第14話 デートの約束

 騎士団戦を終えて、隊の各自が着替えて帰路につくのを見送り、それからその後の雑務を終えてバルトロメイも帰宅することにした。誰もが落ち込み、とぼとぼと帰路についてしまったというのが歯痒い。敗北をしてしまった以上、それを受け入れなければならないが、バルトロメイが油断していなければ勝利の道もあったかもしれないのだ。

 ヴィクトルの計略に拍手を送るべきか、はたまた、たかが妻の声援で調子を崩してしまったバルトロメイの弱さを呪うべきなのか。

 どう考えても、フランソワの声に動揺してしまったバルトロメイが悪い。

 そのようにバルトロメイを咎める声はなかったが、それでも将軍として責任を感じるべきだろう。ひとまず、削るべき予算を考え、どうしても削りきれない費用については自腹を切る覚悟を決めることにする。本来そのように、自腹で費用の補填などするべきでないのだろうけれど、今回については完全にバルトロメイの油断であるため、己への戒めの意味も込めてだ。

 もっとも、本来バルトロメイが自費で行うべき結婚式を、皇宮による主催としてくれたために公費での負担となったのだ。そこに使うべきだった費用を還元する、という風に考えればいいか。


「バルトロメイ様っ!」


「む……?」


 既にフランソワは帰っているだろうな、と思いながら闘技場の外に一人出る。

 するとそこに、ダンと共に馬車の前で待つフランソワの姿があった。まさか待っていてくれたとは。


「待っていてくれたのか、フランソワ」


「は、はいっ! あ、あのっ! バルトロメイ様の言いつけを守らず、お声をかけてしまって! わたしのせいでバルトロメイ様がっ!」


「いや、フランソワのせいではない」


 全てはバルトロメイの弱さだ。

 将軍として戒める立場にあるというのに、そんな自分が浮かれていてどうするというのか。今回の敗北こそが、バルトロメイが浮かれていたという何よりの証拠なのだ。

 もう、決して負けるまい――そう心に決めて、フランソワの頭を撫でる。


「すまない、フランソワ」


「え、えっ! で、でも、わたしがっ!」


「負けてしまった。もう少し、格好いいところを見せるつもりだったのだが……すまなかった」


「そ、そんなっ! バルトロメイ様はいつだって凛々しいお姿です!」


「……そうか」


 いつもながら、どうしてそれほど慕ってくれるのやら分からない。

 ただ一度だけ暴漢から助けただけだというのに、何故そこまでバルトロメイに執心しているのだろう。フランソワほど可愛らしければ、今までだって様々な男から声を掛けられただろうに。

 このように恐ろしい顔をしている男のことを、そのように言ってくれる相手などフランソワの他にいない。

 だからこそ、大事にしよう――そう、心に誓う。


「では、帰ろうか」


「はいっ! ダンさん!」


「は。バルトロメイ様、馬車にお乗りくださいませ」


「ああ」


 ダンの促しと共に、馬車へと乗る。

 恐らく貸し馬車を借りたのだろう。バルトロメイだけならば乗合馬車で十分だが、フランソワまで連れ出すことになったのだから仕方のないことだ。元々、フランソワが見学に来る件についてはダンに任せておいたし、ダンが貸し馬車を必要だ、と判断したのならば咎める必要はないのである。

 そしてダンを御者として馬車は発進し、ゆっくりと屋敷へと向かう。

 そんな馬車の幌の中で、バルトロメイとフランソワは二人きりだ。


「そういえばダン、夕食の準備はどうなっている?」


「は。クレアに任せております」


「……あの娘は、料理ができるのか?」


「確認いたしました。家庭料理といったところですが、一通りは可能でございます」


 ほっ、と胸を撫で下ろす。

 フランソワの侍女であるクレアは、正直あまり勤務態度の良い侍女ではない。朝が弱いらしく昼近くまで寝ているし、基本的にフランソワに従っているので屋敷のことをしないのだ。そして毎日、バルトロメイに風呂を提供するために薪割りをしているのはフランソワであり、それ以外のことも基本的には全て自分でやるため、あまり働いていないのである。

 せいぜい、湯浴みのときには常にフランソワと共に浴室へ向かう、といくくらいか。侍女らしいところは。

 状況次第では一度叱責をした方がいいのではないか、と思っていたが、バルトロメイが懸念する前にダンが動いてくれていたようだ。


「へぇ! クレアさんはお料理ができるのですか!」


「知らなかったのか?」


「はいっ! 後宮だと厨房の方がごはんを作ってくれましたし、お鍋や焼肉をしたときも、作ってくれたのは全部ヘレナ様でした!」


「……何をしているのだヘレナ」


 後宮にいた頃の話はあまり聞いていないが、やはりヘレナはヘレナだったのだろう。

 現在に至っても、皇后と呼ぶには些か落ち着きのない彼女は、後宮でもきっと彼女らしく過ごしていたのだ。きっと鍛錬とか。あと鍛錬とか。

 まぁ、過ぎたことはもう関係ない。既に後宮は解体され、フランソワはバルトロメイの妻であり、ヘレナは皇后であるのだし。


「ああ、そうだ。フランソワ」


「はいっ! バルトロメイ様っ!」


「今日の夕食のときにでも言おうと思っていたのだが……」


 折角、このように馬車で二人なのだ。これ以上のタイミングはないだろう。

 改めて言うのもどこか照れるが、しかしこほん、と咳払いをして心を落ち着かせて。


「騎士団戦がまぁ、今日行われた。そして慣例として、騎士団戦の翌日は参加者は非番となる」


「そうなのですか! では明日は屋敷におられるのですね!」


「ああ。だから……まぁ、何だ」


 照れる。

 何と言って切り出せばいいだろうか。変な言い回しにならないだろうか。むず痒い感覚に唇を舐め、それから心を落ち着かせる。これがフランソワでなければ、獲物の前で舌舐めずりをしているように見える凶相である。だが幸いにして、この空間にはバルトロメイの顔が恐ろしい、と叫ぶ者はいないのだ。


「明日は、一日空いていてな」


「はいっ!」


「それで……まぁ、フランソワが良ければ、なのだが、一緒に出掛けないか?」


「まぁ!」


 元々、考えていたことではあるのだ。

 結婚式が急遽の非番という形で行われ、それからは仕事に忙殺されていた。特に騎士団戦の調整のために、休日出勤をしたこともある。そのために、結婚式から今日まで休みが一日も取れなかったのだ。

 だからこそ、休みを取ることができれば、そのときこそフランソワのために時間を作ろう、と考えていた。


「つまりっ! わたしとバルトロメイ様のっ! デートということですねっ!」


「いや……まぁ、そうなのだが」


「わたしあれをやってみたいです! お待たせしましたっ! と駆け寄って! いや、今来たところだ! という流れをっ!」


「うむ……? いや、何故待ち合わせを」


「やはり噴水の前でしょうか! あ、ええと、わたしが少し遅れた方がいいのですね!? で、ですがバルトロメイ様をお待たせするというのも申し訳がありません! あ、わたしが待てばいいんですね! バルトロメイ様は少し遅れていらっしゃってくださいませ!」


「同じ屋敷から出るの、だが……」


「デートです! 憧れのデートですっ! ああっ! 何を着ていきましょう! 服を探さなくてはっ!」


「……」


 ま、いいか。

 なんだか話題の方向を変えるのも面倒になり、そうスルーしておくことにした。

 何故そこまで待ち合わせをしたいのかは分からないが、憧れというものなのだろう。確かに、男女で外で会う、となれば大抵待ち合わせをしているものだし。そういう物語は幾つもある。

 別に夫婦なのだから、同じ屋敷から出ればいいのに、というまともな考えは捨てることにする。バルトロメイは今回の休日を、フランソワのために使うと決めたのだから。


「ではっ! 噴水の前でよろしいでしょうかっ!」


「中央広場だな。いいだろう」


「わたしが先に行きます! バルトロメイ様は少し遅れていらっしゃってくださいませ! わたしが待ちます! ええっ! 待ちますっ!」


「……分かった」


 ああ、そうか、とそこで考えがすとん、と胸に落ちる。

 フランソワはまだ十四歳だ。十三歳の頃から後宮に入り、恋愛経験などほとんどないのだろう。だが、恋物語などは少なからず読んでいるはずだ。

 そんな恋物語などにおける、憧れのシチュエーションというものがあるのだろう。恋愛過程をすっ飛ばしてバルトロメイの妻となったフランソワに、そのようなシチュエーションを行う機会などなかったはずなのだから。

 ならば、それを叶えてやるのもバルトロメイの度量だ。


「あっ! ええとっ! わたしの希望ばかり言ってしまいましたっ! バルトロメイ様はどこか行きたい場所がおありでしょうかっ!」


「む……いや、いいぞ。フランソワの行きたい場所を選んでくれ」


「そんなっ! フランの行きたいところは、バルトロメイ様の行きたい場所にございます!」


「そ、そうか……?」


 そこで、バルトロメイの行きたい場所を探ってみる。

 今まで休日に何をしていたか考えてみると、大抵持ち帰った仕事だ。街中に出るにしても、大抵馴染みの鍛冶屋に武器のメンテナンスを頼んだり、新しい武具を見たり、と色気は一つもない。あとはせいぜい、戦術書でもないか、と書店に赴くくらいだろうか。余程暇であれば、闘技場へ拳闘士の戦いを見学に行くこともある。

 だが、その全てバルトロメイが一人で行くものだ。少なくとも、女性を連れて鍛冶屋に行く者はいないだろう。拳闘士の戦いを見に行くくらいならば及第点だろうけれど、それでも血生臭いことには変わりない。

 どうしよう。

 だが、かといって他に選択肢が思い浮かばないのだ。


「普段は、どのような場所に行かれるのですか!」


「ああ……まぁ、書店に行ったりするな」


「あっ! わたし、欲しい本がありますっ! あ、勿論わたしのお小遣いで出しますので!」


「そのくらいは遠慮するな。フランソワは好きなものを買うといい」


 遠慮ぎみなフランソワに、そう苦笑する。

 バルトロメイはこれまで女性に縁がなく、しかし将軍職としてそれなりの給金を貰っており、かつ戦時においては敵将を討った際など報奨金が出ることもあったために割と蓄えがあるのだ。今軍を抜けても一生暮らしていけるだろう、と思える程度には。

 ちなみに、フランソワに一定額のお小遣いを渡しているのもバルトロメイの蓄えからだ。だが、あくまでいざという時に使え、という程度であり、欲しいものがあれば家計から捻出することに何の躊躇いもないのである。


「あ、ありがとうございますっ! で、ですが、あくまでわたしの欲しい本ですし!」


「遠慮せずとも良いぞ。何の本だ?」


 恋物語かな、と思わず微笑む。

 やはりフランソワも若い少女だ。そういった物語には興味があるだろう。

 バルトロメイには分からない世界だが、恋に恋する年頃でもあるだろうし。

 だが、フランソワは満面の笑顔で、元気に言った。


「はいっ! ヘレナ様に勧めていただいた本ですっ!」


「ほう。どのような本だ?」


「わたしも内容しか聞いていないのですがっ! ええと……ねやのてくだ、について書かれたです!」


「……え?」


「ねやのてくだ、ですっ! お店の方に聞けば分かるでしょうかっ!」


 どう反応をすればいいのだろう。

 明らかに意味が分かっていないというのに、何故それを勧めたのだヘレナ。

 ねやのてくだ――閨の手管。

 つまり、男女が寝所で行うちょっと言いにくいアレの手練手管について書かれた本ということである。

 バルトロメイの困惑に相反するように、にこにこと笑顔を見せるフランソワ。


「……フランソワ」


「はいっ!」


「その本は絶対に買うな」


「えぇっ!」


 フランソワの叫びと共に、大きく溜息を吐く。

 この若妻が純真であることを喜ぶべきなのか、それとも単純で騙されやすいことを呪うべきなのか、バルトロメイには分からなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る