19.帰り道

 学園の迷宮、その入り口から、やや疲れた表情をしたヴァイス達が姿を現した。


「っはー、やっと地上に出れたなー」


 ゲイルが唸りながら伸びをしている。他の者も、同じように伸びをしたり、久しぶりの地上の空気を味わうように深呼吸したりしている。


「帰りにも魔物が居るんですよね、考えたら当たり前の事ですけど」


 と、うんざりしたようにリリカが呟いた。

 

 アリスの説明にもあったように、魔造迷宮ラビリンス内では魔物が勝手に召還される。そのため、迷宮奥からの帰り道、つまり一度通った道であろうと、魔物が普通に徘徊しているのである。

 アリスを除いた三人も召還等について知識として知ってはいたのだが、実際に魔造迷宮に潜るのは初めてであった。その経験の無さからか、行きで魔物を殲滅していても戻る頃には復活している、という事が想定出来ていなかったのだ。

 そのために、行きと同じくらい帰りも戦闘があるという事は、彼らには完全に予想外の事なのであった。言われてみれば至極当然の事なのだが、召還という普段接する機会の無い現象に、想像力が足りてなかったのも仕方が無い事だろう。

 この召還があるが故に、魔造迷宮の探索はかなりの余裕を持って行うべし、と言うのは冒険者の心得の一つである。


「結構時間も掛かりましたね」


 ヴァイスの言葉に、皆は辺りを見回した。

 迷宮へと潜ったのはまだ日が高い時間であったのだが。地上へ出るとすっかり日が暮れており、迷宮前の広場は茜色に染まっていた。中央の噴水に、夕日が反射して輝いている。

 街の喧騒は遠く、日没前の独特な静けさに、戦闘の疲れもあってか言葉が止まった四人であったが。


「……それじゃ、帰ろうか」


 と、気を取り直したアリスがヴァイス達を見上げつつ語りかけ、それに彼らも頷いた。

 それを見たアリスが前を向いて歩き出し、三人がそれに続く。こうしてヴァイス達は、迷宮前広場を後にした。


 ◆


 迷宮は、安全のために郊外に存在している。街から外れた場所にある冒険科でも、更にその外側にある。王都を広く囲んでいる外壁が直ぐ傍にあり、王都の端にあると言って良い。

 そんな迷宮から冒険科へと続く道を通り抜け、しかし校舎にはもう用は無いために四人はそのまま帰路へとつく事にした。

 他愛の無い会話をしながら、夕焼け色に染まった普通科への裏道を歩く四人。普通科の校舎へと出て、やはりそこにも用はないので、学園の敷地を出て。後は其々の住居へと帰るだけだ。

 ヴァイス達三人組は学園の寮に住んでいるため、帰るのもその寮なのだが。

 ヴァイスは、そういえば先輩は何処に住んでいるのだろう、と思い、隣を歩くアリスに疑問を投げかけた。


「そういえば、先輩は学園寮に住んでるんですか?」

「いや、私はクラディス院から通いだよ」

「……そうか、それはそうですよね。院はこの王都にあるんでしたよね」


 昼間の会話を思い出しながら、ヴァイスが答える。

 このアルディア学園は立派な寮がある。ヴァイス達のように王都外から来る者は、必然的に皆寮に入るのだが。王都に住んでいる者は、実家から通っている事も多い。


「そうだね。中央広場からはちょっと離れてるけど、歩けない距離じゃないんだよね」

「……孤児院って事は、やっぱり子供が多いんですか?」

「そうだねー。皆元気で、悪戯ばっかり。私ぐらいの年になると一人立ちする子も多くて、残ってる私はよく相手するんだけどね。ふふっ、もう大変」


 と、先に見える町並みに目を向けて言うアリス。その瞳には、院に居る子供達の姿が浮かんでいるのだろうか。

 彼女は、大変だと口では言いつつ、そうは思えない柔らかな表情を見せていた。それは手の掛かる子を見つめる母や、悪戯盛りの弟を見る姉のようで、件の聖女の如く慈愛に満ちたものであった。

 こうして不意に見せる外見に見合わない顔に、もう何度もドキリとさせられているヴァイスだったのだが。


 ここで彼は、自分が大きな思い違いをしていた事に気付いたのだ。

 彼は、アリスが学園内では一人で居る場面しか見た事が無いので、彼女は一人ぼっちなのだと思っていたのだが。それは間違いだった、という事だ。

 彼女が孤児院から通っているのなら、そこには友人達もいるだろうし、面倒見のよい彼女を慕っているであろう子供達も居る。院の先生も、聖女ローラも居るのだ。

 学園内はともかくとして、院に帰れば寂しい思いをする事はないのだろう。それは、今のアリスの表情を見れば明らかだった。


 ヴァイスはアリスが一人ぼっちだと勝手な想像をしていた事を恥じながらも。そうではなかった事に、自分と同じく、支えてくれる者が居るんだという事に、心から安堵していた。


「そうなんですか。……今度行ってみたいですね」


 ヴァイスは視線の先の街並みにあるのであろう、孤児院を思い描きながら呟き、


「ん、良いよ。どんどん遊びに来て。まぁ、面白いモノとかがあるわけじゃないけど」


 それにアリスも答える。

 そうして、顔を見合わせて笑いあう二人。彼らの周りに和やかな雰囲気が出来上がっていたのだが。


「でも、孤児院出なのによく冒険科に入れたな、結構金掛かるだろう、にぃっ!?」


 と、ゲイルが無自覚にその空気をぶち壊しに掛かろうとして、語尾が呻き声に変わった。その横っ腹に、額に青筋を浮かべたリリカの肘が、結構な勢いで突き刺さっている。


「……リリカちゃん、手加減してあげて」


 容赦の無いリリカに、アリスは若干引き気味である。笑顔が苦笑に変わっている。

 とはいえ、ヴァイス達三人にとっては日常的な光景であり。今回はゲイルが悪かったために、リリカは特に気にする様子も無い。

 それどころか、身をよじっているゲイル相手に盛大に溜め息をつきつつ。それでも、彼の疑問には答えたのだった。


「王都出身者は、学費は要らないのですよ」

「へ? そうなの?」


 リリカの答えに、わき腹を押さえているゲイルに代わり、ヴァイスが驚いて声を上げた。

 ヴァイス達は結構な学費を支払っており、他の者も当然同じように学費を支払っていると思っていたのだ。

 そんなヴァイスを見て、アリスがばつの悪そうな顔で口を開いた。


「皆には申し訳ないけど。リリカちゃんの言う通りだよ。王都出身者は、冒険科の学費は免除されているの。簡単な入学試験とかはあるけど、金銭的な障害は無いんだよ」

「……なんだそりゃ、ずるくないか? こっちは高い金出してんのによ」


 復活したゲイルが不満げに答えるが、


「一応、理由はあるんですよ」


 リリカは冷静に、ゲイル達に言い聞かせる様に話を続ける。


「そもそも、なぜ学園に冒険科が在るかは知ってますか? ……というか、座学でやりましたよね」

 

 リリカの鋭い視線がヴァイス達に飛ぶ。

 当然の如く、座学に不真面目なゲイルは視線をついっと逸らした。

 その態度を見て、リリカの視線の鋭さが増すのを感じたヴァイスは、慌てて空へと視線を彷徨わせながら、


「前回の大戦で冒険者が減ったから、その補充のため、って聞いたような……」


 と答えた。その答えが当たっていたのか、リリカが頷いて、


「そう。大戦が終わって直ぐ。王女と結婚して国王に即位したアルバート王が、冒険者を増やす為に冒険科を設立する様に命じたのです」


 大戦終結の直後の話だ。

 人類を率いて戦った冒険者パーティー「天上の冠ヘブンズ・クラウン」。後に五英雄と呼ばれるようになる彼らのリーダーで人類の救世主、勇者アルバートが、王女と婚姻を許されて聖王国クロスギアの王へと即位した。

 アルバートは辺境出身の平民であったが、世界を救った勇者である事と、王女と恋仲であった事。大戦により聖王国の王が既に亡くなっていた事等があり、国王即位は特に問題も無く迅速に行われた。

 ……余談だが、彼らのパーティー名「天上の冠」は、成り上がりを夢見て故郷を飛び出したアルバートにちなんで付けられた名前なのだが、彼はこの上ない形でそれを成し遂げたのだった。


 そのアルバートの即位後、疲弊した国を立て直す為に色々と政策を行ったのだが、その一つが冒険科の設立である。


 魔物が徘徊するこの世界で、それを退治する事を主な仕事とする冒険者は、人類にとって必要不可欠な存在だ。王都には騎士も居るが、彼らは基本的に町の防衛や街道の警護等、守りが主な役割である。そのため、魔物を狩る数は冒険者の方が圧倒的に上だ。

 そして先の大戦には、それが全世界を巻き込んで行われた事と、人類側を率いていたのが冒険者パーティーであった事から、自由な存在である冒険者もその多くが参戦したのだ。

 そのため、大戦によって多くの冒険者の命が失われてしまった。

 そして、その冒険者の減少から、魔物の増大が予想されたのだ。冒険者が減れば、狩られる魔物も減るわけで、それは当然の事であった。

 その魔物増大を回避する為に、冒険者確保は急務とされた。そのために行われた政策の一つが、学園の冒険科設立である。


「その時、少しでも人数を増やす為に、学費は無料タダにしろって王が指示したんだよ」

「そりゃまた、太っ腹な王サマなこって」


 ゲイルが半分呆れたような様子で言葉を漏らした。それに苦笑しつつ、アリスが続ける。


「でも、それは反対されたんだよ」

「なんでですか?」


 そのヴァイスの質問に、言い辛そうに若干目を伏せたリリカが答えた。


「幸い、私達の村ではありませんでしたが。辺境の貧しい地区では、子や老人を口減らしに捨てる、という事がありました。無料にしてしまうと、そんな子供が押し寄せる可能性があったからです」

「王はそれでも良い、と言っていたらしいけどね。冒険者確保と、飢える子の救済、両方一度にできるからって」

「でも、周りから猛反対されたんですよ。唯でさえ大戦で財政は崩壊寸前でしたから。しかし、納得いかない王も粘りまして、両者譲らず。結局譲渡案として、無料は王都のみ、となったんですよね」


 リリカの話に、アリスも頷いた。


「それだと、辺境から金払ってくるとか、酔狂な奴しか来ないんじゃね?」


 その酔狂な自分達の事は棚にあげて、ゲイルが言う。


「そうだね。辺境から来る人は珍しいかな。まぁ、今となっては冒険者の数も大分整ったみたいだから。今は数より純粋に戦力強化のためにあるんだけどね」

「憧れだけで冒険者になって、無謀な事をして命を落とす、という事が減るように。それが今の冒険科の存在意義のようなモノです」


「無謀な事、ね」


 ヴァイスがポツリと声を漏らした。

 その呟きは、どこか自虐的な印象を受けた。表情は普通に見えるが、声色は少し暗かった。

 魔力の無い自分が冒険者を目指すのは、間違いなく無謀な事なのだろうな、とヴァイスは思った。

 それは間違いでは無いのだろう。魔力が無いのは、途方も無い程不利な要素だ。唯それだけで戦況が決まってしまう程の、絶望的な弱点だ。

 そんなモノを抱えて、それでも冒険者を目指すなんて、酔狂にも程がある。いくら性格的に前向きなヴァイスでも、暗くなるのは仕方が無い。

 しかし。


 ふいに、ヴァイスの右手に暖かいものが触れた。彼がそちらに目を向けると、アリスがその手を握っていた。

 二人の視線がつながる。アリスは、その目に心配そうな色を湛えている。


 それを見たヴァイスは、ちくりと胸を刺すような痛みを感じた。後ろ向きな思考をしてしまった自分が、途端に恥ずかしく思えてきた。

 不利な要素。絶望的な弱点。それでも、冒険者になりたいと思ったのは自分だ。英雄にはなれずとも、冒険者にはなりたいと思ったのは自分だ。

 なら、もう迷うべきでは無いだろう。いい加減、吹っ切るべきなのだろう。何より、せっかくここで逢えたアリスを、こんな風に心配させてどうするのだ。

 

 ヴァイスが、ふっと笑みを浮かべた。彼は、心に浮かぶ暗い物が、晴れていくような気がした。

 その右手に感じる小さな掌を、優しく握り返す。


 しかし、それはするりと手から抜けて、今度は身体に衝撃を受けた。


「とう!」


 笑顔が戻ったヴァイスを見て、アリスが彼に飛び掛ったのだ。

 アリスはヴァイスの肩以下の身長しか無いので、両手を上げて飛び上がり、ヴァイスの首に手を回した。

 

「うわっと!」


 悲鳴を上げたヴァイスが、慌ててアリスを抱き抱える。

 

「先輩、何してるんですか」


 ヴァイスが半目で言うが、アリスはそれを無視して、ゲイル達を振り返る。

 ヴァイス達は、今日の戦闘時の様な格好になっていた。

 アリスは抱き抱えられた、正直場にそぐわない状態だというのに、どこか自信ありげに、


「今日の戦い、どうだった?」


 と、二人に聞いた。

 聞かれた二人は、一度顔を見合わせて、


「まぁ、なかなか様になってたんじゃないか」

「えぇ、戦闘法としては十分かと」


 と、素直に感想を述べる。


「だって」


 そう言って、アリスはヴァイスに笑顔を向けた。

 ヴァイスは、一瞬思考が停止し間の抜けた表情をしたのだが。

 あぁ、そうか。自分は慰められているんだな、と。そう気付いたヴァイスが、思わず苦笑する。


「そうですね。結構やれてましたよね、俺達」


 その言葉を聞いて、アリスが頷く。そして、彼女は少し表情を和らげて。


「大丈夫だよ。戦争中でもないんだし、無理しなきゃ命を落とす事とか、今は少ないんだから」

「……ですね。すみません、弱気になって」

「ううん、私も、分かるから」


 そう言って、アリスも首を軽く振った。


 もし、この言葉を言ったのが彼女じゃなかったら。ヴァイスはきっと、不快感を感じていただろう。いったい自分の何が分かるのか、と。魔力の無い自分の、一体何が分かるのか、と。

 しかし、それを言ったのが、彼女だったから。それが、アリス・クラディスだったから。

 ヴァイスは、その言葉を、素直に受け止める事が出来たのだった。


 ◆


「っと、私は、こっちね」


 学園を出てからしばらく歩き。直ぐ傍にある学園寮と、王都中心に向かう街道への分かれ道で、アリスが言った。

 アリスは孤児院へ。他の三人は学園寮へ。当然、ここでお別れである。

 そのまま、アリスは三人から離れて、街道へと向かって数歩進み。


「じゃあね、みんな」


 と、振り返って手を振った。すっかりオレンジ色になっている陽光を受けながら、はにかみつつも笑顔を見せているアリス。柔らかな風が吹いて、彼女の銀髪がさらさらと流れている。

 アリスのそんな姿をみて、ヴァイスの反応が少し遅れるのだが。直ぐに気を取り直して、同じ様に手を振って返事を返した。


「……先輩、また明日」

「おう、じゃあな、センパイ」

「先輩、今日はありがとうございました」


 と、各々で挨拶を交わす。ゲイルは右手をあげ、リリカは軽くお辞儀をしていた。


 アリスは一度名残惜しそうにヴァイス達を見た後、街道へと歩き出す。それを見送ったヴァイス達も、学園寮へと足を向けたのだった。


 ◆


「……今日は、えらく濃かったな」


 学園寮への道を歩きながら。ゲイルが頭の後ろで手を組み、感慨深げに呟いた。


「そうですね。色々ありましたね」


 と、日が暮れて段々と闇が降りて来た空を見上げながら、リリカも呟く。

 それに釣られ、ヴァイスも空を見上げた。

 ゆっくりと、夕暮れの茜色が深い青へと変わりつつ。その青に、星の光がぽつぽつと増えていく。

 それは、いつも見ている夜空なのに、なぜかいつもとは違って見えた。


「そうだね。なんか、楽しかったな」


 ヴァイスが呟いた。

 楽しかった。そう思ったのは、一体何時振りか。学園に来てから、心からそう思った事は、一体何度あったのだろうか。


(先輩は、どうだったのかな)


 そんな気持ちにさせてくれた、その相手を思って。その相手が、自分と同じ気持ちである事を願って。

 ヴァイスは、星空を見上げていた。

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