るように、そうフランソワが身を乗り出した。

 思った以上の食いつきに、思わずバルトロメイの方が仰け反ってしまう。そんなに戦いを見たいのだろうか。

 フランソワも女の子であるし、歌劇にでも連れて行くべきなのだろうか、と思っていたが、どうやら闘技場で十分のようだ。


「そうか……では、午後からは闘技場の見学に行こう」


「はいっ! 楽しみですっ!」


「うむ」


 はぐはぐっ、と嬉しそうに朝食を頬張るフランソワ。

 そのように楽しみにしてもらえると、バルトロメイの方も嬉しくなってくる。ちゃんと、期待を裏切らないエスコートをしなければ、と気合を入れた。

 そして、お互いに朝食を終えて。


「ではっ! バルトロメイ様っ!」


「うむ」


「フランは先に出て、噴水前でお待ちしておりますっ! それではっ!」


「う、うむ……」


 玄関から、背中に強弓を背負い、腰に矢筒を吊るして走り出し、帝都中央広場へ向かってゆくフランソワを見送る。

 そして、この後バルトロメイが少し遅れて出て、待ち合わせ場所に向かうわけなのだが。


「……意味、あるのか?」


 同じ屋敷に住んでいるのだから、一緒に出ればいいのに。

 そう、やっぱりバルトロメイは首を傾げた。

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