49.吹き出す脅威

 二層の奥側結界広場にて。

 そこには、若干疲れた様子で床に座ったヴァイス達の姿があった。


「これで何体だ?」

「九十二、ですかね。もうちょっとで終わりですよ」

「皆タフだよなぁ。俺さすがに疲れてきたぜ……」

「いや、これだけ連続戦闘してれば疲れもするよ。まぁ、もう少しだから頑張ろう」

「ぬあああ、分かってるって! うおおおおお!」


 無理矢理な様子でエリオスが気合を入れている。そんな彼を見て、他の面々が苦笑していた。

 何にせよ、課題ももうすぐ達成である。そうすれば、迷宮を出て上で待つ先生方に報告して、それで今日の講義は終了だ。


 今日も何事も無く終わる。さて、講義後は何をしようか、なんて事をヴァイスが考え始めていた、その時。


「……あ? なんだ、ありゃ」


 不意にゲイルが声を上げた。ヴァイスがその声に反応して彼を見ると、どうやら結界広場の奥、三層への通路を見ているようだった。


「どうかした?」


 ヴァイスもそちらへと目を向けた。そしてその目に映った光景に、首を傾げる。

 それは、数人の学生が結界広間へと駆け込んでくる所だった。

 彼らは尋常でないほどに急いでいる様子だった。それだけでなく、良く見るとほとんどの者が負傷していた。


「なんだ? なんかミスったのか、あいつら」

「そうなのでしょうか。奥から来たという事は、二年の方々ですよね。……何か、様子が変ですね」


 リリカの声が、不審に色濃く染まった。困惑したように開かれていた瞳が、睨みつけるように鋭く変わる。


 彼らは結界広間に、つまりは安全地帯に入ってきたというのに、その足を止めなかった。

 駆け込んできた勢いをそのままに、反対側の出口へと走り抜けていく。


 一体何があったというのか、彼らの表情には一様に一つの感情が浮かび上がっていた。

 その感情の名は、恐怖。皆が何かに怯えたような表情を浮かべ、悪い者は顔を真っ青に染めているほどであった。


 その様子を見たヴァイスの胸に、ざわりとした不安が広がってきた。唐突に、先程感じた悪寒を思い出した。

 馬鹿な、あれは俺の勘違いじゃなかったのか、と。そんなヴァイスの思いを裏切るかのように、更に多くの学生達が結界広間へと駆け込んでくる。


「おいおい、まだ来るぜ。一体何が……、って、先輩!? どうしたんスか!?」


 知り合いを見つけたらしく、エリオスが跳ねるように立ち上がった。それにならい、ヴァイス達も立ち上がる。

 エリオスに呼ばれたらしい学生は、こちらを見て驚いたように目を見開くと、足早にこちらへと駆け寄ってきた。


「エリオス!? お前、こんな所でなにしてんだ!?」

「いや、何って。一年の課題っスけど」 

「課題!? もう二層まで来てんのかよ? って、そんな事は良い! お前らも速く逃げろ! 今すぐ迷宮を出るんだ!」

「は? いやいや何言ってんスか先輩。俺は今課題中だって――」

「だから、そんな事言ってる場合じゃ無いんだよ!」


 切羽詰ったようにまくし立てる二年の学生。そこに、リリカが割って入った。


「何があったんですか。そんなに慌てて、何かトラブルですか?」

「魔物だ! この迷宮のモンじゃねえ、おかしな魔物が、下層から溢れ出てきたんだよ! 速く逃げないと、直ぐにココまで上がってくるぞ!」


 その言葉に皆が驚く。それは、にわかには信じ難い話であった。


「魔物だぁ? そりゃホントかよ、冗談だったらタチ悪ぃ――」

「冗談なわけないだろうが!? もう良い、俺は行くからな! お前らも速く逃げろよ!」


 ゲイルの軽口を遮るように怒鳴り散らし、その学生は出口へと駆け出した。余りの剣幕に、ゲイルも呆けた様な顔を見せる。

 だがしかし、その必死さが、彼らに事の重大さを知らしめた。気付くと、既に続々と二年の学生達が結界広間へと駆け込んできていた。

 やはり皆同様に、恐怖にかられたような表情を作り、どこかしら傷を負っていた。それは強大な敵との戦闘の爪痕のようで、先の話が真実であるという証拠のようでもあった。


 ヴァイスが、緊張から喉を鳴らした。先程から心臓がバクバクと鳴り響いている。得体の知れない不安がどんどんと広がっていく。

 そしてその目は、三層へと繋がる通路を凝視していた。


 違う。違う。違う。

 駆け込んでくる者達を一人一人確認し、その人を探した。二年の、彼らと同じように課題で潜っているはずの、その人を。


 そして遂に、待望の者達が駆け込んできた。

 艶やかな紺の長髪の少女と、茜色の髪をサイドテールに纏めた少女。

 何故かくしゃくしゃに顔を泣き濡らしたティオと。他の者達同様に傷を負い、険しい表情を見せているセシリアだった。

 そして。


「……いない」

 

 感情の無い、魂の抜けたような声が、ヴァイスの口からこぼれ落ちた。

 足りなかった。欠けていた。ヴァイスの待ち望むその人の姿が、そこには無かったのだ。


「ちょっと待て!」


 堪らずと言った様子で、ゲイルが二人の前へと躍り出た。

 ティオが驚き声を上げ、セシリアも一瞬驚愕の表情を作り、


「あんた達、まだココに――」


 セシリアの表情が、瞬時に怒りに染まった。


「どきなさい。今はあんたに構ってる暇は無いの。速く上の、先生達を呼んでこないと――」

「うるっせえ! んな事よか、センパイはどうしたんだ! なんで一緒に居ねぇんだ!?」


 ゲイルの怒号が響く。その爆音に、ティオの顔が悲痛に歪んだ。セシリアも歯を食いしばる。それは、悔しさを堪えているような表情だった。

 そんな二人を見て、ゲイルの頭にも血が上っていく。最早彼には答えが分かっていた。それはつまり。


「お前ら、まさか、センパイを見捨てて来たのか?」

「っ! そうよ! あの子は置いてきた! それしか無かったのよ、私には! だからどいて、速く上に伝えないと!」


 震えるゲイルの声に、セシリアが応えた。感情を押さえ込もうとするゲイルとは反対に、感情を爆発させるセシリア。

 お互いに一歩も譲らずというように睨み合う。感情の高ぶりからか、その体から魔気まで滲み出てきた。

 まさに一触即発と言った状況に。突如、リリカの驚愕の声が響き渡った。


「ヴァイス!?」


 その声にゲイル達が振り向くと。

 リリカは何かを掴むように手を伸ばし、しかし捕まえきれず空を握っていた。

 その先は、三層への通路。そこに、凄まじい勢いで駆けて行く何者かの後姿を辛うじて見ることが出来た。


「な!? 待ちやがれ、ヴァイス!」


 ゲイルも慌てて声をかけるが、それで止まるはずも無い。そんな事百も承知なゲイルが、すぐさま己も行動を開始する。


「ちっ、もう良い! お前らはとっととセンセイを呼んで来い! いくぞ、リリカ!」

「ええ!」


 ヴァイスの後を追うために、三層へと駆け出すゲイル達。それに驚いたように、セシリアの声を張り上げる。


「待ちなさい! あんた達だけじゃ――」

「んな事言ってる場合じゃねぇだろうが! 俺達は、仲間を見捨てたりしねえんだよ!」

 

 それだけ叫び、ゲイル達は全力でヴァイスの後を追いかけていった。


 ◆


「待て、ヴァイス! 一人で突っ走るんじゃねぇ!」


 三層へと降り、叫ぶゲイル。しかし、そこにヴァイスの姿は無かった。

 替わりにあったのは。


「! あれが、件の魔物ですか?」


 それは、狼型の魔物だった。大きさは人間より少し低いくらい、全身を黒い毛で覆われ、瞳だけが真っ赤に輝いている、魔狼。

 三層の結界広間は、既にその群れに占拠されていた。


「こいつら、結界に入ってきてんな。なるほど、下から溢れてきたってのはマジなのか。……ヴァイスの野郎は何処行きやがった?」

「ゲイル、あれを」


 ゲイルが、リリカの指差す方向を見つめる。そこは、広間の出口付近。その床に、綺麗に首を切り飛ばされた魔狼の死体が残っている。その死体は、見る間に形を崩し影へと消えていった。


「あいつ、無理矢理押し通って行きやがったのか。ちっ、無茶しやがって」

「ですが、少なくとも勝てない相手では無いようです。……ゲイル、あなたもヴァイスの後を追って――」

「駄目だ。後衛のお前を置いて行けるかよ」


 ゲイルが即答した。

 確かに、ゲイルならこの魔狼の群れを突っ切って先に進む事が出来るだろう。近接戦闘の得意な彼なら何の問題も無いはずだ。

 しかし、リリカはどうだろう。いくら過去に剣を習っていたとは言え、今の戦闘スタイルはあくまで後衛の魔法使いなのだ。接近戦が苦手とまでは言わないが、それでもゲイル達と比べると見劣りしてしまう。

 そんな彼女を、前衛も無しに敵の群れの中へ残して、自分だけ先へと進む。そんなもの、ゲイルにとっては選択肢にすら入っていなかった。


 ヴァイスは大切な仲間だが、それはリリカも同様なのだ。


 ゲイルが、その背に担ぐ大剣を振り抜いた。そのまま構え、魔狼達と対峙する。


「くそが、仕方ねぇ。こいつら潰すぞ」

「急いで追わないで良いんですか?」

「コレぐらいならアイツは死にはしねぇよ。センパイだって、簡単に死ぬようなタマじゃねぇ。アイツなら、きっとセンパイと合流できる。そうすりゃ、それこそ負けはしないだろ。それより、挟み撃ちにでもされたらめんどくせぇからな。全部始末して先にいくぞ」

「……分かりました。それなら、私が一気に殲滅します」


 言いながら、リリカも腰の細剣を抜き、構える。

 二人の身を魔気が包んだ。真紅と薄蒼の魔気が広間を照らしている。更に、リリカの足元には魔法陣が浮かび上がってきた。


「げっ、いきなりソレかよ。魔力持つのか?」

「ちゃんと調整します。それより、巻き込まれないようにしてくださいよ。撃つ時は合図しますから」

「了解。少しでも減らしといてやるよ!」


 ゲイルの言葉を皮切りに、戦闘が始まった。

 紅い魔気を纏ったゲイルが、狼の群れの中へと突撃していく。

 大剣の一振りで複数の狼を薙ぎ倒し、切り崩し、ねじ伏せる。そして、その後ろで唱えるリリカの詠唱が、広間へと響き渡った。


『蒼く輝く雷よ、疾く奔り彼の者達を絡み取れ』


 右手に持った細剣を正面で横に構え、左手を添える。まるで杖のように細剣を扱い、魔法の詠唱を続けていく。

 纏う魔気が流れを生み、彼女の正面に集まりうねりを作る。


『その姿は獣を縛る鎖が如く、数多の敵をこの手に縛れ!』


 集まった魔気が一点に集中して、そこから蒼く輝く雷球が生まれた。それは爆発する時を待っているかのように、放電しながら激しく脈動している。


「ゲイル、撃ちますよ!」


 放った警告に、ゲイルがその場を飛び退いた。

 射線が通ったのを確認して、リリカが一息吸い、唱える。


「――蒼雷の鎖ライトニングチェイン!」


 雷球から、一条の雷光が空間を切り裂くように走った。それはそのまま手前の魔狼を打ち据え感電させ、更に他の魔狼へと枝分かれしつつ連鎖していく。

 瞬く間に、広間内の魔狼全てが雷鎖に繋がれた。明滅する蒼い光が、その全てを焼き焦がす。

 放電の音に紛れて、魔狼の群れから短い断末魔の悲鳴が聞こえた。そして雷光が止んだ時には、その全てがその場に崩れ落ちたのだった。


「……広間内の殲滅を確認。さあ、ヴァイスを追いましょう」

「おう。通路にもこいつらがいるだろうから、俺が先だ。少数は剣で、群れてたら魔法で対処するぞ」

「わかりました」


 会話も短く済ませて、二人は駆け出した。

 目指すは、ヴァイスとアリス。大切な仲間達と共に、地上へと帰還するために。

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