第10話 皇宮からの呼出

 目を見開いたまま、表情から笑顔を消したフランソワ。

 はっ、と気が付くが、しかし一度言ってしまったことは覆せない。

 そんなバルトロメイの言葉に、アストレイが大きく溜息を吐いた。


「なぁんだ……まぁ、そうですよね」


「……ん」


「将軍の奥さんだし、やっぱりもっとごっつい人の方がいいよね。ってことは、フランソワちゃんは将軍の家に仕えているのかな?」


 途端に口調を変えて、そのようにフランソワへ話しかけるアストレイ。

 フランソワはそんなアストレイの言葉に、何と答えていいか分からない、とばかりに目を泳がせていた。


「あ、あの! わたしはっ! その……!」


「ふ、フランソワ……いや、今のは……」


「い、いえっ! お、お仕事中、申し訳ありませんでしたっ! バルトロメイ様っ! お仕事を頑張ってくださいっ!」


 ばっ、とバルトロメイにバスケットを手渡し、背を向けるフランソワ。

 そのまま走り出したフランソワの背中を、ただ見送ることしかできない。

 その姿を追いかけようと思ったが、しかし何と声をかけていいのか。

 バルトロメイに嫁ぐことができたことを、泣いて喜ぶほどに慕ってくれているフランソワ。そんなフランソワを妻ではない、と公言してしまったのだ。

 その心の傷は、どれほど深いだろう――。


「あっれぇ、逃げちゃった」


「……アス、怖がらせた」


「そうかな? 僕優しく声かけたつもりだったんだけどさ」


 ま、いいや、とアストレイが席に戻る。

 バルトロメイもまた席に戻った。フランソワのことは気にかかるが、しかしまだまだ仕事は残っているのだ。急ぎで出さなければいけない書類も沢山ある。

 フランソワへのフォローは、帰ってからすればいいか――そう、ひとまず気にしないようにして、書類と向き合う。


 だが。

 当然、集中できるはずもなかった。












 仕事を終え、家に帰る。

 私情が限りなく混じってはいるが、定時になる直前にアストレイに仕事を多く回しておいた。将軍の鬼!と叫ばれたが、叫びたいのはこちらである。

 帰り道に今朝折れた矢の補充を購入し、それから以前にリヴィアの言っていた、人気の甘味屋とやらで菓子を幾つか買ってみた。これで許してくれ、というのも都合が良過ぎるかもしれないが、それくらいしかバルトロメイには詫びの方法が思い浮かばなかったのだ。

 扉を開き、家に入る。


「ただいま」


「お帰りなさいませ! バルトロメイ様!」


 当然ながら、そこにいるのはフランソワ。

 その様子は、普段と全く変わりないように思える。


「あ、ああ……」


 バルトロメイの考え過ぎだったのだろうか、と胸を撫で下ろす。

 下手をすれば、バルトロメイの態度に怒って、実家に帰ると言い出すのではないか、とさえ懸念していた。

 だが、気にしていないのであればそれが一番だ。

 そんな迎えてくれたフランソワに、買ってきた矢と菓子を手渡す。


「まぁ! こちらは何ですか!」


「評判の甘味屋を聞いてな。土産に幾つか買ってきた。食べるといい」


「ありがとうございます! バルトロメイ様も一緒に食べましょう!」


「そうだな。今日は風呂は沸いているか?」


「はい! 沸かしておきました!」


「では、先に風呂に入らせてもらうとしよう。俺の後に入るといい」


「はいっ!」


 良かった。そう安堵しながら、バルトロメイは浴室へ向かう。

 傷つけ泣かせてしまったのではないか、と思っていたが、杞憂だったらしい。きっとフランソワも、あの場ではああ言うしかない、というバルトロメイの事情を察してくれたのだろう。

 フランソワの入ってこない、男一人での入浴を終え、出る。


「では! わたしも入らせていただきます!」


「ああ。ゆっくり温まるといい」


「はいっ! クレアさん!」


「はぁーい」


 侍女であるクレアと共に、フランソワが浴室へと入ってゆく。

 やはり伯爵令嬢であるため、このように湯浴みには常に侍女を一緒に向かわせるのだ。バルトロメイには理解のできない習慣だが、だが彼女にとっては当然のことなのだろう。

 ひとまず先に食堂へ向かい、座っておくこととする。

 そんな食堂に、既に控えていたのはダンだった。


「……ダン」


「お帰りなさいませ、バルトロメイ様」


「お前には幾つか言いたいことがあるのだが」


「奥様のたってのお願いでして、断ることができませんでした。小生も既に作っておりましたので、捨てるのも勿体無い、と感じた次第にございます」


 むぅ、とバルトロメイは眉根を寄せる。

 そう言われると、何も叱ることができない。ダンは使用人として正しい行動をしたのだから。

 仕方が無い、と腰掛けて、思い切り背もたれに体を預ける。


「フランソワに、変わりはなかったか」


「騎士団からの帰り道、少々落ち込まれていたようですが」


「……やはりか」


 落ち込むのも当然だろう。事情があったとはいえ、フランソワが妻である、ということを否定したのだ。

 昨日のうちにダンにだけは伝えておくとか、フランソワに弁当は持ってこなくていい、と一言伝えておくなど、回避できた選択肢は幾つもあったのだ。その全てを怠った結果、傷つけてしまったのである。

 フランソワが普段と変わらぬ態度を見せてくれたことが、何より幸いだ。


「ですが……」


「何かあったのか?」


「いえ。少々帰りに寄り道をいたしまして、そちらでご友人とお話をされておりました」


「ほう」


 友人というと、以前に言っていたクラリッサ、という者だろうか。バルトロメイは名前しか聞いておらず、姿形も見たことがないのだが。

 そういえば、風の噂に『黒烏将』が婚約をしたのだ、と聞いたことがある。そんな婚約者の名前がクラリッサだった気がする。もっとも、別段変わっている名前というわけではないし、偶然だろうけれど。

 まさか友人同士で、それぞれ八大将軍に嫁入りしているわけがないだろう。


「どのような話をしていたのだ?」


「小生は立ち会っておりませんので、話の内容までは」


「……そうか」


 まぁ、確かに若い女性が何を話していたのか、と聞くだけ野暮だろう。

 もしかすると、その友人とやらに助言を貰って納得してくれたのかもしれない。バルトロメイの事情について。

 そうであるならば、友人に感謝しなければな、と微かに笑む。


 しかし、女性の風呂は長いものだ。

 既に腹の虫が存分に泣き喚いているというのに、まだフランソワの出てくる気配はない。そして、フランソワが出てくるのを待って、一緒に食べるというのが毎日のことなのだ。一人で先に食べるわけにもいかない。

 結局、できることは気を逸らしながらダンと話すくらいである。


 すると――唐突に、玄関のノッカーがごんごん、と叩かれるのが聞こえた。

 む、とバルトロメイは眉根を寄せる。


「……このような時間に客か?」


「小生が出てまいります。少々お待ちください」


「ああ、任せた」


 ダンが玄関へ急ぎ、そして来客の対応をする。

 その声が――玄関から、食堂まで聞こえた。


「バルトロメイ・ベルガルザード将軍閣下はご在宅か!」


「は。主人は在宅にございます」


「皇宮よりの使者である! ベルガルザード将軍閣下をお願いしたい!」


「承知いたしました」


 ダンのそんな返事を待たず、椅子から立ち上がり玄関へと向かう。

 ガングレイヴ帝国に仕えている以上、その頂に存在するのは皇帝だ。そして使者が宮廷、と名乗った場合は宰相や大臣といった宮廷関係者の場合もあるが、皇宮と名乗った場合は皇族に限られるのである。

 そして、皇族からの使者であるというならば、待たせるなどという蔑ろにする真似はできない。


「バルトロメイ・ベルガルザードである」


「将軍閣下! このような夜分に失礼します!」


「構わぬ」


 日は暮れているが、まだ夜分と呼ぶには早いであろう時刻だ。

 このような時間に皇族からの使者が訪れる、というのも不思議に思える。


「ファルマス・ディール=ルクレツィア・ガングレイヴ皇帝陛下よりの使者にございます!」


「何の用件だ」


「明日の朝、宮廷に出仕するように、との仰せです!」


「承知した。明日の朝に出仕する、と伝えておいてくれ」


「はっ!」


 使者にそう答えて帰らせる。

 唐突な、皇帝からの呼び出し――何故なのかは分からないが、従わなければなるまい。

 フランソワを娶るように命令したのは皇帝であるため、一応様子を聞きたい、などという要件だろうか。


「あの、バルトロメイ様……」


「何もやった覚えはない。恐らく、フランソワのことを聞きたいのであろうよ」


「いえ……」


 こほん、とダンが咳払いをして。

 それから、恐る恐る、といった様子で、言った。


「帰り道に、寄り道をした、と申し上げたのですが」


「ああ。友人の家にだろう。聞いておるとも」


「ご友人を訪ねる、との名目で向かったのは……宮廷なのです」


「え……?」


「ふぅ! さっぱりしました! あれ? どうしてお二人とも玄関におられるのですか!?」


 友人。寄り道。宮廷。

 フランソワがやってきたのは、後宮。

 そんなフランソワと同じく後宮にいて、今もなお宮廷にいる者。

 それは。


 現帝ファルマスの正妃である、皇后――。

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