52.ただ一つの想い
ヴァイスが迷宮の通路を駆けていく。
何処か傷を負っているのかその身は血で汚れ、吐く息は荒い。それでもがむしゃらに通路の奥へと駆け抜けていく。
無我夢中で走り出してから、一体どれだけの時間がたったのだろうか。実際の所はそんなに時間はたっていない。しかし、彼にとっては永遠にも思える時間だった。
何時の間にか、自分でも気付かぬ内にヴァイスは駆け出していた。後ろから呼ぶ仲間の声も、唯の音としか認識出来ていなかった。
彼を支配していた想いはたった一つ。もはや彼にはその事しか考えられなかった。その想いが彼をひたすらに突き動かしている。
「先輩――アリス、先輩!」
ヴァイスの手にはギルドカードが握られていた。そのカードがパーティー登録した者の、アリスの位置を教えてくれる。カードから浮かび上がった光が、ヴァイスの行く道を示している。
その光の先を目指して、ヴァイスは全力で突き進んでいく。
そして、その道を阻むかのように通路奥から魔物達が姿を見せた。それは、漆黒の狼の魔物だった。
冒険者見習いとして少なくない魔物の知識があるヴァイスにしても、初見の魔物。正体不明の魔狼の群れが、彼を邪魔するかのように立ち塞がっていた。
魔狼共が唸りを上げる。凄まじい勢いで来るヴァイスを迎え打たんと、紅い瞳が不気味に輝いている。
しかし。
「邪魔だ!」
薄暗い空間に銀の剣閃が閃いた。正確無比に一切の容赦無く、それが魔狼の首を斬り飛ばした。
ヴァイスは最初から
否、気力といわず、彼はその全てをかなぐり捨てていた。
魔狼の群れに突っ込み、進行上の障害物のみを切り捨てて先へと走る。周りから反撃の牙や爪をその身に受けても、一切構わずに駆け抜けていく。
その瞳はただひたすらに前のみを見ていた。ただひたすらに、アリスの元に辿り付く事だけを考えていた。
そうしていないといけなかった。たとえ一瞬でも立ち止まる事は許されなかった。
でなければ、余計な事を考えてしまう。決して受け入れられない光景が、頭の隅をよぎってしまう。
再現無く沸き続ける魔狼。その群れの中に取り残された一人の少女。その少女の末路が、どうなってしまうのか。
想像するまでも無い。そんなもの、結末は一つしかない。
それは、群がる魔狼に無残にも食い散らかされた、一人の少女の成れの果て。
その少女の、銀髪で小柄ナ少ジョのメガネの奥ノひかリをウシナッた瞳ガオレヲミアゲテ――
「っがああああああああ!!」
ヴァイスが獣のような咆哮を上げた。生まれてしまった幻覚を振り払うように、全てをはき捨てるように声を張り上げる。
――止めろ、考えるな。先輩は無事だ。絶対に生きてる。こんな所で死ぬもんか……。
余計な事を考えている時間は無いのだ。そんな暇があるなら一歩でも先に進まなければならない。
ヴァイスは自己暗示にも似た思考で脳内を埋める。立ち止まってしまった身体を動かすために、無理矢理にでも希望を燃やす。
――そうだ、死ぬわけがない。こんな迷宮で、たった一人で。そんな事、絶対に……!
苦しくて息が詰まった。そして、ふつふつと湧き上がってくる怒り。それに呼応するかのように、胸の奥底から何かの鼓動が聞こえた。
――絶対に、許さない。そんな最後は許さない。誰が何と言おうと、そんなモノ、俺は絶対に認めない!
そこで、動きを止めた彼に向かって、魔狼が飛びかかってきた。
その身を食いちぎらんと牙を剥き、切り裂かんと爪を振る。漆黒の魔狼が三体、無防備な少年に一斉に襲い掛かった。
「
ヴァイスの体が跳ねるように動いた。反動を無視した強化が身体にかかり、その剣速が跳ね上がる。
そのまま、飛び掛ってきた魔狼に向かって剣を振った。力任せに、八つ当たりとばかりに斬撃を重ねていく。
銀閃が縦横無尽に奔り、一瞬後鮮血の花が咲いた。バラバラに解体された三体の魔狼が、影と散りながら地に落ちる。
その中心にいたヴァイスが行動を再開した。迷宮の奥を目指し、地面を砕く勢いで駆け出した。
「邪魔を、するな!」
鬼気迫る表情でヴァイスが駆ける。その通り道に魔狼の死体がばら撒かれた。
何者にも彼を止める事は出来ない。彼の前に立ったが最後、尋常じゃない速度の剣に切り飛ばされた。
腹の底から怒りと共に、何かが生まれる感覚があった。それはじんじんと熱を持ち、全身にじわじわと広がっていく。
得体の知れない何かが体の奥底に潜んでいる。それが何かは分からなかった。いや、ヴァイスは分かろうともしなかった。
段々と上がっていく己の剣速も、怒りに反して研ぎ澄まされていく己の感覚も、その全てを無視して。ただ前へとヴァイスは突き進んでいった。
◆
五層最奥の結界広間。そこにたどり着いたヴァイスの目に、広間を占拠した魔狼達の姿が写った。
その数に舌打ちしつつも、躊躇わず広間へと突入する。階段へ続く通路を見据えて、その道を塞ぐ魔狼のみに意識を向ける。
その数は四体。なにも問題は無い。邪魔するものは全て切り捨てるのみ。
剣を握る手に力を込めて、敵へと向かわんとした、その時。
「――何!?」
巨大な魔法陣が突如広間の中心に生まれた。ヴァイスは慌てて飛び退いたが、近くに居た魔狼がその身を闇へと崩し魔法陣へと吸収されていく。
それは、召還陣だった。近くの魔狼を食らった漆黒の魔法陣はその姿を肥大化させると、一度脈打ち輝きを放つ。その中心から一つの影が、炎のように揺らめき立った。
影が、一つの形を作っていく。それは、彼もよく知っている魔物であった。
「ミノタウロス――」
猛牛の頭を持った半牛半人の魔物。知名度だけならスライム並みに良く知られた魔物だ。しかし、その危険性は比べるまでも無い。
それは、駆け出しの冒険者には荷の重い相手であった。魔気を使えないヴァイスにはなおさらだった。
牛頭には大きな角を持ち、漆黒の瞳がギラギラと不穏な輝きを放っている。
その鍛え上げられた筋肉に覆われた身体は、背丈どころか身体そのものが人類であるヴァイスよりも巨大だ。
そしてその右手には、大岩から切り出したかのような無骨な石斧を持っていた。それはかなりの大きさだが、ミノタウロスの手にあっては小斧のようだった。
その瞳が、ヴァイスをとらえた。彼を敵と認識したのだろう、まるで威嚇するかのように、天に向かって唸り声を上げる。
「グルオオオォォォッ!!」
轟音が破裂し、広間内の空気を振るわせる。その迫力たるや、一般人ならすくみ上がって身動きも取れない程だろう。
それをヴァイスは真正面から受け止めていた。
怯む様子は無い。その表情に浮かぶのは苛立ちのような感情だった。
恐怖など微塵も感じない。あるのは邪魔者に対する怒りと、一刻も早く先へ行きたいという焦れた気持ちだけだ。
しかし、魔狼達ならいざ知らず、ミノタウロスともなると魔気を持たぬ自分では簡単には倒せない。
それを判断したヴァイスは、すぐさま行動を開始する。
ヴァイスの足が地を蹴った。その身が瞬時に加速し走りだす。向かうのはミノタウロスではなく、その横の空間だった。
それは、逃げの一手だ。立ち塞がるミノタウロスなど無視して、先の通路へ向かって駆け抜ける。こんなモノの相手をしている暇は無い――!
しかし、猛牛の魔物はそれを良しとしなかった。
「っ! 速――」
ヴァイスの口から驚愕の声がもれた。
その巨体からは想像も付かない初速で、猛牛の魔物が動き出したのだ。それはヴァイスをも超える勢いだった。逃げようとする彼の前に躍り出て、彼を切り払おうと石斧が振るわれる。
瞳の身体強化にてそれを見切ったヴァイスは、辛うじて自らの剣でそれを受け止めようとして、
「ぐっ!」
ミノタウロスの怪力に押され、弾き飛ばされてしまった。
咄嗟に威力を受け流しつつ自らも後方へ飛ぶが、流しきれずに両手に痺れるような痛みを受ける。
「っち!」
ヴァイスは舌打ちしながら体勢を整える。着地には成功するが、目的の通路から離されてしまった。
そしてその直線上に、ミノタウロスが陣取っている。
「逃さないってか? この、野郎!」
ヴァイスが怒りに任せて気力を昂ぶらせた。普段と比べると異常なほどの力が湧き上がってくる。腹の底にある何かが脈打ったような幻覚を覚えた。
しかし、それでも足りない。これでは、この魔物を倒すには時間がかかりすぎる。
ならば、どうすればいい? どれだけの力を解放すれば、こいつを瞬殺する事が出来るのか?
「……二つ……三つ」
ミノタウロスと対峙しながら、ヴァイスが呟く。その瞳は敵の全てを見抜くかのように動き、己との戦力差を測っていく。
ミノタウロスが唸り声を上げ、こちらへ突撃してきた。その石斧を振り上げ、真っ直ぐにヴァイスに向けて振り下ろしてくる。
人など一撃で潰せような質量が、空を裂きながらヴァイスに迫ってきた。
「……四つ……五つ」
ヴァイスの瞳がそれを正確に見切る。とてもではないが剣では受けきれない。ゆえに、彼は横に身体をずらして回避する。
斧が地に叩きつけられ亀裂を生んだ。そしてそのまま、その斧が横に逃げたヴァイスに向けて跳ね上がった。
まるでヴァイスの動きを読んだかのような斧の軌道。しかし、ヴァイスの瞳もそれを読んでいた。
「……六つ」
ヴァイスが振り上げられる斧を後方に飛び退いて回避する。地を滑るように着地したヴァイスと、ミノタウロスの距離が開いた。
上手く回避しているヴァイスに苛立ったのか、ミノタウロスが一声唸り声を上げる。先ほどと同じように、斧を振り上げながら突進を仕掛けてきた。
ヴァイスの瞳が、その動きを射抜く。敵の挙動を完全に把握し、己の力を正確に把握し、必要な力を計算し。
気力を操作しつつ、呟く。
「
ヴァイスの身体がブレるように動いた。次の瞬間、まるで霞みのようにその場から掻き消える。そこに、ミノタウロスの斧が叩きつけられた。
ミノタウロスが、ヴァイスの姿を見失った。人ならば、その表情は驚愕に彩られていただろう。
そんなミノタウロスの背後に、ヴァイスが出現していた。
それは、ブラッドとの決闘でも見せた裏周り。あれよりかは速度で劣っていたが、それでもミノタウロスには捉えきれない程の動きだった。
そうして、背後を取ったヴァイスが剣を横に構える。限定開放は今も有効で、腕に過剰な強化がかかっていた。
「っはああ!」
筋肉で覆われたミノタウロスの太い首。無防備なそれへ、全力の剣が横一閃に叩き込まれた。
限定開放により凄まじい速度で剣閃が奔った。それは闇夜を切り裂く雷のごとく。ミノタウロスの首を一刀の元に断ち切ったのだった。
◆
ミノタウロスが地に倒れ付したのを確認して、ヴァイスは通路へと振り返った。そして駆け出そうとして――苦悶の表情でその場に蹲る。
「っぐ、あ、があっ」
限定開放の反動がヴァイスを襲っていた。七割も開放したのだ、全開ではないとは言えそれ相応の衝撃が全身に返ってくる。
それでなくても、ヴァイスの身体は既に傷だらけだったのだ。全身を赤く染めている傷が、反動に乗って急激に痛み出した。
しかし、そんな事で止まるわけにはいかない。ヴァイスは痛む体を無理矢理に抑え、一歩を踏んだ。
「ちく、しょう、早く、行かない、と……!」
歯を食いしばり額に汗を滲ませながら、ヴァイスが立ち上がる。気を抜くと倒れそうな身体に鞭打って駆け出した。
その速度は目に見えて遅くなっていた。それでもヴァイスは走る。ただただ、アリスの元へと辿り付くために。
その目が、六層への階段を捉えた。ギルドカードは相変わらずに下の階層を示している。
「先輩、待って、いてください、もう直ぐ、着きますから……!」
アリス達二年の課題が六層までだという事は事前に聞いていた。ここまでに居なかったのだから、アリスが居るのは六層のはずだ。
ヴァイスは己の考えを信じて、この下にアリスが居る事を信じて。
六層への階段を、転げ落ちるように下っていった。
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