48.邪悪に踊らされし者

 時間は少し遡る。


 そこは訓練迷宮の十層、つまりは迷宮の最下層。そして、その最下層には迷宮主マスターの部屋が存在する。その名の通り、迷宮のボスが居る部屋だ。

 ただし、この訓練迷宮には主が居ない。

 主の基本的な仕事は、迷宮最奥に存在するを守護する事だ。そして、訓練迷宮ではそれを守護する必要が無いため――目的が迷宮の攻略では無いために――、主は配置されていないのだった。


 そして、そんな迷宮主不在の部屋の、更に先にある広間。


 広間の中央には、真っ白な石柱が立っている。そしてその上に、人の頭程の大きさの物体が設置されていた。

 その物体は不自然な程に綺麗な多面体で、色は蒼く、更に明るい蒼光を放つ文字が表面にびっしりと刻印されていた。全体が脈動するように淡い光を放っており、薄暗い部屋を幻想的に照らしている。良く見ると、その物体は支柱からわずかに浮かび、ゆっくりと回転しているようだった。


 そんな、初めて見た者はすべからく魅了されるかのような、魅惑的で不可思議な物体。これこそが、訓練迷宮を生み出し操作する、迷宮核ラビリンスコアである。

 言うなれば、ここは迷宮の心臓部。本来なら迷宮主に護られるべき最重要フロアである。


 その部屋に、一人の男が足を踏み入れた。


 誰の目から見ても異様な男だった。

 ここは魔物の蠢く迷宮の最深部だ。いくら学生の訓連用とは言え、無傷で突破する事は難しいはずである。にもかかわらず、その男の身体には傷一つ見当たらない。とてもじゃないが、迷宮を抜けてきたとは思えない様相だった。

 ならば凄腕の戦士なのかと思えば、その身のこなしは一般人と見紛う如く隙だらけで。それどころか、酒に酔っているかのような、または夢遊病にでもかかっているように怪しい足取りだった。


 そんな、この神秘的な場には不釣合いな動向の男が、ふらふらと迷宮核へと近づいていく。


「へへっ、本当に、楽勝だった。この指輪はすげぇ。あの人の言ったとおりだ……」


 己の指にはめたシンプルな装飾の指輪を撫でながら、男が呟く。迷宮核を見つめるその顔を、蒼い光が照らし出した。


 その言動のおかしな男は、ブラッドであった。確かに、間違いなく、その顔はブラッドの物だった。しかし、その表情は異常の一言に尽きる。

 その目は血走り、焦点が合っているかも怪しい。口端が吊り上り、歯を剥いて嗤っている。理性というモノが抜け落ちてしまったかのような、狂気的な、狂喜的な表情だった。


 彼は六層でパーティーメンバーと別れた後、一直線にこの部屋を目指した。道中の魔物は隠密の指輪を使って回避してきたので、それほど時間はかかっていない。その指輪の力は本物で、魔物達はブラッドに気付く様子すら無かった。まさに彼の言葉通り、ここまでの道のりは楽勝だったのである。

 そして、仲間と別れる際にはまだまともだった彼は、迷宮核に近づくにつれてその精神を異常化させていた。そして今、両手を広げ心酔したような目で迷宮核を見つめるブラッドに、もはや地上での面影は無い。


「これだ……! これで、あいつらを……、俺を見下した奴らを――」

 

 ぶつぶつと呟きながら、ブラッドが腰に下げた袋から何かを取り出した。拳ほどの大きさの丸い石に、金属の足が六本付いたような異物。その石に文字が刻まれている事から、それも魔道具であろう事が予想できた。


 ブラッドが手に持つそれに魔力を通した。すると、石に刻まれた文字が薄ぼんやりと光り、がしゃりと六足が開き蠢く。その姿はまるで生きた蜘蛛のようで、無機質な道具とは思えぬほど気持ちが悪い。

 その魔道具の開いた足を、ブラッドが迷宮核に向けて、


「く、はははは、これで……!」


 歪な笑い声を上げながら、迷宮核へと叩きつけた。乱暴に扱われた事にたいする抗議なのか、魔道具の足がやかましく動く。そしてその後、観念したかのように一度静まると。大きく足を開き、迷宮核をがしりと掴んだ。

 魔道具の石から足へと魔力が伝わり始めた。それは迷宮核にまで到達し、その表面を流れていく。

 

 そうして、迷宮核に接続された魔道具は起動した。低い音を立てながら、石が光を発し始める。それに呼応するかのように、迷宮核も明滅し始めた。


 音が段々高くなっていく。光が段々強くなっていく。金属の足を伝う魔力はその量を増し、さらには火花まで散り始めた。何か大きな力が、迷宮核に干渉し始めている。迷宮核が唸るように音を立てるのは、それに対抗しているかのようだった。

 そして、音と光が一層強くなったその時――魔道具の魔力が、変質した。薄い蒼の光りだったものが、する。魔道具から生まれた漆黒が、一息に迷宮核を侵食した。


 迷宮内の空気が、変わった。

 いや、変わったのは迷宮そのものだ。それが、根本から別の物に置き換わった。

 ほんの一瞬、瞬きの内。もしかしたらそれすらも届かない短い時間。ここに、全く別のなにかが顕現した。


 次の瞬間、激しい光と共に魔道具から衝撃波が発生した。それはかなりの威力を持っており、傍に居たブラッドを吹き飛ばした。


「ぐあっ!?」


 ブラッドが吹っ飛ばされて地を転がる。無様な姿だが、そこは腐っても戦士。悪態を付きながらも素早く起き上がり、一体何が起きたのかと魔道具へと目を向ける。

 そこにあったのは、魔道具によってほんの少し傷の付いた迷宮核と、弾け飛んだらしい魔道具の残骸だった。


「は……? まさか、失敗か?」


 目の前の光景が信じられないといった様子で、呆然とするブラッド。そしてすぐさま、その顔が憤怒で赤く染まった。


「……ふっざけるなよ! こんな所まで来て、俺を馬鹿にしてやがんのか!?」


 激高し叫ぶ。期待を裏切られたと、頭に血を上らせ怒りに狂いかけた。

 その時。


「グルゥゥァアアア……」


 唸り声が辺りに響き渡った。地が震えるような重い声。それが、ブラッドの居る部屋の外から聞こえてきた。

 そこは、迷宮主の部屋。今は何者も居ない部屋だったはずだ。しかし、そこに何かが居る。

 ブラッドが今までの人生で感じた事も無い程の巨大な気配が、部屋の外にあった。


「まさか……」


 ブラッドがふら付く足で部屋を出る。そして、その気配の正体を確認して目を見張った。

 そこに居たのは。


 巨狼だった。二年の中でも上位の長身を持つブラッドさえ、見上げなければならない程の巨大な狼。


 暗い部屋に浮かぶそのシルエットと、真紅の瞳。辛うじて見えるのはその程度だったが、それでもその魔物は圧倒的だった。

 ブラッドはここに下りてくるまでに多くの魔物を見てきたが、そんな物はコレと比べるとクズに等しい。


 こんな魔物、学生の訓練場には存在しない。間違っても存在してはいけない。

 それどころか、大陸中を探してもここまでの魔物は発見できないだろう。人類の支配圏であるこの大陸には、このように凶悪な魔物はもはや生存していないはずなのだから。


 ならば、答えは簡単だった。迷宮核に取り付けた魔道具。あれが、コレを呼んだのだ。

 あの、怪しい男から譲り受けた魔道具。あれがこの魔物を呼んだ。それがブラッドの導き出した結論だった。


 その考えに間違いは無い。しかし、それだけでは足りなかった。

 正しくは、あの魔道具に込められていた魔力が原因だった。あの漆黒が迷宮核に干渉し、迷宮をのだ。王都の優れた魔法使い達が改造した訓練迷宮から、の迷宮へ。

 魔道具が小さく粗末だったせいで、その変化は一瞬だったが。そのたった一瞬で、迷宮はソレを呼んでしまった。


 学生の訓練用としては度し難い、強力な魔物。この迷宮の、本来の持ち主。つまりは、魔王の迷宮の迷宮主マスターを。


「ひ、ひゃはははは! すげぇ、すげぇよ! 何だこれ、こんな奴誰も勝てねぇ! みんな死んじまうぜ!


 心の底から面白そうに笑うブラッド。両手を大きく広げ、その巨狼を称えるように振舞っている。やはり、そこに正常な精神は存在しない。

 それは、何者かにかけられた、洗脳に近い魔法のせいだった。精神的に追い詰められていたブラッドは、それに対抗する事が出来なかった。


 彼は、これが成功だと思わされている。これで、憎き者達に復讐出来ると、奴らを消す事が出来ると、そう思っている。

 確かに、それは間違っていない。コレは学生の手に負える相手ではない。いくら一年から魔気が使えようと、二年でも上位の腕前だろうと、何の意味も無い。それら全てを、この魔物は等しく食い破ってしまうだろう。

 だから、それは間違っていない。間違ってはいないのだが。


「さあ、行けよ! あいつらはまだ上に居る! 全員まとめて食い殺せ!」


 何者かによって仕立て上げられた、哀れな道化。彼は、気付かない。気付く事が出来ない。

 自分も、その魔物に献上された犠牲者エサに過ぎない、という事に。


――ガヴッ――ブチッ


「は?」


 ブラッドが間の抜けた声を上げる。

 広げていた両の手の、左腕がなにか温かいものに包まれた瞬間。腕を引っ張られるような衝撃とともに、左耳の近くで何かが千切れるような音がした。 


「……え?」


 何が起こったのか理解できず、思考が停止する。しかし、それも僅かの時間しか許されなかった。

 一瞬の間のあと、左腕の感覚が無くなっている事に気付く。そしてその代わりに、今まで感じた事の無い程の激痛がブラッドを襲った。


「……ぎやぁあああぁぁああぁああああああああ!!!」


 悲鳴とともにブラッドはその場に蹲る。左腕は肩口の所から先が無くなっていた。引きちぎられたように肉と骨が覗き、そこから鮮血が噴出している。

 

「うぁああ……あ、ぐぁ、あああ……」


 もはやまともに声もだせないブラッドの足元に血だまりが広がっていく。

 感覚が麻痺してしまったのか、すぐに痛みは感じなくなった。その代わり燃えるような熱を肩から感じる。そしてその熱から、なにかとても大事な物が流れ落ちているのを、ブラッドはハッキリと感じていた。


 止めようと思っても止まらない。その何かが流れ出る度に、自分の身体から何かが抜けていく。灼熱のように熱を持つ肩とは正反対に、身体は冷たくなっていった。


「ひぃ……嫌だ、ぁぁ、あぁぁ……」


 ブラッドは完全にパニックに陥っていた。顔は引きつり、目から涙が溢れ、口からは呻き声がもれる。残った右腕で左肩の傷口を押さえ、なんとか血を止めようと身体を抱く。

 しかし、そんな事で止まるわけも無く、暖かな血液がその身体を赤く染めていった。忍び寄る死の気配に背筋が凍り、ますます思考は乱れていく。視野は狭くなり、周りの音は聞こえなくなっていった。


「ぐぅるるるるうぁ……」


 しかし、そんなブラッドの耳に、何者かの唸り声だけが、やけにハッキリと聞こえてきた。

 彼は思い出した。腕を失った衝撃で記憶から抜け落ちていた、自分の腕を食らったモノの存在を。そしてそれが自分のすぐ傍に居る事を、今更ながら思い出したのだ。


「あ……ぅあ……」


 顔を上げた先に見えた物。目の前に居た物。

 それが、まるで笑っているような気がした。そして、唐突に理解する。こいつは、遊んでいるのだと。

 一口で殺せばいいものを、わざわざ腕一本食い千切って反応を見ていたのだ。苦しみ絶望する姿を楽しんでいるのだ。

 偉大で尊厳な姿とは不釣合いな、醜悪な心。ソレは、この目の前の巨狼が魔物である事の証のようだった。


 そんな魔物も、怯えきって声も出ないブラッドに早々に飽きてしまったのだろうか。一声唸ると、赤い液体を滴らせたその牙を、ブラッドに向けて大きく広げた。


 凶悪な牙が生えそろった口。ヌラヌラと光り血で染まった咥内。吐き気を覚える腐臭と暖かく気持ちの悪い空気が顔を撫でる。そしてその奥の、暗い暗い闇。


 ――それが、ブラッドの最後の記憶だった。

 唯一の救いは、彼がその光景を目の当たりにし、恐怖と絶望で自らの意識を手放した事だろう。

 おかげで彼は、その牙が自分の身体に突き立てられ、その胴が噛み千切られる感覚を、知らずに逝けたのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る