第11話 皇后
朝。
いつも通りのフランソワとの訓練を終わらせて、バルトロメイは宮廷へ向かった。
本当ならば今日は非番であったため、たまにはフランソワと一緒に遠乗りにでも出かけてみようか、と考えていたのだが、このように呼び出された以上は仕方あるまい、と乗合馬車に揺られる。
本来、皇族との謁見は順番待ちが多いため、朝に受付をして夕刻になる、ということも珍しくはない。だが、今日は向こうからの呼出しであるし、順番には都合をつけてくれるだろう。
乗合馬車を降り、宮廷へ。
ガングレイヴ帝国の威を示すように聳え立つ宮廷の、門番であろう騎士に声をかける。
「『青熊将』バルトロメイ・ベルガルザードだ」
「はっ! 将軍閣下!」
「本日の朝に、出仕せよとの仰せで参った」
「伺っております! こちらへどうぞ!」
門兵の指示でやってきた、若い騎士に宮廷を案内される。
方角は謁見の間と異なる、別の部屋のようだ。つまり宰相や大臣などに囲まれる謁見というわけではなく、あくまで私的な呼出しということだろう。
だが、随分と遠回りをして案内されるのが不思議だ。
もしかすると、宮廷を一周しているのではないか、とさえ思えるくらいに、ぐるぐると回っている。
「おい……?」
「も、申し訳ありません! 私は宮廷に仕えてまだ日が浅いもので、迷ってしまいました!」
「むぅ……まぁ、そういうことならば仕方あるまい」
随分と長い時間がかかったが、ようやく目的の部屋へ辿り着いたらしく、若い騎士が止まる。
まさか三階まで行って、そこからまた一階に降りるとは思わなかったが、やっと着いてくれたらしい。若い騎士もやや疲れているのが分かった。
さて、鬼が出るか蛇が出るか――応接室のような扉を、若い騎士がノックする。
「失礼いたします! ベルガルザード将軍閣下がいらっしゃいました!」
「入れ」
中から聞こえたのは、高い声。
皇帝の低い声ではなく、女性特有の若い声である。それだけで、呼出しの相手が誰であるのか分かってしまった。
す、と若い騎士が僅かに後ろに行き、バルトロメイに扉を促す。
どうやら、自分で開けろ、という意味のようだ。
「失礼……」
そう、扉を開いた瞬間。
バルトロメイの目の前に――銀光が走った。
「むっ!?」
慌てて、目の前に迫った銀の光を叩き落とす。
それは――四本のナイフとフォーク。いわゆる
何故、このようなものが目の前に。
「うっわぁ。一本くらいは当たるかと思ったんだけど」
「まだまだということだ、アンジェリカ。さすがにバルトロメイ様には当たらん」
「ちぇ。もっと早くしなきゃなー」
そう、部屋のソファに座る女と、その隣で立つ少女が言葉を交わす。
どうやら話から察するに、少女の方が銀食器を投げたらしい。
はぁ、と思わず呆れすら浮かんでくる行動に、思わずバルトロメイは溜息を吐いた。
同様に、二人の後ろに控える女官もまた、溜息を吐いている。
「一体どういうつもりだ、ヘレナ」
「久しぶりですね、バルトロメイ様。まずはそちらにお座りください」
皇后に対する言葉遣いとしては、どう考えても正しくないだろう。
だが、バルトロメイと女――ヘレナは、このような立場になる前から面識があるのだ。
元『赤虎将』副官、ヘレナ・レイルノート。
現在の名を――皇后、ヘレナ・アントン=レイラ・ガングレイヴ。
「まずは、お呼び立てしたことに心当たりはありますか?」
「……フランソワのことか」
「フランソワと私は、後宮で仲良くさせていただいておりました。フランソワの弓の腕は見ましたか? 私がこれまで育ててきた中でも、恐らく最も弓の才に溢れていました」
「だからか……」
おかしいとは思っていた。フランソワの弓の腕は、貴族の嗜み、というレベルではなかったのだ。
それをこの武人――ヘレナが鍛えたというならば、納得できる。
どうして弓など教えたのか、という疑問はあるが。
「こちらは現帝ファルマス陛下の妹御であるアンジェリカ皇女です。アンジェリカもまた、フランソワとは友人という関係です」
「アンジェリカ・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴよ」
「お初にお目にかかります、皇女殿下。バルトロメイ・ベルガルザードにございます」
さすがに年若い少女とはいえ、アンジェリカに対してはそう慇懃に礼をする。
もっとも、皇后であるヘレナを相手にぞんざいな口を利きながら、皇女に対しては礼儀正しくする、というのもおかしな話だが。
こほん、とヘレナがまず一つ、咳払いをした。
「お呼び立てしたのは、フランソワの件です」
「ああ。それは分かっている」
「バルトロメイ将軍、ご自分が何をしたかお分かりで?」
「……む」
そんなヘレナの表情は。
怒りに、満ちていた。
何故それほど怒り狂っているのだ、と思わずたじろいでしまうほど。
「……どういうことだ」
「フランソワは昨日、私を訪ねに来ました」
「あ、ああ。それは聞いている、が」
「泣いていました。私は後宮で一年ほどフランソワと親交がありましたが、彼女の泣き顔を見たのは初めてです」
「……」
バルトロメイには、答えることができない。
泣かせたのは誰か――どう考えても、バルトロメイなのだ。
「何故彼女が泣いていたのか、それは分かっていますか?」
「……俺が、泣かせたのか」
「部下の前で、何故妻だと紹介しなかったのですか。フランソワがあなたの妻として相応しくない、とでも考えたのですか?」
ぎろり、と睨みつけられる。
どうやら、事の経緯はフランソワから全て聞いているようだ。だからこそ、バルトロメイには答えることができない。
実際に、傷つけてしまったのはバルトロメイなのだから――。
「いや……だが、俺が仕事から戻ったら、普段と変わらぬ態度だったが……」
「はぁ? あんた馬鹿なの?」
バルトロメイの言葉に、アンジェリカが口を挟む。
思い切り眉根を寄せているアンジェリカも、どうやら怒っているらしい。
さすがに、頭ごなしに馬鹿、と言われるのは腹立たしいが、相手は皇族だ。ひとまず、視線を送ることで抵抗する。
「無理してるに決まってるじゃない。あのね、フランは後宮にいる頃から、ずっとずっとずーっとバルトロメイ様に相応しい妻になるのです!って何回も何回も言ってたのよ。それこそ聞き飽きるくらいにさ」
「……」
「そのくらい、ずーっと慕ってた相手に、やっと嫁入りできたのよ? フランがどれだけ幸せだったか分かる?」
分かる。
背中を流しながら、彼女は泣いていたのだ。喜びを噛みしめるように。
こんな男に嫁に来たことの、何がそこまで嬉しいのか、と混乱したものだ。
「んで、あんたは何したわけ? 部下からの冷やかしが怖いからって、フランを奥さんじゃない、って言ったわけでしょ? フランがどんだけ、あんたの言葉で傷ついたか分かってんの!?」
「アンジェリカ、いい加減にしろ」
「でも、ヘレナ様……」
「お前がフランソワを心配する気持ちは分かる。だが、今日はバルトロメイ将軍を糾弾するために呼び出したわけではないのだ」
ヘレナの言葉で、アンジェリカの心に刺さる言葉の嵐が止む。
しかし、同時に、それほど深く彼女を傷つけてしまった、という事実が、バルトロメイの心を蝕んでいた。
昨夜は、変わらぬ態度に安堵していた。
傷つけてしまったというのも、杞憂だったのだと安心していた。
だが、そんなわけがなかったのだ。
バルトロメイは――どれほど罪深いのだ。
「さて……まぁ、私の言いたいことはほとんどアンジェリカが代わりに言ってくれました」
「……すまない」
「私に謝られても困ります。そして、きっとフランソワはこれからも無理をするでしょう。バルトロメイ様に拒絶された、という想いを抱きながら、笑顔を浮かべ続けることでしょう」
「くっ……」
だが、バルトロメイはどうすればいいのだ。
今更謝ったところで、一度口にしてしまったことはもう退けることなどできない。
そして、同時に思う。
これほどまでに、フランソワという少女に、心が蝕まれている。
それは――バルトロメイもまた、フランソワと愛している、ということなのだ。
自覚したと共に、顔に熱が走る。
これほどまでに、誰か一人の女性を想ったことなど、未だかつて一度もない。
「バルトロメイ様」
「……ああ」
「フランソワを、幸せにするつもりはありますか?」
「ああ……ある」
「本当に?」
「本当だ」
「フランソワを愛しているのですか?」
ヘレナの問いかけ。
これまでならば、答えることを拒んだかもしれない。
だが――今なら、自信を持って答えることができる。
「ああ。俺は……フランソワを、愛している」
「その言葉が聞きたかった」
くくっ、とヘレナが悪い笑顔を浮かべた。
軍で何度か付き合いはあったが、このように笑顔を浮かべるヘレナは、大抵ろくなことを考えていない。
そして、ぱちん、とヘレナが指を弾く。
それと共に――ヘレナの座っていたソファから。
真っ赤な顔のフランソワが、顔を出した。
「ぶーっ!?」
「あ、あのっ! あ、ありがとうございますっ! そのっ! わたしもっ! 愛しておりますっ!」
「何故ここにっ!?」
「くくっ。ははははっ!」
企みが成功した、とばかりにヘレナが笑う。
まさしく、企みが成功したのだから、そのように笑うのも当然か。
バルトロメイはただ、顔に走る熱に浮かされるような気分になる。
「あーあ。いやぁ、楽しい!」
「ヘレナっ!」
「さて、このように想いを交わした二人が行うことなど、一つしかありませんね」
にやにやと笑うヘレナと、ふん、と呆れながら笑顔のアンジェリカ。
そして真っ赤な顔のバルトロメイとフランソワに。
彼女らが、提案したのは――。
「結婚式をしましょう」
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