54.再会

 凄まじい勢いで迷宮六層を駆け抜けたヴァイスが、最奥の結界広間に辿り着いた。そこでようやく、彼はアリスを発見する事ができた。


 アリスは、部屋の隅で泣き喚きながら必死の様相で障壁シールドを張っていた。

 その障壁には三匹ほどの魔狼が群がり、破壊しようと攻撃を加えている。更には五層にも出てきたミノタウロスが、苛立ったような咆哮を上げながら石斧を障壁に打ち付けていた。


「嫌、やああ! 助けてっ! 死にたくない、やだ、ヴァイス君助けてぇ!」


 アリスは錯乱したように声を上げていた。その愛らしい顔を涙でぐしゃぐしゃに崩し、美しい銀髪がぼさぼさに荒れている。


 石斧で打ち据えられる度に光を撒き散らす障壁は、客観的には破られる事は無さそうだった。

 彼女の障壁は、その魔道具ペンダントの力もあってかかなりの強度を誇る。そこらの魔物に破れる物ではない。

 しかし、いくら安全とは言え、逃げる事が出来ない状況で、凶悪な魔物に囲まれ攻撃を受けているのだ。その恐怖は相当な物だろう。

 歴戦の冒険者ならいざしらず、学生の彼女では耐えられなくても不思議ではなかった。


「――っ」


 その光景を目にした瞬間、ヴァイスの心に一つの感情が生まれた。

 それは、アリスを見つける事が出来た事と、状況はともかくとして彼女が無事だった事への喜び。

 大切な人を失わずにすんだ事への、この上ない幸福だった。

 

 しかし、彼がその至福を味わう事が出来たのは、ほんの一瞬であった。

 ついで噴出したもう一つの感情が、彼の全てを塗りつぶした。

 それは、怒りだ。大切なその人を、アリスを傷付けようとしている魔物への、激しい怒り。

 それは彼が今までの人生で感じた事の無い程の怒りであった。思わず我を忘れる程の激情だった。


 ヴァイスの視界から色が消えていく。異常な程の集中に、時間が止まったような錯覚を覚える。

 見えるのは必死に抗おうとするアリスの姿と、それを害しようとする醜悪な敵のみ。


――あれは、なんだ? あいつらは、何をしている? 先輩に、一体、何を――!


 間延びした時間の中で、ヴァイスの思考から余計なモノが削ぎ落とされていく。その視界から敵以外の全てが、アリスすら抜け落ちていった。


 自分の体の奥にあった何かが、はっきりと感じれるほどの鼓動を打った。

 得たいの知れない力の塊。怒りの感情と共に発現した不可思議な力。アリスを求めて走り出してから、だんだんと存在感をあらわにしてきた異常な力。


 いや、そうではない。今だから分かる。きっと、はじめからそれはそこにあったのだ。

 気付かないだけで、それはずっと昔から存在していた。自分には使えないと、今まで手を出さなかったのだ。


 しかし、今。ヴァイスはそれを躊躇無く手にした。一刻も早くアリスを助けるために。一瞬でも早く彼女を害するモノを消し去るために。

 ヴァイスはその力に。怒りのままに、欲望のままに、食らいついた。


「――殺す」


 ヴァイスの表情が怒りに歪む。そして、その黒の瞳が黄金色に染まった。体から同じ色の何かが溢れて、それと同時に全身に強烈な力が満ちていく。


 瞳の色が変わり、体から光があふれ出る。それはさながら強力な魔気を纏ったような様相だった。その色が紅でも蒼でもないという事を除けば、それは普通の力だった。

 しかし、それを纏うのは魔力を持たぬ『無能』。ならば、それが魔気である事はありえなかった。


 それが何かは分からない。もとより、今の彼はそれを知る必要もなかった。そもそも自分の身に起きている変化にすら、彼は気付いていないのだ。

 なぜなら、彼がやらなければならない事は、そんな事ではないのだから。


開放・零カウント・ゼロ


 アリスを助けるために敵を殺す。そのために全てを使う。自分の中の全てをかけてそれを成す。危険も、欠陥も、反動も、影響も、何もかもを捨てて全てを解き放つ。

 今のヴァイスにとってはそれが全て。だからこそ、彼は刹那の逡巡も無くその札を切った。自分にとって最強の切り札を。


 その瞳は敵を捕らえたまま、剣を構え、腰を落とし。

 呟く。


限界突破ブレイク


 ヴァイスの足元の地面に亀裂が入った。次の瞬間、爆裂する黄金の光と共に、ヴァイスの姿はその場から掻き消えた。


 ◆


「やあ、ひっ、助けて!」


 障壁に力任せに石斧が打ち付けられ、その度に障壁がびりびりと振動する。障壁が破られてはしまわないかという不安が、アリスの心を押し潰している。

 もう、持ちそうに無かった。障壁が破られる前に精神が砕けてしまう。止まらない悲鳴に喉から血が出そうな痛みを感じる。


――もう、だめなのかな……


 そんな声が、心の奥底からぽつりと漏れた。両手から力が抜けそうになる。心が、ぽっきりと折れてしまう――


 その時。

 彼女の目に、光が溢れた。


「っ!? きゃあああああ!?」


 それは黄金の旋風だった。自分の障壁の直ぐ前、魔物達の中心で光の洪水が炸裂した。

 その光に魔狼達はバラバラに切り刻まれ飛び散った。ミノタウロスも身体に深い傷を受け、鮮血を吹きながら弾き飛ばされる。

 そしてその光の中心で、剣を振り抜いた姿勢のヴァイスが姿を現した。


「っ!」


 アリスの瞳がヴァイスを映し出す。涙に塗れた顔が、一瞬で歓喜に染まった。

 そしてその名を呼ぼうとして――言葉が続かなかった。


 ヴァイスは、その表情を怒りに歪ませていた。それはアリスも見た事の無い表情だった。ただ激怒しているというレベルではない、狂気すら感じるほどの憤怒。

 そして、普段の彼とは決定的に違うモノがあった。


 それは、瞳だ。

 彼女の脳裏に浮かぶ黒曜石のような瞳が、今は神々まがまがしく金色に輝いていた。

 その色が、アリスの警鐘を激しく打ち鳴らした。理屈ではない根源的な何かが、怖気を感じるほどの忌避感を生み出している。

 人間が失って久しいはずの野生の感覚が、ソレを真っ向から拒否していた。


 あれは、ヒトが手にして良い代物ではない。ヒト如きは手を出してはいけない。アレを手にして良いのは、神か、それとも――


「っおおおあああ!!」


 ヴァイスが背筋の凍るような咆哮を上げた。アリスには目もくれず、今だ息のあるミノタウロスに斬りかかっていく。

 瞬きの内に、ミノタウロスの傷が増えていった。人知を超えた速度で剣が奔り、次々とミノタウロスを切り裂いていく。その腕が切り飛ばされ、その足が切り飛ばされて。

 堪らず、ミノタウロスが悲鳴を上げた。


「――駄目っ」


 その声でアリスは我に返った。その瞳がミノタウロスを切り刻むヴァイスを、しっかりと捉えた。


――このままではいけない。このままでは、ヴァイス君が……!


 障壁を解除し、暴走するヴァイスに向かって手を伸ばし。痛む喉を無視して息を吸い、願うように叫んだ。


「ヴァイス君!!」


 ◆


 声が広間に響いた。その声にびくりと反応し、ヴァイスの顔がゆっくりとその声の方へと向いた。


「アリス、先輩」


 そこには、床にぺたりと座り込み、こちらに向かって右手を伸ばすアリスの姿があった。

 その姿を見たヴァイスの顔から、怒りの感情が呆けたように解けた。そしてその瞳が、元の黒へと戻っていく。


「っ先輩!」


 ヴァイスが部屋の隅に座り込んでいるアリスの元へと、弾かれたように駆け出した。それを、アリスが両手を伸ばして迎える。

 アリスの瞳から涙が溢れた。それを視界に納めながら、ヴァイスは滑りこむようにアリスの傍へと体を落とし、そのまま彼女をしっかりと抱き上げる。


 ずっと捜し求めていた。まるで永遠の時を超えたような錯覚を受けながら、その暖かい感触を抱き締めた。

 

「ヴァイス君、ヴァイス君!」

「先輩、良かった、本当に……」


 感極まったようにヴァイスの名を連呼するアリスに、彼も安堵した表情を浮かべた。

 絶対に離すまいときつく抱き付いてくるアリスが、どうしようもなく愛おしい。出来るなら、ずっとその感覚に浸っていたかった。

 

 だが、そう言うわけにもいかない。ここは変わらず迷宮の中。正体不明の魔物達の中にいるのだ。本当に安心するには、まだ早い。

 ヴァイスは後ろから新たに迫る魔狼の気配を正確に感じ取っていた。


「先輩、しっかり捕まっててください!」


 そう言って、ヴァイスは今までアリスが背を預けていた壁に向かい跳躍した。

 間一髪、ヴァイスが居た場所に魔狼が飛び込んできた。その牙が、既に何も無い場所でがちんと鳴らされる。


 ヴァイスが目の前の壁を蹴りとばした。三角飛びの要領で後方へと跳躍、殺到してきていた魔狼達を飛び越え、その向こう側に着地した。

 二人を追い、振り返る多くの魔狼。ヴァイスがそれらを落ち着いた様子で見渡している。

 相変わらずのその数に内心辟易しながらも対応を考えていると。その視界の隅にミノタウロスが収まった。


 ヴァイスによって無数の斬撃を刻まれたミノタウロスは既に息絶えていた。その無残な残骸を見て、ヴァイスは先の己を振り返る。


――さっきのはなんだったんだ。いつもの限界突破じゃなかった、比べ物にならないくらい身体が軽かった。それに……


 ヴァイスが軽く自分の身体を確認する。限界突破を使ったというのに、反動を受けた様子が無い。そもそも、アレは本当に限界突破だったのだろうか。

 怒りに我を忘れていたために、自分が何をしたのかいまいちハッキリしない。ただ、今までよりも遥かに強力な力を手にしたのは間違いない。

 ならば、もう一度さっきの力を使えれば――


「ヴァイス君、怪我してる……。傷が、こんなに」


 悲痛な声に反応して視線を下げれば、見えたのはヴァイスを見上げるアリスの姿。

 いくらか落ち着いたのだろう、泣き止んだアリスは状況を把握しようとして、ヴァイスの怪我に気付いたようだ。


 心配そうに眉をよせて、涙に濡れた瞳を真っ直ぐ向けてくるアリスの姿。それを目にし、ヴァイスは思考を切り替えた。


――駄目だ。あの時俺は、先輩を見失っていた。先輩よりも敵を殺す事を優先していた。それは、駄目だ。


 アリスを抱える腕にほんの少し力を込めて、ヴァイスはうっすらと笑顔を見せる。


「コレぐらい、なんでもないですよ。それより先輩は大丈夫ですか。どこも怪我してませんか」


 ヴァイスに返事するかのように、アリスが頷いた。確かにパッと見て彼女に外傷は見当たらない。

 ならば、と。ヴァイスは相対する魔狼達を見回して、


「先輩、やれますか?」

「うん、まだ魔力は残ってる。でも、どうするの、逃げるの?」


 アリスも顔を魔狼達へと向けて、これからの行動について聞いてきた。

 その問いに、ヴァイスは今までの情報を思い浮かべる。

 今の状況、地上までの道筋、仲間達の動向。それらをまとめて、最善を考えた。


「……逃げるのは難しいでしょう。通路にも無数にあいつらがいます。狭い所で囲まれるのはまずい。ここのほうが、広い分安全に戦えると思います」

「でも、あれはどんどん沸いてきてるよ」


 アリスの言葉どおり、ヴァイスが来たのとは逆側の出入り口から、魔狼が続々と広間へ入ってきている。

 それでも。一体一体はたいした事がないのは今までの道のりでも証明されている。自分達二人が揃えば負けることは無いと、ヴァイスは確信していた。


「奴らを迎撃しつつ助けを待ちます。ゲイル達が後から来てるはずですから。あいつらがいれば、こんなやつら敵じゃないですよ」

「分かった。でも、本当に大丈夫? 傷がひどいし、それに……」


 アリスが顔を歪めている。

 ヴァイスの怪我から、彼がかなり無理をしてここに来たのであろう事が予想できた。

 今この迷宮は相当な数の魔狼が徘徊しているはずだ。きっと、その中を無理矢理突っ切ってきたのだろう。自分を助けるためにそうしたのは素直に嬉しい事なのだが。同時に苦しい事でもあった。

 そして、先ほどのヴァイスの異変。それがアリスの心の隅で、小さなトゲのように引っかかっていた。


 だが、ヴァイスも軽く首を振って応えた。それは強がりでもなんでもない。

 アリスを無事に救出出来たのだ。いまさら身体の怪我など、なんの障害にもならなかった。


「大丈夫です、攻撃を避けるくらいなら問題ありません。その代わり、あいつらを倒すのは任せても良いですか」

「……分かった、頑張る」


 心配無い、とでも言うように笑っているヴァイス。そんな彼にアリスも微笑を返した。


 その表情に、先程のような絶望は無い。障壁で守られた場よりも遥かに安心できる場所に、今はいるのだ。

 状況はたいして変わらない。いまだ魔狼の群れに囲まれた状況だ。それでも、もはや恐怖は存在しない。


 アリスが右手を天に掲げる。その身に、蒼い魔力が浮かび上がった。


「練習しててよかったよ。まさか、こんな早く使うなんて思わなかったけど」


 そう言いながら、アリスが魔力を操作する。イメージを整え、密かに練習していた魔法を唱えた。


踊る氷剣アイシクルエッジ二重奏デュオ!」


 アリスの身体から魔力があふれて、そこから二つの氷塊が生まれた。それは瞬く間に圧縮され、音を立てて砕け散る。

 幻想的に輝く無数の氷片のその奥から、一対の透き通る氷剣が姿を現して、


「さあ、いくよ!」

 

 その二本の氷剣は、踊るようにヴァイス達の周りを旋回し始めたのだった。

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