41.黒き福音

 陽の光が彼方へと沈み、空には星が輝く頃。

 薄暗く人気の無い路地を、ブラッドは歩いていた。


「くそがっ、どいつもこいつも俺を見下しやがって……」


 その口から怨嗟を垂れ流しながら、彷徨うように夜道を歩いている。

 彼はゲイルとの決闘に敗れたために、家から勘当されたのだ。平民に負けるような役立たずは当家には要らぬと、僅かな手切れ金を握らされて屋敷から放り出されてしまった。実の息子に対してあんまりな仕打ちに思えるが、家の者は誰も彼を助けなかった。

 それは、別にブラッドの日頃の行いのせいなのでは無く、ただ単に、彼の家自体がそういう風に在るからというだけである。現に、彼も同じなのだ。仮に追い出されるのが別の誰かだったとしても、ブラッドがその者を助ける事などありえないだろう。


「ふざけやがって、貴族である俺を、一体なんだと……」


 まるで施しのように投げつけられた手切れ金は、以前の彼にとって端金としか言えない程の額であった。

 それはあくまで貴族目線からの話なので、一般人が節約すれば一ヶ月は暮らせる額だったのだが、彼は既にその金をほぼ使い果たしていた。

 そのため、泊まっていた高級宿では代金が払えずに追い出され、仕方なく以前の取巻き達の家を回ったのだが。まともに応対する者はいなかった。

 ついこの間までブラッドを敬い付き従っていた者達が、今は彼を見下していた。誰もが、まるでゴミでも見るかのような目でブラッドを見ていた。

 それは、彼が平民へと向けていた目であって、既に貴族で無くなってしまった彼にとっては、正に自業自得であったのだが。それを彼は認める事など出来なかった。


 「それもこれも、あの平民のせいだ……! 貴族の庇護が無ければ生きれねぇクズの分際で、この俺に歯向かいやがって……!」


 決闘で負けたのは自分の実力のせいだと言うのに、それを認めずに歪んだ思いを募らせる。

 愚痴るブラッドの顔が歪んでいく。その目を憤怒に染め上げて、呪いの言葉が吐き出されていく。


「許さねぇ。殺してやる、絶対に殺してやる……!」

「その通りだ。そのような者共は殺してしまえば良い」


 唐突に。ブラッドは後ろから声を掛けられた。その声は、壮年の男の物だった。


「だれだ!」


 ブラッドが怒鳴りながら振り向いたその先には。夜の闇に溶け込むような漆黒の衣を纏った者が、彼の直ぐ傍に立っていたのだった。頭にはフードを深く被っているために、その表情は全く読み取れない。ただ、恐らくは右目のあるであろう場所に、火の玉のように蒼い光りが浮かんでいた。


「何!?」


 直ぐ後ろに立たれていた事に驚愕し、ブラッドがそこから飛び退くように男から間合いを取った。

 そして、まるで陽炎のように存在感の薄い男の、その隠れた顔を睨みつけるのだが。


「何を恐れる。私はお前の味方だ」


 そう言った謎の男の、右目が煌く。怪しい光を放つそれを見たブラッドは、なぜかその男の言葉が心に染み込んでくるような感覚を受けた。

 その声は、聞いた事の無い声だ。少なくとも、ブラッドの知り合いでは無い筈だ。それなのに、空気に響く男の声から意識を離せなくなっていた。


「憎いのなら殺せば良い。気に入らぬのなら壊せば良い。お前を認めぬその全てを破壊して、その全てを殺すが良い。選ばれし人間であるお前には、その権利がある。貴族であるお前には、当然の権利だ」


 男の声が、甘言が。心地良い音楽のように耳を撫ぜる。それに呼応するかのように、ブラッドの心は憎しみで染まっていく。


「そのための方法を、私が与えてやろう」


 漆黒の男が、揺らめきながら近づいてくる。蒼く輝く瞳から目を離せずに、それを見つめるブラッドの目は光を失っていく。


「さあ、受け取るが良い。この力を使って、奴らに正義の裁きを下すのだ。お前には、その権利がある」

「そうだ、俺には、その権利があるんだ……」


 そして、ブラッドは。

 深い深い闇の底へと、堕ちていったのだった。

  

 ◆


 王都の暗い裏路地に、更に深い闇が浮かび上がっている。それは確かに人の形をしており、近づけばそれが闇の衣を纏う何者かだという事が分かるだろう。

 その者は、ゆったりとした足取りで路を進んでいく。すると、その路に面していた家屋の一つの扉が、音も無く開いた。

 闇がそこへと滑り込んで、また音も無く扉が閉じられる。


「上手くいきましたね」

「あぁ」


 扉の中で若い男の声が響き。それに闇が答えた。


「ああいう者は、一度崩れると脆いモノだな。この目は必要なかったかもしれん」

「そうですね」


 闇がその被ったフードを下ろす。中から現れたのは、老人であった。その老人の右目には、蒼い光を放つ、明らかに瞳ではないモノが存在していた。

 老人は暗い部屋に置かれていた椅子へとどっかりと座りこむ。机を挟んでその対面にある椅子に、先程から会話をしていた青年が腰を下ろした。


「噂どおりでしたか。冒険科に属するビリアン家の五男が、家から絶縁されたと」

「そうだな。ただ、あれは捨てて正解だろうがな。あんな者を飼っていても、いずれ災いとなろう。もっとも」


 老人は愉快そうに笑いながら。


「災いとなってもらった方が、我々には都合が良いがな」

「まったくです」


 笑う老人に対して、青年は無表情であった。その顔には、何の感情も浮かんでいない。


「最後に渡していた物は、何でしょうか」


 老人に対して、青年が問い掛ける。老人は青年を一瞥すると、


「あれは、隠密の指輪だ。魔物達の目をごまかす事が出来る。あれを持っていれば、奴一人でも迷宮の最深部まで行けるだろう」

「なるほど」

「まぁもっとも、一定以上の魔物には通用しないがな。それこそ、魔王様の迷宮に生まれる魔物が相手では、何の役にも立たぬだろう」


 老人の口が、三日月のように釣りあがった。


「うまくいくでしょうか」

「さてな、結局あれはついででしか無い。失敗した所で問題は無かろう。まぁ、久しぶりに王都まで来たのだ。嫌がらせの一つでもして損は無いだろうし、『種』を植え付ける事が出来れば上々だな」

「そうですね」


 青年が机に置いてあった酒瓶を手に取る。それをグラスに注ぐと、老人へと手渡した。

 それを受け取りながら、今度は老人が青年に向かって、


「それで、あれはどうした」

「はっ。主に関しては、まだ何の情報も得られておりません」


 青年が首を振る。それを聞いた老人に落胆は見られず、まるでそれが分かっていたかのような様子であった。


「そうか、まったく、何をしておられるのだろうな、あの方は」

「外見等なにか手がかりは無いのでしょうか? これではあまりにも無謀かと」

「無理なのだよ。あの方は、側近にすらその素顔を明かさなかった。その種族も、歳も、性別すらわからんのだ」


 諦めたかのように首を振りながら、老人は酒をあおった。そして、昔を懐かしむような目でグラスを見つめ。


「手がかりは、その素晴らしい魔法と魔道具作成の才だけだ。あれほどの力を持つ者は、世界広しといえどもそうはいまい」

「そうですか」

「まあ良い。とにかく捜索を続けろ。王都は広い。魔法使い、細工師、錬金術師、奴らから片端から情報を集めろ。どんな些細な事でも構わん。我々には、まだあの方の力が必要なのだ」

「はっ」


 話は終わったとでも言う様に、老人はまたもグラスに口をつける。しかし、対面の青年がもう一度口を開いた。


「一つ、ご報告が」

「なんだ?」


 老人が、その本物であろう左目を青年に向けた。


「奴らに、我々が王都に入り込んでいるのを気付かれたようです。これ以上はあまり派手な動きは出来ないでしょうし、予定より速めに王都を離れた方が良いかと思われます」

「ほう、なぜ分かる」


 老人がグラスを置き、刺すような視線を青年へと向けた。しかし、青年はそれを気にした様子もなく、ただただ無感情に話を続けた。


「密かに王都の警戒レベルが引き上げられています。これだけだと他の賊相手かとも思われますが。他にもクラディス孤児院に強力な結界が張られているのを確認しました。普段の結界とは段違いの加護が与えられています。まず間違いなく、我々を警戒しているのでしょう」

「なるほどな。しかし、我々が聖女を襲うとでも思っているのか? 年老いて一線から退いた女などに興味は無いのだがな」

「いえ、恐らくは」


 青年が軽く首を振り、


「『魔姫マガヒメ』を守るためだと思われます。『魔姫』は現在学園に通っていますが、聖女の師である森人類エルフが護衛に付いているのも確認されています」

「何? 『魔姫』だと?」


 老人の声が驚いた様な響きを持つ。それは、完全に予想外の事であった様で。彼はこみ上げるのを抑えるような笑い声を上げた。


「ふ、ふははは! そうかそうか、この王都にもあれが居たか。ついぞ忘れておったわ。……確か『氷』だったか? まったく、奴らも存外しぶといものだな。気力が無ければ生き辛いだろうに」


 楽しそうに自らの膝を叩きながら、老人は話していた。

 そして、正面の青年が事務的に言葉を続ける。


「『魔姫』は現在聖女の庇護下にあります。こちらから手を出す事は難しいでしょう」

「ふむ、どうやら聖女に気に入られているようだな。面白い話だとは思わんか? 『光』はアイオロス教団教皇の養子で、『風』はバルガス共和国の魔剣の巫女ときた。全く、数奇な運命を辿っておるわ」


 老人が指折り数えながら話をしている。青年がそれに頷いて。


「はい。ただし、『氷』は学園での件に巻き込まれる恐れがあります。気力を持たぬ『魔姫』では、命を落とす可能性も――」

「良い、放っておけ。そもそもあれは失敗作だ。『魔姫』だけではどうにもならんのだからな。万が一に必要となったとしても、一人居れば事足りる。わざわざ奴らに手を出さずとも、既に『炎』がおるのだ。『氷』が死んだ所で何も問題は無い」


 笑っていた老人は態度を一変させて、冷徹にそう言い放った。本当に、その『魔姫』がどうなろうと関心は無い様子であった。


「はっ。……それで、どうなさいますか。直ぐに奴らに見つかる事は無いでしょうが、いずれはここも危ないかと」

「そうだな。……何人か残して、我らは先に王都を出るか。学園の結果が出てから、で良かろう。それまでは捜索を続けろ」

「はっ、承知しました」


 今度こそ話は終わりだと、老人が目配せする。青年は一度グラスに酒を注ぎ直して、椅子から立ち上がった。


「それでは、失礼します。――黒き福音のあらん事を」

「ああ。我らが悲願、魔王様の復活の暁には、世界は黒で染まるであろう」


 青年が部屋から出て行く。残された老人は一人静かに、グラスを傾けていた。

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