61.この想いは世界を統べる

 油断した。それは取り返しの付かない失敗だ。

 だが、それも仕方の無い事だった。


 敵は真っ二つに斬り裂かれて、誰がどう見ても死んでいた。更にはアリスの魔眼でも死を確認したのだ。

 つまりは、巨狼が死んでいたのは疑いようの無い事実だった。


 そこから復活するなど、完全に彼らの常識の外だった。

 だから、そんな奴の死骸のすぐ傍でのんきに態勢を整えていた二人を、責める事は出来ないだろう。

 しかしその代償は、容赦なく彼らに降りかかる。


「っく!?」


 ヴァイスの口から悲鳴に近い音が漏れた。いまだ状況に気付いてすらいないアリスを抱き抱え、その場から退避しようと力を込めるが。

 それは絶望的に遅かった。


 次の瞬間、敵の魔法が発動した。展開していた魔法陣が収束し、巨狼の口から眩い光が撃ち放たれた。

 それは先の火炎弾などと比べ物にならないほど早く、全てを抉る死の閃光がヴァイスの視界を一瞬で埋め尽くしていく。


 回避は不可能。それは抗いようの無い死の光。

 背を這いずり回る悪寒がその勢いを一気に増していく。


 そして、それに呼応するかのように。ヴァイスの左の瞳が紫色の輝きを放って――

 

 ――世界が、凍結した。


 瞳に映るのは一面の白。二人を容赦なく飲み込まんとする白熱の閃光。それが、ヴァイスに迫りその視界を覆い尽くしていた。

 しかし、それまでだ。その白き光はその場に留まり……光が停止するという奇妙な光景が、ヴァイスの瞳に映し出されていた。


 それは、アリスから流れ込む魔力によって、ヴァイスが体得した力の発現だった。


 『絶対凍結アブソリュート・ゼロ』。氷属性の古代魔法。森羅万象あらゆる物を凍結させる絶対なる力の一つ。

 果たしてヴァイスの力が本当に『絶対凍結』なのかは分からないが。しかし、それに良く似た力によって、確かに世界は凍結していた。


 何も動かない。誰も動けない。本当に時間が凍結しているのなら、生物の意思すら止まっているのだろう。

 そんな全ての凍った世界で。唯一つ、ヴァイスの思考だけが動いていた。


(くそっ、どうする、どうしたら回避出来る!?)


 ヴァイスの力で凍った世界では、ヴァイス自身も動く事が出来ない。それは先ほどまでの停滞する時間でも確認できている。

 時間の流れが遅くなるのに合わせ、自分の身体も遅くなっていたのだ。これは、ただ思考が加速するだけの力。

 世界は止まり、自分だけが普通に動けるのならば、これほど強力な力も無いのだが。残念ながらヴァイスにそこまでの力は無いようだった。


 だから、ヴァイスに今出来る事は、考える事。この絶体絶命の状況を回避する術を見つけ出す事だ。

 巨狼の撃った閃光は、まさに光の速さで突き進んできた。光の走った道が抉り削られている所から、威力も申し分ないと考えられる。


 このまま世界が動き出せば、瞬く間に二人は光に飲み込まれるだろう。そうなったら生きていられる保障は無い。

 アリスの障壁シールドなら防ぐ事が出来るかもしれないが、彼女は巨狼が復活した事すら気付いていない。今もヴァイスに治癒魔法を掛けている最中だった。


 ならば、回避するしかない。この場から飛び退き、閃光を避けるしか道はない。

 しかし。


(くっ、ダメだ! 絶対に、間に合わない……!?)


 ヴァイスは思い出す。世界を止める寸前の、その閃光の驚異的な弾速を。

 閃光は今、ヴァイスのすぐ傍まで迫っていた。その速度と自分の回避能力を考慮して、分析して……何度も何度も動きを予想するが。

 導かれる答えは、不可能と言う事。今からこの魔法をアリスと共に回避する術は、自分にはありえないという事だった。


 ここでアリスを見捨てて自分だけ全力で退避するならば、ギリギリ間に合う状況ではあったのだが。当然の如く、ヴァイスはその案を考えすらしなかった。


(……無理だ、手が無い。これは、逃げる事は出来ない……)


 絶望を悟る。その瞬間、諦めという闇がヴァイスの心をじわりと蝕んできた。

 視界が暗く澱んでいった。唯一動いていた思考までがゆっくりと停滞していった。


 ◆


――ここで、終わるのか……本当に、手は無いのか……?


 闇に必死に抗いながらも自問する中で。ヴァイスの脳裏に、学園に来てからの出来事が浮かんでいは消えていった。


 学園に来た時の事。アリスと巡り会った時の事。

 止まってしまった時間の中で、答えを探すように映像が流れていく。

 これが走馬灯ってやつなのか、と。ヴァイスは頭の隅で考えながら、それでも最後の足掻きと思考する。


 映像が流れていく。思えば色々な事があった。色々な事を知った。嬉しい事も、悲しい事も。


――それももう、ここで止まるのか。俺は、もう、こんな所で……!


 闇が深くなり、視界が消えかけて。最後に、どうしようもないくらいの悔しさが沸いてきて。

 せめてアリスだけでもと、そう思った時だった。


『自分のイメージを通して世界に干渉する。世界を、自分の思い通りに動かせるんだよ』


 流れる景色の中で、アリスの言葉が甦った。それは魔法について教わっていた時の彼女の言葉だ。

 魔力を使い、自分の想い《イメージ》を元にして、世界を変える。魔法を使うのに大事なのは自分の想いだと。

 それが、魔法だと。彼女は言った。


 次いで思い浮かぶのは、自らを覆う紫色の力。

 正直な話だが、これがなんなのかは今はまだ分からない。しかし、アリスが上級魔法を使えたのを考えると、魔気であるのは間違いないだろう。


 そうだ。これは魔気なのだ。魔力と気力を混ぜ合わせた、魔力の代わりともなるはずの力なのだ。

 それならば。


――俺にも、使えるんじゃないか……?


 ずっと、魔力の無い事を馬鹿にされてきた。魔法を使えない事を笑われて生きてきた。

 この世に生を受けてから、一度も魔法を使わずに生きてきた。


 そんな自分が、魔法を使えるのか? こんな土壇場で、失敗したら死ぬという状況で、魔法を使うことが出来るのか?


 そんな事――




――使えるに、決まってる……!


 暗く狭くなっていた視界が、さっと晴れ渡る。ゆっくりと澱んでいた思考が、軽やかに流れ始めた。


 魔法が想いを元に発動するのなら。魔力を持っているにもかかわらず、魔法が使えないのならば。それは、自分の想いが弱かったという事になる。

 今、ヴァイスが魔法を使えないのなら、それはヴァイスの想いが世界に負けたと言う事になる。


 ふざけるな、と。ヴァイスは吐き捨てた。


 確かに自分は弱い人間だ。人より劣る、脆弱な存在だ。

 しかし。

 この想いだけは、誰かに負ける訳にはいかないのだ。この想いだけは、劣っているなど誰にも言わせてはならない。

 そんな事は絶対に許せない。どれだけこの身を侮辱されようと、この想いだけは否定させない。


 ならば。示すしかないだろう。

 想いが魔法となり世界を変えるというのなら。

 それを、魔法を。俺が使えぬ訳が無いのだから。

 今までは魔力が無かったから。だから使えなかっただけなのだ。魔力それを手にした今、アリスから魔力それを与えられた今。

 このヴァイス・エイガーに、魔法が使えないなど、絶対にあってはならないんだ。


 見せ付けてやるんだ。この世界に、今度こそ、無能の意地という奴を――!


 凍った世界に、灼熱が生まれた。それはヴァイスの身体を駆け巡り、まるで氷を溶かすかのように彼の全身へと満ちていく。


 ぐっと、その腕が力を持った。アリスを抱くその腕が、ゆっくりと彼女を抱き寄せる。

 凍りつき止ったはずの世界で、彼だけがそれに抗うかのようにゆっくりと動き始めている。

 

 ゆっくりと、ゆっくりと。その腕が動く。その表情が歪む。

 右腕で愛しい少女を守るように抱き寄せて、左腕を迫る死へと突き出して。

 彼を覆う紫色の光までが、ゆっくり流れ蠢き始めた。

 色を失い止った世界で、その光だけが鮮やかに輝きだした。


『そう、君の気力と、私の魔力が混ざってるんだよ』


 アリスの言葉が聞こえる。この力に目覚めた時の、彼女の喜びを思い出す。


――この力は俺達の力だ。俺一人では無理でも、俺達二人なら可能なはずなんだ。それを、今ここで証明する!


 さぁ、精神を研ぎ澄ませ。願いを掲げろ、想いを紡げ!

 誰よりも強固なその意志を示すのだ!


 それは、『この人を守り通す』という、たったそれだけの。だけど何よりも尊い想い!


 その確固たる想いを以って、俺達二人の魔気で世界を捻じ曲げる――!


「っぉおおおおおおおあああ!!」


 凍り付いていた世界が砕け散った。唐突に流れ始める世界の時間。


 その瞬間に、ヴァイスはアリスを右腕一本で抱きすくめ、左腕を迫り来る閃光へと突き出した。

 彼の体から吹き出た紫の光が、左腕の先で渦巻き空間を歪ませる。


 ヴァイスの脳裏に浮かぶのは唯一つの光景だった。それは走馬灯のように流れた映像の中での一場面。


 夕焼けに染まった広場で、倒れ付している自分の姿。それを見下ろし大剣を構えた敵の姿。

 焼け付くような屈辱を舐めたあの決闘で。救いようのない己の弱さを叩き付けられたあの決闘で。もう、思い出すのも苦痛な、あの決闘で。

 

 己に止めを刺そうと降り下ろされた大剣を、その目の前で弾き返した。どこまでも美しく輝く、荘厳な蒼の魔法陣。


 そして、その魔法陣の奥に、彼女は居た。


 こんな情けない自分を守るために、決闘の約束事も何もかもを無視して。

 必死の形相で、瞳に涙を滲ませて、それでも魔法を発動させた一人の少女の姿が、そこにはあったのだ――




障壁シールドぉおおおおおお!!」


 ヴァイスの咆哮に反応するかのように、紫の光が左腕の先で一点に収束した。そしてそれは、まるで雷のような光を放ちながら巨大な魔法陣へと姿を変えていく。

 現れたのは、蒼く輝く魔法陣。


 まさに光の速さすらも超えて展開した障壁が、巨狼の放った閃光とぶつかり合って。

 激しい光の奔流を辺り一帯に撒き散らしたのであった。

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最弱二人の勇者道(ブレイブロード) カラクリ @karakuridaio

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