56.二人の力

 漆黒の巨狼。それを睨みつけながら、ヴァイスは思考を走らせる。


(倒す必要は無い。時間を稼いで、ゲイル達を待つ。攻撃さえ受けなければ!)


 ヴァイスが瞳へと気力を集中する。先程は相手の動きがほとんど見えなかった。相手が動くのに合わせて、地を踏むのに合わせて、全力でその場から逃げただけだ。この巨狼は魔気も使えるためか、その巨体に似合わずスピードは驚異的だった。

 しかし、


(今までは腕や足にしかした事は無かったけど、瞳にだって限界突破リミットブレイクは使えるはずだ。そうすれば、動きくらいなら……!)


 ヴァイスは瞳に対して限界突破を行使する。理屈は同じだ、足や腕のように強化は出来るはずだ。

 彼の考え通り、瞳に対して限界突破を発動できた。目にズキズキと刺すような痛みが走るが、その分、敵の動きが見えるようになる。

 彼の目が、過剰な気力の集中により黒から緋へと変化する。そのまま、痛みに耐えながら、巨狼の動きに集中した。


 そして。巨狼が動いた。


(! 来た!)


 巨狼の、突撃の予兆を見る事が出来た。四肢が力を溜める事で膨らみ、大地を踏みしめる。


「うおおお!」


 ヴァイスは一瞬で気力を瞳から全身へと移し、全力で横へと跳躍。すぐさま、巨狼がその道中全てをなぎ払いながら突き抜けてゆく。

 またもやギリギリではあったが。ヴァイスは何とかその突撃を避けることが出来た。


 滑るように地へと降り立ち、巨狼へと再度目を向けるが。


「……っぐ、くそっ!」


 ヴァイスが苦しそうに呻いた。迷宮に入ってからの無理が祟って来たのか、全身が鈍い痛みを訴えてきた。同時に、瞳の痛みが頭に直接突き刺さるような激痛に変わる。


「ぐうぅぅ!」


 しかし、ヴァイスはそれを唇を噛んで耐えていた。既に、その唇からは血が流れていた。

 そのまま先程と同じように瞳を強化し、巨狼を見据えたのだが。


 巨狼は、笑っていた。紅い瞳を、牙の覗く口を歪ませ、まるで獲物が苦しんでいるのを楽しむように。


 それを目撃して、ヴァイスの胸の奥で何かが脈打った。その感覚に彼は覚えがある。


――そうだ、あの時の力。アレを使えれば!


 思い出す。あの時の感覚を、感情を。

 危険だとは分かっている。それでも、この敵を倒すために、アリスを守るために――!


 ヴァイスは、アリスを脅かす敵への怒りに身をゆだねた。身体の奥深くの力が鼓動を放つ。それに合わせて、彼の瞳が金色に瞬きだした。

 全身に力が溢れてくる。気力による身体強化ではあり得ない位の強化が全身へとかかっていく。


――まだだ、まだ足りない、もっと、力を……!


 巨狼を見据え、奴に勝てるほどの力を欲して、そのために全てを賭けて――


 しかし。

 巨狼は、ヴァイスの準備など待ってはくれない。当然だ、これは命を賭けた戦いなのだから。


「グルアアア!」


 笑っていた巨狼は、ヴァイスの変化に気付いたのか。咆哮を上げながらその口を大きく開けた。


「なっ!?」


 怒りに歪みかけていたヴァイスの表情が、驚愕に彩られた。

 巨狼のその開かれた口から、真っ赤な何かが発射されたのだ。

 それは火炎弾だった。恐らくは魔法なのだろう、生命が放つにしては高温すぎる灼熱の砲弾が、ヴァイスに向けて速射された。


 魔物にも魔法を使える物は存在する。それは冒険者見習いのヴァイスなら知っていて当然の知識だ。

 更には、相手は魔気を纏う様な高位の魔物だ。ならば、魔法だって使えて不思議ではない。


 それなのに、彼はその可能性を完全に見落としていた。

 今まで戦っていた魔狼が魔法を使わなかったから。巨狼の姿がその魔狼に似ていたから。その巨狼の攻撃は突進だけだったから。

 色々と理由はあって、それらは仕方の無い事なのだろうが。やはり一番の理由は。

 彼も、やはり冷静ではいられなかったから、と言う事だろう。


 ゆえに、巨狼の魔法に反応が遅れてしまった。当然、回避行動も遅れてしまう。


 ヴァイスは謎の力を解放しようとしていた事も忘れて、無我夢中で火炎弾を回避する。

 しかし、遅すぎた。


「くっそぉ!」


 火炎弾が凄まじい速度で接近する。

 間に合わず、魔法に巻き込まれる己の姿を幻視したヴァイスが悪態を付いた。せめて先輩だけでもと、アリスを庇うように必死で身を捩る。

 火炎弾に背を向け、アリスを胸に抱き、守るように身を竦める。


 そこで、彼は見た。

 アリスの体から、蒼い魔力が噴出すのを。


 ヴァイスの背後で爆発が発生した。

 耳に痛い破裂音と共に、熱風が背で巻き起こった。それにヴァイスは吹き飛ばされる。


「ぐうぅ!」


 ヴァイスは、背が焼かれるような痛みに耐えながら、なんとか体勢を整えて着地した。

 今起こった事が理解出来ず、答えを求めるように顔を上げる。

 その光景に、ヴァイスは目を奪われた。


 自分達と、巨狼との間。爆発で地が抉れているその場所に。

 半分ほど融解してしまったというのに、その美しさを微塵も失っていない美麗な氷剣が二本。ヴァイス達を守るかのように、交差した状態で空中に浮いていた。

 その氷剣は役目を終えたかのように、その場で粉々に砕け散っていく。


「私も」


 剣が砕ける様を呆然と見ていたヴァイスの耳に、アリスの声が届いた。

 その声に釣られるように、彼はアリスへと視線を向ける。


 アリスは、未だに恐怖を感じてはいる様子だったが。涙に濡れたその瞳には、力強い光を取り戻していた。


「私も、君を守るから」


 アリスが震えた声で言う。それを必死に抑えるように、言葉を紡ぐ。


「こんな所で、死にたくない。君も、絶対に死なせない! 私は君と一緒に、地上に帰るんだから! 二人で一緒に、冒険者になるんだから!」


 恐怖を振り切るようにアリスが叫んだ。それは、彼女の本心だった。心の底から生まれた叫びだった。

 それを受けて、ヴァイスの心も揺さぶられる。またも、頭を殴られたような衝撃を受けた。


 ヴァイスは大切な事に気付いたのだ。なぜ、今まで気付かなかったのだろうか。今まで、当然の様にやっていた事だったのに。


「先輩」


 アリスに触れる所から暖かさを感じる。それが、彼に勇気を与えてくれる。喜びを与えてくれる。

 なぜ、忘れていたのだろう。こんな簡単な事を。こんな大切な事を。


――俺は、弱いんだ。でも、俺は一人じゃない。俺達『無能』は、二人で一つなんだから。


「……はい、一緒に、二人で、生きましょう。こんな所で、俺達は死にはしない。絶対に!」


 絶望的な状況だと言うのに、彼の顔に自然と笑みが浮かぶ。

 もはや、彼の心に恐怖は無く、怒りも無かった。身体の奥で脈打っていた何かは、その姿を消していた。

 それでも良い。あんな力は必要無い。それよりも強い力が、ここにはあったのだから。


 ヴァイスは立ち上がり、巨狼へと真正面から対峙する。腕の中のアリスも、その顔を巨狼へと向けていた。

 ただ、前を見据えている。その巨狼の魔物を正面から見据える。


「グルルオオオオオオ!」


 巨狼が吼えた。魔法ではない、威嚇するように咆哮を上げる。声だけで広間内の空気が痛いほどに振動した。

 しかし、ヴァイスも負けていなかった。

 全身に気力を巡らせ、今までよりも力強く。巨狼にも負けない程に。


「っぅおおおおおおおおおおおおお!」


 広間に、ヴァイスの勇ましい雄叫びが響き渡った。


 ◆


 一体、何度願ったか。一体、何度祈ったか。

 力を、強さを。普通の、皆と同じだけの、たったそれだけの力を。

 力の無い自分を変えたいから。弱い自分を変えたいから。

 馬鹿にされる自分を救いたいから。見下される自分を守りたいから。

 こんな自分でも、誇れる物が在るはずだと、そう、信じたかった。


 でも。

 今は、違う。今までとは、決定的に違う。

 自分のためではなく、この人のために、祈り願う。


 こんな自分を、守ると言ってくれた。こんな自分と、涙を流してくれた。

 大切な。大切な。もしかしたら、自分の命よりも大切な。いつの間にか、それくらい自分の心を占有されてしまっていた。


 この人のために――


 ヴァイスとアリス。

 二人は、力を漲らせる。傷ついた身体を押して、全身全霊でその力を行使する。


 ヴァイスは、胸に抱くアリスを敵の手から守るために、全身に気力を張り巡らせる。

 アリスは、自分を抱くヴァイスの代わりに敵を討つために、魔力とイメージを練り上げる。


 自分ではなく、その身を寄せる相手のために。

 何より大切なお互いのために、彼らはその力を全身に巡らせた。


 それは、無意識の行動だった。意識などしていなかった。

 二人の力が。お互いの触れ合う所から、相手の中に流れ込んでいった。


 普通なら、他人の力を受け入れる事など出来ない。自分の力と干渉して、暴れてしまう。

 それなのに、二人の力にそんな素振りは微塵も無く。静かにお互いへと浸透し、混ざり合う。

 何の反発も、反動も無く。まるで最初から自分の身体に在ったかのように、力が互いの身体を循環した。


 まるで、それが当然と言うように。当たり前の事のように。

 二つの力は、一つと成った。


 ◆


 明かりも少なく、薄暗い広間。

 そこに、突如として光が溢れた。まるで、何も無い所に降って沸いた様に。突然にそれは湧き上がった。

 

 それは、薄紫色の光だった。紅と蒼を綺麗に溶け合わせたような、美しい色をしていた。不純物が何一つ無い、透き通った、まるで宝石のような輝きを放っていた。

 それが。そのが。

 ヴァイスと、アリスの。二人の身体から、湧き上がっていた。


 二人は顔を上げる。巨狼を、彼らの敵を睨みつける。

 その瞳は。 

 其々片方ずつが、紫色に染まっていた。ヴァイスが左の瞳で、アリスが右の瞳。片方だけが、紫の光を帯びていた。

 それは、歪で、奇妙で、彼らが不完全である証であった。


 そう。それはつまり。


 彼らが、二人で一つであると言う、証であった。

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