38.好転の兆し・後編

「あ、いたいた。先ぱ――って、あれ?」

「おお? 誰だ、あれ」


 教室から出た廊下の先にアリスの姿を見つけて、ヴァイスが呼びかけようとするが、いつもとの違う光景を目にした事でその声が止まった。

 続くゲイルも、それに気付いて不思議そうに声を上げていた。


 彼らの視線の先には、アリスが見知らぬ女学生と立ち話をしている姿が見えた。

 アリスはいつも一人で居る時のような無表情ではなく、ヴァイス達と居る時のように自然な笑顔を見せていた。相手の学生には見覚えが無い事から、アリスと同じ二年だと判断出来た。


 ヴァイスにとって、アリスが同学年の者と笑顔で話をしているのを見るのは初めてであったために、彼は驚きに言葉を失っていた。

 明るい廊下で笑いながら友人と話をするアリスの姿から、目を離せなかった。そんな何気ない、本来なら普通なはずの光景に、ヴァイスは心を奪われていた。

 彼の胸中は複雑で、いろんな感情が混ざっていたけれど。やはり一番の大きな思いは、喜びだったのだろう。ヴァイスの顔には、いつの間にか笑みが浮かんでいた。


 そして、そんな彼の隣でリリカが口を開いた。彼女はヴァイスほど驚いている訳ではないらしく、淡々とした様子で。


「あれは、確かリンスター先輩でしたかね」

「ああ、見ない顔だと思ったが、やっぱ相手もセンパイなのか」

「ええ。ティオ・リンスター。二年の魔法使いですね」

「そっか。先輩が他の二年の人と話しているの、初めて見た気がするよ。……良かった」


 リリカの言葉からアリスの相手が二年である事を確信して、ヴァイスは感慨深く呟いた。

 アリス達の様子から、彼女らの関係が良い物だと読み取れる。屈託無い笑顔を見せているアリスを見れば、彼女がティオに心を許しているのが良く分かる。

 アリスは学園では他人に対して警戒していた。思えば、ヴァイスに対しても最初は警戒していたのだ。それが、ああやって談笑できているという事は、ティオがアリスに対して友好的に接したという事だ。

 ヴァイスにとって、それが自分の事のように嬉しかった。


 決闘を機に周りからの評価に変化があったのは、ヴァイスだけでは無かったのだ。

 アリスも、同じ二年の学生から声をかけられるようになっていた。実際に決闘を行ったヴァイス達ほど目立っていた訳では無いのでその人数は少なかったが、今までの彼女の学園生活を考えるとそれでも驚くべき事であった。

 彼女に話しかけてくるのは、先の決闘での彼女の振る舞いに感心した者や、ブラッドでも破れなかった障壁シールドを張っていた事に目を付けた者だった。

 たとえ魔気が無くとも、あれほどの障壁が張れるのなら、戦闘でも全くの役立たずとはならないはずだ。そう彼女に対する認識を改める者が出てきたのである。

 さすが二年だけあって、ヴァイス達一年よりは打算で接触を図る者が居るらしいのだが――中には例外もあったのだ。その一人が、今アリスと話をしているティオであった。


「確か、彼女もブラッドの嫌がらせを受けていた方ですね」

「嫌がらせ?」


 リリカの言葉にヴァイスが眉をひそめる。本当に、あいつはいろんな人にちょっかいをかけていたのだなと、ヴァイスは呆れる思いであった。


「ええ、彼女も貴族なのですが、彼女の実家は貴族主義に反対する家なのです。そうですね、実力主義とでも言いましょうか。アルバート王達と同じで、家柄関係なく実力のある者を重用しようという考えですね」

「貴族でも、そんな考えの奴らがいるのか?」


 ゲイルが至極意外そうな様子で言った。彼が貴族に対して良いイメージを持っていないのがよく分かる反応だ。そんなゲイルにリリカが少し呆れたような様子で。


「当然です、貴族の中にも立派な考えを持つ方々は居ますよ。本来はそう言う人達こそ貴族と呼ぶに相応しいでしょう。まぁ、そのせいでブラッドに目を付けられていたのでしょうね」


 と、リリカは深く溜め息をついた。


 リリカの考えは正しかった。ティオがブラッドに嫌がらせを受けていたのは、まさしく実力主義の家が理由であった。

 実力主義が貴族主義に反対しているように、貴族主義も実力主義を嫌っている。根っからの貴族主義思想であるブラッドにとって、実力主義を掲げる家であるというだけで険悪の対象であったのだ。ある意味、ただの無能であるアリス達よりもその印象は悪かったと言える。

 とは言っても、アリスと違ってティオには仲間も居たし、貴族である事には変わりないので、嫌がらせと言ってもそこまで酷い事は無かったようだ。

 それでも、ティオ自身の気質の問題から、彼女は面と向かってはブラッドに逆らえなかったのだ。そのために、彼に対して正面から立ち向かっていたアリス達に、ティオはある種の尊敬の様な思いを抱いたのである。

 更には、その決闘が終わってからブラッドは大人しくなり、ティオを含めた多くの者が嫌がらせを受ける事が無くなった。その事も、ティオがアリスに好感を寄せる一因となっていた。


「ふーん、じゃあやっぱり、この間の決闘の事で話すようになった感じなのかな?」

「そうですね。決闘したのはあなた達ですが、先輩も目立ってましたしね」


 リリカが、決闘を思い出しながら言う。ほとんど勝負は付いていたとはいえ、正式な決闘に割り込んだのだ。実際に決闘を行った者達と同じくらいに、アリスの姿は印象深い物となっていた。


「あの障壁、マリアセンセイよか速かったからな」

「ええ、前から思ってましたけど、魔法の発動速度がかなり速いんですよね、先輩は。あの時の障壁も当然の様に無詠唱でしたし」

「俺みたいに、魔力しか持ってない分操作が上手いんだろうね」


 ヴァイス達がそういう風に話をしている内に、アリスがこちらに気がついた。同時に、彼女と話をしていた学生、ティオもこちらに目を向けてくる。

 彼女はアリスと比べると背が高く、女子としては一般的くらいの背丈であった。体の線は細く、見た目からも魔法使いであると判断できる。真っ直ぐな紺の髪を肩下くらいまで伸ばしていて、同じく紺色の大きな瞳が、こちらに向けて少し驚いたように見開かれていた。

 遠めなので詳細には分からないが、少し大人しい雰囲気の美少女だ。左側の横髪を綺麗なリボンで結っており、それ以外には装飾品等は身に付けていない。素朴で派手さの無い、言われなければ貴族の令嬢には見えないような、清楚な少女であった。


「こっちに気付いたな」

「うん。行っても良いのかな」

「良いのではないですか。こちらに手を振ってますし」


 アリスが、ヴァイス達に向かって大きく手を振っていた。周りにはまだ他の学生が多いというのに、満開の笑顔である。どうやら機嫌も相当に良いようだ。

 隣のティオがそんなアリスを見てから、同じようにこちらへと笑顔を見せた。元気な様子のアリスとは対照的な、穏やかな雰囲気を醸し出している。


「ふーむ、治癒魔法が得意だとは聞いてましたが、なるほど癒し系っぽいですね」

「なにその妙な感想……。まぁ確かに、優しそうではあるけどさ」


 変に感心したような様子で唸るリリカに対して、ヴァイスがぼそりと突っ込みを入れている。しかし、受けた印象はだいたい同じであるようだ。

 ヴァイスの脳裏に、ある一つの言葉が浮かぶ。それは古い言葉で由来もよくは分からないが、清楚で奥ゆかしい女性の事を指す言葉だと彼は記憶していた。


「ああいうのって、大和撫子って言うんだったっけ」

「……また聞きなれない言葉ですね。それも勇者関係ですか?」

「勇者どうこうってより、単に古い言い回しなんだろうけど。すごい昔の勇者の物語に、そういう言葉が出てきたりするんだよね」

「勇者関係に関しては凄い記憶力を発揮しますよね、ヴァイスは」


 今度はリリカからジト目を向けられて、苦笑しつつ頬をかくヴァイスであった。

 そんなやり取りをしていると、アリスがぶんぶんと更に手を大きく振り始めた。こちらが気づいていないとでも思っているようだ。少々涙目になっているような気がする。


「おら、んな事言ってねぇでさっさと行こうぜ」


 ゲイルの言葉にヴァイスがごめんと謝って、三人はアリス達へと近づいていったのだった。


 ◆


 そんな彼らの様子を、廊下の隅から見つめる者が居た。廊下の角から、ふわふわの金髪とそこからピンと伸びた耳、一見すると幼い顔が半分ほど覗き込んでいる。

 それは、治癒術師のシャルロットである。


「ほうほう、仲良さげに話せているみたいね。これでアリスちゃんにも、ヴァイス君達以外の友達が出来るといいんだけど」


 シャルロットはぶつぶつと呟きながら、アリス達の様子を覗いていた。その様子は、距離のあるアリス達からは確かに見えなかったが、そこは周り角とはいえ廊下の途中である訳で。周りの学生達は顔半分で廊下の角から覗き込む見た目幼女森人類エルフに、思い切り奇異の目を向けている。しかし、空気を読んでいるのか彼女に接触してくる者はいなかった。

 若干顔がにやついているために、怪しみ避けられている訳では無いはずである。


 しかし、そんな彼女の姿を見つけて、そこへとすたすたと歩み寄っていく影があった。


「何してるんですか、シャルロットさん」


 覗き込んでいるシャルロットの背後から、声がかかった。

 アリス達に集中していたためか、その気配に気づいていなかったようで。シャルロットはその声にビクリと反応して、己の背後へと振り返った。

 そこには、周囲のまだ子供っぽさの残る学生達と比べると遥かに女性的な、二十代前半くらいの美女が、困ったように眉を曲げていた。

 背が低いシャルロットに合わせるかのように上半身を前へと屈めていたために、後頭部でまとめた亜麻色の長髪が肩から垂れ下がっている。


「……ミーナちゃん?」

「はい。こんにちは、シャルロットさん」


 彼女の背後に立っていたのは。冒険科図書館司書である、ミーナであった。

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