36.星空の下

 ヴァイス達が校舎を出ると、既に陽は地平の彼方へと落ちていた。辺りは暗く、雲一つ無かった空には数多の星が煌いている。


 校舎を出て直ぐに、マリアが皆に別れを告げて、街とは反対側の教員用の建物へと向かって行った。まだ今日中にやっておかねばならない仕事があるらしい。

 何せ一日に二回も決闘が行われたのだ。おまけに敗北者は両方共に重傷を負っている。幾ら決闘と言えど彼らはまだ学生である為に、学園への報告等色々あるのである。

 もっとも、シャルロットのお陰で二人共が負傷を直ぐに治療され、命に別状は無かった。故に、この件が学園で問題になったりする事は無いだろう。むしろ貴族であるブラッドが敗北した為に、誇りと面子を気にする彼の家の方が問題であろう。

 ちなみにブラッドはと言うと、決闘後直ぐにシャルロットが魔法で傷を塞ぎ、彼の取巻き達が部屋へと連れ帰っていった。

 魔道具を使ったと言うのに年下の学生に完敗したとあって、ブラッドはかなり気落ちした様子であったが。彼の日頃の行いと決闘での振る舞いから、彼に同情する者は居なかった。


 そういう訳で、マリアを除いた五人は、一面の星空の下、帰宅する為に学園の出口へと歩みを進めていた。

 シャルロットとゲイルとリリカ、この三人がなにやら話をしながら歩いている少し後ろを、ヴァイスとアリスは歩いていた。


「何か、ごめんね。シャル姉が騒がしくて」

「いや、楽しい人だと思いますよ。聖女の師匠ってのはびっくりしましたけど」


 最初は申し訳なさそうな顔をしていたアリスだが、ヴァイスの返事を受けてくすくすと笑顔を見せた。それに対するように、ヴァイスも微笑を浮かべている。

 二人共、晴れやかな気分であった。今日一日色々な目に遭って、一時はどうしようも無い程に傷ついたけれども。その一日が終わろうとしている今、彼らの心は、むしろ今までで一番といって良い程に澄み切っていた。


「本当に、助かりましたね。ゲイルがブラッドを倒してくれて」

「そうだね。馬鹿な真似、しなくても良くなったもんね」


 アリスが悪戯っぽい目をヴァイスに向けてきたので、彼は苦笑しながら、


「そうですね。……色々と、心配掛けました。すみません、先輩」

「ううん、もう良いよ。無事に済んだ事だから」

「そう、ですね。ありがとう、先輩」

「うん」


 そっと、アリスの手がヴァイスのそれに重ねられた。一瞬だけ、ヴァイスは驚いた様子を見せるが、直ぐに落ち着いて、その手を優しく握り返した。

 二人の視線が重なって、お互いに、少し恥ずかしそうに微笑み合う。勢いあまってキスまでしたと言うのに、相変わらずに初心な様子の二人であった。


「何か、恥ずかしいね」

「そうですね。これはなかなか、慣れそうに無いです」

「ふふっ、そうだね。……ねぇ、また先輩なんだ? 名前で良いのに」

「いやあ、やっぱり恥ずかしいです。あの時は何と言うか、調子に乗ってましたから……」


 不満げに言ってくるアリスに対して、ヴァイスが先刻を思い出して苦笑した。

 あの時は、恥ずかしさ等感じる余裕も無かったので良かったが、改めて名前で呼ぼうと思うと、なんとも言えない気恥ずかしさを感じてしまう。

 そうしてしどろもどろになっているヴァイスであったが、アリスがそんな彼を期待に濡れた瞳でじっと見上げていた。街灯と星の僅かな明かりを受け、薄い青の瞳が美しく輝いている。

 ヴァイスはその視線をぐっと堪えるような様子を見せていたが、遂に耐えられずにその口を開いた。


「アリス。……これで、良いですか?」


 緊張しながらも、はっきりとヴァイスに名を呼ばれて。

 あの時を思い出したのか、更に気恥ずかしくなったように、アリスが顔を伏せてしまった。彼の腕を抱きすくめて、顔を見られないようにその腕に顔を埋めている。

 自分から呼ぶように仕向けたのに、と。同じく恥ずかしくなったのか、ヴァイスも黙ってしまう。


 そのまま二人は、言葉を発さずに、お互い寄り添う様に帰り道を歩いていた。

 いまだ学園の敷地からは出ていないために、他には人は居ない。前を歩くゲイル達も、こちらの様子に気付いていないのか。それとも気付いているが見てみぬ振りをしているのか。ヴァイス達へと視線を向ける事は無かった。


 ゆったりと夜道を歩きながら、二人はお互いの体温を感じていた。涼しげな夜風が、二人の頬をなでるのが心地よく、高ぶっていた気持ちも段々と穏やかになっていく。


「ねぇ、ヴァイス君」


 アリスが、声を漏らした。その声色には浮かれたような様子はなく、顔は見えずとも、彼女が何か真面目な話をしようとしているのが分かった。


「私ね。子供の頃、この世界が好きじゃなかった。私にだけ力が無くて、私だけ皆と違って。何で私だけって思って。こんな世界、嫌いだった」


 ヴァイスは静かにアリスの話を聞いている。彼も、似た様な気持ちだった。


「だから、ヴァイス君の事を知った時、嬉しかった。私にも仲間が居たんだって、悦んでた」


 それは、何時かヴァイスが彼女に言った事と同じだった。やはり、アリスも自分と同じ気持ちだったのだと、ヴァイスは思った。


「私は、世界で一人ぼっちだと思ってた。それが、ヴァイス君と会えて、そうじゃないと分かった。たとえ弱くっても、皆に馬鹿にされても、君が居てくれたら……、二人ならそれでも良いって、そう思えた。でも――」


 ヴァイスは、この世界でアリスと出会えた。アリスだけが、自分の理解者だと思った。唯一の理解者だと、そう思った。

 しかし。

 そうじゃない。それだけじゃないはずなのだ。


「みんなが、居てくれた。ゲイル君にリリカちゃんに。シャル姉も、マリア先生も。こんな私達にも、優しくしてくれる人は居てくれるんだ」

「そう、ですね」


 ヴァイスが、アリスの話に頷いた。その通りだと思ったのだ。

 前を歩いているあの幼馴染達は、確かに、自分の友達なのだから。

 自分とは違って魔気が使えて、自分よりも遥かに強いけれど。それでも、彼らが友達である事には変わりないのだから。


「私には、何も無いと思ってた。でも、そうじゃないんだよね。私達は、十分、恵まれてた。そんな大事な事を、忘れてたんだ」


 アリスが、顔を上げた。彼女は、そのまま微笑をヴァイスに向けていた。その瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。


 シャルロットに、ゲイルやリリカ。他にも、孤児院の子供や先生、色々な人が、アリスの脳裏には浮かんでいるのだろう。

 ヴァイスも、思い出していた。冒険者になるために学園に行く自分に、ついてきてくれた幼馴染達。村に居る親父や、村の友人達や大人達。

 みんな、自分に良くしてくれた。魔力の無い自分に、そんな事は気にせずに接してくれた。


 アリスが、天へと右手を伸ばす。まるで、空に輝く星を掴もうとでも言うように。


「世界は酷い事ばっかりだけど。私達には、物凄く冷たいけど。それだけじゃないよね。綺麗な事だって、きっと沢山あるよね」

「……そうですね。世界は広いんですから。きっと、楽しい事も嬉しい事も、沢山あります」

「なれるよね、私達でも、冒険者に。なっても、良いよね?」


 その言葉に、ヴァイスは答えなかった。代わりに、繋いだ手を軽く握り締めた。

 それを感じて、アリスも、ふわりと柔らかく口元を緩めたのだった。


 ヴァイスは思う。

 世界は、冷たくて、苦しくて。痛くて、悔しくて。でも、それだけじゃないのだろう。嬉しい事も楽しい事も、確かに有ったのだから。

 そんな世界を、見たいと思った。元々その為に冒険者を目指していたのだ。英雄に成る事は早々に諦めて、世界を見て回りたいと、そう思っていた。

 そして、それは今も変わらない。ただ一つ変わったのは、自分一人では無いと言う事。

 アリスと、そして、仲間達と共に。


 ◆


 学園の敷地を出て、ヴァイス達はアリスとシャルロットに別れを告げた。

 どうやらシャルロットは、アリスと共に孤児院に行くようだった。聖女に、遅くなった説明でもするつもりなのだろう。

 ブンブンと幾分大きめに手を振るシャルロットと、胸の前で小さく手を振っているアリスに、ヴァイス達も手を振り返して。街へと帰っていく二人を見送ってから、彼らは寮へと歩を進めた。


 その、寮までの帰り道。ヴァイスはゲイル達から少し離れて、彼らに付いていくような形で、少し後ろを歩いていた。

 

 ヴァイスは、先程のアリスとの会話を思い出していた。今日の事で、かなり二人の距離は縮まったのだろう。色々と、突っ込んだ話をしてしまったな、とヴァイスは思っていた。


 自分は、恵まれている。確かにその通りだと、前を歩く幼馴染達を見てヴァイスは思った。

 一年ながら魔気を使えて、学園の一年の中では間違いなくトップレベルの二人だ。そんな二人が、なぜ自分なんかに付き合ってくれるのだろうと、時々不思議に思う事もあったのだが。

 今は、それを素直に有り難く感じていた。こんな自分と一緒にいてくれて、本当に感謝していたのだ。


 しかし。

 やはり、悔しい気持ちもどこかにあった。アリスを助けるのは自分の役目なのに、自分こそが、相応しいのに。

 その己の内に沸きあがる傲慢な考えに、ヴァイスは自嘲気味に口を曲げる。


 気持ちを切り替えるかのように、彼は空を見上げた。そこには光り輝く星空が何処までも広がっていて、アリスがしたように、ヴァイスも右手を天に向かって伸ばしてみた。

 星空には、とてもじゃないが届きそうに無い。それくらい、この世界に比べて自分はとても小さくて。弱い存在だという事がよく分かる。

 しかし、それでも。


――強くなりたい。今よりも強く。彼女を守れるように。彼女を悲しませないように。


 それはつまり、自分のためではなく、アリスのために。

 それは周り巡って自分のためかもしれないけれど。それでも、心から、彼女を思って――


 ドクンッ


「……?」


 一拍。鼓動に合わせるかのごとく、伸ばした右腕が熱を持った、気がした。

 己の右腕を見て、ヴァイスは不思議そうに首をかしげる。そこは、さっきまでアリスが触れていた場所で、抱きついていた場所だ。

 アリスの体温がまだ残っていたのだろうか、と。一瞬浮かんだ考えを、何馬鹿な事を考えてるんだ、とヴァイスは首を振った。

 本当に、アリスにやられてしまっている。今日の医務室での事も、流されていた所があったけれど、それを後悔はしていない。彼女に対する想いは、間違いじゃないのだから。

 そう思って、ヴァイスは右手を軽く握り締めた。一瞬湧き上がったように思えた熱は、今は全く感じられない。やはり気のせいだったのだろう。


 そこに、前を歩いていたゲイルが、ヴァイスの方を振り返って。


「おい、ヴァイス! ちんたらしてるなよ、さっさと帰るぞ!」

「っと、わかったよ! ちょっと待って!」


 呼ぶゲイルに声を上げて。ヴァイスは、星空の下を駆け出していった。

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