32.英雄の定義

「上手く行きましたね」


 マリアが、リリカに向けて話しかけた。口調は、いつの間にか普段のものに戻っている。


 ここは、先程決闘が行われていたグラウンドだ。陽がゆっくりと落ち、一面茜色に染まった世界の中央で、マリアとリリカが佇んでいる。

 彼女達の視線の先には。決闘の準備の為に、それぞれ少し離れた所で装備を整えているゲイルとブラッド。そして、今度は監査役を買って出たシャルロットが、彼らの丁度中間辺りに立っていた。

 さらにその奥側には、ブラッドの取巻き達と。まだぱらぱらと学園に残っていた学生達が、見学に来ているのが見えた。


「ええ、上手く釣れました」


 マリアの言葉に、リリカが返事を返した。

 その隣で、マリアは少し溜め息をついて。


「それにしても、まさか自分自身を餌に釣るとは……。確かに、彼には効果的な案だったかもしれませんが」


 と、彼らの行動が予想外だったのか、呆れたような表情を見せていた。


 先程、マリアがリリカ達に話した、決闘の条件の二つ目。マリアが厄介だと言っていたそれは、つまりはどうやってブラッドを決闘の場に引き出すか、と言う話だった。

 決闘にアリスとの約束を賭けさせる以上、こちらも何か賭けなければならなかった。それが、ブラッドにとって魅力のある物でないと、彼は決闘に乗ってこないだろう。

 また、彼はアリスと言う報酬を得ているのだから。わざわざ決闘に引きこむなら、相応のモノが必要なのだった。

 それを、リリカ達は用意できるのかと。そこが、マリアの懸念であったのだ。


 しかし、その話を聞いたリリカは、そんな事かと、拍子抜けたような顔を見せた。それぐらいなら簡単ですと、軽く言ったのだ。

 だから、何か上手い手があるのだと、マリアは思ったのだが。まさか、自らを賭けるとは、完全に予想の範囲外だった。

 まぁ、それでも。それが上手い手だとも思えていた。彼らにとって、リリカはとても魅力的であろう。アリスには申し訳ないが、おそらくは彼女よりもよほど食い付きが良いと思われた。


 しかし。マリアは、それに手放しで賛成は出来ない。当然の事だ。

 だから、マリアは渋い顔で苦言を呈する。


「ですが、負けたら更に面倒になりますよ。アリスさんを救おうとして、貴方までそうなったら、完全に本末転倒です」

「大丈夫ですよ。ゲイルは負けません」


 リリカが、まるで自分の事のように、自信満々に答えた。

 そう言われたら、マリアも黙るしかないのだ。彼らは幼馴染で、お互いの力量はよく把握しているだろう。おまけに、ヴァイスとの決闘で、ブラッドの戦闘能力はおおよそ分かっている筈だ。

 その上で、負けないというのなら。それは、きっと真実なのだろう。

 ただ、それでも懸念はあるのであって。たとえば、


「でも、決闘はゲイル君が出るんですね。相手は物理障壁持ちですし、てっきりリリカさんが出るかと」


 あの、魔道具を利用した物理障壁。ヴァイスの剣が全く通じてなかったあれを、今度も使ってくる事は容易に予想できる。

 なら、魔法が苦手であった筈のゲイルよりは、リリカの方が向いているのではないか、ともマリアは思ったのだ。

 そして、その考えを彼女は素直に述べたのだが。それを聞いて、リリカの顔色が瞬時に変わった。


「……ええ、本当は私が出たかったのですよ? そうすれば、あいつをこの手で八つ裂きに――」

「ああ、待って待って、落ち着いて」


 感情が抜け落ち、物騒な事を呟きだしたリリカを、マリアが直ぐに止めに入った。

 どうやら、ゲイルにその座を譲ったのは、リリカにとって本意では無い様だ。


「……はぁ、すみません。全く、この怒りを何処にぶつけたらいいのか……」


 リリカが、恨めしそうにぶつぶつと呟いて。そして気を取り直すようにぶんぶんと首を振り、


「……今回は、ゲイルに譲ります。彼がで怒っているのは、結構久しぶりでしたから」

「へぇ、そう言うものなのですか?」

「そうです。本当に、残念ですが」


 本気で残念そうに、リリカが言った。そんな様子でも、それでもゲイルに譲るのなら。彼が本気で怒るというのは、珍しい事なのだろう。


 マリアは、先の決闘での彼らの様子を思い出した。

 確かに、あの時の彼らから発散される怒気は、凄まじいモノが有った。仲の良い幼馴染が痛めつけられていたのだから、当然だとは思うが。

 それでも、あれは。たとえ幼馴染の事と言えど、あそこまで――まるで相手を殺してしまいそうな程を殺気を、放つ事が出来るのだろうか。

 

 マリアの中で、微かな違和感がしこりの様に残っている。


 思えば、彼らがヴァイスと行動を共にするのも、正直に言えばおかしな話なのだ。彼は魔力を持たない、前代未聞の弱者であって。どんなに頑張ろうと、冒険者としてはせいぜいCランクまでしか行けないだろう。

 勿論、彼が凄まじい努力を積んできた事は、先の決闘で分かっていた。しかし、それでもブラッドには勝てなかった。

 努力ではどうしようもない程の、才能と言う名の化け物が、彼の道を阻んでいるのだ。そして、一生。彼は、その化け物を乗り越える事は出来ないだろう。


 そして、リリカ達は、彼とは正反対なのである。

 彼らの実力は相当なもので、一年としては規格外と言って良い。彼らがこのまま訓練を積めば、冒険者としてかなりの位置まで登る事が出来るだろう。おそらくは、マリアと同じAランクまで辿り着けるくらいは、成長する事が出来るだろう。

 しかし、そうなれば。彼らが共に居る事は出来なくなるだろう。Aランクの依頼は、Cランクの者が付いて行ける様な物では無い。確実に仲間の足を引っ張る事になり、下手をすれば依頼の達成も不可能となる。

 だから、基本的には。冒険者は、それぞれ実力の近い者とパーティーを組むものなのだ。ランクも同じが好ましく、違うランク同士で組む事はあまり無い。


 そんな事情を知っているのだろうか。どうにも彼らには、向上心というモノが見えなかった。訓練は真面目に取り組んでいるし、強さに関しては貪欲なまでの吸収力を見せているのだが。ことに関しては、上に行こうという想いが、彼らからはあまり感じられなかった。

 まるで、ただヴァイスに付き添っているだけのような。自分達よりもヴァイスを優先しているような。そんな感じがしていた。


「……」


 マリアは、すっかり思考の海に沈んでいた。己の内に生まれたその違和感に、翻弄されている。

 そうする内に、彼女の中で疑念は膨らんで。それを、確かめたいという欲求が、彼女の中に生まれていた。

 いくら教員といえど、個人的な話を深く聞き出すというのは躊躇われる事なのだが。それでも、それを知りたいという欲求の方が勝っていた。


 マリアも、彼らに興味を持ち始めているのだ。

 魔力を持たぬ者と、気力を持たぬ者と。それとは逆に、一年で飛びぬけた力を持つ二人と。なんだかちぐはぐな、それが逆にきっちりはまっている様な。

 この、不思議な関係の、彼らに。


「先生?」

「……ああ、なんでしょうか」

「いえ、何か考え事ですか?」

「ええ、まぁ」


 マリアは、一度考え込むように目を閉じて、


「……貴方達は、なぜヴァイス君を、そんなにも気に掛けているんですか?」

「それは……幼馴染、ですから」

「それだけですか? 何と言うか、そうは思えないんですよね。何かもっと、特別な――」

「特別というと。例えば私が、ヴァイスに異性として好意を抱いていると?」

「いえ、それも違うような……」


 なんだか良く分からないような、歯切れの悪い思いをマリアは感じていた。

 リリカが、まるでアリスのように。彼に対して愛情を抱いている……やはり、何か違和感がある。

 彼女の、ヴァイスに対する想いは、そう言うのでは無いのではないかと、奇妙な確信がマリアにはあった。

 そして、そんなマリアを見て。リリカが可笑しそうに吹き出した。


「ふふっ、そうですね。私は、ヴァイスに好意は寄せていますが、どちらかというと家族の様な感じですよ。尊敬できる兄と言うか、手の掛かる弟と言うか」


 マリアが、ますます分からないと言った表情を見せる。困惑しているような、そんな感じだ。

 それを見て、リリカは納得顔で。


「……ヴァイスは、私達にとって、英雄なのですよ」


 冗談でなく、ふざけてる様子でもなく。至極真面目に、リリカはそう言った。

 その、「英雄」という言葉に、マリアが僅かに目を見開いた。それは、あまりに突飛な話ではないか、と。

 しかし、そんな彼女の心の内を、まるで見透かすように、リリカが苦笑する。


「他愛ない話ですよ。私は小さい頃、領主の娘として、村の子達からは一歩引かれていました。みんなの輪の中に入れず、長い間寂しい思いをしていました。そんな時に、助けてくれたのがヴァイスなのです」

 

 まるで、昔を懐かしむかのように、リリカが話をしている。それを、マリアは静かに聞いていた。


「ゲイルもそうです。彼は、今からは考えられませんが、子供の頃は身体が弱くて。気を使われて、外では遊べなくて、そこをヴァイスが無理矢理引っ張って行ったんですよ」


 それで、ヴァイスの父親にこっ酷く叱られてたんですよね、と。楽しそうに、リリカが言った。

 その後、ゲイルは、ヴァイスの父親の考えた訓練メニューによって今の逞しい身体を手に入れたのだ。ある程度動けるように成るまでに時間が掛かったが。その間根気強く、ヴァイス達親子はゲイルを支えていたのだった。


「……意外ですね。彼、そんな強引な性格には思えませんが」

「子供の頃のヴァイスは、今と比べると大分腕白でしたから。子供だったから、誰も魔力が無い事なんて気にしてませんでしたし、魔気だって当然使えませんでしたので。それなのに、ヴァイスはその気力のせいなのか、身体能力は人一倍高くて。村の子供達の、中心的な存在だったのですよ」


 リリカが、その当時を思い出したのか、くすっと微笑を浮かべている。

 その瞳は、何処か遠くを。遠く離れた故郷を、見つめているようで。


「……それだけ、ですか? 命を救われたとか、そんな話ではなくて」


 しかし、マリアはあまり納得がいかない様子だった。子供の頃に交友関係で助けられて。それだけで、ここまでの信頼を寄せるのだろうか、と。相変わらずの違和感を感じていた。

 そして、リリカは。そんなマリアの心を分かっているかのように、彼女に視線を向けて、


「たかが、そんな事。確かに、今にして思い出せば、なんでもないつまらない事ですよ」


 そう言って、頷いて、一度息を切って。そして、またも視線を遠くに乗せて。


「でも。当時の私にとっては、それは――」


――そうだ。まだ子供だった私にとって、それは紛れも無い、地獄だった。遊んでいる子達を、遠くから見ているのが、寂しくて、辛くて、苦しくて。

 でも、私は領主の娘で、”良い子”だったから。親にも、誰にも相談できずに。誰も、それに気付いてくれずに。……夜は、広い自室に一人、皆に隠れて泣いていたのだ。

 見ていないで、自分から声をかければいいのに。仲間に入れてくれと、話しかければいいのに。今なら簡単に出来そうな事なのに。まだ子供だった私には、たったそれだけの事が、出来なかった。


 リリカが、そっとその目を瞑る。まるでそこだけ、時間が止まったかのように。夕日の中で、その少女は静かに佇んでいた。


――今はもう、子供の頃の事なんて、過ぎ去った時間に擦れてしまったけれど。

 それだけは、今でも鮮明に思い出せる。


 ずっと、遠くから見ていた。同じ歳の頃の子供達が、村の広場で遊んでいるのを、ずっと遠くから見ていた。

 楽しそうに遊ぶ彼らが、羨ましくて。一人ぽっちの自分が、悲しかった。


 そんな時に、不意に差し出された手。珍しい、黒髪黒目の、私よりずっと背の高い少年が、屈託の無い笑顔で、私にその手を差し伸べていた。


『何してんだよ、そんなとこで。あいつらと一緒に遊ばないのか?』

『わ、わたしは、りょーしゅの娘だから、その……』

『なんだそりゃ。そんなの関係ないじゃん』

『関係、ある。みんな私に、気を使うし、私が行くと、楽しくなさそうだもん。みんな、私のこと、好きじゃないもん……』

『だぁー! 面倒くさい事考えてるなぁ。そんな顔で、何言ってんだよ。みんなと遊びたいんだろう? お前』

『それは……、でも……』

『ほら、来いよ。俺と友達になろうぜ』

『とも、だち……?』

『そうだ。友達なら、領主とか関係ないだろ。父さんがいつも言ってるんだ。友達ダチなら、何があっても助けろって。相手がどんな身分の奴でも、友達なら助けてやれって』

『……ともだちに、なって、くれるの?』

『ああ。ほら、来い。あいつらの所に、俺が連れて行ってやるから――』


 そう。目を瞑れば、その光景が、今でも鮮明に思い出せる。

 自分に向けて手を差し出している、少年の姿。自分を、孤独から無理矢理に救ってくれた、英雄の姿。その差し出された手を取ったあの日から、自分の人生は、変わったと言っても過言ではない。

 後になってから、彼が、最近村に移り住んできた元冒険者の、その息子だと知った。

 新参者だからこそ、領主とか、そう言う物を気にしなかったのだろう。この小さな村のしがらみなんて、知った事ではなかったのだろう。

 でも、そんな事は関係なかった。彼にどんな理由があって、どんな想いがあったのか。そんな事は、私には関係なかった。

 唯一つ、私にとって大事な事は。

 彼が、私を救ってくれた。ただ、それだけなのだ。


「ゲイルも、似たようなものなんです。だから、ヴァイスは。確かに、戦闘に関しては劣っているかもしれませんけど。私達にとっては、間違いなく、英雄なんですよ」


 そうだ。英雄が、人を救う者なら。救世主の事を言うのなら。

 ヴァイスは、自分達を救ってくれた。泣いていた私達を、助けてくれた。

 確かに、彼は弱いかもしれないけれど。無能と呼ばれる程の、弱者かもしれないけれど。

 その、心の有り様は――


「だから、彼を害する者がいるのなら。彼の大切なモノを、汚そうとする者がいるのなら」


 リリカが、視線の先のブラッドを睨みつける。先のヴァイスとの決闘を思い出して、冷たい殺気が身体の奥底から沸いて来る。

 きっと、ゲイルも同じ気持ちだろう。自分と、同じ考えだろう。リリカは、それを理解している。

 だからこそ、冷たく、重く、しかしはっきりと。の想いを、言葉に乗せた。


「私達は、それを。絶対に、許しはしない」


   ◆


「よお、良く逃げなかったな」


 準備を終えて、シャルロットの元へと歩み寄る二人。そこで、ゲイルがそんな台詞を投げかけた。

 そして、そんな彼に対して、ブラッドが苛立ち混じりに吐き捨てる。


「あぁ? 何言ってんだ、てめぇは、一年が調子にのりやがって――」

「俺はなぁ、すっげぇ久々に、心底ムカついてんだ。こんなに腹が立ってんのは、何時以来かねぇ」


 ブラッドの言葉を意に介さず、ゲイルは独り言のように言葉を続けた。そのせいで、ブラッドの苛立ちが更に増していく。


「アァ? お前、何訳わかんねぇ事言ってんだ」

「……これはなぁ、お礼だよ。お礼」


 噛み合わない言葉を放り投げて。ただ自分の好き勝手に台詞を乗せて。

 ゲイルが、剣を持ち上げた。その、ブラッドの持つ物と同じ、訓連用の大剣を片手で持って。

 その鈍色の大剣が空を切り上げ、頂点が天を向き。そのまま、ゲイルの背中側へと降りていく。

 彼は、右手で右肩に担ぐように大剣を構えて。

 しっかりと、息を吸って、吐いた。


 瞬間。


 その身体から、夥しい程の魔気があふれ出た。まるで彼を中心に爆発が起きたのではと錯覚するほどの勢いで、真紅の魔気が放出される。

 そしてそれは、まるで竜巻の如く、ゲイルの身体に巻きつき登って行った。


「俺のダチと、遊んでくれたお礼だ。だから、遠慮はいらねぇ。たっぷりと――」


 ゲイルが、右肩に担いだ大剣を、そのまま片手で正面に振り下ろした。それにあわせて、爆音と爆風と共に、竜巻のように昇っていた魔気が辺りに拡散された。

 残ったのは、相手に向かって真っ直ぐに大剣を突きつける、真紅の魔気を纏った男。


「楽しもうぜ、センパイ」


 その瞳を紅に輝かせ、獰猛な笑みを浮かべたゲイルが。己の倒すべき相手だけを、見つめていた。

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