8.新しい朝

 雲ひとつ無い青空。眩しい朝日に目を細めながら、ヴァイスは寮の前でゲイルを待っていた。

 今朝は、いつもよりも気分が良い。とても爽やかな気分をヴァイスは感じていた。もしかしたら、学園に入ってから一番調子が良いかもしれない。


 理由は分かりきっている。昨日のアリスとの一件である。

 多少トラブルはあったものの、およそ予想していた以上の結果であった。

 少しでも話せて、とりあえずは顔見知りにでも慣れれば良いか、と思っていた所を、一気に友人にまでなれたのだ。正直な話、出来すぎである。


 昨日の事を思い出し、ヴァイスの顔は緩んでいた。これから、この学園での生活も楽しくなるんじゃないか、と希望が胸に沸いている。

 ブラッドとの一件が気がかりではあるが、それもなんとかなるだろう、と楽観的に考えていた。

 昨日以前とは比べ物にならないほど、ポジティブシンキングである。


 ヴァイスが朝日に向かいニヤニヤしている所で、ゲイルが寮の玄関から姿を現した。多少眠そうにしていたが、ヴァイスを見つけると、こちらに早足で駆けてくる。


「悪い、待たせた」

「いや、全然待ってないよ」


 謝ってくるゲイルに、ヴァイスが笑顔で答える。

 やたらと明るい雰囲気の彼に、ゲイルは一瞬怪訝な顔をする。しかし、なんとなく状況を察したのか、フッと笑みを浮かべた。

 

「そうか。んじゃ、行こうぜ」

「そうだね。ゆっくりしていると、またリリカに怒られる」


 違いない、とゲイルは笑う。

 こうして二人は寮の敷地を出て、学園への道を歩き出したのだった。


 ◆


 二人は、リリカの待つ場所へとやや早足で歩いていた。

 ヴァイス達の住む寮とリリカの住む女子寮は、割と離れた場所にある。

 それぞれの寮から学園へと至る道は、ちょうど学園と寮の真ん中辺りで交わっていた。そのため、三人はその場所で毎朝待ち合わせしているのだ。

 真面目なリリカは何時も約束の時間より早く其処へ来ているので、ほとんど彼女が待っているような状況であった。

 

 三人の朝は、他の学生達と比べるとかなり早い。そのために、学園への道に他の学生の姿はほとんど無かった。

 ヴァイスの事情から、無用なトラブルを避けるため、という意味合いもあるのだが。実際には、故郷の村が田舎のためか、朝が早いのが普通だったからというのが本当の理由だ。

 彼らが子供の頃からの習慣なのである。


 そんな、まだ早朝ともいえる時間。学園への道をしばらく歩いた所で、ゲイルが口を開く。


「ところで、昨日はお楽しみだったようだな」


 にやりと、ゲイルが笑みを浮かべつつ、古典の有名な勇者物語の登場人物のような台詞を吐いた。

 唐突な彼の言葉に、ヴァイスは内心ドキリとするが、平静を装って答えた。


「なんの、ことかな?」

「とぼけるなよ。昨日、例の先輩と一緒だったんだろ? なーんか、面白い事してたそうじゃないか」


 ゲイルは、ヴァイスの首に腕を回しながら答えた。その顔はにやにやと笑っている。ヴァイスは背中に冷や汗が流れるのを感じていた。


「……見てたの?」

「いや、俺は見てないが。噂にはなってたぜ。お前が、先輩を拉致ってたってな」


 その言葉に、ヴァイスはいよいよ、嫌な汗が吹き出るのを感じた。確かに、アレは後から冷静になって考えると、やりすぎたとは思っていたのだが。


「拉致ったってのは、言いすぎじゃないか……」


 ヴァイスは、自分の想像していた以上の悪評に頭を抱えたくなった。そこへ、ゲイルが続ける。


「なんか、先輩がギャーギャー騒いでたって話だからな。おまけに、街の外れ側に突っ走っていったんだろう?……お前の事だから、大丈夫だとは思うが。無理矢理じゃねえよな?」

「何の心配してんのさ。そんな事、しないから……」


 朝の爽やかな雰囲気が台無しだった。下手をすると、自分は今、女子を拉致る変態とか思われているのかもしれない。

 最悪だ。正直、無能と言われるよりも精神的にキツイ。

 そう思い、ヴァイスがガクリと項垂れた。

 そんな彼の背中を、ゲイルがバシッと叩く。


「用事があるとか言って、何かと思ったが。まさか女を口説いてたとはな。やるじゃねぇか」

「口説いてたわけじゃないから!」


 声を上げて否定するヴァイスを見て、ゲイルは声を上げて笑った。

 逆にヴァイスはムッとしていた。自分がそんな事を出来る人間じゃ無い事位、よく知っているだろうに、完全にからかっているな、と彼は思う。

 そんなヴァイスに対して、ひとしきり笑ったゲイルが、若干真面目な表情を見せた。


「まぁ、なんだ。良かったじゃねぇか。何か浮かれてたみてぇだけど。上手くいったんだろう?」

「……まぁ、ね。正直、予想以上に仲良く、というか。友達になれたよ」


 ゲイルも、ヴァイスがアリスの事を気に掛けていたのは知っている。そして、話掛ける事が出来ずにいた事も知っている。

 だから、二人の噂を聞いた時は、話掛けるにしてもいきなり進みすぎだろう、と思い怪しんでいたのだ。

 しかし、先程のヴァイスの浮かれ具合から、本当に上手い事話せていたのか、と感心していた訳だが。

 実際は、さらに上を行っていたようだ。


「友達、ね。たった一日でえらい進展したもんだな。正直、最初は挨拶くらいで済ますと思っていたんだがな」

「自分でも驚いてるよ。思ってたよりも、話しやすい人だったから。それに、良い人だよ」

「そうか。いっつも無表情でよ。冷たい奴かと思ってたわ」

「それは、まぁ。そういう風に振舞ってただけだよ。本当は、明るい人だよ」

「へ~」


 ゲイルが興味深げに呟く。彼がアリスに抱いていた印象は、ほとんど冒険科一年の総意である。現に、ヴァイスもそう思っていた。

 なにせ友人と話している所も、笑顔でいる所も見た事が無かったのだ。氷属性が得意だとの事から、氷の姫気取り、なんて言われているらしい。気取り、という所に悪意を感じる呼び名だ。

 そのため、アリスが騒いでいると言う事が、噂を広げる事に一役買っていた訳だが。

 その印象が、実は違うと言う事に、ゲイルは興味を抱いたのだった。


 そんな所で、歩いている道の前方にリリカが見えてきた。

 いつもの場所に、凛とした表情で立っている。いつもの事ながら、絵になるリリカであった。

 そんな彼女が歩いてくるヴァイス達に気付くと、二人に向かって手を振った。手を振られた二人も、早足でリリカに近づいていく。


「おはようございます。今日は遅れてませんね」

「そんないつも遅れないよ、っと、おはよう。リリカ」

「おう、お前はいつも速いな。寝坊とかしないわけ?」

「そんな事しませんから」


 ゲイルの軽口に、リリカが呆れたように答えた。


「ところで」


 リリカがそう言って、おほんと咳払いを一つした。他の二人は、何だ? と不思議そうにリリカを見たのだが。


「昨日は、お楽しみだったんですか?」


 リリカが笑顔でそう言ってきた。珍しくふざけた事を言う彼女に、ヴァイスが全力で突っ込みを入れる。


「リリカもかよ! というか、女子にも噂が広まってるの!?」

「その様子だと、男子の方もですか」


 リリカの問いに、ゲイルが頷いて答えた。それを見て、彼女は続ける。


「さすがに、女子を抱き抱えて疾走なんかしてたら、目立ちますよ。大胆な事をしましたね」

「アレは、何と言うか……色々あったんだよ……」

 

 肩を落としながら、ヴァイスは答えた。

 言われなくても、大胆な事だとは分かっているのだ。今更ながらに、ヴァイスは自分のやらかした事に対して、恥ずかしい思いが吹き出てきた。

 あの時は、色々と精神的に余裕が無かったのでスルーしていたが、アレを大勢に目撃されていた、という事実に頭が痛くなる。


「まぁ、私は良かったと思いますよ」

「え?」

 

 意外なリリカの言葉に、ヴァイスが反応を返した。


「ヴァイスは今まで浮いた話がありませんでしたからね。それが学園に来て、やっと気になる人が出来たと思ったら、ヘタレで話掛ける事もできないし。やっと進展出来たんですね。私は嬉しいですよ」

「……ほんと、お袋みたいだな、お前」

「ゲイルは黙りなさい」


 およそ年に合わない事を言い出すリリカに、ゲイルが呆れたように呟くが、ピシャリと彼女に抑えられた。

 そこから、リリカは表情を引き締め、話を続ける。


「ただ、気を付けてくださいね」

「ん? なにが?」


 リリカの言葉の意味が分からず、ヴァイスが聞き返した。


「あなた達は、一人でも目立ちますから。それが二人集まっているなら、それはもう、目を引くでしょう。厄介事が降って来る可能性があります」

「……それは、先輩と関わるなって事?」


 少しムッとしたようにヴァイスが呟いたが、リリカは首を振って言葉を続けた。


「そうは言いませんよ。ただ、気を付けて、無茶をしないでください、と言っているだけです。何かあったら、私達にもちゃんと言ってください。……ヴァイスは、一人で抱えがちですからね」

「……わかってるよ」


 諭すように言うリリカに、ムッとしていた自分が恥ずかしくなってしまったヴァイスは、なんとなく居心地が悪くなり、一人で歩き出した。

 彼女の言うことも一理ある。昨日もブラッドとの厄介事が一件あったのだが、二人にその事を話す気は無かった。

 余計な心配を掛けたくない、という思いからだったが、完全に図星を突かれた形である。


「もう、待ってください、ヴァイス」


 リリカとゲイルが、苦笑しながらヴァイスを追う。そんな中、ゲイルがそっと口を開いた。


「……なんでも、友達になったらしいぜ。先輩と」

「そうなんですか。思ったより、進んでますね」


 ヴァイスに聞こえない様に、二人はヒソヒソと話を続けた。


「きっと、友達になろう、とか言ったんじゃないか? 俺達の時みたいに、強引にな」

「……ヴァイスらしいですね」

「そうだな。昔の調子が、戻ってきてるかもな」


 最近のヴァイスの様子に心配していた二人にとって、それは朗報であった。

 二人はクスリと微笑を浮かべる。そして、その切っ掛けとなったであろう、アリスに思いを馳せた。


「どんな人なんでしょうね、クラディス先輩は」

「まぁ、紹介してくれんだろ。アイツのダチなら、俺らにとっても同じだ」

「そうですね。仲良くできると良いんですが」

「大丈夫じゃないか? アイツは、良い人だって言ってたしな」


 ゲイルの言葉に、そうですか、とリリカが頷く。そこへ。


「何を話してるんだよ? 二人共」


 前を行くヴァイスがこちらを向いて、そう投げかけた。それに対して、二人が答える。


「クラディス先輩の事を、紹介してもらおう、って話ですよ」

「そうだな。これから付き合いを続けるんなら、俺らも無関係じゃないだろ」


 そう言った二人に、ヴァイスは一瞬ぽかんとした表情を見せたが。


「わかってるよ。今日にでも、話をするさ」

 

 そう言って、笑顔を見せたのだった。

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