6.隠されていた笑顔

 話しかけられたアリスの、その想像していたより大きな反応を見てから。ヴァイスは呆気に取られると同時に、多少落ち着きを取り戻した。

 初めて間近でアリスの顔を見たために、別の意味で心臓が鳴りそうだったが、気合で押さえ込んでアリスに話しかける。


「えっと、驚かせてすみません」


 ヴァイスが話しかけているのが自分だと改めて認識したアリスが、驚きを濃くしながらも、直ぐに口を開いた。


「い、いえ、大丈夫です」

「そうですか、それはよかった」


 なんとか笑顔を作ってヴァイスがそう口にした。


 しかし、そこで会話が止まってしまう。ヴァイスはまたも思考をフル回転させるが、意外にも、先に口を開いたのはアリスだった。


「……それで、何かご用ですか?」


 アリスは最初こそ驚いていたが、直ぐに落ち着いたようだった。その代わり、その声色から、少し警戒されているようにヴァイスは感じた。

 その警戒を解くために、彼は慌てて会話を続ける。


「えーと、その、本! 何を読んでいるのかと思いまして」

「本、ですか?」

「ええ、随分と熱中していたようでしたので、気になって」


 精一杯に笑顔を作るヴァイスを訝しげに見ていたアリスだったが。それを聞いて、自分の持っていた本に目を落として、――その状態で、ぴたりと静止した。

 一瞬の間の後、アリスの頬がボンッと赤く染まり、ヴァイスに向かってガバッと勢いよく顔を上げた。


「あああの、これは勇者の本で! 子供っぽいかもしれないけど、面白くって! ……いつも読んでるわけじゃないよ!」


 勇者の本なんて子供っぽい、と思われるのを嫌ったのか、それとも恥ずかしかったのか。とたんにアワアワと慌てて喋り出したアリスを見て、ヴァイスは己の緊張が解れるのを感じていた。

 いつも無表情でいたアリスが、こうして感情を露にしているのを見て、彼はなんだか微笑ましい気持ちになった。言葉遣いも一気に砕けてしまっている。


 なるほど、こっちが素か、とヴァイスは思う。


「いや、子供っぽいとは思わない……というか俺も好きなんですよ、勇者の本。なので、気になって」

 

 苦笑し頬を掻きながらヴァイスは言う。すると。


「! エイガー君も好きなの!? 本当!? どんなのが好きなの!?」


 アリスが、がばぁっと身を乗り出してきた。なにやらもの凄い食い付きだ。

 というよりも、自分の名前を知っているのか、とヴァイスは不思議に思ったが。よく考えれば自分もアリスの事を知っている訳だし、そんな事もあるか、と思い直した。


「えっと、自分は魔王と戦うオーソドックスな奴とか、あと冒険物ですかね……」


 アリスの剣幕に押されながらも、ちょっと考えてから、自分の好みを述べるヴァイス。それに対して、アリスが頷きながら言葉を続ける。


「そっか~。私も冒険物好きかな、やっぱり冒険者を目指す身としては、憧れるよね。魔王とかは出ないからちょっと地味かもだけど。人類未踏の地を旅したり、各地の迷宮とか探索したり。なんというか、ロマンだよね!」


 なにやら男の子のような事を口走るアリスに、ヴァイスは自分の中の彼女のイメージが、ガラガラと音を立て崩れ去る感覚を覚えていた。

 しかし、特に嫌な気はしなかった。 むしろ、その言葉に共感出来るものがあったので、ヴァイスは人知れず嬉しく思っていた。


「そうですね。冒険物なら、この間出てた――」


 予想以上に勇者話での掴みが良かったので、ヴァイスはそのまま会話を続ける事にした。

 彼も最初こそ緊張していたが、アリスの予想外のフレンドリーさに、直ぐに自然に話せるようになっていた。いつもと違いニコニコと笑うアリスに、ヴァイスも自然と笑みがこぼれていた。


 ◆


 そうして、二人はしばらくの間勇者談義に花咲かせたのだったが。そんな二人に近づく人影があった。


「そうそう、あれは良かったよね! 創作らしいけど、真実味があって面白かったし、勇者も格好よくて」

「そうですね、描写が丁寧で、戦闘も迫力が――」

「……お二人さん、盛り上がるのは良いけど、図書館ではほどほどに、ね」


 段々と声が大きくなっていた二人に、いつの間にか近づいていたミーナが釘を刺した。図書館は本を読む所であって、騒がしいのが好ましくないのは、何処も同じようである。


「あ……」


 ミーナに言われて、二人は顔を見合わせる。思いの外盛り上がってしまい、周りが見えていなかったのを反省した。他の学生からいつものように刺さる視線を感じるが、今回はこちらが悪い。

 アリスが居心地の悪そうな顔をしているのを見て、ヴァイスは、さて、どうするか、と考える。そこに、ミーナが助け舟を出すように話しかけた。


「話をするなら、場所を移したらどう? 本はまた来た時に読めばいいわ」

「……そうですね。クラディス先輩、行きましょう?」

「え? あ、うん、わかった」


 せっかくここまで話せたのだ。もう少し話してみたい、とヴァイスはちょっと強引に、アリスを連れ出す事にした。それに対し、ミーナは心の中でよくやった! と彼を賞賛していた。

 アリスも驚いた様子だったが、読んでいた本をミーナに返して、素直にヴァイスの後を追う。


 こうして、二人は連れ立って、図書館を後にしたのだった。


   ◆


「さて、どうしましょう」


 ヴァイスが後ろをトコトコ付いて来たアリスに問い掛けた。


「えっと……直ぐ近くに休憩スペースがあるし、そこに行こうか?」

「わかりました」


 そこは椅子と机が幾つか並んだ小さなスペースだった。幸い誰も居なかったので、二人は机を挟んで椅子へと座った。


「ちょっと騒がしかったですね」

「だね、つい熱がはいっちゃった」


 アリスはそう言ってクスクス笑う。ここまででヴァイスの、彼女に対する印象は完全に変わっていた。いつもの無表情はなんだったのか。やはり無理をしていたのだろうか。

 こうして笑顔を見せてくれるなら、それだけで勇気を出して話した甲斐があったと言う物だ。

 少々ガラスの心が危険に晒されたが、そんな事は今更どうでもいい。


 こうして一息ついた後に、ヴァイスは、ふと思い出したように、アリスに向かって口を開いた。


「……そういえば、すっかり忘れてましたが……。始めまして、先輩。俺はヴァイス・エイガーです。今年入学した一年で、志望は剣士です」


 今更だな、と自分でも思いつつ、ヴァイスは自己紹介を始める。

 それに対して、アリスも今気付いたようかのように、彼に答えた。


「え、あ~、ちゃんとは言ってないよね。私はアリス・クラディス。魔法使いの二年。得意属性は氷、かな」

「……得意属性ですか。俺は何も使えないので、剣なら長剣を使いますが……」


 うーんと唸るヴァイスを見て、アリスがあっと声を漏らす。言いたくない事を言わせてしまった、というような、申し訳なさそうな顔を見せた。

 それに彼女に気付いたヴァイスは、優しく笑みを浮かべて。


「……知ってると思いますが、俺は魔力が無いので魔法は使えません。まぁ気にしていない事も無いですが、一応折り合いは付けてるつもりなので、先輩も気にしないでください」

「そっか。ごめんね」

「いや、いいですよ。それに……クラディス先輩も、でしょう?」

「そうだね。私は気力が無いの。だから身体が弱くて、足も遅いし……みんなには避けられてる、かな」


 えへへ、とアリスは苦笑する。そんな彼女に、ヴァイスは胸が締め付けられるような感覚を味わった。


「……すみません」

「わわ、いいよっ、私も大丈夫だから」


 謝罪を口にするヴァイスに、アリスが慌てて、目の前で手を振るようなしぐさをする。

 そう二人して謝り合うような形になってしまい、お互い顔を見合わせて苦笑した。


「しかし驚きましたよ。俺と同じような人が居るとは夢にも思いませんでした」

「私もだよ。それも同じ学園に来るなんて、びっくりした」


 ヴァイスの言葉に、アリスも頷く。少なくとも同類に会ったのはお互いに初めてだし、そういう人が居るという噂も、今まで聞いた事はなかった。


「えっと、その。クラディス先輩は……」

「あ、ちょっと待って」


 何かを話し出そうとしたヴァイスを、アリスが手を挙げて遮った。


「私の事はアリスで良いよ。クラディスは紛らわしいじゃない」

「紛らわしい?」

「うん、多いもんね。それに名前の方が慣れてるから」

「そうですか。」


 ヴァイスは今一意味が分からなかったが、アリスが良いというので、特に気にしない事にした。


「わかりました。じゃあ、……アリス先輩、俺もヴァイスでいいですよ」

 

 若干、名前で呼ぶのに緊張したヴァイスだったが、どうせならと、自分も名前で呼んでもらうよう提案する。


「わかった。敬語もいらないよ?」

「いや、そこは先輩ですから」

「冒険者はあまり年とか気にしないんじゃない?まぁ無理にとは言わないけど」


 確かに、冒険者はあまり年を気にしない。あくまで実力があれば良い訳で、年を取っていれば強い、という訳でもないからだ。

 若いのに強大な力を持つ者も居れば、逆もまた然り、なのだった。


 とはいえ、ヴァイスのような真面目な者も、世の中には居る訳で。


「冒険者の前に学生ですからね。それに……」


 さらに、アリスの容姿を見て、ヴァイスはつい口を滑らせた。


「先輩だって事を忘れそうですし」

「あー、それ私が小さいって事?」


 アリスが頬をぷくーと膨らませて抗議する。本人の言うとおり小さいのもあるが、こういったしぐさのせいで年上という感じが薄れてしまうのだった。


「しかたないんだよ。気力が無いせいか成長しなくって。もうこれ以上は身長も伸びないよねぇ……」


 アリスがそう言ってぐでーっと机に伸びる。なんだか小さい事に関しては、諦めている節があった。

 そんなアリスを微笑ましい思いで見ながら、一言謝りつつ、ヴァイスは逸れていた話を戻す。


「話がそれましたけど。先輩の気力が無いのは、何か理由があるんですかね? 俺は生まれ付きだったらしいんですけど」

「えーっと……」


 ヴァイスは以前からの疑問を口に出した。

 魔力や気力が無いというのはかなり、というか無茶苦茶に特殊だ。自分は生まれ付きそうだったと父親に聞かされた事があったが、アリスはどうなんだろうと、純粋に疑問だったのだ。


 しかし、ヴァイスの疑問にアリスは言い淀む。それを見たヴァイスは、まずい事を聞いたか、と思い、慌てて口を出した。


「すみません、無神経でしたね。聞かなかった事にしてください」

「ああいや、言えない訳じゃないというか、なんというか」


 要領を得ないアリスの言葉に、ヴァイスの頭に疑問符が付く。

 そんなヴァイスを見て、アリスは苦笑しながら言った。


「分からないの。大体五歳ぐらいかな、それ以前の記憶が無いの。だから、詳しい事は分からない」

「それは……」


 ヴァイスは思わず言葉を失った。

 記憶喪失。その言葉が彼の頭をよぎった。

 魔法の中には、高難度だが、相手の精神に干渉する魔法も存在する。そしてその中に、相手の記憶を奪う魔法もある、というのをヴァイスは聞いた事があった。記憶を奪われた者は、当然の事だが記憶を失う事になる。


 人の記憶を奪うなど耳を疑うような話である。そんな事は許されるはずが無い。普通なら、頭を打って記憶を失った、とでも思うほうが真実味があるだろう。

 しかし、アリスの異能を考えると、奪われた、と思うほうがしっくり来てしまった。それはつまり。


(気力が無いのは人為的なもの? 一体誰が、なんの目的で……というかどうやって? 気力を無くすなんて事出来るのか?)


 といった事を考えていた所で、基本的な事が頭から抜けていた事に、ヴァイスは気付いた。


「先輩、ご両親は何か知らないんですか?」


 そう、本人が忘れていても、両親ならなにか知っているんじゃないか。

 しかし、そんな言葉に、アリスは意外そうに答える。


「え、両親? 私に親はいないよ?」


 本当に、何でもないように言うアリスだったが、ヴァイスは予想外の返答に、焦ってしまった。

 また余計な事を聞いてしまった! と内心頭を抱えたくなる。


「え、いや、えーと」

「ん?」


 アリスは、特に気を悪くしたような素振りはないが、ヴァイスは、自分が失言したと思っており、その事に気付かない。

 慌てて、ヴァイスが何かフォローする為に口を開こうとした、その時。



「お? おいおい! こんな所で無能がおしゃべりしてやがるぜ!」

「あ……」


 ヴァイスの後ろ側から、粗野な感じの男の声が投げかけられた。

 その声に反応し、そちらに顔を向けたアリスの表情が曇る。

 その表情を見て、ヴァイスは今の言葉が、自分でなくアリスに向けられた言葉だと悟った。一瞬にして不愉快な気持ちが心の底から噴出してくる。


(誰だ?)


 イラつきながら振り向いた先には、いかにもガラの悪そうな、しかし身なりは整った男が、数人の取り巻きを引き連れながらこちらへ歩いて来ていたのだった。

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