58.自分だけの魔法

 アリスの放った上級魔法、凍る白銀の旋風グレイシャル・バースト。それは、ヴァイスの眼前に展開していた魔物の全てを凍結させた。魔物達は、さながら氷像のようにその場に立ちすくんでいる。


 アリス自身が、おっきいの、とは言っていたが。想像以上の威力にヴァイスが息を呑んだ所で、魔物達の氷像が次々と砕け散っていった。輝きながら粉々に散っていく姿は幻想的で、それが魔物である事を忘れてしまいそうだ。


 そして一際大きい巨狼の氷像にもひびが入り、同じように砕け散るのだが――どうやら他の魔物とは違い、巨狼は完全に凍結した訳では無かったようだ。

 氷像の中からまるで殻を破るかのように、全身を血で濡らした巨狼が咆哮を上げながら出現した。


「グルルアアアア!!」


 怒りの篭った咆哮が広間に響く。その後、巨狼は唸り声を上げながらそのぎらついた目をヴァイス達に向けてきた。

 血を流しふらついている所から、相応の傷は負っているようだが。あいにくと、戦闘不能とまでは行かなかったようだ。


 その巨狼の姿にヴァイスは驚き目を見開く。しかし、それは直ぐに睨みつけるような視線に変化した。彼の心情を反映するかのように、小さい舌打ちの音が漏れる。


「ちっ、しぶとい奴……!」


 ヴァイスは巨狼も含めて、完全に敵を仕留めたと思っていた。それぐらい、アリスの魔法の威力は凄まじい物に思えたのだ。

 そして、魔気を使えないという枷から解放された彼女の魔法に、憧憬のような思いもあった。万全の力で放った彼女の魔法を、魔物が耐え切れるとは思わなかった。

 そのため、それを耐えて立ち上がった巨狼を見て、彼は苛立ちのような気持ちを抱いたのであった。


 ところが、当のアリスは違ったようで、


「……最上級レベルでも耐える、か。本当に氷には耐性があるみたいだね……」


 アリスが呟いた。ヴァイスがその声にはっとしたように彼女に目を向ける。アリスはその結果を予想していたのか、平然とした様子で巨狼を見据えていた。


「……あいつの事、知ってた、んじゃないんですよね」

「うん。あんな魔物を見たのは初めてだよ。……でも、分かるんだよ。何となくだけど、目に見えるって言うか……」


 自分でも良く分かっていない様子で言うアリス。彼女はぱちぱちと何度か瞬きをした後、掛けていた眼鏡をおもむろに外した。

 身体強化が掛かっている今のアリスに、眼鏡は必要無い。アリスはその瞳に魔力操作の要領で魔気を通し、強化された瞳で巨狼を見つめる。


「何も知らないはずなのに。名前とか、能力とかが見えてくるんだよ」

「それは……まさか、『真理の魔眼』ですか?」

「あー、やっぱりそれを思いつくよねぇ。てっきり物語内の創作だと思ってたんだけど。まあ、あれほど高性能では無さそうなんだけど……」


 アリスが苦笑している。それは、ヴァイスが自分と同じ物を連想したからだろう。


 『真理の魔眼』。それは勇者の物語に時々出て来る、魔法とは似て非なる特殊能力だ。効果は単純で、見た物の名前や能力、秘められた性能などを一目で暴く、という力である。

 その力から、鑑定能力などと呼ばれる事もある。勇者の物語に触れた事のある者にとっては、割とよく知られた能力だった。


 とはいえ、それはあくまで物語の中の話。アリスの知る限りそんな力はこの世界には無いし、実在するとは夢にも思わなかった。御伽噺に出て来る架空の力だと思っていたのだ。

 そのため、最初にその力に似たモノが見えるのに気付いた時、アリスは心底驚いた。ただ、その力を意外と直ぐに受け入れる事も出来た。それは、彼女がそういう知識を持っていたからなのだろう。

 まぁ、紫色の魔気を纏っている状態がそもそも普通では無いので、感覚が麻痺してきているのは否定できないが。


 何にせよ、アリスはその力で敵の正体を見抜いていた。その名も、その力もある程度は把握している。凍る白銀の旋風で仕留めきる事が出来ないのも、それで予想出来ていた。


 そして。


「そんな、『真理の魔眼』は……」


 ヴァイスも驚きを隠せずに呟いていた。それを聞いて、アリスがもう一度苦笑する。


 勇者の物語に出て来る能力だ。当然ヴァイスも『真理の魔眼』を知っている。それが架空の能力だとも知っているはずだ。

 だから、そんな力を自分が身に付けた事に、ヴァイスは驚いている。そう、アリスは思ったのだ。


 しかし、真実は違っていた。ヴァイスが驚き困惑していたのは事実だが、その意味は全く違っていたのだ。


 ヴァイスは。それが現実にも存在する能力だと。だからこそ、それをアリスが使えるようになった事に、彼は困惑していたのだ。

 その思いが、知らず口から漏れる。


「どうして、先輩がその力を……?」

「私にも分からないけど。たぶん、この魔気と……目、のせいだと思うよ」


 アリスの言葉を聞いて、ヴァイスはじっと彼女の瞳を見つめた。


 その紫色の光を帯びた右目の、その前に。何時の間にか幾つかの小さな魔法陣が浮かび上がっている。それはの魔法陣と同期したようにゆっくりと回転していた。

 彼女自身にはその魔法陣は見えていないのか、特に気にした様子は無く、ただ真っ直ぐに巨狼を見つめている。


 その、この世界の常識からはかけ離れた様子を見て、ヴァイスが半信半疑の様子で口を開いた。


「……確かに、色もそうですけど、片方だけ変わるなんて聞いた事も無いですよね。でも、それならどうして――」

「あ、やっぱり私もそうなってるんだ。ヴァイス君もだもんね、目」

「へ?」


 軽い調子で言うアリスの言葉に、ヴァイスは先程までとは別の方向から衝撃を受けた。


「俺も、ですか?」

「うん、左だけ紫色になってる」

「うわぁ……」


 自分で自分の瞳の色など確認しようが無い。しかし、アリスと同じようになっているのであろう事を予想して、ヴァイスが微妙な表情を見せる。

 アリスの瞳は、右目が紫、左目が魔力の蒼に染まって淡い光を放っている。とすると、自分は左目が紫で、右目は気力の紅になっているのだろうか。その奇抜な見た目を想像して、ヴァイスは何とも言えない気持ちになっていた。


 どことなく嬉しそうなアリスと違い、ヴァイスは気恥ずかしさの方が勝っているようだ。幼馴染達に見られたら何を言われるか、想像するとむず痒い気持ちが背中を上がってくる。

 ヴァイスはその気持ちに身を捩りそうになるのを堪えながら……そこで、ある光景を思い出した。


「……俺も、少し変なんですよね。なんというか、周りの時間が遅くなって見えるというか」

「遅く? 時間が?」

「そう、遅く――」


 アリスの声に頷き、返事を返そうとした時。巨狼がこちらへ向けて大きく口を開くのが見えた。その開いた口の前に魔法陣が展開している。

 その光景を見たヴァイスの脳裏に、先の戦闘で巨狼の放った火炎弾が浮かび上がった。


「先輩!」


 警告の声を上げながらも、ヴァイスがアリスをきゅっと抱き締め回避行動を取った。凄まじい速度で打ち込まれた火炎弾を、先とは比べるもないほど余裕を持って回避する。


 火炎弾はヴァイス達にはかすりもせず、そのまま広間の壁に着弾して爆音を上げた。ヴァイスはその音を後ろに聞きながら、次の動きを警戒して巨狼を見据える。

 当たらなかったのが心外だったのか、巨狼は一層苛立ったような咆哮を上げる。その咆哮に合わせて、巨狼の周りにいくつもの火炎弾が生成されていった。


火炎の砲弾ファイアボールの、今度は多重射撃マルチショット? って、嘘、何あの数!? 何処からあんな魔力を――!?」


 アリスが驚き声を上げた。それもそのはず、巨狼の生み出す火炎弾は見る間に数を増やし、十を軽く超えていく。人と魔物では比較に意味は無いのかもしれないが、人としては上位レベルの魔力回復速度を持つアリスをして、その魔力量は顔を歪めるほどであった。


 あの無数の火炎弾が、先程と同じ速度で同時に飛んでくるのなら、


「――むぅ、まずいね、アレは避けれないよ。ヴァイス君、全力で障壁シールドを張るから、また力を貸して――」

「大丈夫です、あれくらい余裕ですよ」


 焦りの声を上げるアリスに、ヴァイスが宥めるように声を掛けた。それは、見栄を張っていたり無理していたりするのではない、確かな自信があった。

 その自信は声色だけでなく、ヴァイスの眼差しからも感じられる。それだけで敵を射殺せそうな鋭い視線を巨狼へ向けながらも、自然体でいる彼を見て、アリスも一瞬戸惑うが、


「グルアアアアア!!」


 上がった咆哮と共に動き出す火炎弾を見て、覚悟を決める。念のために、障壁発動の魔力を準備をしながらヴァイスに身を任せた。


 状況は彼女にとって一瞬だった。

 巨狼の火炎弾はそれぞれが恐ろしいほどの初速で発射された。しかも、ヴァイスの回避に対応するためなのか、一斉発射ではなく数発ずつの時間差射撃だ。

 ヴァイスが初弾を避ければ、その先に次弾が打ち込まれる。そうやって流れるように連射される火炎弾を――ヴァイスは危なげなく回避していった。


 魔気による身体強化をもってしても、見切れないほどの砲弾の雨。ヴァイスはそれを軽々と見切り回避している。射出される弾丸の軌跡を、まるで発射と同時に見極めているような挙動。

 それは、アリスからしたら未来予知でもしているかのような動きだった。見ると、彼の左目の眼前にも魔法陣が展開しているのが見れとれた。

 そのヴァイスの動きに見蕩れている内に、全ての火炎弾は発射されていた。そして、彼は宣言通りその全てを完璧に回避していた。


「っふぅ」


 ヴァイスが軽く息をつく。集中を解いたからなのか、左目のまさに眼前に展開していた魔法陣が、ゆっくりと宙に消えていく。

 それを見て、アリスは先程のヴァイスの言葉を思い出す。そこから、ある一つの考えを連想していた。


絶対凍結アブソリュート・ゼロ……?」


 呆然とした様子でアリスが呟いた。その声を聞き、巨狼に目を向けたままヴァイスが聞き返す。


「? なんですか、それ」

「……氷属性の古代魔法エンシェントだよ。この世のありとあらゆるモノを凍らせる魔法」


 古代魔法。急に出てきたその大仰な言葉に、ヴァイスが不思議そうに眉を寄せる。


「あらゆるモノ、ですか」

「そう。ありとあらゆるモノ。……つまり、時間すら凍らせる事が出来るんだって」

「時間……?」


 その言葉に、ヴァイスは彼女が何を言いたいのか理解した。

 時間の流れを遅く感じるのなら、その魔法を自分が使っているのではないか、ということだ。

 しかし、ヴァイスには当然そんな魔法は使えないし、使った自覚だってもちろん無い。そもそも魔法を使えない自分に、古代魔法なんて使えるはずが無い。


「そんな無茶な。俺にはそんなマネ出来ませんよ」

「うん。でも、なにか関係があるのかなって」


 アリス自身、いきなりヴァイスが古代魔法を使ったとは思えない。古代魔法はいまや伝説と呼べる存在なのだ。

 ただ、自分にも『真理の魔眼』に近いモノを使えたのだ。ヴァイスにも、何らかの力が備わったとしても不思議ではない。

 古代魔法そのものは無理でも、それに近い何かならば、と。


 しかし、考察の時間は無かった。二人の目の前で、再度巨狼が火炎弾を生成し始める。

 もっとも、それを目撃したヴァイスに焦りは無かった。彼からしたら、その魔法はもはや脅威では無くなっているのだから。


 しかし、攻撃を回避するだけでは敵を倒す事は出来ない。ゆえに、考えるのはその方法だ。


「……どうします? 氷に耐性があるなら、他の属性の魔法を使いますか? 先輩なら一通り使えるでしょう」

「使えるには使えるけど、上級魔法となると氷じゃないと難しいかな。それより、物理攻撃は普通に通るみたいだから、踊る氷剣アイシクルエッジなら通ると思う。アレは氷属性だけど、物理的な攻撃でもあるから」

「でも、流石にあの巨体が相手では」


 踊る氷剣は一般的な長剣サイズだ。見上げるほどの巨体相手には有効とは思えない。せめて、ゲイルの持つ大剣くらいの大きさが欲しいところだ。

 そんなヴァイスの考えを見通しているのか、アリスも軽く頷いて。


「分かってる。だから――ごめん、ちょっと時間を稼いでほしいの。魔法を発動させるまでの時間を」

「……分かりました」


 ヴァイスが頷く。アリスが何をするのかは分からない。しかし、頼まれたら断る理由など存在しない。


「それじゃ、先輩はそっちに集中してください。あいつの攻撃は全部かわしますので」

「うん、お願いね」


 アリスの返事を聞き、巨狼へと意識を集中するヴァイス。

 すると、丁度巨狼の方も準備が整ったようだ。先ほどと同じ位の火炎弾を生成し、自らの周りにそれを浮かべている。


「グルアア!!」


 彼らに向かって、巨狼が火炎弾を放った。人の頭ほどある燃え盛る砲弾が、怒涛の勢いで降り注ぐ。

 それをヴァイスは全て回避する。連射される火炎弾を、その紫色の瞳で見極めていた。全ての軌道を見切り、その雨の隙間を掻い潜っていく。

 

 そんなヴァイスの耳に、透き通った歌声のような音が届いた。それは鳴り響く砲弾の轟音を無視するかのように通り、広間全体へと響き渡る。


『氷は剣に、氷は盾に』


 それはアリスの詠唱だった。詠唱を始めたアリスに、ヴァイスは動きながらも内心驚いていた。

 先程から上級魔法を詠唱無しで使っていたのだ。それなのに、今回は詠唱が必要とは。一体どれほどの魔法を使うというのか、ヴァイスには想像もつかない。


 しかし、事実はヴァイスの考えとは反していた。

 実際の所、今アリスが唱えている魔法は、規模としては先の魔法と比べて劣るくらいなのだ。では、なぜ彼女は詠唱を必要としているのか。

 それは、これから使う魔法が、固有魔法オリジナルだからである。


『剣は舞い敵を討ち、盾は踊りて害を払え』


 竜の息吹ドラゴンブレスはそこそこ使い手の多い基本魔法ベーシック凍る白銀の旋風グレイシャル・バーストですら少ないながらも使える者が複数居るため、基本魔法に属している。

 それに対して、今からアリスが使うのは、紛れも無い固有魔法。彼女が編み出した唯一の魔法。

 そして、恐らくは彼女以外に使用者の居ない、彼女以外に魔法。


『我は全ての敵を討ち滅ぼし、全ての災厄からその身を守り抜こう』


 魔法使いの本分は、いうなれば砲台だ。前衛に守られた敵の射程範囲外から、遠距離攻撃を容赦なく叩き込む、それが魔法使いの戦い方だ。

 ゆえに、それは異端だった。魔法使いの戦い方を真っ向から否定する異端極まりない魔法だった。


『我は剣 我は盾』


 でも、それで良い。

 アリス・クラディスと言う少女が望むのは、もはや魔法使いの戦いでは無いのだから。

 彼の隣で、彼に代わり剣となり盾となる。


『汝に代わり、汝の道を切り開く者なり』


 それこそが、彼女の望んだ魔法。

 彼の足手まといにはならないと、彼の助けになりたいと。そう考えて編み出した、彼女の有り方。

 魔気の使えない自分には到底不可能だと思っていた、それでも夢に見て想い焦がれた理想の一つ。


 それが。アリス・クラディスの固有魔法が、


氷装の戦乙女アイシクルエッジ・ヴァルキュリア!』


 ここに、顕現した。

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