60.力の源泉

「やった!?」


 アリスが喜びと驚きの混じった声を上げる。それを聞くヴァイスも同じ気持ちだった。

 目の前には、氷大剣の一閃をその身に受け両断された巨狼の姿があった。そのあまりに綺麗な、凍りついた切り口が大剣の切れ味の凄まじさを物語っている。


 そしてその二つに分かたれた巨体が、音を立てて地へと崩れ落ちた。轟音を鳴らし地を揺らす巨狼は、そのままぴくりとも動かない。


「本当に、倒したのか……?」


 巨大な敵だった。今までの人生の中で、間違いなく最悪の敵であった。

 だからこそ、その敵を切り伏せたという事実を素直には受け止めきれない。いまだ冷めぬ身体の熱が、激しく打つ鼓動が、戦闘の終焉を感じさせない。


 本来ならば敵に近づいてその死を確認する所だろうが。生憎とそんな気はかけらも起きなかった。

 ヴァイスは軽く地を蹴り、巨狼から逆に距離を取る。

 そして、その巨体から目を離さずに、口を開いた。


「先輩、その目で確認してください。それが一番確実です」

「へ? あ、そうか。分かった」


 一瞬何の事だか分からず、間の抜けた返事になったアリスだったが、すぐに彼の考えを理解する。

 すぐさま、アリスはその目で敵を視た。紫色の瞳の前に魔法陣が浮かび、全ての理を見抜く魔眼が巨狼を射抜く。

 結果は直ぐに出た。当たり前の事だ、身体を真っ二つに両断されて生きている生物などそうそういまい。彼らが慎重になりすぎているだけだった。

 つまりは、その巨狼は。


「……うん、確かに、死んでる……、間違いない」

「……そうですか、倒せたんですね、あれを」


 アリスの眼で確認してもらって、ようやくヴァイスは納得出来た。

 どこまでの力があるのかはまだ分からないが、彼女の眼が『真理の魔眼』なら、見間違う事はありえない。

 間違いなく、その巨狼は息絶えていた。きわどい所ではあったが、生き残ったのは自分達なのだ。


 それを理解した瞬間、ヴァイスの身体からすっと力が抜けた。

 危うく崩れ落ちそうになる所を必死で耐えて、腕の中のアリスがわっと驚きの声を上げるのを聞きながら。

 なんとか力を振り絞って、彼はアリスを抱き抱えたままゆっくりと地面へと座り込んだ。


「大丈夫?」

「すみません、流石にちょっと……疲れましたね」


 長い間強張っていた顔をほぐすように、ヴァイスが笑みを浮かべた。心底ほっとしたような、肩の力の抜けたような、柔らかな微笑みだった。

 対して、アリスも頷き顔を綻ばせたる。そうだねと、やはり穏やかな音色で応えていた。

 

 暗い迷宮の中で、場違いな笑い声が漏れ出した。どちらからともなく、しかし二人で笑い合う。

 胸中に沸くのは、じんわりと暖かな……喜びだった。あんな化け物を相手に、二人で無事に生き残れた奇跡。それを二人は眼に涙を浮かべながら感じていた。

 そうして僅かな時間、二人は顔を寄せ合い、喜びを分かち合ってから。

 ヴァイスが、アリスの瞳を見つめながら、少し心配そうに眉を寄せて口を開く。


「先輩、怪我は無いですか?」

「私は大丈夫だよ。それより君の方が酷い怪我だよ……ちょっと待って、直ぐ治すから」


 身体中に傷を負ったヴァイスを見て、まるで自分の事のように悲痛な声を上げるアリス。彼女はそのまま治癒魔法を唱えようとするのだが。


「――いや、いいんです」


 そんな事はどうでもいいとでも言うように、ヴァイスがそれを遮った。

 そしてそのまま、彼はアリスの小さな身体をすっぽりと抱きすくめた。

 急なヴァイスの行動に、アリスが呆けたように目を見開く。しかし、自らを抱き締める彼の身体が僅かに震えているのを感じて……彼女も目を閉じ、彼の背に両手を回した。


「良かった……先輩、本当に、間に合って……」

「うん、心配掛けてゴメン……でも、きっと来てくれるって信じてた……ありがとう、ヴァイス君」


 アリスの囁くような声がヴァイスの耳をくすぐる。思わず腕に力が入り、彼女をきつく抱き締めた。

 その温もりを、もう絶対に逃さぬようにと。

 二人は二度と離れぬように、お互いを抱きとめていた。


 ◆


 抱き合う二人に言葉は無い。ただただ互いの無事を喜び、再びこうして触れ合える幸福を噛み締めていた。

 しかし、ここは迷宮の中だ。事の元凶であると思われる巨狼を討伐したからと言って、安全とは言い難い。


 すぐに地上へ向けて逃げなければならない。こんな所でもたもたしている暇は無いのだ。

 ヴァイス達もその事は当然分かっている。だから二人は、やはりどちらからともなく、そして名残惜しそうにその身を離した。


「先輩、行きましょう。この迷宮は異常です。この先も何か起こるかもしれない。すぐに安全な、地上まで逃げないと」

「うん、分かってる。でも、治療だけはやらせてよ。こんな怪我で無理しちゃダメ。すぐに済むから……」


 そう言ってアリスは治癒魔法を無詠唱で発動させた。アリスの両手から光が溢れ、ヴァイスの身体を包み傷を癒していく。


 正直に言えば、ヴァイスは己の怪我など放っておいて、すぐにでも脱出したかったのだが。

 アリスの魔法が心地よく、その光に安らぎを覚えて。焦るような気持ちが急速に落ち着いていく。


 この先も敵が出てくるかもしれない。それならば、少しでも余裕が出来た今、怪我の治療をしておくのは妥当ではないのか。

 ゲイル達も自分達を追ってきているはずだ。この場での戦闘にかかった時間を考えても、きっと近くまで来ているに違いない。

 なら、そこまで焦る必要は無いのではないか。それよりも怪我をしっかりと治してもらって、万全の状態に整えた方がいいんじゃないか。


 ヴァイスは冷静になった頭で状況を判断して、そのままアリスの魔法を受ける事にした。

 幸いな事に、アリスの魔法の効果は凄まじい物だった。ヴァイスの傷が見る見るうちに塞がっていく。

 二人は変わらずに紫色の魔気を纏った状態だったので、そのおかげなのだろう。

 これならば、態勢を整えるのにもそんなに時間はかからない。


 ヴァイスは、すぐ傍で魔法を使う少女に感謝の念を抱きつつ、ふっと肩の力を抜いて、呼吸を整える。

 普通の治癒魔法では、傷を塞ぐ事は出来ても体力の回復までは行えない。ほんの少しでも失った体力を取り戻そうと、心を静かに落ち着かせていく。


「でも、すごいよね」


 そうこうしていると、アリスが話しかけてきた。

 釣られて彼女を見ると、その右の瞳に魔法陣が浮かんでいる。

 ヴァイスの怪我の具合を『真理の魔眼』で視ているのだ。


「こんなの、御伽噺の事だと思ってたけど……本当にあったんだね、これ」

「そう、ですね」


 アリスのもっともな意見に、なぜか煮え切らない様子で応えるヴァイス。

 そんな彼の様子にちょっと首を傾げつつ、アリスは続ける。


「でも、なんでこんな力が生まれたんだろうね? こんな力を秘めていたなんて、全く身に覚えないんだけど」


 そう言ってクスリと笑うアリス。対して、ヴァイスはわずかに眉をひそませ、ほんの少しの間考えるような仕草をしてから。


「なんとなくですけど、想像は付きます」

「えっ?」


 意外なヴァイスの発言に、アリスは驚き混じった声を上げた。

 そんなアリスに、ふっと優しげに微笑みながら、ヴァイスは言う。


「これは、多分ですけど。俺達の力が混ざったせいだと思います。俺が『絶対凍結アブソリュート・ゼロ』なんていう氷属性の魔法に近い力を使えるのは、恐らく先輩の力が俺に流れたからでしょう」


 ヴァイスはほぼ確信していた。その自分の力の出所を。

 先から使えている、時間を停滞させる力。『絶対凍結』なんて言う身の丈に合わない力は、まず間違いなく自分の持って生まれた力ではない。

 ならばこれは何なのか。一体なぜこんな力が発現したのか。

 答えは簡単だった、なぜならそれはなのだから。


 もはや疑いようも無い。この力は、アリスと繋がったおかげで得た、彼女から受け継いだ力なのだろう。


 突拍子の無い考えに思えるが、もう一つこの考えを裏付ける答えがある。

 それは、アリスが『真理の魔眼』を使えるようになった、という点だった。


「でも、それだと、私の『真理の魔眼』は……」


 当然の如くアリスも疑問に思った。『絶対凍結』が自分の力というのはあまり実感が無いが、確かに氷属性と言う点では、『真理の魔眼』よりも納得は出来る。

 しかし、その考えで言うと、『真理の魔眼』は。


「何か、心当たりでもあるの?」

「……ええ、心当たりどころか。まず間違いないでしょう」


 そう言って、ヴァイスはアリスから眼を背けた。その瞳は、どこか遠くを見つめている。


 彼の脳裏に、懐かしい姿が映し出されていた。

 それは、ある一人の女性の姿だ。ヴァイスと同じく漆黒の、美しく艶やかな髪を腰まで伸ばし、同じく漆黒の瞳で優しくこちらを見つめる女性。

 身体が悪いのかベットから上体を起こして、何かの本を手に持った、落ち着いた雰囲気を纏うその人。

 そしてその女性のベットに寄り添っているのは。幼い頃の、自分自身だった――


「その力は。俺の――」




 その時だった。




 ヴァイスの背を、突如として凍りつくような悪寒が走った。それはどこかで感じた事のある感覚だった。

 どこまでも暗く、どこまでも黒い。絶望的なまでの、死の予感。


「っ!!」


 ヴァイスはほとんど反射的に、その感覚の襲ってきた方向へと顔を向けた。

 そこは、巨狼の死骸がある場所だった。


 いや。違う。それは、死骸などではなかったのだ。


「――!」


 目に飛び込んできたのは、漆黒の輝き。分断されたはずの身体をその黒い魔気のような力で繋ぎ、こちらを睨みつける巨狼の姿。

 その瞳には、変わらず真紅の炎が宿っていた。確かに一度消え去ったはずの命の炎が、ギラギラと激しく燃え盛っている。

 そして、その大きく開かれた口からは幾つもの魔法陣が連なって。いままさに魔法を発動せんと魔気の奔流が渦巻いていた。 

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