Episode2 奮闘





 来年のシリーズのメイン監督には長門清志郎を起用するつもりだ―銀座の東光本社のミーティングルームで真由香は皆にそう告げた。

 その場には東條や槇以外に、若手アシスタントプロデューサーの小曽根卓、東がテレビプロのラインプロデューサー天野正典とその助手の北島衣里、広告代理店の利根川研と揃っていた。局のプロデューサーやスポンサー関係者にはこの場にはいない。次回作制作に向けての方針を確認するのがこの場の目的であるため、集ったメンバーは少数に限られている。

 いわば「ゼロミーティング」という位置づけであった。

 真由香以外は皆気心知れたスタッフチームで、結束は固そうだった。これから彼らと共に、長期にわたって作品を作っていかねばならないのだが……。

「反対だよ、反対反対!」

 槇は大声を張り上げた。ただのオタクかと思ったら、急に大きな声でそう主張しだすのでビックリする。槇の隣に座っていた小曽根がピクンと躰を震わせた。小曽根はまだ二十代の若者で、三年前に東光に入社したばかりのフレッシュ新人である。色白で線の細い男だった。

「宮地さんはあまり知らないかもしれないけどね、とにかくワガママな監督なんだよあの人は。和を乱す、当り散らす、人の言うことは聞かない、ムチャばかり言う……シンドいんだ。絶対に反対だよ」

 長門清志郎のことを槇はあの人と称している。それがこの男なりの長門に対する意地なのかと内心思う。

 真由香は軽く咳払いする。

「……そのムチャの、具体的な例を言ってみてくださいよ」

 槇憲平は少し声を落として、ゆっくりとした口調で続ける。

「こういうことがあった。あの人はカメラを長く回すことで有名だ。……とある撮影でずっとフイルムを回していた。ずーっと、台本にないシーンを撮っていた。役者の立ち姿を望遠で狙ったり、景色とか、空をえんえんとね。疑問に思ったチーフ助監督が、カントクこのままのペースじゃあ今日の撮影終りませんよと泣きついたら、事も無げにあの人はこう言った。『あ、悪い悪い、じゃあ今から必要なシーンだけパッパッと撮るから』……役者もスタッフもカンカンだよ。なんだよ、俺たちはずッと不必要な撮影に付き合わされていたのかってね!」

「カントクという生き物はある程度ムチャクチャを言う人種だと思うんで、そこは差し引いたとしても」何故か長門を弁護する口調になってしまう。「力はある人だと思います。それに長門カントクもある程度現場に配慮して、今後ソフトな態度を心掛けるし、時間も予算も決め事は守るって約束してくれましたけど」

「そんなの信用しちゃってどうすんのよ」はー、と槇憲平は大袈裟に溜息を吐く。「そんなの出任せ言ってるだけに決まってる。あの人は監督として東光に返り咲きたいだけなんだ。確かに優秀な演出家だとは思う。でも、他にも出来る監督はいくらでもいる。わざわざロートルに頼る必要はない。世代交代したんだよ。あの人の出る幕なんてない」

「小曽根君、君はどう思うの?」

 このまま槇と話をしていても平行線だと思ったので、隣の小曽根卓に話を振ることにした。色白の若手アシスタントプロデューサーは困惑げに眉を顰める。

「いや僕は入社した時からずっと戦軍に就いてますけど、現場に入った時にはもう長門監督はいらっしゃらなかったので、お会いしたことがないんです。なのでよくわからないんです……ただ」

「ただ?」

「噂はちらほらと、いろんなスタッフの皆さんから。……スゴイ名監督なんだけど、まあ現場に爪痕を残す方だと」

「天野さんはいかがですか?」

 真由香はラインプロデューサーの天野正典に訊ねる。天野は曖昧な笑みを浮かべた。

 ラインプロデューサーは一昔前は「制作担当」と呼ばれていたスタッフで、いわば撮影現場の管理責任者のトップにある立場と言っていい。現場の物事を何でもプロデューサーが決めるわけではない。物理的にそれは不可能である。したがって予算やスケジュールの管理、細々としたスタッフやエキストラ諸々の手配、その他の決め事は天野が管理する。尚、天野は東光本社の人間ではなく、東光テレビプロに直に雇用されている人間である。年齢は五十台手前と聞いている。頭を坊主に丸めていて、いつもニコニコと笑っていた。

 天野と一緒にテレビプロからやって来た北島衣里はまだ二十代後半の、アシスタントラインプロデューサーという立ち位置にいる。天野の助手でシリーズに携わって五年以上になるという。人の良さそうなお嬢さんで、控えめに天野の隣に佇んでいた。ちいちゃな女の子で、仕事をしている風景をまだ見たことがないので、ホントにこの子で大丈夫かいなとちょいと心配してしまう。因みに天野と違い、北島は東光テレビプロに契約社員として勤務している。正社員なんてほぼテレビの現場にはいない。大半は本数契約か、もしくはフリーランスで労働に従事している。

「いや、いかがですかと言われても」

 天野は首筋を何度も掌で撫でる。「監督は現場を引っ張る力がスゴイ方だから、久々に戻って来られるというならそれは頼もしいと思いますが、とにかく時間と予算はちゃんと守ってほしいですね。逸脱するケースが間々ある」

 慎重に言葉を一つ一つ探りながら口にしているという印象を受ける。本音なのか建前なのか区別がつかない。

「北島ちゃんはかなり泣かされてたよ、ねえ?」

 槇が急にそう言いだした。それを受けて北島衣里は「いや、それはわたしが現場の勝手をまだわからなくてご迷惑をおかけしたんです。今なら監督の要求に、しっかりと、応えて、仕事が、出来る、と、思う、ん、で、す、が……」と言う。

 じょじょに声がか細くなり、しかも途切れ途切れになってしまう。自信がないのか、こういった畏まった場にあまり馴染めていないのかよくわからない。

「いいんじゃないですか、長門監督。久々だし、面白い」

 利根川研が腕を組みながらそう発言する。顎髭が特徴的な東光アドエージェンシーの人間である。広告代理店の人間らしく、軽薄そうな雰囲気が伝わってくる。年齢は四十台後半ときいている。

「利根川さんは現場の苦労を知らないから、そう言えるんですって」

 慌てて槇がそう反対するが、「そりゃ、僕は現場を知らないから言えるんであってね。でもこのまま成績が低けりゃシリーズだって続かない訳でね。カンフル剤は必要でしょう。長門演出、久々に堪能してみたいなあ」と利根川は気楽にしれっと言う。

 憮然とした槇はコイツわかってねえな、という感じで首を横に振った。

 意見が噛み合わないなあ……真由香はぼんやりと考え込む。メイン監督を決めるだけでこうやって意見が分かれる(槇がひとりで反対しているだけ、と言えなくもないが)。他にも決めなければならない事項が山のようにあるのに、最初から躓いている。

 そしてそれまで何も意見を発しなかった、この場でのオブザーバー的存在である東條信之がぱんと掌を叩いた。「こうやって意見が纏まらなくても、最終的に決定するのは宮地さんだよ。……どうする?」

「とりあえず、来年は長門カントクでいきます」

 真由香は決定事項として改めて皆に伝えることにした。いささか強引な決着だとは思いながらも。

「人間性はともかく、監督としての腕はある方だと思いますので。しかも監督は現場のスタッフに配慮するとも言っているわけで。ちゃんと監督には私から言って聞かせます。責任はわたしがとります」

「そりゃそうだ、チーフは宮地さんだもん。現場がコケたら、ちゃんと責任取りなさいよ。僕は知らないからね」

 槇憲平はぷいと横を向いた。

 うるせえな、このオタクメガネ―真由香は心の中で罵った。



 結局チーフ権限で槇の反対と他のスタッフの戸惑いと困惑を押し切って、長門清志郎をメイン監督に据えることでその場は決着した。ただ、妙にしこりを残して仕事をするのもなんなので、「ご飯食べながらカントクと話せば、多分分かり合えると思いますから」と提案して、近日中に長門との食事の場を設けることで散会した。

 終始渋い顔の槇は、小曽根や天野たちを引き連れて大泉の撮影所にそのまま移動した。真由香としてはいまだ彼らとはうまくコミュニケーションが取れていないことに、忸怩たる思いがある。

 真由香は一人で社内の喫茶「ジャンヌ」のテーブルに落ち着くと、長門の携帯電話に連絡して、来年の戦軍をメインでお願いしますと改めて伝えた。長門は「おう」と鷹揚に返事をした。

 さあこれで、もう引き返すことは出来なくなったぞ―。

「ところでホンヤはもう決めてるのか?」

 鬼監督はそう訊ねてくる。いやまだです、と真由香は答える。そうなのだった。まだ人選が難航していて、はっきりとメインライターを絞り切れていなかった。それも早急に決める必要がある。

「―能勢朋之なんてどうだ? リキがあるぞ、あいつは」

 唐突にそんなことを言う。真由香は思わず戸惑う。何かを言い返そうとしたが、「じゃあな」と言ってそのまま電話は切れてしまった。

 不思議な思いで真由香はスマホをテーブルを置いた。久々にその名前を聞いた。ここ最近、しばらくは映像関係の仕事をしていなかったはずだ。能勢朋之は映像関係はしがらみが多い、イヤな奴ばかりだからといって劇作家に転身している。かつて真由香も以前に一本オリジナルVシネマで仕事をしたことがある。

 腕は確かにある。

 その名前はすっかりと自分の発想からは抜け落ちていた。

 何故長門は、能勢を指名したのだろうか……。

 まあそんなことを考えても仕方がなかった。まだ能勢の電話番号は変わっていないだろうか―これも長門清志郎からの導きかもしれない。そんなことを思いながら、真由香はスマホの連絡先一覧から能勢朋之の名前を探す。





 能勢朋之はかつてテレビや映画、Vシネマなどで数多くの作品を量産していた売れっ子シナリオライターだった。だった、と過去形でそう語るのは、いまはもう売れっ子ではないからということになる。現在は自分の劇団を持っていて、数多くの作品をそちらに書下ろす一方、求められれば他の演劇集団にも作品を提供しているという。

 かつての売れっ子シナリオライターの電話番号はまだ変わっていなかった。落ち着いた声で「能勢です」と応えられた。今は次の舞台の台本作りの段階とのことで、こちらから会いたいと伝えると、ひとまず話は聞いてくれることになった。

 早速翌日の午後一時に、たまプラーザ駅前のデニーズで対面することになった。能勢の自宅の最寄り駅がこちらだったのだ。真由香が待ち合わせの十分前に待っていると、見覚えのある顔がふらりと店内に入ってきた。

 能勢は眉毛の濃いクッキリとした目鼻立ちの男だった。確か世間話の流れで福岡の博多出身と聞いた覚えがある。年齢は確か真由香より上だったはず。

 ただ驚いたのはひとりで現れたのではなく、ベビーカーも一緒だった。それには赤ん坊が乗っている。多分生後一年もたっていないだろう、玉のような赤ちゃん。

 きゃっきゃ、きゃっきゃとベビーカーの中で、所狭しと小さく暴れている。

 能勢が申し訳なさそうに眉毛を八時二十分にする。

「いまカミさんが風邪で寝込んでるのよ。ミルクとかの世話もこっちがしなきゃならないから、ここに一緒に連れてきたわけ……マズかった?」

「いや、実を言うと結婚してたことも知らなかったので少し驚きました」

「二年前にね、ゴールイン。カミさんは、自分の劇団の女優……まあ、そういうこと」

 なにがそういうこと、なのかがよくわからない。

「逆にそんな状況の時にわざわざ来てもらって申し訳なかったですね」

 能勢が席に落ち着いたのを確認して、真由香はウエイトレスにドリンクバーを注文する。

「別にそれはいいのよ。ところで問題。この子、男の子に見える、女の子に見える?」

「レディ、ですかね」

 あてずっぽうに真由香が答えるが「ブッブー、残念。正解は男の子でした」と能勢は両人指し指でバッテンを作った。

「随分可愛い男の子じゃないですか」

「名前は光って言うんだ」

「名前だけ聞いたら、性別がどっちかなんて余計わからなくなっちゃう」

 飲み物を呑みながら、しばらくは世間話とお互いの近況報告が続いた。世間一般の勤め人とは違う、何となく浮世離れした雰囲気が能勢にはあった。もっともその印象はこの男のみならず、モノ書き全般の人種に当て嵌まる感想なのだが。

 それはさておき―。

「へえ、来年の戦軍っすか」

 能勢はニヤニヤと笑みを浮かべる。「そりゃ大変だ。宮地さんにしてみれば、プロデューサー生活のターニングポイントだ」

「なかなかライターが決まらなくて」真由香は上目遣いになる。「力、貸してもらえませんか。メインライターとして。テレビ最近離れちゃってるみたいですけど、シリーズ打ち切りの危機なんですよ。現在のスタッフとは別の、新スタッフで勝負を賭けたいんです」

 遠い目になると、能勢朋之は窓の景色を見た。駅に直結したショッピングセンターは多くの買い物客でごった返していた。

「実はね」能勢はホットミルクを一口啜った。「戦軍は好きで前から見てたりするんだ。俺、特オタだからさ」

「それって特撮オタクの略?」

「そうだよ」

「知らなかった」

「そりゃそんなもん、広言している奴なんて殆どいないよ。だって密かな趣味なんだもん。人に隠れてマニアックに楽しむわけ」

「でもああいう番組って、メインターゲットは子供なんでしょう? 大人が見て楽しいもんですかね」

「君はまだまだ分かってないよ」能勢は掌でグラスを弄ぶ。「特撮モノの神髄がね。あれは子供だけのものじゃない。大人のものでもある。しっかりと大人だって見てるんだ。ただし世間ではいい齢した大人が子供番組を見るなんて、と嘲る風潮がある。みんな言わないだけで、隠れて見てる連中は結構多いと思うな。譬えて言うならアダルトビデオみたいなもんだな。AV見てるって良識あるオトナは、世間にわざわざ公表しないでしょう?」

「……まあ、そう言われてみれば」

 能勢はふうと大きく息を吐くと、腕を組みながらぼんやりと天井を見上げながら、こう呟く。「……面白そうだ」

 意外と簡単に興味を示してくれたので、却って拍子抜けする。「本当ですか?」と再確認するように訊き返す。

「うん。スケジュールの調整は何とかやりくりするけど。歴史ある東光さんの戦軍で是非メインでって請われたのなら、断るのは失礼な話でしょ。……それにホンネ、言っちゃっていい?」

「ホンネ、聞きたいです」

「そろそろテレビが恋しくなってきた」濃い眉毛を撫でながら、能勢は続ける。「テレビの世界は良識のない奴らが一部いる。そういう奴らに反発して、カッコつけてテレビの仕事を辞めると啖呵を切って距離を置いたものの、一度繋がりを切ったらもう二度と声がかからなくなってしまった。何せ自分の替わりはいくらでもいるだろうし。だから、お声がかかるのをずっと待っていたんだと思う。……家族のためにも一稼ぎしないとね。舞台と違って、テレビは手っ取り早くカネになる」

 能勢朋之は某在京キー局が主催するシナリオコンクールで大賞をとって、華々しくデビューを飾った。若くして、連続ドラマや刑事ドラマ、映画やVシネマで多数のシナリオを手掛け、一躍売れっ子になった。

 真由香もVシネマで共に仕事をしたことがある。Vシネマの王道であるヤクザとか抗争関係は敢えて外して、ラブストーリーもので高セールスを狙ってみたものの、売れ行きは芳しくなく、レンタルビデオショップでの回転率も悪かった。正直あまり良い記憶は残っていないが、それでも能勢のシナリオの出来はまずまずだったと今でも思っている。

 その後能勢はとあるテレビ局のディレクターの横柄な態度に抗議し、とある番組を中途で降りた。ある意味当時の売れっ子ライターだから許された芸当とも言えたが、彼にとってまずかったのはその横柄なディレクターは局次長待遇ゼネラルディレクターという役職の実力者だった。またテレビ局はある意味横同士の連帯意識は強いため、「あいつは生意気だ」「もう使うな」「ギャラだって高い」と一種干される状態になった。テレビの仕事は徐々に減っていき、また能勢もそんな状態に嫌気がさし「もうテレビの仕事はしない」と言って舞台の仕事ばかりを手掛けるようになった……。

 従って、彼の今の言葉は偽らざる本音なのだろうと思う。

「能勢さんにとって、特撮モノって確か初めての挑戦ですよね」

「初めてだよ。でも誰だって最初は初めてなわけじゃない。全く抵抗はないね。むしろ、やりがいを感じる……是非お引き受けしたい」

 能勢から手を差し出してくれたので、真由香と力強く握手を交わす。

 ありがとうございます、と頭を下げると「いやいや」と能勢は恐縮する。「実を言うと、戦軍を引き受けたのは、もうひとつカネ以外の目的もある……光のためなんだよ」

「……お子さんのために?」

「昔と違って今はちゃんとテレビはDVDに残る。今はまだ、こいつは戦軍は見れないけど、あと数年たったらテレビが楽しめる齢になる……そんなときに、俺は胸張って、自分のガキにDVDを見せたいんだよ。おい、これは俺が書いたヒーローモノだぞ。お前のオヤジはヒーロー番組を作ってんだぞってな。もしかしたら、自分の子供におとぎ話を聞かせてやる感覚に似ているのかもしれない」

 ベビーカーに乗せられた光君は、今はすやすやと健やかな眠りについている。とくにぐずついて泣き出すこともなく、手のかからない赤ん坊だと思った。

 光君の父親は、咳払いを一つすると「ところで」という。

「どうして、俺にそんな話を持ってきてくれたの? いっぱいヨソの誰かに断られて、こっちにお鉢が回って来ちゃった系?」

「またまたそんなご冗談を」はい実はその通りです、とは絶対に言えない。「長門監督という方の推薦があって……」

「長門清志郎監督が?」

 こちらの気のせいか、何となく能勢の目がギラリと輝いたかのように思えた。「マジでか?」

「あら、長門監督をご存じで?」

「知らいでか。あの巨匠・長門清志郎を。洗練としたあの映像美、とにかく天才だよ。戦軍に長門あり、だよ。そうとしか表現が出来ないよ。名匠に推薦されたとあっちゃあ、ますますこの仕事引き受けるしかないでしょう」

 能勢の目の奥がらんらんと輝いた。とにかくホンヤにヤル気になって貰ったのは、実にありがたい話である。

 こうして作品作りの要となる、メイン監督とメインライターがようやく決定した。



 プロデューサーの主な仕事はこうして、核となるメインスタッフを掻き集めることである。東條信之やラインプロデューサーの天野正典などから助言を仰ぎながら、劇伴音楽の担当者、主題歌の作詞作曲者、アクション監督、キャラクターデザイナーといった要となるスタッフを次々と決定させていく。

 六月末日、メイン監督の長門とメインライターの能勢を銀座の東光本社に招集した。軽い打合せ第一回目である。能勢には事前に番組企画書を軸にして、企画準備稿のリライトと、パイロット作品の準備稿を用意してもらうよう依頼をしておいた。

 会議室で待ち構えていると、集合時間の三十分前に現れたのが長門清志郎だった。いつものようにサングラス、そしてオールバックの上にハンチング帽を被っている。一見してカタギにはとても見えない。ヤクザか映画人かの二者択一だ。

 また、てっきり時間ぎりぎりにでも現れるのかと思いきや、こんなに早い時間に現れるなんてと少し驚く。

「一分一秒も疎かにできるか。時代も現場も三倍のスピードで動いてるからな」

 なんて意味の分からないことをのたまう。真由香は曖昧に笑みだけ浮かべておいた。

 しかしこんな昼間でもサングラスを架けているのか……疑問に思ったので、「ずっとサングラスで目が疲れませんか?」と訊いてみる。

 ギョロリと老監督はこちらを見た。瞬間ビクッとする。

 何か言われるかと思い身構えていたが、長門はそのまま欠伸をすると手帳を開いて何か書き込みを始めた。結局こちらの質問に対して、何も答えがかえってこなかった。

 長門の登場から遅れて数分、能勢がやって来た。今日の能勢はパリッとしたカッターシャツ、クールビズの格好でホンヤらしくない出立ちだった。恐縮しながら、長門に挨拶する。

 鬼監督はそれまで椅子に踏ん反り返っていたが、素早く立ち上がると、シナリオライターに自ら歩み寄り握手を求める。

「いや、能勢先生。いつか一緒に仕事がしたいと思っていました。お会いできて本当に嬉しい。一緒に番組を盛り上げていこう!」

 低姿勢、しかし熱い調子でそんな熱いことを言いだす。当然、還暦を過ぎた老監督からそんなことを言われて、能勢朋之も「いやいや、こちらこそ」と首を垂れる。

 これは少し意外な場の雰囲気だなと思いながら、能勢の企画書リライト版をもとにディスカッションが始まる。長門は無言で企画書と準備稿に目を通していく。ものすごいスピードでページをめくっている。老監督の反応が気になり、真由香と能勢は黙ってその成り行きを見守る。

 やがて長門は紙の束をパン! と綴じた。そして机に叩きつける。

 何を言いだすんだろう、と内心真由香はビビッてしまう。

 老監督は重々しく口を開く。

「……素晴らしい」

「はい?」

 能勢は戸惑いながらそう返事をする。

「このホンは完璧だ。友情がある、正義がある、夢がある、希望がある、ハラハラドキドキがある、スリルがある、興奮がある。……こんなにホンを読んでワクワクしたのは何十年ぶりだろう!」

 次つぎと熱い台詞を並べ立てる。その口調に澱んだところは何もない。本心でその台詞を並べ立てているように傍からは感じられる。サングラスに遮られ、その眼差しを確認することが出来ないが、とにかく熱い口調でそんなことを言う。

 能勢朋之はすっかり感動したふうで、「いえいえ」と更に恐縮しきってしまう。

「能勢先生、このホンは素晴らしい、非の打ちどころがない。ただしここの部分!」長門は仮綴じのシナリオの頁を開く。「ここを変えればもっとよくなると思うんだ。少し俺が提案する、改善のポイントを聞いてくれないか?」

 長門はそう言うと、唐突に立ち上がると床に急に倒れこんだ。真由香と能勢はギョッとする。

 長門は地面で大の字になると、「シーン十六!」と叫ぶ。

「この局面でレッドは青空を見る。そして『平和っていいよな』と呟く。しかしこのセリフはオープニング第一話の中盤でそのキーワードを出すのではなく、ラスト近くで展開させたいんだ……センセイはどう思う?」

「いや、なるほど」

 能勢は目の前の老監督のキッカイな行動にやや戸惑いながらも、大きく頷いた。「そのアイデア、いただきました」

 サングラスの監督は次次に脚本の改変ポイントをマシンガンのように連射して述べていく。なんだよ、全然完璧なホンじゃないんじゃないか、と内心思うものの能勢はハイハイと従順に頷いて素直にメモを取っている。

 ただ長門の提案は真由香が聞いても、ああなるほどと頷ける部分も多々あった。人間的には面倒臭い奴だが、伊達に何十年もこの道でメシを食ってるわけではないとも感じた。

 ―結局、終始打ち合わせの場は長門清志郎がリードした。真由香も能勢のホンに対して、いろいろと意見したいところもあったが、あまり口を挟める雰囲気でもなかった。

「これからもっと面白くなる。革命を起こそう。俺たちで日本のテレビ史、特撮史に大いなる足跡を残そう!」

 長門はそう言って、顔の前で拳を握って見せた。



 散会後、真由香はテレビ第二営業部のスタッフルームに戻ると、東條に本日の事の次第を報告に行った。東條からは、「ああ、あなたはまだ知らなかったのか」とのんびり返された。

「長門さんは別名『ヨイショの長門』ととも呼ばれる」

「『ヨイショの長門』、ですか?」

「とにかくシナリオライターのホンは過剰なまでに持ち上げる、褒め称える、ヨイショする。その上で自分の意見をズケズケという。……あの人のペースに巻き込まれちゃだめだよ。プロデューサーなんだから、もっと脚本家と監督のあいだに入り込まなきゃ」

「どうしてそんなにホンヤを褒めまくるんですか?」

「昔の一部の映画人はホンヤに嫌われたら仕事がなくなるという強迫観念があるから、脚本家にはとにかく従順でいようという思いが無意識レベルで働くらしい。……こういう話がある。とある脚本家は若い頃に脚本修業と称して撮影現場で助監督見習いとして働いていた。監督にとって助監督見習いは石コロ、奴隷以下だから人間扱いされない。長門監督からバカだのチョンだのさんざん罵られ、当然虫コロ扱いされた。やがて、その助監督見習いは脚本家になった。長門監督は打ち合わせで脚本家と会うなり、いやセンセイ! と両手を擦り合わせて愛想笑いを浮かべた。―長門さんはそのあたりの使いわけは、実に見事だから」

 いちいち面倒臭いカントクだなと真由香はどっと疲れがやってきた。

「……とにかく、ライターには優しい監督ということですね」

「そう。能勢君には長門さんのヨイショ攻撃にあまりノセられないよう言っておいてほしいんだけど……ところで」

 急に改まって、東條信之はメガネを外した。「来年のシリーズ、ひとまず継続は決まったから。数字も苦しい、玩具の成績もよろしくない。それでも継続が決まった。―第三十四作目、あるからね」

 真由香は「はい」と頷いた。これから本格的に忙しくなるな、と複雑な思いに駆られる。

「世間一般は誤解してんだよね、三十年以上シリーズが続いてるんだからこれから未来永劫ずっと続いて当たり前、終わるわけがないってね。冗談じゃないってんだ、こちとら一年一年毎年毎年真剣勝負だ。手を替え品替え、必死に知恵を絞っているにもかかわらず、何も知らない奴からはやれワンパターン、やれマンネリと揶揄される。じゃりばんだとバカにされながらね」

 真由香は無言で東條の言葉に耳を傾ける。昼行燈のように普段はのんびりとした好々爺っぽいおっさんだが、口調はとても熱く、そして情熱が感じられ、また一部の無理解な奴らに対する苛立ちと怒りも感じ取れた。

「そして残念なことに、世間一般以外にもそういう見方をする奴らは身内にもいる。いわば敵だよ。俺たちの敵。ウチにもいるし、あとはテレビ局の上層部―大澤さんって知ってる?」

「知らないです」真由香は首を振った。聞き覚えのない名前だった。「誰ですか?」

 東條はふん、とつまらなさそうに洟を鳴らした。

「テレビ太陽の編成局次長だよ……戦軍シリーズなんて早々に打ち切ってしまえって息巻いている局のおエラさんなんだけどね。あなたが多分最初に戦うことになる敵かもね」


  



 諸業務を東光の本社で調整し、長門や能勢とは番組の方向性を固めつつ、劇伴担当の作曲家・篠靖幸と打ち合わせをし、番組メインスポンサーの玩具担当者と年間スケジュールの確認を行い……その合間を縫って真由香は現在放送されているスーパー戦軍シリーズ第三十三作目『稲妻戦軍サンダーフォース』の撮影ロケ隊に同行することにした。

 二〇一三年七月一日月曜日のことである。今年ももう、半ばを過ぎた。戦軍シリーズ第三十四作目スタートまであと残り半年。

 練馬区大泉の東京東光撮影所に朝の五時半集合とのことで、自宅からはとても始発に乗っても間に合わないので、調布のワンルームマンションからタクシーで駆けつけた。睡眠時間四時間弱、やっぱり欠伸が止まらない。

 因みに真由香の実家は、いま借りているワンルームマンションから徒歩十分ぐらいの距離にある。まあそこそこ大きな家で、周囲の住人からも「大豪邸」と称されており、別に家を追い出された訳でもない。両親とも特に不仲ではなかった。

 それでも五年前に家を出た。オトコをいつでも好き勝手な時間に部屋に連れ込みたいから―なんて、艶っぽい話ではまるでない。プロデューサー稼業は実に時間が不規則て休みがまちまち、出社時間も帰宅時間もメチャクチャのバラバラ。それを見咎めた両親(真由香は普段、彼らのことをパパとママと呼ぶ)から「東光みたいなヤクザな会社は辞めて、うちで家事手伝いでもやれ!」とうるさく言われてしまったからだ。真由香はパパとママのことがキライではなくむしろ大好きだったので、あまり心配をかけて余計な摩擦を起こしたくなかったため、一人暮らしをすすんで始めることにしたのだ。

 ママとは週一ペースで電話で話をする。「マユちゃん、誰かいい人いないの? そんなホラー映画とかテレビとかの世界から足を洗って、そろそろ結婚しちゃってよ」なんて心配されるが、真由香としては今の仕事は一日でも長く続けたいと思っている。天職だと信じているし、たとえ結婚したとしても仕事を続けたいと考えている。

 それはさておき―。

 撮影所の通用口で手早く記帳し、入所許可証を首からぶら下げると集合場所のロケバス駐車場に少し早足で急ぐ。時刻は五時十五分。夏の今の時期、もうこの時間なら空はすっかりと明るくなっている。

 まだ涼しく、汗は掻かない。蝉が遠くで泣いている。

「おはようございます」

 真由香に気付いた、アシスタントプロデューサーの小曽根卓が駆け足でやって来た。半袖のポロシャツでラフな格好をしている。

「槇さんは今日はいないんだよね?」

「終日、本社で打ち合わせって聞いています」

 東光のメインプロデューサーがずっと撮影現場に同行するというわけでは当然なく、現場を仕切るのは監督だが、それに次ぐ立場がアシスタントの小曽根だったり、ラインプロデューサーの天野だったりする。いまだあの先輩プロデューサーとは気持ちが通い合わないので、今日槇がいないという点が再確認できてホッとする。

 スタッフは三十名くらいか。もう皆集合しており、テキパキとトラックに撮影器具などを上げ下ろししていた。それにキャスト、スーツアクター、エキストラなどのメンバーを含めれば総勢五十名ほどの撮影部隊となる。このメンバーが二台のロケバスに分乗する。その他、撮影の日によっては、小道具大道具のセッティング、火薬や爆発用の操演が必要な場合別途車両が必要になる。そしていざ、撮影を始めるための照明の準備、アクションや立ち回りのシーンのリハーサルも必要となり、カメラを回すまでの時間だって長くかかる。また一シーンの長回しなんてほぼなく、カット割りが細かくなるため、撮影現場は秒刻みのスケジュールで常に動く。

 またそれとは別途特撮ロケーション班もこの撮影部隊とは別に存在している。特撮監督の津島律夫率いる特撮シーンの撮影部隊である。彼らは彼らで、撮影所内にある特撮スタジオで、日夜特撮シーンの撮影や準備・研究に時間を費やしている。一シーン一シーン、アイデアを凝らし、情熱を傾け、丁寧にカットを紡いでいく。

 そういった意味では、下手な一般ドラマより人件費や準備、撮影にかける手間暇などが結構かかるのだ。世間ではあまり知られていない事情だとは思うが。

 こういった三十分番組は通常二話持ちで撮影される。そのほうが制作の都合上スケジュールの管理が容易であるからである。そしてそれにかかる撮影期間は通常二話持ちで、だいたい十二日前後。普通の一時間ドラマなら撮影期間だいたい一本七日前後だから、それと比較してもこういった特撮番組がどれだけ面倒なのかわかろうというものだ。

 ―もっともこういった事情も、戦軍のプロデュースを手掛けることになって、いろいろなスタッフに事情を教わってからわかったことだった。真由香は最初、こう考えていた。どうせお子様向け番組だし、三十分ものだから撮影自体一時間モノより短くて済むんじゃないの、どうせ日影なんだし……なんて想像していた。まったく、想像と違った世界だった。東光で十年以上、プロデューサーとして勤務している真由香でさえそう思っていた。多分世間一般では誤解されている事情なんだろうなあ、とぼんやりと考える。

 番組で主役を演じる五人組―男三人女二人も片隅の一角に陣取り、静かにロケバスの出発を待っていた。全員漏れなく美男美女だが、皆おしなべて大人しい。元気なさそうだ。もっと今は朝の五時半前。そりゃ、元気ないよな。

 とにかく真由香はこのロケ部隊のなかでは門外漢である。門外漢は門外漢なりに、傍観者に徹して、彼らの仕事ぶりをじっくり観察しようと思った。

 制作進行の男性スタッフが「じゃあ、山根組、出発しまーす!」と元気よく声を張り上げ、皆素早く二台のロケバスに乗り込んだ。山根組、とは今回の撮影組の監督が山根正幸なので、そう称しているのである。別にヤクザの組というわけではない。

 オンエアーは八月末の予定。第三十一話、第三十二話の山根組。

 五時四〇分過ぎ、東光東京撮影所を出発。目的地は栃木県の烏山とのこと。二時間ほどかかる。行って帰って来るなら往復で四時間。

 真由香の乗り込んだロケバスの先頭あたりに陣取っているのが、監督の山根正幸だった。先程軽く挨拶をすると「どうも、山根と申します。おはようございます」とにこやかに応じられた。何故か関西風のイントネーションが混じっていた。白髪交じりのソフトなパンチパーマでメタルフレームのメガネを掛けている。戦軍には十年以上、監督として携わっている。フリーランスの演出家である。温厚な性格で、スタッフやキャストからの信頼は厚いと聞いている。ただし、彼の紡ぎだす映像は、長門清志郎の剃刀のような切れ味のセンスや他の本編監督のスキルに比べれば、一段も二段も劣るというのが真由香の密かに下していた評価だった。

 山根監督は一心にシナリオにペンで書き込みをしている。絵コンテを書く監督も最近では多いが、実写の現場では字コンテが今でも主流であると聞く。山根の後ろに座っているのがチーフ助監督の鹿島忠司。目を瞑り、腕を組んで静かにしていた。年齢は真由香より少し上だったはず。スケジュールも作成し、現場を仕切るのはチーフ助監督の役割だった。

 ロケバスは山奥の細い道をうねうねと辿り、さらにもっと奥まで進み、ようやく停車した。栃木県那須烏山市の烏山―時刻は八時前になっていた。

 どこかの脇道に車が到着してからのスタッフの動きは見事なものだった。トラックから素早く撮影器具を下ろし、手早く動く。あらかじめ決められたかのような統率のとれた動きで、準備を進めていく。

 それと並行して、アクション監督の小笠原徹が役者とスーツアクターと戦闘員役の若手役者に殺陣をつけている。「そうじゃねえわ!」と時に厳しく指導の檄が飛ぶ。主役の五人組は撮影所での集合の時は全員眠そうで頼りなさ気だったが、今は小笠原の指示通りにきびきび動いている。

 VFXスタッフもデジカメで撮影現場を撮りまくっていた。後程撮影素材に合成で組み合わせる。こういった手間も、一般のドラマとは別にかかる労力だった。

 その脇で山根監督は鹿島チーフ助監督、スクリプターの女性スタッフとカメラマンが何やら打ち合わせ。鹿島が自分の下の助監督連中に厳しく指示を与えている。その助監督の中のひとりに見覚えがあった。どこかで会ったよな、と思っていたが思い出した。真由香が東光テレビプロダクションに東條に連れられて初めて行ったとき、入口から飛び出してきてぶつかった相手だった。日焼けしていて、半袖シャツを身に纏っている。……そうか、この人は戦軍の助監督だったのか。ちらと一瞬目があったような気もしたが、多分気のせいかな。

―それにしても真由香には居場所がない。ただ、彼らの動きを見守り続けている。映画の撮影現場でもプロデューサーは実はあまり居場所はなかったりする。プロデューサーの中には現場に介入し、演出にいちいち口を挟むタイプの人間も多いが、真由香はそういったタイプではなかった。

 こうして撮影がスタートしていく。もうすっかり夏の気候で、じっと立っているだけで躰が汗ばんでくる。

「ヨオイ、スタート!」

 山根監督の大きな声が聞こえる。

 リハーサルも含めて、テキパキと撮影は進む。短いカットの撮影の繰り返し。頻繁にカメラの位置を変え、素早く撮影は進んでいく。シーンが終わると撮影器具を撤収、また器具を抱えて別場所に移動する。

 人里離れた原っぱではセメントとナパームの爆発を初めて目の当たりにした。操演スタッフの指示のもと、手慣れたスタッフがガソリンと導火線を手早くセッティングしていく。その後役者がその場所に立ち、小笠原が指示を与える。しばらくして、スタッフの合図でバン! と爆発し炎が燃え上がる。役者たちは「わー!」とオーバーリアクションをとりながら、倒れ込む芝居をする。炎のせいでこの夏の暑い日、更に気温が数度高まったかのように思える。無事カメラでその一連のシーンを切り取ると、数名の男性スタッフが消火器を持って、鎮火にあたる。

 遠くで見守る真由香の元までガソリンの臭いが伝わってくる。暑苦しい熱気。

 そしてすぐに撤収。とにかくこの撮影チームは全員プロフェッショナルだった。

 そして山道を少し先に進むと、大きな滝があった。地元では「龍門の滝」と呼ばれる名所らしい。ここで素早く撮影器具をセッティングし、スーツアクターの若者たちがコスチュームや着ぐるみを装着する。五色のヒーローは小笠原アクション監督のもと、立ち回りを演じる。

 「龍門の滝」の高所でのアクション……下から見上げていてもぞっとする。しかし彼らの動きは淀みがない。立ち回りがえんえん続く。そして彼らの姿をカメラで切り取っていくスタッフ。

 撮影はこうして延々と進む。

 


 昼の二時過ぎに一旦休憩、昼食になった。

 部外者の真由香はロケ隊とは少し離れてひとりでロケ弁当を頬張りのんびりとスマホを弄る。日差しが眩しいので、日傘を差すことにする。個人的に日焼けはあまり好きではなかった。紫外線対策は入念に行わないと。

 ちらと遠くを見ると主役の男の子女の子五人組は全員で固まって静かに弁当を食べている。普段から仲がいいのか、強制的なのか、義務感で五人一緒でいるのか、真由香にはよくわからない。

 アシスタントラインプロデューサーの北島衣里がやって来た。彼女は小さなクリームパンを手にしていた。

「はい宮地さん、これデザートです」

「ありがと」

 真由香はクリームパンを受け取った。

「日傘なんて、この撮影現場で指してるから女優さんに見えますねえ」

「これにはちゃんと理由があるの。以前、海で日焼けすぎて皮膚が爛れたことがあって。病院で診てもらったら、あまり皮膚が丈夫でないって診断されて。それから無意識に日焼けは避けるようになったというわけ」

「そうなんですかあ」

 初対面のときは些か頼りないお嬢さんで、ちゃんと仕事してくれるんかいなと感じていたものだが、衣里の動きは見事なものだった。野兎のように、各セクションのあいだを連携してすばしっこく行き来する。なかなかのタフネスぶりだった。

「それにしても、ずっと大変だよね。ロケも、スタジオも、アフレコも」

「今日はまだ緩いほうで」

 衣里は笑みを絶やさない。「山根組はこう言っちゃなんですけど、他の組に比べてまだ進行がのんびりなんです。まあ、こういう言い方はどうかと思いますが、山根カントクはおおらかな方なので、各セクションにはいちいち干渉しないというか、皆の自由に任せてくれるんです。なので進行も撮りも早く進むんです」

 それは果たして良いことばかりなんだろうかと思わずにはいられないが、敢えて口を挟まなかった。真由香はクリームパンに齧りつく。

「―じゃあ、それにひきかえ長門カントクはどうなの?」

「あの方は」北島衣里は苦笑いを浮かべる。「ある意味天才なんじゃないかと。自分の中中に確固とした理想図があり、それに皆がついてこないことに歯痒さを感じるんでしょうね。だから皆を叱咤激励します。結果、出来上がる作品は素晴らしいものになります。……でも皆が皆、監督の意図をはいはいと汲み取れるといえばそういうわけでもなく、内心反発する人、敬遠する人は多いです。わたしも正直、素直になれなかったり、納得できないこともありました」

「今ならどう? ちゃんと長門カントクと仕事が出来そう?」

「当時の自分とは違います」衣里はにっこり笑う。「現場が円滑に回るよう、ちゃんと監督の期待に応えたいと思います」

 クリームパンは真由香の腹の中に全て収まった。「ところで質問。……この業界に入ったきっかけは?」

 人指し指を顎を撫でると衣里は考え込むポーズをとった。「映画の専門学校に行ってたんです。で、そこの就職課の紹介を受けてテレビプロにやって来た、と。……映画やテレビの現場で何でもいいから働きたかったんですよ、昔から」

「北島さんの夢はいったいなに? これから何をしていきたい?」

 北島衣里は「まず、ちっちゃな目標ですけど」と小さく笑みを浮かべた。

「作品に自分の名前が載るようにしたいですね。今わたしはラインプロデューサー助手で、クレジットに出るのは天野さんの名前だけですから。田舎の両親を安心させてあげたいですね。自分の娘は、ここの現場でちゃんと頑張ってますよって」

「田舎はどこ?」

「―仙台です、宮城県」

 宮城県、ということは……。

「二年前の震災でご実家は無事だったの?」

「うちは幸い大丈夫で。親戚で家が被害になった人はいますが」北島は人差し指で鼻を撫でた。「親戚の姪っ子で毎週戦軍を楽しみに見てる子がいます。なかなか自分がその現場で働いているって言っても信じてくれなくて。それもあるから尚、クレジットで早く自分の名前を出したいですね」

 腕時計をちらとみると「じゃ」とぺこりと頭を下げて、衣里はそのまま去って行った。兎のようにしなやかな体の動きをしていた。あれくらい体の動きが軽やかでないと、こういったテレビの現場ではやっていけないのかもしれない。

 太陽が少し翳ってきたので、日影が増した。これなら日傘を畳んでも平気かもと思い、折り畳むと、真由香は妙な思いに駆られた。よくはわからないが、どこかからか真由香を見つめる視線を感じたのだ。背後のあたりから。

 見られている?

 おそるおそる、ゆっくりと後ろを振り返る。しかし、スタッフらしき人間が行き来していたものの、特に真由香に注目している人物はいなかった。いや、自分が気づかなかっただけなのか。

 何となく不思議な感覚だった。自分がかつて制作していたホラー映画じゃあるまいし、さすがに自意識過剰すぎるだろうと真由香は内心苦笑するしかなかった。



 ロケはこのまま延々と続き、『サンダーフォース』山根組は夜の八時を回って、ようやく栃木県烏山から撤収した。真由香が自宅マンションに戻ってきたのは夜の〇時を回った頃だった。

 エアコンをつけると、そのままの格好でベッドに倒れ込んだ。自分はただロケに同行していただけなのに、それでも躰が悲鳴を上げている。テレビの現場がいかに過酷であるかということは十二分にわかった。

 戦軍シリーズの撮影はこうして休みなくロケスタジオ問わず、一年間正月を除いてほぼ毎日のように絶え間なく続く。アフレコもある、稽古もある。

 視界の隅に電話器が入った。

 国際電話を掛ける際は、なぜか携帯電話ではなく、自宅の電話器から発信する習慣があった。時刻は〇時を回っている。となると、あちらは今朝の十時。家にはもう在宅しておらず、おそらく彼はオフィスに出勤しているのだろう。

 最近全然電話していないな―ぼんやり真由香はそう思いながら、久々にあの人の声が聞きたいと強く願った。

 


●● 


 

 七月某日。

 ある人物は、パソコンの前に座っていた。

 都内のネットカフェ。躰は連日の労働で悲鳴を上げている。それでも、疲れた躰を引きずってここまでやってきた。店員に受付で「ボックス席になさいますか?」と勧められたものの、別に個室でなくても構わないと思ったので、オープン席でよいと言っておいた。ここに長居するつもりもなかった。

 ある人物は、フリードリンクコーナーの自販機でコーラを選ぶと、座席に陣取って、パソコンを起動する。目的はただ一つ。とあるネットの巨大掲示板に、まずはアクセスする。

 目当ては『特撮』のスレッド。ここには大中小問わず三百以上の掲示板が存在する。検索キーワードを入力検索し、目当てのスレッドを探し当てた。

―『二〇一四年の新戦軍を予想するネタバレスレ その3』

 このスレッドでは、有象無象のオタクや無責任なギャラリーが好き勝手に来年スタートの新戦軍について勝手気ままな予想を書き込む。ネタバレスレと称しておきながら、実は九五%以上、適当で嘘ばかりが書きこまれている。

 ある人物は、ふっと息を吐くと自分がこれからやろうとすることを手早く頭の中で計算した。我ながら支離滅裂な行動だと思うし、何より自分に何の益も齎さないことをやろうとしている。

 それでも特に迷いなく、キーワードを叩き始めた。人間、損得勘定だけでは動かない。意味不明な行動をとる生き物なのだとつくづく感じる。

 入力し終ると素早くディスプレイ上で、「送信」ボタンをクリックした。

 スレッドに書き込み内容が表示される。


 

『ほらよ、新情報。ネタバレ。純度は高いよ。

 信じる信じないはお好きにどうぞ。

 タイトルは『飛翔戦軍スカイフォース』でほぼ確定。もうすぐネーミングが商標登録されるから、またHPをチェックしてみ。

 オーディションはこれから。例年のパターンで言うと、多分八月末頃かな。

 プロデューサーは槇がサブに降格。メインは多分おまいらが知らない人物。ヒントは女性。戦軍では初の女性Pの抜擢。お目付け役の東條は番組の立ち上げには関わるが、結局その女性Pが一年間プロデュースすると。

 メインライターはこれもお前らの斜め上を行く人選。特撮未経験、でも決して素人とか若手の類じゃない。それなりに実績のあるライター。

 そしてパイロット監督。あの巨匠が五年ぶりに戦軍にカムバックする予定。いまから撮影現場の奴らが戦々恐々としとるよ……』

 


 内容をざっと確認する。

 こんなことをしてもある人物にとっては何のメリットもない。ただ、デメリットもダメージもない。

 投稿者名を空白にして書き込むことも可能ではあったが、しばし考えて「魚」と入力して投稿した。「魚」にさして意味はない。ただ昼間に食べた弁当が焼き魚弁当だったので、適当につけてみただけだ。

 PCのキャッシュを念のため削除してシャットダウンすると、素早く席を立つことにする。用が終わった以上、もはやこのネットカフェに居る必要もなかった。結局コーラには一口も口をつけることがなかった。

 




 七月中旬、真由香が企画した『長門監督を囲む会』が催されることになった。場所は東光東京撮影所近くのイタリアレストランで、この店は長門からのリクエストだった。長門は大泉の近くに居を構えており、よく通っている店であるという。メインスタッフを掻き集めて、午後七時スタート予定である。

 今月末には、テレビ太陽の本社にてテレビ局側との第一回企画調整会議を控えている。

 それまでにメインスタッフ間の連携をさらに強めるのと、長門とぎくしゃくしている槇のあいだを何とか和解させたいと考えていた。もっと、真由香自身も別に槇との仲はいまだにそんなにしっくりしていなかったが。

 東條信之は出先から直接現地に直行するとのことであったため、真由香と槇は銀座の東光本社から電車で大泉学園に向かった。

 自然、話題はお互いの仕事のことになった。それぞれ現在の状況を報告し合う。

「……打ち合わせはすすんでる?」銀座一丁目駅の改札を通りながら、槇がぼそぼそと話しかけてきた。「長門さんはやりやすい?」

「まあ、何とか」

 ひとまず真由香はそう応えておいた。

 メインライターとメイン監督との打ち合わせは連日続いていた。ただオハナシを作ればよいというわけでなく、メインスポンサーである玩具企業・MANDEIからは年間の玩具発売スケジュールやヒーローのキャラクターデザインのラフスケッチを事前に貰っているので、その予定に合わせて細かな設定、年間のストーリーの大まかな流れを作る。そしてそれに則りシナリオを作っていく。能勢朋之の脚本のアイデアに対し、真由香や長門清志郎が意見を挟む。その打合せには、最近は真由香の助手として、アシスタントプロデューサーの小曽根卓も最近では加わっていた。

 長門監督は『ヨイショの長門』らしく、能勢を乗せることに非常に長けていた。こちらが事前に心配していた脚本家と監督の摩擦や軋轢については何ら心配することはなかった。また能勢は打てば響くアイデアマンでもあったので、この二人なら、一年間の長丁場も何とか乗り切れるのではないかと密かに自信を深めていた。

 真由香と槇は有楽町線のホームで電車を待った。すぐに電車がやって来たので、急いで乗る。いつものように、車内は大いに混雑していた。

「お手伝いできなくて申し訳ないと思ってる。でも、こっちも今のシリーズで手いっぱいなんだ。ひと段落ついたらそっちの打ち合わせに参加したいと思っているんだが」

「事情は分かりますよ。『サンダーフォース』、頑張ってください……そっちは最近どうですか?」

「なかなか浮上しない」槇憲平は吊革に捉まりながら、溜息を吐いた。「マンネリなのか、そのほかの原因なのか……まあ、原因がわかりゃ、苦労しないけどね。数字が伸びない。頭打ち。潜水艦のように沈みっぱなし。ウチの上層部と局とスポンサーにはいつもイヤミ言われてばかり。本当に疲れる」

 現在放送中の『稲妻戦軍サンダーフォース』の視聴率は毎週月曜の午前にビデオリサーチから送られてくる。槇の言うように、数字の衰えは顕著だった。かつては平均二ケタを誇ったレーティングも、今はその半分にすら届かない。裏番組の『笑点』にはその差を大きく離される一方だった。

 そんな状況にも関わらず、シリーズが打ち切りにならないのは玩具である程度の売り上げが見込めるからだった。メインスポンサーのMANDEIから発売される戦軍の玩具の売上が膨大なため、視聴率が低くてもスポンサーの意向でまだやっていけるのだった。しかし、最近はその数字ですら、低落傾向にあるという。

 テレビ局としては、メインスポンサーがそういう意向なら視聴率については黙認していも、さすがに低視聴率がこのまま続くと日曜十七時半の時間枠を明け渡せと迫ってくるのが必至で、シリーズはちょうど存続やら時間枠変更危機の曲がり角にさしかかっていた。

 因みにテレビ太陽ホールディングスの筆頭株主は東光であり、東光の筆頭株主がテレビ太陽ホールディングスである。……複雑な話になるが、要はテレビ太陽と東光は強固な関係で結ばれており、たとえば映画であったり、ドラマであったりある一定の本数契約、枠が存在する。しかし安泰だった戦軍の枠もこれ以上不振が続くと、存続自体が揺らぐ。

 槇は髪の毛をポリポリと掻いた。

「そういえば、大澤信孝って名前聞いたことがある?」

「大澤……」かすかに記憶が残っていた。東條が口にしていた名前だった。「テレビ太陽のおエラいさんで、戦軍は打ち切りにすべきだって主張している人だとか」

「まあこっちがこういうことを言うのもなんだが、あの人がそう言うのも分かる気はする。戦軍はずっと数字が取れないし、多分あっちはあっちで内部からの突き上げもあるだろう。立場が違えばなんとやら、だ」

 その大澤信孝と来週対決することになる。戦軍シリーズの第三十四作目のスタートは決定しているが、いろいろ注文を付けてくるのかもしれない……ああ、頭が痛い。

 電車が池袋駅についたので、さっさと降りる。周りはとにかく多くの乗降客でごった返している。

 このままふたり、西武鉄道の池袋駅に向かう。

「僕はつくづくこの仕事に向かないと思う」

 急に槇がそんなことを言いだす。「とにかく気を遣う。神経をすり減らす。汗水垂らして仕事をしても、誰からも褒めて貰えない……でも、昔から好きだったんだ。ベタな言い方になるが、こういう怪獣が出て来る三十分ものがね。作る側に昔から興味があった」

「シナリオライターは目指そうとは思わなかったんですか?」

「ホンを書く才能がなかった」

「監督は?」

「助監督から修業するのはシンドそうじゃない」

 余り発展性のない会話だったので「ああ、そうですか」と返事をするしかなかった。いまだ先輩オタクプロデューサーとの関係はしっくりこない。そこからはあまり会話が続かず、二人は無言で西武鉄道池袋線の車内に揺られた。


 

 大泉の路地裏にひっそりと佇むイタメシ屋が『長門監督を囲む会』の会場だった。集まったのは真由香、槇、東條、小曽根の東光のプロデューサー陣に加え、当事者の長門、ライターの能勢、広告代理店・東光エージェンシーの利根川、テレビ太陽プロデューサーの海老江孝夫だった。

 店の奥まった個室のスペースのテーブルで向かい合った。

 海老江は戦軍のプロデューサーは四年目だが、長門とはすれ違いのタイミングで番組に参加したため、長門の人となりをよく知らないとの話だったのでこの場に招いておくことにした。銀縁メガネのパッと見、真面目な銀行マンと言った印象だった。監督は局プロに嫌われたら元も子もなかった。真由香もまだ海老江とは数度しか接触していないが、外見通り実直そうな印象を抱いていた。

 定刻に会が始まる。終始、長門清志郎の機嫌は良かった。独演会のように、一人で勢いよくべらべらと喋っていた。ただ、もともと長門は下戸なので、口をつけているのはもっぱらよく冷えたアップルサイダーだったが。

 そして今日も又トレードマークのサングラスは外していない。

「能勢先生の筆には勢いがある」カルボナーラをフォークに巻きつけながら、長門はこう評した。「それと余計なト書きがない。必要最低限、簡素な表現に留められている。しかし自然にイメージが湧く。撮りたい画がすぐに頭に浮かぶ。監督として実にやりやすい……また台詞の一つ一つに味わいがあるんだ。……特にこれまでの能勢作品で感心したのが『恋に落ちたなら』というVシネマだ。尖った出来で感動する」

 真由香は思わずワインを噎せそうになった。『恋に落ちたなら』は真由香が昔プロデュースしたVシネマだった。過去、能勢と唯一組んだことのある作品で、まったくヒットしなかった。

 まさか、長門がそれを視聴していたなんて―今初めて聞いた。

 鬼監督は真由香をちら、と見る。

「そしてこちらで今ワインを噎せそうなった宮地プロデューサーは、非常にアイデア豊富で、度量が大きい信頼できる奴だ。作品も実に芯が通っている……たとえばそれが『サイコパス・ロマン』シリーズだ。あれを見れば、脚本家と監督がプロデューサーを信頼しているからこそ、安心して物語を転がせていることがよーくわかる」

 またしても真由香はワインを噴き出しそうになる。『サイコパス・ロマン』シリーズは真由香の映画部でのライフワーク的な仕事であったが、まさか長門はそれもチェックしていたとは―これも初めて知った。普段そういった仕事以外の私語をとくに交わさないため、驚いてしまう。

 因みに『サイコパス・ロマン』のシリーズ第一作目はとある田舎の病院が舞台だった。

 主人公は若い新米女性看護婦。殺人鬼は次々と入院患者、医者、同僚看護婦を理不尽に毒牙にかける。最後に生き残った女性看護婦は何とか生き延びようと、殺人鬼の手から逃れようとする……そういうストーリーだった。

 それはさておき―。

 今まで何故長門がメインライターに能勢を推薦したのかよくわからなかっだが、ようやくおぼろげに理解できた。おそらく長門は真由香から仕事のオファーを貰った後、こいつはどんなプロデューサーで過去どんな作品を手掛けてきたのかと密かにチェックしたのだ。結果、その過程で能勢朋之を知り、このライターなら作品を面白く膨らませることが出来、また自分や真由香との相性も良いのではと判断を下したのではないか。

 となると、この老監督、見た目は強面のサングラスで、自分以外に何の興味もなさそうな豪放磊落な風貌をしているが、意外に研究熱心でしたたかで仕事相手のリサーチも怠らない演出家であるということなのか……。

「こいつの見どころは三つある」長門は真由香を親指で指しながら、尚も捲くし立てる。

「一つはアイデア豊富。二つ目は実に仕事熱心。そして三つ目は―長門清志郎をわざわざ頼ってきたということだ」

 自分で言ってて恥ずかしくないのか。

「俺が保証する。こいつは二十年に一人の逸材だと思っている。将来東光初の女性役員になるのも夢ではない」

「カントク、アップルサイダーの飲み過ぎで滅茶苦茶言ってますよ。わたしの話はいいですから」

 真由香は窘める。『ヨイショの長門』の鉾先が、ホンヤの能勢ではなく今夜は何故か自分に向かっている。こういう過剰な持ち上げは周りがしらけるのでよくない傾向だ。現に槇憲平は先程から静かにカルパッチョをちびちびとつついていて存在感が希薄だ。

 真由香の話題なんてどうでもいい。とにかく、話の流れを変えなければならない。

 内心焦っていたが、「……そういえば宮地さんの昔のエピソード、知り合いから噂を聞きましたよ」とニヤニヤしながら利根川研が割って入ってくる。

 ……いや、その話は本当にいいから。

「へえ、どんな噂なんですか? 聞きたいなあ」

 能勢朋之が興味深げに質問してくる。利根川は「入社試験の際のマル秘エピソードがあって」のナプキンで口元を拭った。

「知りませんよ、そんな話。誰かと間違ってるんじゃないですか」

 真由香は首を振りながら恍けたものの、長門清志郎が「どんな噂か聞かせろ」とがなり声を立てたので、それ以上は何も言えなくなった。

 利根川がナプキンをテーブルに置いた。

「もう十年以上も昔になるのか。最終役員面接のとき、とある役員が当時女子大生の宮地さんにこう質問した。『キミは自分でワタシは美人だと思っているでしょう?』……ご覧のとおり、宮地真由香さんはかなり御綺麗で、才色兼備、容姿端麗、東光が誇る美人女性プロデューサーではあるんだが、どういうふうに上手く切り返せるか、ウイットに受け答えできるかを当時のその役員は確認したかったんだろうね。敢えてそう意地悪に訊ねた。―さて、彼女はどう答えたか」

 利根川はこちらを見て目線で話の続きを促したが、「忘れました」と真由香は首を振った。あの日のことを忘れるはずもないが、そう応えておく。

「すっかり、忘れました」

「ああ、俗な言い方だけど、宮地君はまあ美人なんだろうなあ」長門が会話に割り込んでくると、槇を見て、なあ、と同意を求める。「お前もそう思うだろ?」

「……そうですね、はい」

 槇憲平が小さく頷く。

「独身だろ、お前。恋人もいなさそうだ。この際彼女とお付き合いから始めて見たらどうだ」

「いやいや、まあ」

 槇が面白くなさそうに相槌を打つ。明らかにこの場の会話のノリに合わず、早く帰りたいと願っている雰囲気がありありと窺えた。

 そして、そういう空気を素早く察知するのが長門清志郎という男だった。急にスイッチが入ったのか「とにかく陰気なんだよ!」と文句を言いだした。「俺も冗談で言ってんだ、適当に切り返しゃあいいんだ。応用が利かない、覇気がない! 暗いよ、お前」

「―暗くて結構じゃないですか。能天気に現状から目を背けて、誰かさんの独演会を拝聴する心境でもないんで」

 急にスイッチが入ったのは槇も一緒のようだった。トロンとした目が急に鋭さを増している。そういえばこの男、カルパッチョをつつきながら、先程から一人で何杯もビールをお代わりしていたのだった。顔が赤い。

 長門が「……はん、酔ってるのか」と軽く受け流す。

「酒が弱いのに、昔から酒が好きだったもんな」

「―戦軍はいつ打ち切りになっても不思議じゃあない」シリアスな口調で槇がぼそぼそという。周りが急にしんとする。

「シリーズが打ち切りになれば、それに携わる人間の多くが路頭に迷う。僕は東光の人間だし、番組が終わってもサラリーマンをクビになるわけじゃない。しかしフリーランスや本数契約のスタッフは、また別の現場を探してこなきゃならない……多くのスタッフの生活を守る義務があるんです。そんなことをずっと毎日考えて仕事をしていたら、気分が暗くもなりますよ」

「じゃあ、そういう打ち切りのピンチという事態を招いたのはいったい誰の責任なんだ? 誰かさんのプロデュース能力の欠如、組みやすくやりやすい相手ばかり選んで仕事をしてきた負債のツケが回ってきただけのことだろう」

 婉曲的に長門が槇を攻撃しだす。何とかこの会話の流れを止めたいと思っても、二人のあいだには、他人が割って入れない空気がすでに出来上がりつつあった。

 槇はトロンとした目つきで長門を正面から見据える。

「いや、彼らは信頼のおける仕事人たちですよ。納期を守り、予算を守り、現場を円滑に回すことが出来る職人たちです」

「技術や能力は二の次と言いたいのか」

「そういうのも含めてね、スキルはものすごいものを持っている。勉強熱心だし、着実に実績を積んでいる。演出力というモノサシ一本だけが評価基準じゃありませんから」

「結局は出来上がった作品で勝負だろう」

「だからといって、スタンドプレイはほどほどにして貰わないと困ります」

「スタンドプレイをしているつもりはない。俺は誰よりも面白いものが撮れるという自信を常に持ってシャシンを撮っている」

「もう戦軍はフイルムで撮ってないんですよ。二年前からビデオ撮影に切り替えましてね」槇の声はどこまでも冷たい。「材料がトマトしかないならトマト料理を作ってほしいのに、誰かさんはエビフライを揚げたいとムチャを言う。今夜中に作ってほしいとお願いしても、出来上がるのに三日かかるとダダをこねる。……僕はそういう料理人に辟易としているだけです」

「誰のことを当てこすっている?」

 オイオイこのやりとりって今日のこの会の趣旨と全くそぐわないよな……真由香はぼんやりそう考える。しかし、今やこの場の空気は最悪なものとなった。おそらく、この状況をもう元に戻すことは出来なさそうだ。

 槇は尚もビールを呷った。

「とにかくそういう腕自慢ばかりされても。……海賊じゃないんだから」

「誰が海賊だ!」

 まあまあ、と東條がそこでようやく二人のあいだに割り込もうとするも、槇が「とにかく!」と尚も話を続けようとする。 

「こちらとしては、決められたお約束事を守って仕事はして貰わないと困るわけで。一部の人間にだけへいこらして、その他大勢に辛くあたるというのが何より困る」

「……昔からお前は何も変わっていない」長門はゆっくりと腕を組む。「ただ、イエスマンだけ周りに取り揃えて悦に入っているだけ。そりゃ数字も落ちる、評判も落ちる、人気も落ちる! それだけじゃない、お前が愚かなのは、現場に介入して、あれこれと指示を出す。挙句俺にすら演出について意見する。そういうケツの穴の小さな腰抜け野郎が船長だから船が沈没寸前になる。そもそも槇、お前にはプロデューサーとしてのプロ意識が徹底的に足りない!」

「プロ意識! はん!」

 グラスをテーブルにドン! と力強く置くと槇はげらげらと笑いだした。「そのプロ意識が足りないというお言葉、リボンをつけてそっくりお返ししましょう。長門カントク殿、あなたこそ監督としてのプロ意識が徹底的に足りませんね!」

「何だとこの野郎!」

 長門は椅子から立ち上がると、槇のもとに歩み寄って彼の襟首を掴み―。



 『長門監督を囲む会』は悪夢のうちに強制終了した。

 今夜のことは想い出したくない。悪夢だ……。

 自宅がイタメシ屋の近くにある長門は、店の前に停めていた自転車に乗ってそのまま帰宅。大いに酔っぱらった槇は小曽根に連れられて自宅のある葛飾にタクシーに乗って帰宅。テレビ太陽の海老江孝夫は「局に仕事があるんで」とそそくさと別のタクシーで帰宅……そういえば、海老江は今夜結局ほとんど言葉を発しなかった。多分、長門の行状にすっかり引いてしまったのではないか。

 残るメンバーでゆらゆらと大泉学園駅まで歩いた。時刻は夜の二十二時過ぎ。ほんとうは二次会の居酒屋も予約していたが、やむなくキャンセルした。

「ところで」思い出したように能勢朋之が真由香に問いかけてくる。「……話が中断したけれども、結局、宮地さんは入社面接のときに役員になんて答えたの?」

 真由香は力なく首をゆるゆると横に振った。「また今度話します」とだけ答えた。とにかく今夜はすっかり疲れ果てていた。無駄に体力と気力を消耗した一日だったなと悲しくなった。

 




 七月末日、東京港区のテレビ太陽の局内で戦軍シリーズ第三十四作目『飛翔戦軍スカイフォース』の局内説明会第一回目当日―。

 ゆうに三十人以上は入れそうな大きな空間にいるのは、たったの六人。大きな窓に陽の光が挿し込んでいる。

 真由香たち東光側の人間の向かい側の席に座っているのが局プロの海老江孝夫、アシスタントプロデューサーの堀江津子、そして編成局次長の大澤信孝だった。

 テレビ部部長堤谷泰夫、東條信之、そして真由香の三人で局には乗り込んだ。サブの槇憲平はついてこなかった。『サンダーフォース』撮影班が一泊二日で地方ロケに出ているそうで、それに同行するためこちらには来れないというのが理由だった。また今の作品であまり数字が取れていないこともあり、局の幹部に合わせる顔がなかったのかもしれない。「宮地さんに任せるよ」と元気なく電話で言ってきた。『長門監督を囲む会』で長門とやりあったことについては、あの後「僕は後悔してない」ときっぱり言い切った。長門はまだ怒り心頭だから、またどこかで和解の場を設けなければならなかった。

 頭が痛い。

 ただそれよりも目下頭が痛いのが、本日のこの局内説明会なのだった。テレビ局に赴き形式ばった説明会を行うのは、テレビの仕事が初めてなので真由香にとっては未知の体験なのだった。そして今まで何度か名前の出てきた大澤信孝が目の前で威圧的に腕を組んで鎮座している。

 彼らはこちらが用意した番組企画書に目を通していた。海老江や堀とはある程度事前の打ち合わせをしていたため、こちらの意図は説明済である。堀は入社二年目のまだ新人といってよい、垢抜けないメガネ女子だった。プロデュースはこの作品が初めてと聞く。緊張感漲る畏まった表情で企画書を目で追っている。

 大澤信孝に会うのは本日が初めてである。名刺交換のときから密かに緊張した。無駄に日焼けしていて、精悍な顔つきだった。獲物を狙う鷹のような鋭い目つきをしていて、真由香のプレゼンの際も、特に何か質問を挟むでもなく、黙って相槌を打っていた。

 連日、メインライターの能勢朋之を中心として、粘り強く物語の骨子を作り上げてきた。いかに一年間、子供たちに訴えかける物語にし、スポンサーを納得させ、放送局を信頼させるか……そのことに腐心した。

「―子供たちはいつの時代にも空に憧れるものです。鳥の動きに目を奪われ、飛行機に乗りたがり、パイロットという職業は常に子供たちの憧れの職業であり続けます。『空』『鳥』というモチーフに今年はフォーカスし、最新の特撮技術で戦軍シリーズに新風を吹かせたいと考えています……以上です」

 そう締め括ると、真由香は着席した。喋りすぎて喉が渇いたため、ペットボトルのお茶で渇きを潤す。

「今回、いままで映画畑で活躍してきた宮地がチーフプロデューサーに就任するのも、一つの新しい狙いです」

 テレビ部部長の堤谷がちらと真由香を見ながら補足した。「女性ならではの視点、観点で采配してくれるものと確信しております。彼女にはそれだけの実績があり、うちの石原も太鼓判を押す人物であります」

「……こういった特撮番組に女性視点なんか、いりますかね」

 大澤はつまらなさそうにぼそぼそという。「小手先のテコ入れのようにしか思えない」

「いままでにない切り口や感性でこういった長寿シリーズに向き合ってくれるのは決して無駄にはならないと思います。番組制作に、女性特有の繊細な感性やバランス感覚が必要になる局面だってある」

「女性が繊細って決めつけるのは逆差別のような気がするなあ」

 堤谷の回答に納得していないのは明らかで、大澤は真由香をチラと見ると、「別にあなたが繊細じゃないと言ってはないからね」とニコリともせずに言う。

「はあ」と真由香は愛想笑いを浮かべる。

 ―居心地が悪い。

 大澤局次長は手元の企画書をトントンと机に縦で揃える。

「とにかく折角の長寿シリーズだ。そりゃそのまま打ち切りにならずに続いてもらうに越したことはないですよ。ただし、局の要望としてはもっと数字をとってもらいたい、それに尽きます。あと個人的な意見ですが、最近の作品は内容が複雑すぎる。もう少し単純明快にしてもらいたいし、悪は悪で単純に描いて欲しい。昔から好まれるのはやはりわかりやすい勧善懲悪の物語だと思うんです。『水戸黄門』しかり、『暴れん坊将軍』しかり。それなのにやたらと込み入ったストーリーだと子供もオタクも混乱する。それが昨今の数字低下に繋がっているのではないですか」

「お言葉を返すようですが」ここで東條が挙手をしながら発言する。「子供がメインとなる視聴者はそこまで単純でバカではない。これまでずっとシンプルに正義対悪の構図で戦軍を作ってきた。しかし毎年毎年同じことをやってるわけではない。時代に合わせて子供の趣味嗜好も変化している。それらのニーズに合わせてこちらも対応しているわけです。ずっとワンパターンにオハナシを作っていたら、それこそ視聴者にそっぽを向かれてしまいますよ。考え抜いた結果が今の作劇なんです」

「もう既に子供たちの大半にそっぽを向かれてるような気がしますが。現にとあるリサーチ会社が実施した、子供が大好きな番組アンケート調査で『サンダーフォース』は第八位という結果だ。かなりランクが下になりましたね。昔の戦軍はベスト3以内が当たり前だった時期があるというのに」

 局次長は淡々と述べると、溜息を吐いた。「僕は別に子供番組を否定しているわけじゃない。情操教育の一助になると思うし、結構なことだと思いますよ。文化の一つとしてね。……ただ、日曜夕方五時半は汐留のあの番組の独壇場で、うちとしても何とか一矢報いたいと考えているわけです。にもかかわらず、毎週毎週通夜並みの数字しか出てこない。……先週の『サンダーフォース』、いくつだった?」

 多分大澤自身、その数字を把握しているだろうに隣の海老沢孝夫に訊ねる。局プロの海老沢は「―3.8です」と弱々しい声ながらも、素早く回答する。 

「汐留以外の他局はニュース番組やってますね、あの時間。それらにもずっと負け続けている。連戦連敗だ」

 真由香は手元のルーズリーフから、紙の束を取り出した。営業部が事前に作成してくれた資料である。

「でも昨今の作品はDVDソフトになるとセールスも好調ですし、録画率という別の指標もあります。最近はどの局も……」

「ああ、その話は結構です。今は視聴率の話をしている」

 あっさりと大澤が一蹴する。「戦軍シリーズは三〇年以上制作され続けてきた、いつまでも同じフォーマットでずっと作り続けてきた、そのお力には敬意を表します」

 大澤のその言葉はひたすら皮肉にしか聞こえない。

「―ただし手を変え品替えやってきたが、行き詰ってる印象は否めない。何か変化であるとかインパクトが求められている時期に差し掛かっているのではないかと思います。どこか別の枠でやってほしいし、別の局でやってもいいし、なんなら戦軍の看板下げて、別の特撮番組をやってもいいわけで。何事にも終わりというのは必ず来る。シリーズを一時中断するとか、幕引きを考えてはいかがですか」

 東條信之が小さく笑みを浮かべて首を振る。

「うちのテレビプロの制作チームは精鋭揃いで、ずっと戦軍の制作に心血を注いできました。一旦シリーズを休むとか止めるとかになると、スタッフがバラバラになります。もしもう一度シリーズを復活させるということになっても、もう彼らは集まってはくれない。シリーズを継続させていくことで、明日の映像人を育てていくこともできる。シリーズ継続にはちゃんと意味があるんです」

「それはそちらの事情で、こっちは知らないですよ」

 大澤の態度はどこまでもそっけなくて、冷たい。……ああ、多分これまでもずっと槇や東條たちは、この目の前の男とこういう応酬を続けていたんだろうなあと真由香はぼんやり考える。

「これまで、うちと東光さんの資本関係もあるから、あの枠はずっと三〇年以上も継続してきました。ただ、そろそろ限界です」大澤は瞑目しながら続ける。「これまでも再三再四申し上げてますが、日曜十七時半で今の数字のままでは困ります」

「おっしゃる通りです。そこは何とか上昇するよう我々は頑張ってまいります」

 堤谷はそう言って、深々と頭を下げた。上司につられる様にして、東條も真由香も頭を下げる。

 しかし目の前にいる編成局次長は、しばらく何も言わなかった。何も言わないので、真由香は様子を窺うように頭をゆっくりと上げると、大澤と目があった。何となく、気まずい。

 にこりともせず、大澤が「―宮地さん」と口を開く。

「はい」

「お綺麗ですね」

 リアクションに困るようなことを訊いてくる。真由香はどう返そうか咄嗟に頭を働かせると「……ネットの噂通りだ」とあちらが言ってきた。

「ネットの噂、とはどういうことですか?」

 堤谷が怪訝そうに尋ねる。

「いや、24ちゃんねるですよ」大澤は人差し指でこめかみを掻いた。「下の者から報告が上がってきましてね。そこのネタバレ掲示板とやらにこう書かれていると。―今度の新戦軍のプロデューサーは美人でスゴ腕だと」

「ちょっと待ってください」

 真由香は慌てる。24ちゃんねるとは、ネットの巨大掲示板で、そこには大中小問わずいろいろな話題に関わるスレッドが多数存在している。その中にはテレビ番組を取り扱うコミュニティも存在し、特撮番組全般を取り扱う掲示板もある。勿論、戦軍についても。

「そんな、まだこんな夏の時期に、次の戦軍をわたしが担当することが、24ちゃんねるで話題になってるんですか?」

 堤谷と東條も困惑気に顔を見合わせている。まだ、放送開始まで数か月以上もあるのに、そんなごく一部しか知らない東光内部の人事情報がネットで出回っているとは。

「それはこっちが聞きたいですよ。そりゃ、昔からこの手の情報漏洩があるにはあった。、撮影ロケ隊に出くわしたとか、たまたま役者の台本の表紙を見たとかね。……でも、今回のように最速で、尚且つ正確な情報がもう外部に漏れてるなんてかなり異例ですよ。まさかそちらでは、今度の新戦軍の人事情報をもうおおっぴらに外部に発表してるんですか」

「そんなわけありませんよ」堤谷が慌てて否定する。「その内容についてはこちらで確認し、然るべき調査を行います」

「まあ別に調査までは結構ですよ。大袈裟になっても面倒だし。ただ、こうは言えなくはないですか」大澤は意味ありげに真由香を見ると、ゆっくりと腕を組む。「……新しい体制になった途端、こうやって情報がダダ漏れになる。東光さんの内部で、宮地さんに対する誰かさんの不満が知らず堆積している。つまり、宮地さんに対して快く思っていない人間がそちらにいるんじゃないかと」

 その指摘に対して真由香は何も言えなかった。24チャンネルなんて普段見ない。というか、見る暇も余裕もなかったので、早急に内容を確認しようとは思った。

 一方、大澤のものの言いように、かすかに自分に対する悪意を感じ取った。女性をあからさまに見下しているのか、戦軍を局のお荷物と捉えてその番組のチーフプロデューサーを邪魔に思っている故なのか。

 局次長は淡々と言葉を紡いでいく。

「とにかく、数字如何によっては戦軍は二〇一四年の放送期間中でも、今の枠を明け渡していただくことになりますよ。現在の変更第一候補は日曜朝六時半」

「ちょっと待ってください。そんな、より視聴率が少ない枠に異動したらシリーズは、その作品限りになってしまうかもしれないじゃないですか」

 堤谷が慌てたようにそう言う。

 日曜朝六時半―咄嗟に言われても、その時間帯テレビ局がどんな番組やってるかすら、咄嗟には出てこない。普段は寝ている。視聴率不毛地帯と言っても差し支えないだろう。

「フシデレビさんなんかは『はやく起きた朝は』ってやってますよ。磯野さん、森尾由美、松居直美なんかが出てる千代田企画さんの番組ですね。あれなんか、わりと固定客を掴まえてうまくやっている」

 編成局次長は仕事柄、すんなりと他の放送局の番組情報を口にする。「営業サイドも昨今のレーティングにはかんかんだし、スポンサーも離れ始めている。とにかく第三十四作目は二〇一四年一月の日曜一七時半に間違いなく始まるので、それはもう制作に尽力いただきたい。ただし、スタートしてから二〇一四年三月末までの三か月間の数字が肝になります。この三か月間の実績如何で、早ければ戦軍の放送枠は二〇一四年七月第一週目から日曜朝六時半からに枠移動していただく可能性があることは、事前にお伝えしておきます……まあ、枠の変更だけで済めばそちらも御の字じゃないですか」

 海老沢や堀も上司の言葉に困惑を隠しきれていない。多分事前に聞かされていた話ではないんだろう。

「まあ、頑張って下さいよ。宮地さんのお手並み拝見、といったところですね」

 大澤信孝の言葉には最後まで熱が籠っていなかった。



「遂にあちらさんも本気かな。日曜朝六時半はキツイな」

 帰りのタクシーの中で、それまで静かだった東條が口火を切った。テレビ太陽での打ち合わせが終了し、銀座に帰るところだった。都内はあいかわらず車が渋滞していて、なかなか前に進まない。車内の冷房はちょうどいい具合だった。

「日テレは『遠くへ行きたい』だよ、その時間帯」堤谷が手元のスマホを操作しながら言う。ヤフーのテレビ番組表で情報を検索しているんだろうか。「その時間帯に移れば、あらゆる予算が削られる。今以上に数字とれなくなり、悪循環が続き、シリーズは打ち切りになってしまう……厳しいよ」

「いまどきの子供たちってそんなに早起きですかね」

「少なくとも俺が子供の時はその時間は夢の中だった」

 その懸念はもっともで、視聴率が悪いからと尚数字のとれにくい別時間枠に異動すると、こちらの戦いはより不利になる。日曜朝六時半は日曜夕方五時半に比べて状況は一際よろしくない。その時間は恐らくローカルセールス枠だから、放送ネット局も減少する。現状の三十四局同時ネットなんて絶対ありえない。全国の絶対的視聴者数が減れば、玩具の売上も必然的に減少し、メインスポンサーのMANDEIすら撤退する可能性も出て来る。また予算も枠変更に応じて減額されるのも確実で、予算減少すれば、作品に潤いがなくなり余計に視聴者が離れていき、シリーズは終了を余儀なくされるのではないか―。

「時間枠変更であちらがああいうふうに言っていたのはこの三人だけの秘密だ」

 堤谷の言葉に真由香も東條も小さく頷く。

 東光としては三十年以上続いてきたテレビシリーズ枠は、現状のままどうしても死守しなければならないのだった。

「―あと一つ」堤谷は真由香にスマホを見せる。「大澤さんが言っていた、ネタバレの件に心当たりはあるか?」

 24ちゃんねるの特撮掲示板が表示されていた。そのほとんどが究極に的外れのことしか記されていなかった。よく読めば、何も事情を知らない第三者が願望やデタラメを愉快犯的に記しているだけだったりする。

 ところが、その該当と思しき、「魚」という人物の書き込みはまさに的確な内容の書き込みばかりで驚いた。魚の記す情報は真由香が読んでも、全て概ね正しかった。タイトルしかり、内容しかり、スタッフの陣容しかり……。槇がサブに降格し、真由香がチーフで采配することも正確に書かれている。長門清志郎の復帰についても、婉曲的だが記載している。それが七月上旬のことだ。

 とはいえ、いきなりこんな記述をただ書いても、スレッド民には一切信頼されない。「デマを書くな」「誰がそんな信用をするか」「ソースを見せろ」とやられるだけだ。しかし、魚はそこからも、細々とした正確な情報を小刻みに投稿し、やがてスレ住民の信頼を勝ち取っていくようになっていった。魚の書き込みがあるたび、「神降臨」「ネタバレ様大登場」と一部で持ち上げられるようになっていった。

 それらの書き込みの中には真由香の容姿にまつわる記載もあった。「黒髪美人」とあって、スレ民の興味を煽っていた。本当に腹立たしい。何とか犯人を特定することが出来ないものか。

 しかし、どうやら書き込み場所は記入IDがいつもばらばらなので転々と変えていることが窺えるし、時間も不規則。事実上、犯人を特定するのは不可能に近いと思われた。

「……内部犯だな」

 堤谷はそう断定した。「とてもじゃないが想像だけじゃここまで正確に、しかも細かくは書けんよ。悲しいことだが、何も知らない奴らに情報供給することで、自分が特別な存在であることを確認したいと願う愚か者がうちにいる。どこかで魚は泳いでいるということだ」

 何故か急に変な言い回しをする。

「でも、一体誰がこんなことを」

 真由香としては首を傾げるしかない。ただ、それらの書き込みが自分やこの戦軍スタッフチームに対する悪意故なのかどうかの判断すら、今はつかないのだった。このネタバレ犯の目的はいったい何なんだろうか。

 東條がうーん、と伸びをした。「とにかく、どこかにネタバレ犯はいるんだな。奴の動きは注視して、機会あればとっ掴まえなければならない」

「こっちも法務部に連絡しておく。大澤さんにあそこまで言われちゃこちらの立つ瀬がないよ……ところで、もうすぐ土用の丑だし、鰻でも食べて帰るか?」

 堤谷泰夫は気分を切り替えるようにそう言って、東條信之と鰻屋の店の相談をし始めたが、真由香の気分は晴れなかった。

 そしてふと、唐突に槇憲平の顔が浮かんできたが、慌ててそれを打ち消した。あの男はとっつきが悪くて、酒癖が悪くて、長門清志郎とも衝突し、真由香ともいまだにそりが合わない。しかし、いくらなんでも、こんなアンフェアな書き込みをするような陰湿な男だとは思えないし―。

 


●●●



 八月某日。

 ある人物は、パソコンの前に座っていた。

 都内のネットカフェ。とはいえ、いつもその場所は変えている。おそらく同一の場所でもパソコンが別々なので、IDを特定されることはないのだろうが、用心しておくことに越したことはない。

 毎日疲れ切っている。最近、休みはほぼない。こんなクーラーのある部屋で涼む時間ですらある人物にとっては、すこぶる貴重なのだった。

 先月から書き込みをはじめた。自分の存在が特定されないよう、注意深く書き込みを続けており、最初はまるで周囲に相手をされていなかったが、今では信頼を勝ち取るようになり「魚」は本当にごくごく一部の連中からは「神」「大先生」と崇められるようになった。

 しかし、そのことがある人物の目的では決してない。だいたいこんなところで「神」とか「先生」と崇められたところで、嬉しくともなんともない。

 ある人物の真意は別にある。

 しかし、その行動に移すのはまだ早い。とりあえず、今まで通りのコンセプトで書き込みを続けていくだけだ。

 リズミカルにキーを入力する。そして「送信」ボタンをクリックした。

 スレッドに書き込み内容が表示される。

 


『『スカイフォース』の最終オーディションは今月末の最終木曜日。

 メインキャスト男3、女2。

 当日は、悪役の選考もあるかもね!』



 ジャブ程度の書き込みだな―そう自己評価する。

 オーディション自体は既に書類選考から始まっている。一次二次を経て、最終選考は今月末の予定。

 つい先日、撮影所内に東光株式会社法務部より一通のお達しがあった。いわく、ネット上での悪質な情報漏洩が確認された、この撮影所内で知りえた情報を外部に持ち出すことはコンプライアンス上到底許されることではない、もし違反を発見した場合、ガイドラインに則って、法的手段に訴え刑事事件に発展することもある……云々。

 調子に乗りすぎたのかな、とは思う。おそらく、24ちゃんねるの書き込みの数々が上層部の目に留まり、問題にされたんだろう。

 とはいえ、ここからがある人物の真の目的なのだ。それを果たすまでは、このような書き込みを止めるわけにはいかなかった。

 ある人物は目を瞑る。そうすると、一人の女の顔が脳裏に浮かんできた。お高く留まったような、ペルシャ猫を連想させるような涼しげで気取った目。美人だとは思う。しかし、癇に障る。

 宮地真由香。

 知らず、ある人物は固く拳を握っていた。

 許せない。

 おそらく、当の本人には何の心当たりもないだろう。そして、傍から見れば、何と理不尽なことでとある人物は周囲から非難、攻撃されることは確実であろう。自分でも、なんと下らないことでと思わないでもない。

 蟻が巨象に挑むぐらい、バカで愚かな行為であるとも思う。

 それでも。たとえ、そうであったとしても。

 ある人物は宮地真由香を、ある理由から、どうしても許すことが出来ないのである。

 

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