第7話 手作らせない弁当

 軽くフランソワと共に邸宅の周囲を走り、朝食を終えてバルトロメイは出仕することとした。

 しかし、いつもながらフランソワには驚かされるものだ。バルトロメイの走った距離は、新兵であれば倒れるほどのものである。だというのに、体力は底なしにあるのか最後まで並走することができた。もっとも、これは本人の持ち得る業であるのか癖であるのか、道中で二度ほど転んでいたのが問題ではあるが。

 とはいえ、転んでもすぐに立ち上がり笑顔で走り始めるあたり、そら恐ろしいものを感じてしまう。


「さて。では行ってくる」


「行ってらっしゃいませ、バルトロメイ様! こちらをお持ちください!」


「……これは?」


 出仕の見送りに、と玄関までやって来たフランソワから、バスケットを手渡される。

 そんな謎のバスケットを受け取り、バルトロメイは首を傾げた。


「はいっ! お弁当です! お昼にどうぞ!」


「……昼食、か?」


「はいっ!」


 にこにこと笑顔のフランソワと逆に、陰鬱な気分にすらなってくる。

 フランソワの料理は昨日食べたが、食べられる代物ではなかった。だが、かといって無下に断る、というのもフランソワを傷つけるかもしれない。そして、それがどれほどの代物だったとしても、自分のために作ってくれたものを捨てる、などという無体な真似はしたくない、というのが本音だ。

 ここは、今日だけは我慢し、騎士団では支給の昼食があるのだ、ということを説明して明日から控えてもらうしか――。


「バルトロメイ様、ご安心ください」


「……ダン?」


「奥様には盛り付けだけ、していただきました」


「バルトロメイ様への愛を込めて盛り付けました!」


「おお、そうか」


 それなら安心だ、と胸を撫で下ろす。

 あくまで盛り付けただけであり、主に作ったのがダンなのであれば味は問題ないはずだ。さすがにダンも、昨日の昼食の結果を知っているからか作らせなかったらしい。


「ありがとう、フランソワ」


「いえっ! お仕事がんばってくださいっ!」


「ああ。夕刻には戻る」


「行ってらっしゃいませ!」


 フランソワからバスケットを受け取り、そう気持ち良く出仕する。

 いつもダンに見送られてはいたが、このようにフランソワに見送られて仕事に行く、というのも悪くないものだ。帰りを待ってくれる人がいる、というのは心強い。


 暫し歩き、乗合馬車の待合所へと向かう。

 現在はどの国とも戦端が開いていない状態であり、騎士団はそれぞれ帝都の外にある駐屯所で訓練をしているはずだ。幾つかの部隊は治安維持活動に務めているのだろうけれど、 平時の軍はそんなものである。

 いつ、どこで戦争が起きても対処できるように、常に鍛えておかねばならないのだ。


 毎朝乗っていながらにして、やはりバルトロメイが乗るとやや空間の開く乗合馬車に揺られ、駐屯所へ。ひそひそと周囲で話している声は、きっとバルトロメイをその筋の職業だと思っているからだろうか。

 既に四十年付き合っているこの凶相ゆえに、慣れたものだ。今更何かを弁明しよう、というつもりもない。


 そして、ようやく駐屯所へ到着する。

 帝都の南に構える二つの駐屯所は、それぞれ赤虎騎士団と青熊騎士団の駐屯所だ。同様に帝都の四方に、それぞれ二つずつ騎士団の駐屯所が置かれている。

 そんな青熊騎士団の駐屯所へと入り、まず将軍の執務室へと急いだ。

 昨日は急遽非番をとったため、昨日の分の書類が溜まっているだろう。まず午前は、そちらを終わらせなければならない。


「おはようございます! 将軍!」


「おはようございます!」


「うむ、おはよう」


 通りすがる騎士団の面々とそう挨拶を交わし、最も豪奢な扉を開き、執務室へ入る。

 そこにあるのは、三つの机と椅子。そして、そのうち二つは既に埋まっているのだ。


「おはようございます、将軍」


「うむ。もう随分と終わらせているな、アストレイ」


「将軍は、今日は随分と遅い出仕ですね」


 バルトロメイの言葉に肩をすくめるのは、金髪を後ろに流した、狐目をした男だ。

 愛嬌のある顔立ちには今日も微笑が浮かんでおり、細い体は優男のようにも見える。しかし訓練や実戦においては誰よりも先陣に立ち、戦場では縦横無尽の活躍をする青熊騎士団副官である。

 アストレイ・シュヴェルト。

 抜きん出た武力は、まだ三十前という若さであるというのに、次の八大将軍に相応しい、とさえ言われているほどだ。


「少し、色々あってな……おい、リヴィア、寝るな」


「……はっ」


「どうした、寝不足か」


「……いえ、問題ありません。はい。大丈夫であります」


 書類を片手に目を閉じていた、黒髪を後ろで束ねた痩身の女性。

 リヴィア・ルクセンハルト。

 青熊騎士団では数少ない女性の一人であり、しかし男を一蹴する武力を持ち得る女傑である。それゆえに二十歳そこそこでありながらにして、青熊騎士団の補佐官筆頭という地位についているのだ。

 強いて問題を挙げるならば、ややマイペースだ、ということだろうか。


「では、仕事をするか。アストレイ、俺の承認が必要な書類は」


「そちらにまとめてあります。それと、今日の午後からは第六大隊の将軍訓練があります」


「分かった。午前のうちに終わらせておこう」


 バルトロメイは忙しい。

 将軍の承認がなければいけない書類というのも少なからず存在するし、今日の午後からは行われる将軍訓練など、後進に直接指導を行わなければならないこともあるのだ。戦時はともかく、平時はこのように書類仕事に忙殺される、ということも珍しくはない。

 しかし、バルトロメイはそんな書類を、一つ一つ確認しながら承認のサインをしてゆく。

 他の騎士団ならば、補佐官の一人にサインを覚えさせて代行させるような案件でさえも、バルトロメイはきっちり全て確認するのだ。


「……ご機嫌」


「そうですね。まぁ、僕らにしか分からないでしょうけど」


「……ん」


 リヴィアとアストレイのそんな呟きに、バルトロメイは顔を上げる。

 普段と変わらぬ無表情のリヴィアに、普段の二割増しくらいに微笑を浮かべているアストレイが、バルトロメイを見ていた。


「何だ、お前ら」


「いえ。随分機嫌が良いな、と感じまして」


「……ん」


「そうか……?」


 普段と変わらぬようにいたつもりだが、心なし顔に出ていたのかもしれない。

 なんだかんだはあるが、フランソワという妻を迎えたこと自体は嬉しいし、帰りを待っていてくれている、ということも有難いからだろうか。いかんな、とやや心に気合いを入れる。

 少なくとも、午後からの訓練で緩んだ顔を見せるわけにはいかないのだ。


「昨日の休暇で、何かあったのですか?」


「いや……まぁ、大したことではない」


「……妹?」


「アレクシアのことは今関係なかろう」


 リヴィアの呟きに、そう溜息を返す。

 二十歳以上離れた、腹違いの妹――アレクシア。そんな妹をバルトロメイが可愛がっている、というのは騎士団では周知の事実である。

 だが、それほど言われるようなことだろうか、とバルトロメイは眉根を寄せた。

 そもそも、父親が侍女に手を出したがゆえに生まれた、妾腹の妹である。既に騎士団に入り、実家に帰ることなど年に数回しかなかった当時のバルトロメイは、帰るたびに遊んでやったり、小遣いをあげていた。それが気付けば、騎士団の中で「将軍はシスコン」などというありもしない噂が流れてしまった。

 年の離れた妹を可愛がるのは当然だろうに、とバルトロメイは憤慨したが、かといって一度流れた噂を消す、というのも難しいものだ。

 仕方なく、そのような噂を享受して現在に至るのである。


「まぁ、別にいいだろう。さっさと仕事をしろ」


「はいはい」


「……ん」


 その後は、無言で仕事をこなす。

 溜まっていた案件を大方終わらせた時点で、昼休みの鐘が鳴った。


「もう昼か。仕方ない。残った書類は持ち帰るか」


「僕に出来ることならやっておきますよ」


「いや、全てに目は通しておきたい。アストレイは午後から騎士団戦の調整を頼む」


「分かりました。それじゃ、昼食にしますかね」


 ん、とアストレイが体を伸ばし、立ち上がる。

 リヴィアもまた眠そうな目をしながら、無言で立ち上がった。


「それじゃ将軍、今日はどこ行きます?」


「ああ……」


 普段、バルトロメイはアストレイ、リヴィアと三人で昼食を摂るようにしている。

 駐屯所の中に一応食堂はあるのだが、同じメニューばかりで飽きるため、外に食事に行くこともあるのだ。だからこそ、そのようにアストレイが聞いてきたのだろうけれど。

 残念ながら、今日は行けないのだ。


「俺は今日、弁当を持ってきておる」


「……え」


「弁当、ですか? え、どうしたんですか?」


「……気にするな。お前たちは昼食に行くといい。俺はここで食べる」


「えぇぇ……気になるなぁ」


 バスケットを取り出し、机の上に置く。

 その蓋を僅かに開けて、それからすぐに閉めた。


「ほら、早く昼食に行け」


「え。なんで今閉めたんですか?」


「気にするなと言っているだろう。ほら行け」


「……気になる」


「お前たちには関係ない。ほら、昼休みとて時間が限られている。さっさと食べに行け!」


「怪しいなぁ……まぁ、リヴィア、行こうか」


「……じー」


「はいはい、行くよリヴィア」


 バルトロメイのバスケットをじっと見ていたリヴィアの首根っこを引き、アストレイが執務室から出てゆく。

 それから十分に離れたことを確認して。

 バルトロメイは、大きく溜息を吐いた。


「……あぁ、もう」


 バスケットを開き、そう呆れることしかできない。

 確かに作ったのはダンであろうけれど、盛り付けたのはフランソワである。


 だが。

 トマトを並べてハートマークを作っているこの弁当は、どう考えても人に見せられない代物だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る