31.反撃開始

 時間は少し遡り、ヴァイスとブラッドの決闘直後。


 暮れ始めた陽のだいだい色に染め上げられた、学園の廊下にて。

 ゲイル、リリカ、マリアの三人が、その廊下の壁に背を預け、佇んでいた。彼らの目の前にある扉には、「医務室」という小さな看板が掛けられている。

 ゲイルとリリカは、何処か落ち着かないようにそわそわとしながら立っており。マリアはそんな二人に目を向けながらも特に言葉も発さずに、まるで何かを待つように立っていた。


 そんな三人の目の前で、扉が小さな音を立てて開かれた。

 三人が、その音にはっとしたように顔を向ければ。その扉、つまりは医務室から、シャルロットが出てくる所であった。

 それを見て、ゲイルとリリカの二人が、待ってましたとばかりに出てきたシャルロットへと詰め寄った。


「センセイ、ヴァイスは? 大丈夫か?」

「大丈夫~、怪我は全部治したから、後は休んでいれば元気になるわよ」

「良かった……」


 やんわりと笑顔を見せるシャルロットの言葉を聞いて、リリカが安堵の溜め息を付いた。

 

 あの決闘の後。重傷を負っていたヴァイスはゲイル達によって医務室へと運ばれ、シャルロットの治癒魔法を受けていたのだ。アリスも、本人の強い要望により、手伝いとして共に治療に当たっていた。

 治癒魔法も、瞬間的に怪我を治せる訳では無い。軽い怪我ならともかく、重い傷だと治療にもある程度時間が掛かる。その為、ゲイル達は医務室の外で、シャルロット達が治療を終えるのを待っていたのだった。

 待っていたと言っても、時間にして十分程度ではあるが。あれだけ全身に傷を負っていたヴァイスをこれだけ短時間で治療できたのは、他ならぬシャルロットの手腕のなせる業であった。


「ただ、しばらくは目を覚まさないと思う。彼にはアリスちゃんが付いてるから、二人は帰っても良いよ?」


 そう聞いてくるシャルロットに、ゲイル達は迷うような表情を見せた。

 しかし、それは一瞬の事。友の無事を確認した二人は、お互いに目を見合わせ、軽く頷くと。


「わかりました、ヴァイスは先輩にお任せします」

「それじゃ、俺らはこれで」


 そう二人の教員に告げると、ゲイル達はきびすを返して、伸びる廊下の奥へと歩き出した。

 それは、彼らの関係性を知っている者にとって、違和感を感じる行動であった。いくら無事に治療を終えたとて、決闘でこっ酷くやられたしまったヴァイスを置いて行くなど、普段なら考えられない行動だった。

 しかし、そんな彼らを見る教員達の目には、どちらかと言うと納得と言った感じの、やっぱりそうかと言う確信に似た色が浮かんでいて。

 シャルロットが、離れていく背を見ながら、となりで溜め息を付いているマリアに向かって口を開く。


「意外とあっさり帰ったけど。あれって、やっぱり?」

「そうですね。……ちょっと、行って来ます」

「わかった。うまくやってよ? アリスちゃんが変な目に遭うと、ローラあのこが暴れかねないしね」


 普段大人しい子が、暴れると怖いわよ? と。シャルロットが冗談めかして言った。

 それに対して、若干引きつった様な顔を見せて、マリアが返す。


「暴れるのは、先輩もですよね?」


 と、確認するように言えば。シャルロットからは返答の代わりに、にっこりとわざとらしい微笑みが返ってきた。その笑みの裏に潜むモノに、マリアの背に悪寒が走る。


 聖女ローラは、孤児院の子供達を、まるで自分の子のように愛している。アリスに対してもそれは変わらない。そして、その師匠であるシャルロットも、ローラとその子供達のことを気に掛けている。

 それならば、学園で不当な扱いを受けるアリスに対して、何もしないのかと思う所ではあるが。

 彼女達が、今まで不憫な学園生活を送っていたアリスを放っていたのは、それが冒険者の現実だからだ。気力の無い彼女が冒険者になろうモノなら、風当たりが強いのは分かりきっている。だからこそ、その現実を知り、あわよくば冒険者なんて諦めてくれないだろうか、というのが聖女の考えだった。


 しかし、だからと言って。いくら冒険者としての現実であるとしても。乙女の貞操の危機にまで、無関心を貫く事は出来ないだろう。

 だからこそ、アリスにそんな事が起こった場合。一体彼女達が、どんな行動に出るのか。


 そんな恐ろしい想像に苦笑いしつつも、マリアが口を開いた。


「……まぁ私にとっても不本意ですので。善処しますよ」

「はいはい。私もここにいるから、必要なら呼んでね」


 そう言って、ひらひらと手を振ってくるシャルロット。

 それに一つ頷いて、マリアは去っていくゲイル達を追いかけていった。


   ◆


「じゃあ、どうするか。まずは、あの野郎を探さねぇとな」

「残っている学生に聞きましょう。まだそんなに時間はたってませんし、彼らは騒がしいですから。居場所くらい誰か知っているでしょう」


 そう相談しながら、校舎の出口へと歩くゲイル達に、後ろから声がかけられた。


「待ちなさい、二人共」


 その声に反応して、二人が振り向けば。廊下を小走りで駆けてくる、マリアの姿が見えていた。


「先生、どうしました?」


 リリカが怪訝な表情を向けて聞けば。マリアもやや鋭い目付きで二人を見つめ、


「何処に行くつもりですか? 素直に帰る気では無いのでしょう?」

「何言ってんだ、さっさと帰るに決まって――」

「ブラッドの所ですか?」


 ゲイルの言葉を遮って、マリアが問い掛けた。その声は、確信を得ているような音色だった。

 しかし、その言葉にゲイル達は答えない。答えない事こそが、すなわち答えであった。

 そこで一つ、マリアが溜め息を付いて。


「まったく、殺気が駄々漏れですよ。隠す気あるんですか」

「……センセイは、俺らの邪魔をすんのか?」


 ゲイルが、マリアに対して無感情に言葉を投げかけた。それに、マリアは苦笑しつつ自分の言葉を投げ返す。


「私は教員ですからね。学生が間違った道を進もうとしているのなら、それを正すのが仕事ですから」


 その台詞を受けて、ゲイル達の纏う空気が剣呑なものへと変わる。その身から漏れていた殺気が、向かう先を変えている。

 それは、つまりは。邪魔をするのなら、例え教員マリアでも容赦はしないと言う彼らの意思であり。一触即発と言った張り詰めた空気が辺りに漂いだした。


 表面上には出さないように努めていたのだが、その殺気からも分かるとおり。ゲイル達は、腹の煮えくり返るような思いを抱えていたのだ。

 ヴァイスが決闘で嬲られている時からそうだったのだが。アリスの約束が、更に彼らの怒りに火をくべる要因となっていた。

 結果、今の彼らの状態は、正に堪忍袋の尾が切れかけている状態であり。誰であろうと、邪魔を許す気は無かったのだった。


 しかし、そんな空気を感じ取って。マリアは盛大に溜め息を付いた。


「あなた達ね……まぁ、いいわ。話を聞きなさい。私は別に、あなた達を止めに来たわけではないのよ」


 マリアの纏う空気が変わった。呆れたような表情で、口調は砕けている。それは教員と言うよりは、まるで友人に、冒険者仲間にでも対するような調子であった。

 そんな彼女に、ゲイル達は不審そうな顔を向けている。止めに来たのでは無いなら、何の用だと、マリアを睨みつけるが。

 ゲイル達の様子に気後れする事無く、マリアは言葉を続けた。


「さすがにね。教員としては、学園の生徒が自分の身体を差し出すなんて、黙って見過ごすわけにも行かないのよ。それが幾ら、決闘による約束でもね」

「じゃあ、俺らを呼び止めて、一体何の用だよ」

「だから、道を正すだけよ。おかしな道を進もうとしてるから、それを正攻法にもってくってだけ」

「正攻法?」


 リリカが、言葉の意味が分からずにそのまま返すが。それにマリアは頷いて、悪戯っぽい笑みで片目を瞑り。


「そう。まぁ、目には目をってね。単純な話よ。もう一度ブラッドに決闘を仕掛けて、彼に勝てばいいのよ。そうすれば、アリスさんの約束の件は無しに出来る」


 二人が、少し驚いたように目を見開く。


「やっぱり、気付いてなかったのね? どうせ、ブラッドを叩き潰して、無理に約束を反故にする気だったんでしょう。少しは、冷静になりなさい」

「……まぁ、俺はあいつをぶちのめせるならなんでもいいけどな」


 ゲイルが、ばつの悪そうに視線を逸らした。

 普段なら、彼らもそんな短絡的な行動には出ないだろうが。そんな行動に走ってしまう程に、頭に血が上っていたのだろう。

 それを見て、マリアが一瞬笑みを浮かべて。しかし直ぐに表情を引き締め、話を続けた。


「そう。但し、この方法でアリスさんを救うには、条件があるんだけど」

「なんですか、それは」

「まず一つ、これは大前提だけど。貴方達二人のどちらかが、ブラッドに勝てなきゃいけない。それが出来ないと、そもそも決闘を仕掛ける意味が――」

「勝てる」

「勝てます」


 マリアの台詞を食い気味に、二人が同時に即答した。

 その両の眼は自信に満ち溢れている。そんな事は愚問だと、その視線が雄弁に語っていた。

 その視線を受けて、マリアが今度こそはっきりと微笑を浮かべて。


「大した自信ね。まぁ良いわ。そして、次の条件。……正直な話、こっちの方が厄介なんだけど」

「なんですか」

「それは……」


   ◆


 夕日に暮れる学園の敷地内の一角、数ある休憩所の一つで、ブラッド達が盛大に騒いでいた。

 ブラッドは椅子にふんぞり返るように座り、大声で笑い声を上げている。その周りで、彼の取巻き……もはや信者とも言えそうな者達が、ブラッドに媚びへつらっていた。


「流石でしたね、ブラッドさん! 無能の奴、手も足も出ませんでしたよ!」

「当たり前だろうが! あんな雑魚に俺が負けるかよ。全く、面倒掛けやがって……」


 決闘を思い出してか、ブラッドの眉間にしわが寄る。

 彼は、ヴァイスなどに苦戦などする事は無いと思っていた。決闘など、丁度いい憂さ晴らしだと考えていた。しかし、存外にしぶとかったヴァイスのせいで、逆に苛立ちを覚えていたのだが。

 次の瞬間には、ブラッドの顔は下品に歪んでいた。理由は言うまでも無く、アリスとの約束の事だ。


「いやあ、明日が楽しみだぜぇ。あいつは無能だが、顔は悪くねぇしなぁ。これでもうちょい体付きが良けりゃあ文句はねぇんだが……まぁたまにはああいった女も面白いかもなぁ」


 ブラッドが、にやにやと笑いを浮かべ、周りの者もそれに同調する。

 およそ学生の集まりとは思えない、まるで街の酒場でいい歳した親父達が、下品な話に興じているような。健全な学生には近寄りがたい空気が、そこにはあった。


「おい! 一日は長ぇしな。明日はお前らにも使わせてやるよ。有難く思えよぉ?」


 その台詞に、周りの者達が沸き立つ。皆好色に目を輝かせている。これで、彼らは益々ブラッドに心酔していく事となるのだろう。

 そして、賞賛を投げてくる彼らを、ブラッドも満足そうな表情で見下していた。


 しかし、そこに。まるで場に冷や水でも掛けるような声が、彼らに向かって放たれた。


「センパイ方よお、随分面白そうな話をしてんじゃねぇか? 俺も混ぜてくれねぇか?」

「あぁ? 誰だ、テメェ」


 機嫌よくしていた所で急に投げられた言葉に、ブラッドが若干語気を荒げつつ振り向いた先には。二人の男女の学生が、夕日を背に立っていた。

 一人は、短く刈った赤髪を逆立てた、整っているが野生的な顔つきの男。同年代の学生達と比べると背がかなり高く、その分体付きもがっしりと逞しい。

 その隣に立つ女は、見事な金髪を腰まで流し、森人類エルフも顔負けな美貌を持っている。さらには、およそ学生離れしたプロポーションを誇っていた。


 その二人とは、当然の如くゲイルとリリカである。学園内に残っていた学生達から情報を集め、ブラッド達の所まで辿り着いたのだ。

 彼らは、ブラッド達から見て逆光となっており。その表情は今一読めなかったのだが。その姿に見覚えのあった者が、思わずといった様子で声を上げる。


「……こいつ、さっきの無能の仲間ですよ」

「はぁ? まじか? んだよ、そんな奴が何の用だ?」


 その言葉を聞いて、ブラッドは面倒臭そうに声を上げた。その目からは既に苛立ちが見て取れる。

 しかし、そんな彼の様子には意にも介さずに、ゲイルが口角を広げ、そのまま開く。


「いや、大した用じゃねぇんだが。なぁ、センパイ。俺とも決闘してくれねぇか」

「なんだと?」

「そんで、俺が勝ったら。さっきの、アリスセンパイとの約束は無しにしてもらう」

「はぁ!? 何勝手に話し進めてんだ? んな勝負受けるかよ!」


 まるで相手の事など考えていないように一人で話を進めているゲイルに、ブラッドが怒鳴り声を上げた。その声に、周りの取巻きがびくりと震えるのだが。

 それでも、ゲイルは平気な顔で。それどころか、ブラッドに対して冷笑を浮かべて。やや大げさに、両手を広げて呆れたような動作も交えて。


「何だ、逃げるのか? ああそうか、無能相手にしか戦えない腰抜けか」

「あぁ? 何だと、てめぇ」


 相変わらずの沸点の低さで、ブラッドが腰を浮かした。声も低く重く、今にも殴りかかってきそうな様子だった。

 しかし。そこで、ゲイルの隣で黙っていたリリカが、その口を開いた。


「あなたがゲイルに勝てたら、私もアリス先輩とお供しますよ」

「……何?」


 リリカの意図が分からず、ブラッドが彼女に目を向ける。彼女は、この場には合わないような微笑を浮かべて、


「あなたが彼に勝てたら、私を好きにして良いと。そう言っているんですよ」


 リリカが、まるで自分の胸を強調するかのように、腕を組む。制服を押し上げてるその豊満な膨らみが、両腕の上で弾むのを見て、ブラッド達が喉を鳴らした。

 アリスは、お世辞にも良い体付きとは言えないが。リリカは逆の意味で別格だ。その身体を好きにして良いとは、健全な男にとって魅力的過ぎる話であった。

 現に、ブラッド達の視線はリリカで釘付けになっており、ゲイルの言動に沸きあがった怒りも、どこかに飛んでしまっていた。

 そんな男達にリリカはほくそ笑み、ゲイルに目配せすると。彼も苦笑しつつ頷き、だらしない顔を晒しているブラッドに向かって、再度問い掛ける。


「で、どうすんだ、センパイ? まぁ、無理とは言わねぇ。怖いってんなら止めときな。俺みたいな一年にも勝てる自信が無いんなら、逃げても文句は言わねぇよ」

「言うじゃねぇか、あぁ? 無能と言い、本当に生意気な奴らばっかりだな」


 先程と同様、年上に対するとは思えないゲイルの言葉に、しかし先程とは違い、ブラッドは余裕たっぷりに応えた。

 もはやブラッドの思考は、リリカの事で埋まっているようだ。女性なら険悪感を感じるような、下劣な表情を浮かべている。

 そして、ブラッドは、そのままの表情で。


「良いぜ。決闘を受けてやる。どうせ、勝つのは俺なんだしな。……お前、こいつが負けても、逃げるなよ?」


 と、前半はゲイルに、後半はリリカに向けて告げたのだった。

 その声は、自分の勝利を確信していた。一年のゲイルに負けるなど、夢にも思っていないような、そんな調子だった。

 そして、そんな声を聞いて。


「ああ。あんたも、負けたらアリスセンパイの約束の事、忘れるなよ」

「はっ、言ってろよ。俺に勝てる訳ねぇだろ」


 と、ゲイルとブラッドが言葉を交わして。これで、決闘は成り立った。ゲイル対ブラッドの、一年対二年の、一般的には無謀とも言える決闘が。


 しかし。ゲイルとリリカは、密かに微笑んでいた。この結果は、満足のいくものだった。

 上手くいった。上手く


 二人は思う。

 さぁ、ここからだ。

 俺達の友を、愚弄し、貶めた馬鹿者に、目に物見せてやろう。

 俺達に喧嘩を売った事を、嫌と言う程、後悔させてやろう。


 さあ。

 反撃、開始だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る