第12話 青熊将と若妻の挙式

 りんごーん、と鐘が鳴った。

 鏡の前に立ちながら、バルトロメイは小さく嘆息する。ついに来た。この日が、来てしまったのだ。

 鏡に写るのは、黒のタキシードに身を包んだバルトロメイ。蝶ネクタイというのを初めて身につけたが、これほど自分に似合わないものだとは思わなかった、というのが本音だ。


 今日は、結婚式である。


 バルトロメイの意向など何も関係ない、とばかりに決められた結婚式。会食の手配も、参加者への招待状も、全て宮廷が代わりにやってくれたのだ。その代わりに、バルトロメイには日付も、衣装すらも決める権利は与えられなかった。

 そして――場所は、宮廷。

 八大将軍や大臣職など、ガングレイヴ帝国の中枢に関わる人物の結婚式は、皇帝の目の前で行われるのが慣例であるからだ。

 列席者も当然、国の中枢にいる者ばかりである。そんな中で中央あたりにいなければならない、実家の父と母を思い出すと少しだけ哀れに思えた。


「お似合いですよ、バルトロメイ様」


「……そうとは思えんがな」


 タキシードなど着たことがなく、着こなしは全てダンに任せた。蝶ネクタイの結び方もよく分からず、何かの折にこれが外れてしまえば、恐らくバルトロメイには二度と直すことができないだろう。

 そんなバルトロメイの姿に、ダンが目に涙を浮かべる。


「小生は嬉しゅう思います。バルトロメイ様の晴れ姿を見ることができて、これ以上ない幸せにございます」


「……晒し者としか思えん」


「国中がバルトロメイ様の挙式を祝ってくれているのです。胸をお張りくださいませ」


 そんなダンの言葉に、バルトロメイは何も言えない。

 カーテンの向こうでは、次々と参加者が席についているのが分かる。聞いた覚えのある声も幾つもあり、同じ八大将軍に座する者の声もあった。

 どれほどからかわれることか――そう、来るであろう未来に頭を抱えることしかできない。


 通常、結婚式は新郎と新婦が別々の部屋で準備をし、そして入場の合図と共に揃って出るのだ。

 その後皇帝、皇后の前で揃って愛を誓い、そのまま新郎新婦の席に移動をしてから引き続き披露宴となるのが一般的な流れである。バルトロメイも宮廷で行われる結婚式に出席したのは、現在の八大将軍が一人である『銀狼将』ティファニー・リードが式を挙げたとき以来だが、一応この日に向けて作法や流れなどを確認したのだ。

 つまり――晒し者になるまで、もう少しということだ。


「もうそろそろ、お時間でございます。バルトロメイ様」


「……ああ」


 ウェディングドレスに身を飾ったフランソワを少しだけ想像して、思わず首を振る。

 フランソワは可憐な少女だ。そんな彼女が美しいドレスに身を飾らせれば、どれほど可愛らしくなることだろう。

 決して、このように泣く子もさらに泣く顔をしたバルトロメイに、嫁いで良い少女ではないというのに。


 カーテンの向こうから、聞こえる声に耳を澄ます。

 一際高い声で、まず開式の言葉が発せられた。


「参加者の皆様、お時間となりました」


 どくん、と心臓が跳ね上がる。

 この高い声の主は、現在は皇帝の側近をしており、財務関係の全てを束ねている男――サミュエルだ。やり手と評判の男だが、こういった式典での司会を任されるほどに、皇帝に信頼されているのだろう。

 それと共に喧騒が止んでゆき、そして静寂が訪れる。


「新郎新婦の入場です」


 サミュエルの言葉と共に、バルトロメイの目の前を覆っていたカーテンが、ゆっくりと開かれる。

 数え切れないほどの国の重鎮。それが丸テーブルに等間隔で並びながら、一斉に視線をバルトロメイに向けた。

 そして一瞬遅れて、おぉっ、と歓声じみた声が上がる。


「ば、バルトロメイ様っ!」


「う、っ……!」


 そこで初めて、隣に視線をやると。

 そこに立っていたのは――純白のドレスに身を包んだ、フランソワだった。


 綺麗だ。


 ただ純粋に、そんな感想しか抱くことができない。普段の元気はなりを潜め、そこには儚くも美しい深窓の令嬢がいた――。

 化粧を施したのであろう顔立ちは、普段よりも二、三は年上に見えるだろう。そして、それゆえに少女としての幼さと女性としての淑やかさを併せ持つ、不思議な魅力を発している。

 これほど。

 これほど美しい少女が。

 バルトロメイの、妻なのだ――。


 ぶるぶるっ、と首を振る。

 あまりにも美しく変貌したフランソワの姿に、思わず見惚れてしまった。だが、これから結婚式であり、バルトロメイはフランソワと共に皇帝の前に跪かなければならないのだ。


「ふ、フランソワ、行くぞ」


 動揺を隠しながら、そうフランソワに手を差し出す。

 とはいえ、差し出した手が意図せず震えてしまっているために、無駄なことだったけれど。


「あ、あのっ……! ば、バルトロメイ様っ……!」


「ど、どうしたっ!」


「あ、足が震えてっ! 動けませんっ!」


「安心しろっ! 俺もだっ!」


 何をどう安心しろというのか、バルトロメイの口からそう謎の激励が発せられる。

 ちなみに震えながらもフランソワの声はいつも通り張っており、そしてバルトロメイも意図せず声が出てしまっているため、そんな二人のやり取りに列席者から失笑が漏れた。

 とはいえ、そんな笑い声も耳に届かず、バルトロメイとフランソワは、震えた手を握り合ったままで動けない。


「えー……どうやら皆様がお揃いで見られているので、緊張をしているようですね」


 司会のサミュエルがそう言って、列席者から笑い声が走る。

 そのように笑われるのも当然かもしれないが、それでも、やはりバルトロメイはフランソワをエスコートしなければならない存在だ。

 深く息を吸い、そして心を落ち着ける。それだけで足の震えは、どうにかおさまった。

 あとは、フランソワと共に歩みを進めるだけ――。


「ば、バルトロメイ様っ! う、動けませんっ!」


「むぅ……」


 そんなフランソワの言葉に、バルトロメイは前を見て。

 正装でこちらを見る、遥か遠くにすら見える皇帝、皇后二人を見て。

 一歩、フランソワに近付いた。

 そして。


「行くぞっ!」


「きゃあっ!」


 動けないというならば。

 バルトロメイが連れていけばいいのだ。


 フランソワの首の後ろ、そして膝の裏に腕を回し、そのまま抱き上げる。永遠にすら抱えていられるであろうほどにフランソワは細く、軽い。

 薄いヴェールの向こうで、フランソワの頬が真っ赤に染まっているのが分かる。

 だけれど、既にやってしまった。下ろすわけにはいかない。

 そして、そんな風に抱き上げて歩くバルトロメイに、列席者からひゅーひゅー、と口笛らしきものが与えられ、自然と頬に熱が走ってゆく。


「……」


「ば、バルトロメイ、様っ……!」


「もう少しだ。我慢してくれ、フランソワ」


「い、いえっ! わ、わたしはっ! 幸せですっ!」


「う、うむ……」


 抱えたフランソワを怖がらせないように、ゆっくりと歩みを進め、そして次第に玉座が近付いてくる。

 そこで、苦笑いを浮かべながらバルトロメイを見る皇帝――ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ。そして呆れたように溜息を吐く、皇后ヘレナ・アントン=レイラ・ガングレイヴ。

 二人の顔がしっかりと見える位置までバルトロメイは歩み、そして、フランソワを下ろした。


 そしてバルトロメイは片膝をつき、頭を下げる。

 同時に、フランソワも同じく片膝をついた。


「ご尊顔を拝し、恐悦至極に存じます」


「よい。面を上げよ」


 常套句をまず述べて、それからバルトロメイは顔を上げた。

 ここから――結婚式の流れの一つ、誓いの言葉が交わされる。


「八将が一人、『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードよ」


「ははっ!」


「汝、病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、妻フランソワを愛し、生涯に渡り守り、そして共に侍ることを誓うか」


「は、ははっ! 誓いますっ!」


 皇帝ファルマスの言葉に、そう誓いの言葉を告げる。

 本来ならば復唱をするのが礼儀なのだが、緊張し強張りすぎて何も言えない。ただ、そう誓うだけだ。

 バルトロメイはこれから、フランソワを愛し、そして守り続ける。それは、当然のことだ。

 フランソワは、バルトロメイの妻なのだから――。


「フランソワ」


「は、はいっ!」


 そして、フランソワに声をかけるのは、ヘレナ。

 新郎に誓いの言葉を問うのは皇帝であり、新婦に問うのは皇后なのだ。


「汝、病めるときも……ええと」


「……?」


「まぁ、いいか。フランソワ、バルトロメイ様を愛しているか!」


「はいっ! フランはバルトロメイ様を愛しておりますっ!」


「だったら一生離れるなよ!」


「はいっ! 一生離れませんっ!」


 本来の誓いの言葉を随分崩しながら、しかしそう誓うフランソワ。

 そんな二人のやり取りに、僅かにファルマスが嘆息するのが分かる。きっとヘレナのことだから、誓いの言葉を忘れてしまったのだろう。結果、こんな崩しに崩した誓いの言葉になってしまったのだろう。


「よしっ! ではフランソワ、誓いの口付けをしろ!」


「えぇっ!?」


「うっ……!」


 誓いの言葉の後には、誓いの口付けがあるのは当然の流れだ。

 皇帝と皇后の前で誓いの口付けを行い、そして永遠の愛を誓う、というのが基本的な結婚式の流れなのだから。

 だが、どうやらフランソワは知らなかったらしい。


「ふ、フランソワ……」


「そ、そんなっ! ああっ!」


「い、嫌ならば……」


「バルトロメイ様に口付けをしていただける! そんなっ! それほど畏れ多いことをっ! されてはフランは幸せで死んでしまいそうでございますっ!」


 嫌ではないらしい。

 バルトロメイも、覚悟を決める。こうなってしまっては、後に退くことはできない。

 ごくり、と唾を飲み込む。


 フランソワの顔にかかった、薄いヴェールをゆっくりと上げる。

 そして、可愛らしい顔立ち、そして桜色の唇が現れ。

 フランソワと、暫し見つめ合う。


 ゆっくりと――フランソワが、目を閉じた。


「フランソワ……」


「バルトロメイ、様……」


 立ったフランソワと片膝をついたままのバルトロメイで、頭の位置は丁度等しい。

 どうすればいい、どのように近付ければいい。

 少しだけそう、逡巡して。


 ちゅ。


 柔らかなそれが重なり。

 そして、ゆっくりと離れてゆく。

 あまりの柔らかさに、バルトロメイも茹だったかのように、顔中に熱が走る。


「きゅぅ……」


「ふ、フランソワ!? フランソワぁっ!?」


 だが。

 それ以上に真っ赤になったフランソワが、そのまま後ろに倒れる。

 思わずバルトロメイが抱きとめるが、真っ赤な顔のままで笑顔を浮かべながら、しかし意識を失っていた。


「フランソワぁっ!」


 その後、語り継がれることになる。


 大陸最強と名高い英雄、『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザード。そんな彼が四十を迎えて、ようやく迎えた若い妻、フランソワとの結婚式は。

 新妻が気を失って担架で運ばれ、異例の新郎一人だけの式だった、と――。

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