46.不穏な空気

 冒険科の学生達に課せられる迷宮での課題には、様々な種類がある。

 今回の迷宮訓練、一年の課題が魔物との実戦訓練である事に対して、二年の課題はずばり迷宮探索である。


 課題は三つ。まず一つ目の課題は、指定階層の結界部屋への到達だ。今回は六層の結界広場が目標となっている。

 二つ目の課題が、宝箱の発見。階層毎にランダム設置された宝箱を発見すれば課題達成となる。そして三つ目が、迷宮内のマッピング。

 まとめると、迷宮内をしっかり探索しつつ指定階層まで突破せよ、と言うのが今回の二年の課題である。


 既存の迷宮を探索するのだから簡単な事に思えるかもしれない。しかし、そこは元魔王の魔造迷宮ラビリンス。内部が異界化しているという話に相応しく、三層以降は数日毎にその内部を変動させるのだ。

 正確には、迷宮核ラビリンスコアに設定された数種類の組み合わせから選択されているらしいのだが、学生には現在どの組み合わせかは当然知らされない。そのために、たかが探索と言えどなかなかに骨の折れる課題となっていた。

 もちろん道中には魔物が出現するので、当然戦闘も発生する。迷宮内では魔物を回避していくのは難しいので、これらを倒さないと先には進めない。この事実により、道中の魔物を倒すのも実質的には課題の一つと言える。

 学園で一年間訓練を積んできた者に対する課題だけあって、一年のそれとは難易度が段違いである。とは言え、迷宮探索も魔物との戦闘も、冒険者なら避けては通れない仕事だ。これくらいの課題はこなせないと、一流の冒険者にはなれないだろう。

 元々が危険な仕事なのだから、訓練の内から厳しい位が丁度良いのである。


 ◆


 ここは六層最奥の結界広場だ。見た目は上層にある物と変わらない黒い石柱――結界の魔道具が中心に設置された広場。そこでは既に二年のパーティーが数組辿り着き、休憩や雑談をしている様子が見て取れた。

 そしてこの結界広場に、新たなパーティーがまた一組辿り着いた。


「やっぱり、結界広場だよ。先に着いちゃったね」

「そうねぇ。六層はまだ宝箱を見つけてないから、戻って探索しないとね」

「ここは三つだったかしら、面倒ね……まぁ、少し休憩してから行きましょう」


 意外そうな表情を浮かべながら広場に入ってきたのは、アリス達であった。彼女らは首尾良く五層までの探索を終えていたのだが、あいにくこの六層では宝箱をまだ発見できていないらしい。

 三人は壁の傍で円陣に腰を下ろし、マッピングしていた地図を中央に広げる。


 そこそこ広い迷宮を六層まで探索して来たのだ、アリス達は流石に疲れてきている様子で深く息を吐いた。

 そうして一息ついてから。おそらく一番体力があるのだろうセシリアが、他の二人に声をかける。


「怪我は無い? 今の内に治しておいた方が――」

「大丈夫。アリスちゃんのおかげで、私は随分と楽になったわぁ」


 なんか、ずるいわよねぇ、と。右頬に手を当て小首を傾げたティオが言う。


 戦闘訓練用の二層までと違い、三層以降は小粒ながらも多様な魔物が出現する。

 群れを成すキラーアント、空を飛ぶブラックバット、亜人であるゴブリン等で、もはや本物の迷宮と変わらない様な品揃えだ。


 しかし、その程度の魔物では、まだまだセシリアの相手では無い。基本的に前衛の彼女が敵を蹴散らしながらここまで進んできたのだ。

 ただし、どれだけ強くとも絶対は無い。時には前衛を抜けられ、後衛まで攻撃が届く場合もありえるし、それで負傷する事だってある。

 セシリア達は今までは二人パーティーだった訳だが、後衛のティオが怪我をする事は珍しくは無かった。彼女が優秀な治癒魔法の使い手なので余り問題にしていなかったのだが、たった二人と言うのは安全とは言い辛い状況だったようだ。


 それが、アリスの参加で安全性がかなり改善されたのである。


「攻撃魔法は強いし、物理障壁マテリアルシールドもあるし。後衛は充実したわねぇ」

「そうね。私を抜けられても処理出来るし、遠距離攻撃にも障壁で対応できるのは大きいわ。魔法障壁マジックシールドしか使えないティオには、物理攻撃は鬼門だったのよね」

「ゴブリンアーチャーの矢とかは、今までセシリアちゃんが拳で叩き落してたものねぇ。今思えば、私達もかなり無茶してわねぇ」


 ティオに続き、セシリアまでうんうん頷きながら褒め出した。それを横で聞いて、アリスが恥ずかしそうに小さくなっている。相変わらず、ヴァイス同様褒められる事には耐性が無い。


「いやでも、前衛が守ってくれるからだよ? 障壁も限度がある訳だし、接近戦は出来ないから沢山近づかれると厳しいしね。機動力も無いし」

「そうはいっても、それは後衛なら似た様なモンよ。まぁ、機動力の方は……確かにちょっと不安が残るわね。それさえ解消できれば何も問題は無いんだけれど」

「それは、ヴァイス君がいれば解決なんだけどねぇ」


 腕組みして考えるセシリアに、変わらず頬に手を添えているティオ。


 確かに、現状ヴァイスさえいれば問題は無い。彼が傍にいたなら全力でアリスを守るだろうし、彼に抱えてもらえば他の魔法使いより余程速く移動が出来るのだから。

 高速で移動する景色に最初は目を回していたが、今ではもう慣れたものだった。


 でも、それで良いのだろうか、ともアリスは思う。あの日からずっと、頼ってばかりで、助けてもらってばかりだ。

 そう、一番最初にヴァイスと話をしたあの日。

 夕焼けに染まる世界。王都を見下ろす丘の上で、友達になったあの日から。自分の学園生活は劇的に変化した。それは全て、彼のおかげだ。


 彼は自分と同じく≪無能≫と呼ばれている。でも、自分と違って一人でも十分戦える。自分のように、仲間の足を引っ張る事は無い。

 魔力が当たり前にあって、一般人でさえ簡単な魔法を使えるこの世界。そこで、魔力が無いというのが衝撃的過ぎただけであって。魔力が無くとも、魔法が使えずとも、十分戦えるのだ。世界でほんの一握りの一流にはなれないというだけで、普通の冒険者としては十分やっていけるのだ。


 それを、先の決闘で、彼は示した。確かに、決闘では負けてしまったけれど。でも、彼は決して弱くは無かった。≪無能≫では無かった。


――それに比べて、私はどうなのだろう。私は彼の助けがあって、初めてまともに戦える。彼がいないと人並みに走ることすら出来ないなんて。本当の意味で、だよね……


 アリスにとって、ヴァイスはもはやかけがえの無い存在だった。そして、彼も同じに思ってくれていると想像するのは、彼女の自惚れでは無いだろう。ヴァイスの、不器用ながらも真っ直ぐな好意に気付かない程、アリスは鈍感ではない。

 だからこそ。対等でありたいと、アリスは思っている。彼の隣に立っていたいと、そう思っている。


 何か無いのだろうか。彼の足手まといにならずに、彼を助ける方法が。今よりもっと、彼の力になれる方法が。最近、アリスは気付くとそればかり考えていた。

 そして、答えは未だに見つかっていない。


 ◆


「くそっ、なんだよあいつは!」


 突然、男子学生の苛立つような声が辺りに響き渡った。

 思考の海に沈みかけていたアリスは、その声に心臓が飛び跳ねる思いをした。他の二人も似たようなものだ。


 アリスが動悸を抑えながら声のした方へと目を向ける。そこにいたのは自分達と同じ二年の学生達だった。人数は四人、おそらくパーティーだろう。

 しかし、様子がおかしい。なにやら険悪な雰囲気で、全員が階段小部屋への通路奥を睨みつけていた。


「……何かあったのかな」

「そうねぇ。聞いてみましょうか」


 言うが早いか、ティオがそのパーティーの方へと小走りで近づいていく。そして学生達と二、三言葉を交わした後に、こちらへと戻ってきた。

 その表情が少し曇っていたために、不審に思ったアリスが先に口を開いた。


「どうしたの?」

「……ブラッド君が、一人で奥へと行っちゃったみたい」


 その言葉を聞いて、アリス達の表情が歪んだ。


 ここは六層の結界広場。そこの奥と言うのは、つまりは七層である。

 今回の二年の講義では、六層までの探索が課題なので、それ以上潜るのは講義内容から逸脱してしまう。指定以上潜った所で評価が上がる訳でも無いし、むしろ勝手な行動をしたと下げられる可能性がある。

 さらに、この訓練迷宮は一定階層毎に魔物の強さが上がっていく作りになっている。六層は丁度その節目であり、七層に下りるとその強さが一ランク上に上がるのだ。今この場で七層まで潜るのは、危険なだけでメリットは何も無い。


 とは言っても、ここはあくまで学生の訓練用の迷宮。強くなるといってもそこそこのレベルであり、実はセシリアぐらいの戦闘能力があれば最下層まで突破できる。

 ただし、ブラッドにそれ程の戦力があるかは疑問であった。


「はぁ? 何考えてんのアイツ? というか、大丈夫なのそれ?」

「本当だよ。止めた方がいいんじゃないかな」

「それが、聞く耳持たない感じだったみたいで。むしろ雑魚は付いてくるな、見たいな事を言ってたらしいわぁ」

「それで、あんな状態なの」


 アリスの視線の先に居る彼らは、怒りながらなにやら文句を言っているようだ。一人で奥へと行ったというブラッドを、追いかける素振りを見せる者は一人も居ない。


「どうしよう、先生に知らせた方が良いんじゃ……」

「……まぁ、ほっとけば良いんじゃない、あんな奴。どうせ居心地が悪くて離れただけでしょ」

「そうねぇ。彼ならここから少し下の階層の魔物相手でも、戦えない事もないはずだし」


 セシリアが随分と冷たく吐き捨てた。彼女のブラッドに対する好感度は最低レベルだ。親友のティオに嫌がらせをしていたのだから当然の事である。ブラッドが貴族でさえ無かったら、とっくの昔に殴り飛ばしていただろう。

 それはティオも同じであった。多少心配ではあるのだが、後を追ったりする気はなさそうだ。それは自分達にもリスクのある行為であって、ブラッドのためにそこまでする義理は無いのであった。


 そして、アリスはというと。もちろん彼女も、ブラッドには良い感情は持っていない。ヴァイスとの決闘の件は、到底許す事など出来ない事であった。

 であるにも関わらず。


「……そう、だね」


 どうにも、嫌な感じがしてならなかった。妙な胸騒ぎがする。それは、最近のブラッドの様子がおかしかった事が関係しているのだろうか。


 ブラッドがおかしくなったのは、ゲイルとの決闘に敗れたからだ。何処かで、それに責任を感じているのかもしれない。

 もちろん、アリスに責任など無い。元を辿れば、ブラッドの言動が事の発端なのだ。たとえあの決闘で彼の人生が狂ったとしても、それは自業自得である。

 それなのに。嫌な予感は、アリスの中でどんどん大きくなっていく。


「気にする事無いわよ。何がしたいのか知らないけど、アイツも死にたくは無いでしょうから。どうせ直ぐ戻ってくるわよ」

「……うん、大丈夫だよ」

「そう? じゃあ、少し休んで探索に戻りましょう。私達も課題を終わらせないと」

「分かった」


 アリスは頷く。しかし、その胸の奥に残るしこりのような異物感。

 それが何なのか、結局分かる事は無かった。

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