40.災いの予兆・後編

 シャルロットとミーナの二人が、医務室へと入る。

 シャルロットの言葉通り、そこには学生は居なかった。学園科では講義後も学生が来る可能性は多いにあるが、それでも話す時間くらいはあるだろう。

 二人は部屋に入ると、向かい合うように椅子に座った。


「それで、気にかかる事って何? 私にも関係がある事なの?」


 横の机に頬杖をつきながら、早速と言った様子でシャルロットが切り出した。

 わざわざ場所を変えたのだ。しかも、人目の付かない所にである。諜報部隊のミーナが気にかかる事、と言っていたのもある。少なくとも楽しい話では無い事は、シャルロットにも分かっていた。


「まだ、確認は取れていないのですが」


 ミーナが、少しもったい付けたように口を開く。


「この王都に、賊が入り込んでいるらしい、という情報が城に入っています」

「賊ぅ? そんなの、別に珍しい話じゃ無いんじゃないの?」


 ミーナの話に、シャルロットは首を傾げた。


 この王都はこの国一の巨大都市、国の中心部である。多くの人種が暮らし、旅行や行商と理由は様々であるが、他国からも多くの人が訪れる。要は人の流れが物凄く多いのである。中にはあまり素行のよろしくない者達がいるのも事実である。

 また、城のある王都、つまりはこの国の重要拠点である事から、他国の間者等も入り込んでいる場合がある。もちろん街門では騎士の警備隊が昼夜問わず警戒しているのだが、あまりに膨大な人の出入りに取り締まりは十分とは言えない。身分証等があれば問題無く通る事が出来て、偽造を疑う暇など無いというのが現状である。

 そのために、正直な話、賊等はあまり珍しい話では無いのだ。街中にも警備する騎士は居るが、目立った行動でも取らない限りは捕まる事は無い。


 だからこそ、そんな事をもったいぶって話すミーナに対して、シャルロットは訝しげな目を向けるのだが。

 そんな彼女の視線を正面に受けながら、ミーナはゆっくりとその口を開いた。


「賊は、魔王復活を目論んでいた者達……、『黒き福音ゴスペル』の残党です」

「――は?」


 その名を聞いて、シャルロットの顔色が変わった。賊の話に半ば興ざめしたように緩んでいた顔が強張り、目を見開いている。

 そのまま彼女は椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、険しい表情をミーナに向けた。


「それって、まさか、アリスちゃんを!?」

「落ち着いてください」


 シャルロットにしては珍しく声を荒げている前で、ミーナは冷静に、シャルロットを抑えるかのように言葉を続けた。


「賊の狙いがアリスさんである可能性は限りなく低いと考えられます。そもそも彼らの方が、彼女を捨てたのですから。言い方は悪いですが、彼らにとってアリスさんは用済みなはずなのです。今更彼女を狙う事は無いでしょう」

「……そう」


 シャルロットは冷静さを取り戻し、椅子にポスンと腰を落とした。


「じゃあ、なんで奴らが王都に来てるの?」

「それは分かりませんが、おそらくは情報収集だと考えられています。酒場でそれらしい者の姿が目撃されています」

「……それ、捕まえらんないの?」


 シャルロットがジト目を向けるが、ミーナは首を横に振って。


「あくまで目撃情報ってだけですからね。彼らが事件でも起こせば別ですけど、王都の闇に隠れられると中々難しいんですよ」

「事件を望むのも悪い考えだよね」


 シャルロットが深く溜め息をついた。

 王都は広く、その分闇も深い。賊が隠れられる場所など幾らでもあり、そういう仕事をしている者までいる有様だ。

 いくら治安が良いと言っても、それは表向きの話である。特に今代の王は一部貴族に嫌われている。裏でそういう勢力が力を貸している可能性もあるのだった。


「まあ、ともかく。彼らが情報を集めているとしたら、いつも通り魔王の復活方法と、後は最近失踪したという指導者の捜索でしょう」


 魔王軍の残党が集まり、魔王復活を目的に掲げた一団「黒き福音」。その指導者が数年前に行方を眩ました事が原因で、組織としての体裁を保つ事が出来ずに瓦解したのは、知る人ぞ知る事実であった。

 彼らは戦争後に発足した犯罪組織の中では一際巨大であったために、各国から危険視されていたのだが、その最後は呆気ないモノであった。

 ただし、瓦解したといっても彼らが消え去った訳では無いのであり、その残党が今も各地で活動しているのである。


「魔王の方は無理だろうからどうでも良いけど。頭が失踪して組織が崩壊、ねぇ。その消えた奴は何考えているのかしらね」

「分かりません。指導者については情報が一切ありません。他国とも情報交換しているのですが、その正体は不明なままですからね」

「厄介ねー。消えたんなら、このまま一生出てこなければいいんだけど」

「そうですね。アリスさんの件も含めて、彼らが一体何を企んでいたのか、今だに分かっていない部分が多いのですが。失踪したまま出てこないなら、それでも良いでしょう」


 ミーナが居住いを正して目を伏せた。

 失踪して出てこないのは、それはそれで気持ちが悪い物だが、そのまま消えてくれるのならそれでも良い。国がどう考ているかはともかくとして、ミーナ自身はシャルロットと同意見であった。


「そういう事で、アリスさんが狙われる事はまず無いとは思いますが、念のために貴女にお話ししたんです。上は情報収集だと考えていますが、それだけとも限りません。一応、注意していてください」

「言われなくてもわかってるわ、どうもありがとう」


 真剣な表情のシャルロットを見て、ミーナも頷いた。そして、座っていた椅子から立ち上がる。


「あら、もう行くの? お茶でも飲んでかない?」

「いえ、まだ仕事がありますので」

「そう、残念ね」


 ミーナが医務室の扉へと歩いて行き、そこで振り返って。


「では、また何か分かったら連絡しますから。それでは、失礼します」

「えぇ、そっちも気をつけてね」


 一礼するミーナに、シャルロットが笑顔で手を振った。それに微笑で返して、ミーナは医務室を出て行った。

 彼女を見送ってから、シャルロットは表情を引き締めた。その目には、若干の怒りが浮かんでいる。


「全く、何しに来たのかしらね。私の前に現れてくれれば、ぶちのめしてあげるんだけど」


 シャルロットは、苛立ったように机を指先で叩いている。足も揺すり、口からは唸り声のようなものが漏れていた。

 そうして、しばらくイライラを募らせた後、突然机を両手で叩きつけながら立ち上がった。その金色の髪がふわりと広がって、宝石のような青い瞳がくわっと見開かれる。その愛らしい顔が、完全にお怒り状態である。


「あーもう! とにかく、まずはローラちゃんにも知らせよう。それから孤児院の結界を強化して……、しまった、ミーナちゃんに情報操作を頼んでおくべきだったわね。後で、念のためにヴァイス君の事も一緒に頼んでおこう。それに、しばらくはアリスちゃんの送り迎えをした方が良いわね」


 そうぶつぶつと呟きながら、シャルロットは扉へと向かう。そのまま扉へと手をかけて。


「……まったく、何も無きゃ良いけど」


 そうぽつりと言葉を漏らして、彼女は医務室を後にしたのであった。

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