ヒーローは眠らない

伊丹央

『ヒーローは眠らない』

Episode1 辞令





 ストローで、グラスの中の氷をかちゃかちゃと掻き混ぜると宮地真由香は軽く息を吐いた。そして、目の前でホットミルクを啜っている野田昌利に「……じゃあ、こうしよう」と切り出す。

「うかがいましょう」

 野田は口を開いた。

 ほとんど迷いなく、真由香は力強く言い切る。

「―鉈で頭をかち割る」

「鉈、ですか?」野田が思い切り顔を顰める。「前は斧だって言ってませんでした?」

「いや、斧じゃなくて鉈」

「相変わらず、鬼畜ですね先輩」

 野田が苦笑する。

「こういうのはフィーリングでいいわけ。鉈で一刀両断。ぶっ殺す。次にビルの屋上から死体を放り投げる。インパクト重視。これでオッケー」

「この前打合せした展開と違いますけど」

「今思いついちゃったから。……柴崎君に伝えておいて」

「了解しました」

 野田はのんびりと安請け合いする。

 ゴールデンウィーク明けの長閑な午後のひととき。我ながら昼間から大声で物騒なやりとりをしているなあ、と真由香は感じる。しかし周囲にいる人間は別に真由香達のやり取りには興味を示さないのか、素知らぬ顔をしていた。

 まあね、仕事だから仕方がないのよね。

 傍を通りかかったウエイトレスにアイスコーヒーのお替りを注文すると、手元のノートパソコンでメモファイルに「鉈」と単語を入力する。

「柴崎さんがコボしてましたけど」

 眉毛を綺麗に整えた一昔前の男前風の野田は、もともと細長い目をさらに細くする。三十路ちょい過ぎの真由香より三歳年下の後輩である。口調が何となくいつも浮ついている。多分女性には不自由していないはずだ。

「宮地さんからは仕事がいつも遅い遅いってメールが毎日来る、余計にプレッシャーになって捗らなくなるって」

「あの程度の注文でツブれるなら、その程度の男だったということ」真由香は意に介さない。「最近各方面からちやほやされて調子に乗ってるんじゃない? 昔からホントに遅い。これでロクでもない仕事ぶりなら、とっくに業界から干されてる。甘いコト言ってんじゃないっつーの」

「まあまあ」

 テーブルに置いていた真由香の携帯電話に着信があった。相手を見ると、志村隆史からだった。

 一瞬無視しようかとも思ったが、結局電話に出ることにする。

「はい、宮地です」

「今、『ジャンヌ』だよな、打ち合わせだよな」せかせかとした口調で志村が言う。

 『ジャンヌ』とは真由香たちが今いる、社内の二階にある喫茶店の名称である。ここで打ち合わせすることは部の予定表ボードに記載していた。

「そうですけど」

「大至急撤収して戻ってこい。とにかく今すぐに」

 今すぐ? 急に何なんだろう。真由香は困惑する。「どういうことですか」

「電話では伝えきれないから。とにかく大至急の用件。今すぐ」

 そう言って唐突に電話は切れた。真由香は腑に落ちなかったが、上司の命令には従おうと思った。

 野田に今の電話の内容を説明すると、「大至急の用件って何なんでしょうね」と首を傾げた。

「……知らない。とりあえず、戻るわ」

 真由香はテーブルに、アイスコーヒー二杯分の代金を置いた。



 きっかり十分後に五階のフロアに戻ると、室内は閑散としていて志村隆史以外誰もいなかった。派遣の女の子も遅い昼食に出ているのか、不在だった。もっともここに部の人間全員が集結するなんてことは皆無に近い。部員は皆漏れなく、現場に出たり、外回りをしていたり、もしくは日々の激務で長期に溜まった休暇と有給休暇を合わせて消化していたりする。

 デスクでは志村部長が自分の席で、何やら書類の束に目を通していた。真由香の直属の上司である。帰還を報告すると、黙ってこちらを見てきた。やや髪が薄くて白髪交じりになっており、残念な頭頂部になっている。

 志村は書類をデスクに置いた。

「……唐突なお知らせだが、今から石原取締役のところに俺と一緒に行く。何も持っていかなくていいから」

「どうして急に?」

 石原取締役。雲の上の存在と言っても良いが、これまで入社以来、真由香のキャリアとは無縁の人物だった。

 ただし接点はある。入社試験の時だ。面接官のなかのひとりに、石原もいた。

 そう、あの時以来……。

 真由香の思いをぶった切るかのように、志村が手首をポキポキと鳴らす。「お前さんをご指名だ。さっき俺も急に聞かされた。九階に上がってこいって」

 志村は人差し指で天井を示した。

 訳が分からないまま志村とともにエレベーターで九階に行く。この東京都中央区銀座の一等地にある社屋の九階は、執行役員以上の役員級クラスの専用の部屋がずらりと設けられている。その更に上の十階にあるのは社長室と会長室のフロアだ。

 とある部屋の前まで来た。頑丈な扉を志村が丁寧にノックする。「どうぞ」と中から声が聞こえてきて、静かにドアが開いた。

 瘠せた体型の若白髪の長身の男がその声の主だった。石原康はこちらまでやって来ると、にこやかに「急なところ申し訳ないね」と握手を求めてきた。志村と真由香はおずおずとその手を握り返した。冷たい掌の感触だった。そのまま十畳くらいの広さの部屋の中央にでんと置かれたソファーに誘われる。

 志村と真由香はソファで縮こまって待機する。真由香は密かに石原を観察している。若々しい動きだ。確か年齢は五十手前。隣の志村は五十過ぎだから、志村よりも年齢は若い。社歴も短い。しかし肩書は石原の方が上だ。この若さでこの会社の取締役執行役員という要職に就いている。

 訳が分からないまま連れてこられたとはいえ、頭の片隅には何となくある予感があった。もしかして……。

 女性派遣社員がお茶を人数分持ってきて、また静かに部屋を去って行った。志村が先陣を切って口をつけたので、真由香も茶を呑むことが出来た。ぬるかった。

 目の前にどっこいしょ、と石原が腰を下ろす。

「宮地さんが入社したのは何年?」

 石原がそう切り出してきた。真由香は湯呑をテーブルに置く。「二〇〇三年です」

「女性に年齢のことを訊くのは無粋だけど、四捨五入してもまだ年齢は三十だよね」

「そうですね」緊張が解け、口調が滑らかになっていく。「入社して十年、ずっと映画でお世話になってました」

「うんうん」にこやかに何度も石原は頷いた。隣の志村は黙ってただ会話の進行を見守っていた。

「あの時、最終面接以来かな。もっともこちらも、急病の役員の代わりにピンチヒッターで、急遽面接官をやらされてたわけだが」

 十年以上も昔の話になる。最終面接の場で居並ぶ役員のお歴々の中に石原康がいたのを思い出す―。

「懐かしいよ」石原は手にしていたボールペンを掌の中で弄ぶ。「あの時の洟垂れ女子大生がねえ、今は気鋭の女性クリエイターとして東光を背負って立っている」

「別に洟は垂れてませんでしたが」

「次々とスマッシュヒットを飛ばしている」石原は構わず続ける。「実に頼もしいと影ながら感嘆としていた。見ていたよ、ずっとあなたの仕事ぶりを」

「ありがとうございます」

「いや、急に呼び出して申し訳なかったが」急に石原が表情を引き締めた。「大事な話なんだわ。人事の話」

「……はい」真由香は喉を鳴らす。

「宮地真由香さん、正式な辞令は今月末に出るが、現在在籍している映画事業部から、テレビのほうに異動して来て貰いたい」

「テレビ、ですか?」

 思わず口にしたが、真由香の心の中ではそりゃそうか、という思いであった。真由香が在籍するこの東光株式会社―通称東光―は日本有数の映像制作会社である。映画、テレビを中心にさまざまなエンタテイメント作品を世に送り出している。刑事ドラマ、ヤクザ映画、特撮ヒーローもの、時代劇、なんでもござれだ。アニメーションも作る。人権映画だって作る、バラエティー番組も制作する。それだけでなく、ホテルや広告代理店など映像制作以外の系列の子会社も多数有しており、それなりの大企業であると自負している。

 その中でも石原康は東光本社でテレビドラマ部門を統括する取締役執行役員だった。テレビドラマ制作を管轄する第一テレビ事業部と第二テレビ事業部を包括する立場の男が、ずっと映画制作畑で育ってきた真由香を呼び出したのだから、異動の話だったとしても不思議ではない。ただ、何故取締役がただの係長級プロデューサーでしかない真由香をわざわざ呼び出したのかが不可解であるにせよ。

「既に若松常務より了承は頂いている」若松常務とは真由香が所属する映画制作部門を統括する責任者である。「今回の異動は、特に僕が希望してお願いしたんだ。宮地さんを是非こちらに預けさせて貰えないかと」

「それはまた光栄なお話ですが、どうしてわたしを?」

 疑問を口にするが、石原は意味ありげに真由香をニヤリと見るとゆるゆると首を振る。

「……今はまだ、言いたくないな」

「何故なんです?」

「どうしてもだ。その時が来たらいずれは話す。こんな勿体ぶった言い方で申し訳ないがね」

 まったくだ、と少し憮然となる。しかし当然その思いを口にはしない。ただ、請われて新天地に異動するということがわかり、悪い気はしない。

 東光は毎年六月が人事異動の時期である。五月上旬の今の時期に内示を出してきたのは何故かわからないが、真由香としては当然この辞令を受け入れるしかなかった。今の部での仕事に愛着も思い入れも深く、また自分が現在手掛けている仕事はどうなってしまうのだろうという不安があるにせよ、テレビという新天地でこれからどういった仕事に巡り合えるのだろうという多少の期待感も湧いてきた。

 しかし、続く石原のこの言葉が、真由香のハートをバラの棘のようにチクリと刺すことになる。

「まあ少し早くにこの異動の話を伝えたのはね、とにかく早々に宮地さんに準備に入ってもらいたいからね。とにかく一年続くシリーズは、いろいろと大変だもん。女性のチーフプロデュースってのはシリーズ始まって以来だからね、うん。一月始まり十二月終わりのドラマなんて、NHKの大河ドラマとうちのアレくらいだもん」

「……アレ?」

 心の凪がざわっと騒ぐ感じがした。隣の志村の様子を窺うと、少し目を伏せている。

 おそるおそる真由香は訊ねてみる。「……戦軍、ですか?」

「そう」鷹揚に石原は頷いた。「来年二〇一四年一月スタートのシリーズ第三十四作目は宮地さんにプロデュースをして貰う。実質あなたがチーフプロデューサー、だね。ちょうどあなたの齢と同じくらいのシリーズだ。まあひとつ、よろしく頼むよ」

 そう言って石原取締役は、真由香に対して深々と頭を下げた。

 いやいやいや。よろしく頼むよ、と言われても。

 石原がうんうん、と何度も小さく頷いている。

 ちらと再度隣の志村の様子を窺うと、「……引継ぎ関係は後で打ち合わせしようか」とさらりと躱された。

 何度か瞬きすると、知らず真由香は部屋の窓に目を向けた。春の日差しが何故だか妙に瞼に焼き付いた。



 取締役室を出ると、志村と真由香は二人、エレベーターまでの廊下をとぼとぼと歩いた。二人ほど役員とすれ違ったが、志村とは違い挨拶にも身が入らなかった。

 エレベーターホールで下のボタンを押すと、真由香は小さく溜息を吐いた。何故か、無意識にそうしていた。

「……戦軍はな、シンドいらしい」

 志村は他人事のようにそうボソッと呟いた。「予算が少ない。決め事が多い。スポンサーがうるさい。タブーもある。自由が効かない。スタッフもうるさ型の職人気質が揃っていて面倒……そう聞いている」

 上司の言葉に真由香の苛々が募る。

「今進行してる、企画ものはどうなるんですか? 『サイコパス・ロマン8』は?」

「他の連中に引き継ぐしかないだろ」

「……わたしのライフワークなんですけど」

 真由香の声がだんだん小さくなった。

 『サイコパス・ロマン』シリーズとは、真由香が四年前からプロデュースを手掛けた単館上映スタイルの低予算ホラームービーシリーズである。毎回毎回謎の殺人鬼「ロマン」が次々に人間を殺害していく。意味なく、それも理不尽に嬲り殺していく。そういったドライさが一部のホラー愛好者層には受けて、細々とスマッシュヒットを繰り返し、またDVDソフト化した時の二次収益がこれまた好調で、これまで年二本ペースでなんとかシリーズを続けてこられた。

 今現在は第八弾の企画が進行中で、脚本家とアシスタントプロデューサーの野田昌利とで企画を進めている途中だった。先程まで喫茶店で、冒頭の掴みの惨殺シーンのシチュエーションをあれやこれやと構想していたのだが……。

「まあ掛け持ちは無理だろう、戦軍とじゃあ」志村が冷たく言う。「アソシエイトプロデューサーとして名前が出るよう、手配する」

 何か言い返そうとしたが、エレベーターが到着したので二人で乗り込んだ。『ジャンヌ』に行こう、と志村が言ったので、そのまま二階に行った。喫茶店は閑散としており、二人でそのままケーキと飲み物を注文すると、窓側の席に向かい合わせで落ち着くことにした。

 喫煙者の志村は、背広の内ポケットからマイルドセブンとライターを取り出した。

 真由香の心の中にまだ割り切れない思いが残っていた。

「……どうしてわたしなんだろ」

「頼りにされたんじゃないの。昨今いろいろとヒットを飛ばして、景気のいい女性プロデューサーの力が欲しいと」

「でもなあ」知らず髪をかきむしった。「戦軍はちょっとなあ」

「さっきから気になってるんだが、まるでどこかに飛ばされるみたいな言い方じゃないか。ただの人事異動、配置転換だ。十三年も同じ部署にいたなら、まあそういう時期だ。俺だってテレビ、営業、海外事業部と点々と異動してるし、子会社にだって出向もしてる」

 マイルドセブンを口に咥えながら、志村が言う。「プロデューサーを続けられる。お前がそんなに映画至上主義に凝り固まっていたとは思わなかった」

「そういうのじゃなくて。わたしが言いたいのは……」

「じゃりばんがイヤだということか」深々と一服すると、志村は真由香の話の続きを遮った。「お子様向けのオハナシには興味がないか」

 何も言えなかった。まさにその通りだった。因みにじゃりばん、とはジャリ(子供)のための番組という意味である。

 そもそも戦軍、とは。

 東光株式会社がもう三十年以上も長きにわたって制作している、連続テレビ特撮番組である。世間一般ではスーパー戦軍シリーズ(通称戦軍シリーズ)と称されている。東映の仮面ライダー、円谷のウルトラマン、東宝のゴジラ、大映のガメラなどのシリーズと共に日本の特撮ヒーロー作品の草分け的存在と言えるだろう。昭和五十六年(一九八一年)一月スタートの第一作目『突撃戦軍アタックフォース』を皮切りに、シリーズ第三十三作目に至るまで、一度も中断されることもなく今も尚最新作『稲妻戦軍サンダーフォース』が放送されている。レッドがリーダーで、基本五色の変身ヒーローが悪と戦うというのがシリーズの基本コンセプトである。

 放送期間は原則一年、放送時間は三〇分。

 放送時間帯は一貫して、日曜日夕方一七時三〇分より。もう三十年以上も、日本を代表する国民的娯楽高視聴率番組である日本テレビ『笑点』の真裏で放送されている。裏番組があまりに強大ゆえに高視聴率は叶わないまでも、日本全国の子供たちのヒーロー番組として、そのブランドを既に確立していた。

 ―と、この程度の情報くらいは、東光の社員である以上は、絶対に抑えておかなければならない豆知識ではある。

 いままでの自分のキャリアとは全く無縁の、同じ社内であったとしても遠くで作られているお子様ヒーロードラマをプロデュースしなければならないというこの感覚は、どうにもまだ真由香には受け入れることが出来なかった。

「戦軍は見たことないの?」

 運ばれてきたコーヒーを啜りながら、志村が問いかけてくる。「いくらなんでも、一本ぐらいは見たことがあるだろう」

「そりゃ大昔に」アイスコーヒーをストローで吸い上げながら真由香が言う。本日三杯目のアイスコーヒーである。「昔にね、ホント大昔。……でも作品のタイトルとか全然覚えてないですよ。話もうろ覚え。わたしはずーっと、幼稚園から大学まで周りは女の子ばかりだったし、そんなヒーローものなんて全くの別世界で」

 両親の教育方針で、真由香は女子児童ばかりの幼稚園を経て、小中高一貫の女子ばかりのミッションスクールに通学していた。その学校には女子大学もあり、自動的に大学進学も可能ではあったが、真由香自身の希望で津田塾大学に入学した。もっともこちらも女のコしかいない学校だったが。

 ただふと今唐突に思い出したが、小学校の時こういったヒーローものに夢中の同級生がいるにはいた。真由香にはピンとこない感覚だった。結局彼女は確か家庭の事情で公立の学校に転校を余儀なくされ、それ以来会っていない。

 彼女は今頃、どこで何をしているのだろう。確か、ユウちゃんという女の子だったな……。

「ああ、ずーっと女の園育ちの人間にはそりゃ無縁かもしれないな」志村はミルフィーユをフォークで刺した。「お嬢だもんな、お前」

 真由香が頬を少し膨らませた。

「ああ、なんかそういう言い方少し腹立ちますね」

「まあ、新天地で頑張ってこいや。石原専務も言っていたが、戦軍で女性のチーフプロデューサーは初めての試みらしい。画期的な事だと思うわ、社内的にも」

「あれ、まだフイルムで撮ってるんじゃないですかね」

「いや、もうビデオ」

 真由香の疑問に、志村は即答する。

「……でもまあ、楽かもしれませんけどね、映画の仕事より」真由香は気楽にそう感想を洩らす。「こっちは脚本アゲても、企画通しても、スタッフ掻き集めても、製作自体ポシャるのが日常茶飯事。不安定だし。かたやアチラは、毎週毎週放送があって当たり前。スタッフも手慣れた人ばかりだし、こういう言い方はナンですけど、あたしはお飾りみたいなモノかもしれませんね」

 志村は煙草を灰皿に押し当てた。

「俺の経験則からいうと、新規で一本作るより、ああいうシリーズものを長く継続させるほうが難しいと思うけどな」

「そうですかね。ああいうお子様向けってカンタンそうじゃないですか。結局ヒーローが悪を倒せばいいんでしょう? 『水戸黄門』みたいなものでパターンがちゃんと確立されている、予定調和の世界。ちょちょいのドンで一年間頑張りますよ」

 真由香はへらへらと笑う。所詮はお子様向け特撮ドラマ、何とかなるだろう、的な軽い気持ちから出た嘘偽りのない、本音だった。

 ただ目の前の上司の表情は冴えなかった。志村はこめかみを親指で揉んだ。「……それは違う。あちらはあちらで今大変だと聞いている。俺もそんなに情報通じゃないから詳しくは知らないが、そんなにシリーズ継続が当たり前の状態ではないということだ」

「原因は?」

「数字だよ」志村は何を分かり切ったことを、という顔になる。「まあ今はテレビドラマは、どの番組だって数字はとれないけど。あと、視聴率はもちろんのこと、玩具の売上も年々降下気味だとか。少子化の影響はこう言った番組ほど如実に表れる」

「ふーん」

「あとは人間関係に注意せよ」そう言って、志村はニヤニヤする。「今あっちを仕切ってるプロデューサーが、結構クセもんと聞いたことがある。年齢はお前のチョイ上くらいだと思うが、あまりいい噂をきかない」

「はあ」

 真由香は戸惑うしかない。

「スタッフも揃いも揃って、職人気質のややこしい奴らばかりだろうしな」志村は最後のミルフィーユの欠片を口に器用に放り込んだ。「とにかくあちらでは相当苦労するぞ、お前」

 そんなものかね、と真由香はあまり深く考えようとしなかった。 



 結果的に志村の予言がまさにその通りだったことが明らかになるまで、そんなに時間はかからなかった。





 引継ぎは速やかに行われた。

『サイコパス・ロマン』シリーズは映画制作部の先輩と後輩が続編の企画を手掛けることになり、真由香の手から離れることになった。シリーズは自身のライフワークと自負していたところもあったので、ぽっかりと胸が空いた気分にさせられた。

 入社以来ずっと映画畑で仕事をしてきたが、テレビ部への異動。それにともない二〇一四年一月スタートの戦軍シリーズ第三十四作目のプロデュースを務める―これらの話はアッという間に真由香の周囲を駆け巡った。

 部内の皆の反応はまちまちだった。

 とある女性の先輩プロデューサーは「戦軍は大変だよお、一年長いよお、からだ壊さないようにねえ」と真由香を気遣ってくれた。小学生になる娘を育てながら、数々の本編を興業的に成功に導いた真由香が尊敬する女性だった。

そして、とある真由香と同期のプロデューサーは「これから日影での仕事か」と廊下ですれ違った時、小馬鹿にした態度でニヤニヤ笑いを浮かべた。

 日影とは、東光の子会社・東光テレビプロダクションを揶揄するキーワードである。大泉にある東光東京撮影所で戦軍シリーズは撮影されている。しかし実質の撮影部隊はその東光テレビプロダクションが受け持っている。そのテレビプロの社屋の真裏には高層マンションがもともとあり、その場所に陽が注さない。陽が注さない場所に社屋があることから、一部の連中からは「テレビプロでの仕事」イコール「日影」「陽の当たらない仕事」と揶揄されていた。映画よりもテレビが格下、尚且つそれが子供番組ともなれば、社内的に一段下とみる輩が結構いた。

 こういう奴らに対する態度には憤りを感じる一方、実は真由香自身いままで「映画至上主義」側の制作者だったので、全面的に否定もできなかった。ただ、新天地での仕事が待ち構えていることもあり、そういった気に食わない奴を相手にする余裕はなかったため「そうそう、そうなのよ」と適当にやりすごした。

 異動の内示を貰ってから、現在放送されているシリーズ最新作『稲妻戦軍サンダーフォース』を視聴してみた。まあ、ピンとこない番組の作りだった。そりゃ、あくまで視聴のターゲットはあくまで幼児層なわけだから、自分のような三十過ぎの中年女がグッとくるようなストーリーじゃないのは当たり前と言えば当たり前である。さすがに特撮とか、技術面では、今の作品は昔よりも格段に進歩しているなあとは感じた。あと、やたらと物語に登場するヒーロー五人組が、美男美女であったことも癪に触った。

 こうして五月末に、真由香は東光テレビ第二営業部に配属となった。テレビの制作部門は第一と第二に分かれている。第一営業部は所謂一般のテレビドラマを制作し、第二が戦軍を含めたキャラクター番組を制作するセクションとして、棲み分けが既に出来ていた。

 第二営業部を統括するのは東光の執行役員兼部長でもある堤谷泰夫だった。堤谷は銀髪でオールバックにしたキツネ目の男だった。銀縁のメガネの向こうから覗く視線が鋭く、怖かった。

「よろしく」

 その言葉にあまり感情が籠っておらず、真由香は一瞬戸惑う。この堤谷部長は真由香の着任にどういう感情を抱いているのか気になったものの、それについて問い返すことは出来なかった。

 自分の席が用意され、堤谷についていき部のメンバーに着任の挨拶に回る。ただ挨拶回りをする一方、こういう余裕をもって挨拶できるタイミングは番組を持っていない今ぐらいしかないんだろうなあと思った。

 そのままテレビ部の会議室に連れて行かれた。堤谷は椅子に深々と腰を下ろすとメガネを取り外し、レンズを拭きはじめた。

「―昭和五十六年に」堤谷部長はそう切り出すと、ふたたびメガネを架けた。「……戦軍が誕生した。因みに僕も昔シリーズにはプロデューサーとして関わってる。もし作品が何なのか、興味があったら調べてみて。ウィキペディアに載ってるから。因みにウィキペディアには僕の項目もある。たぶんあなたもそのうちウィキペディアで新規作成されるから」

「昭和五十六年は」真由香もとりあえず口にすることにする。「わたしが生まれた年ですね」

「へえ、そうなの」

 しかし、それ以上の会話の進展はなかった。内心ずっこける。何なんだこの上司。さっきからウィキペディアを三回も連呼して。

 しばらく沈黙が長く続いた。すると、遠慮がちにノックがあり、一人の猫背の男性が会議室に入ってきた。堤谷は「どうぞこちらに」とわざわざ立ち上がり、その男性を誘導した。

 小柄な男性だった。年の頃なら還暦付近か。堤谷より年齢は恐らく上。頭髪が寂しい。年相応に顔に皺も刻まれているが、飄々とした雰囲気。大きなアタッシェケースを脇に抱えている。

「東條さん。僕の大先輩だよ」

 そう言って堤谷は真由香に紹介する。「僕はこちらの大先輩からすべてのイロハを叩きこまれた」

「まあ、そういうことだね」

 トボけた感じで東條はそう言い返し、堤谷を見る。「すっかり今では、あなたのほうが立場は上だけど」

 この人が東條さんか―真由香は思う。

 東條信之は今オンエアー中の戦軍シリーズ第三十三作目『サンダーフォース』でも東光側のチーフプロデューサーとしてクレジットに名を連ねている。東光のベテランプロデューサーだった。

 真由香は簡単に自己紹介すると、握手を求められた。

「宮地さんの『サイコパス・ロマン』はずっと拝見させてもらっていたんだけど」

 椅子に腰を下ろしながら、東條はアタッシェケースを机に置いた。「すごく面白かった」

「ありがとうございます」

 自分の父親ほど歳の離れたベテランプロデューサーにそう評され、恐縮するしかなかった。続いてベテランプロデューサー特有の何か深い感想が続くのではないかと待ち構えたものの、「……まあ、それはさておいて」とあっさりと透かされ、真由香はまたも内心ずっこける。

「宮地さん、僕はね、ホントは去年定年退職だったの」

 東條がそう切り出してくる。「けれど、嘱託で二年延長したの。でも来年の春にはスパッとやめる予定。田舎に帰って農業をやる。もう畑も購入してるし。これが僕の夢。女房もそれで納得してる」

 矢継ぎ早にそう言う。舌がよく回る。滑舌が良いなあとぼんやりと思う。

 隣にいた堤谷部長が説明する。

「東條さんは定年までずっと現場で戦軍のプロデューサーを務めてこられて、去年も辞める辞めるってずっとおっしゃってたんだけと、何とか引き留めて二年だけ嘱託で残ってくれたんだ」

「実質はお目付け役なんだけどね」東條はうーん、と背もたれに深く身を預けた。「だって僕みたいなロートルがずっと現場を仕切ってるのはマズイでしょう? だから後継者を育ててくれって。今の番組でも僕がトップに名前が出てるけど、実質は僕がチーフじゃあない。『サンダーフォース』を今実質仕切ってるのは槇君なんだ。槇君は……多分宮地さんより先輩だとは思うんだけどね。ずっと映画育ちのあなたと違って、東光に入社以来ずっとテレビで頑張ってくれてるんだけども」

 『稲妻戦軍サンダーフォース』の東光側のプロデューサーで東條信之の次に名を連ねているのが槇憲平だった。真由香とは面識はなく、どんな人物なのかも全く予備知識がない。

「彼は長いよ。入社以来、ずっとシリーズに携わってるから。だからもう十年以上はシリーズに関わってるんじゃないか。ここ数年は彼が実質チーフプロデューサーなんだけれども、ここ最近とにかく正直数字の落ち込みが顕著でね。各方面からの突き上げもある。プレッシャーが大きい。シリーズ存続の危機だと言ってよい。いろいろと理由があって」

 首筋をゆっくりと撫でながら、東條が言う。「首元が寒くなってる。……そこでだ、来年スタートのシリーズ第三十四作目はあなたに仕切ってもらう。今チーフ格の槇はサブに回ってもらう。メインで仕切るのはあなた」

「わたしがですか? 先輩を差し置いて?」

 戸惑いながらそう質問すると、「そうだよ」と東條は頷いた。

「とにかくシリーズがキリのよい三十五作目まで耐えられるように、打ち切りにならないように頑張ってもらうしかない。三十四作目で打ち切りになったらキリが悪い。あなたの使命はシリーズの火を絶やさず、燃やし続けること」

「……ほとんど戦軍なんて今まで見たことないんですが、昔の作品は全部見たほうがいいですかね」

「見ないといけないね」東條は即答する。「いや、考え方は二通りあると思うけどね。まっさらな状態で臨むってのもアリだとは思うけど、全体仕切んなきゃならない立場なら過去の流れは抑えないとねえ。大学受験のときに赤本見ない学生なんていないのと一緒」

「はあ」

 やっぱりそうなるのか。現在まで放送されているシリーズ三十三作品。一年間に五十本放送されているとして、トータルでざっと……気が重くなる。

「―ところで」

 真由香の顔を覗き込みながら、東條が指を組む。

「宮地さん。あなたにとって、ヒーローとは何だ?」

「いや、いきなりそう言われましても」

「別に深く構える必要はなくて」老プロデューサーはふっと笑みを浮かべる。「別に番組のことを言ってるわけじゃない。深い答えを求めているわけでもない。あなたにとってのヒーローという言葉の定義。これを訊ねているんだ。……じゃあ、こういう質問に切り替えよう。ヒーローという言葉から、あなたが連想するイメージはなんなのかと」

「別に畏まる必要はない。印象論で言っちゃっていいから」横から堤谷部長もそう言葉を添える。

 真由香は唇を舐めると、少し背筋を伸ばして考えようとするが何も思い浮かぶところがなかったので「よくわからないです」と首を振った。

「ふうん、じゃ、まあいいよ。とにかく、あなたの答が今後どう出るのか、非常に興味深い」

 ニヤニヤと東條が笑う。「これから忙しくなるなあ。決めていくことが山ほどあるし。……これが来年二〇一四年一月スタートの企画書だよ」

 アタッシェケースから分厚いA4の紙の束を取り出して、それを真由香に手渡す。

 表紙には「『飛翔戦軍スカイフォース』(仮題)」と記されてあった。



 そのまま真由香は東條に連れられて東京都練馬区大泉にある東光東京撮影所に足を運ぶことになった。この撮影所ではテレビだけでなく映画もVシネマもCMも何でも撮影しているので、真由香にとっては既知の場所ではあるが、テレビの制作を請け負う東光テレビプロダクションに行くのは初めてであった。

 シリーズは一年間の長丁場なので、撮影は毎日行われているという。今日は『サンダーフォース』プロデューサーである槇がテレビプロの社屋でシナリオライターや監督と打ち合わせ中ということで、挨拶に行くことになった。通常は銀座の東光本社での打ち合わせが殆どであるそうだが、たまには撮影所内で打ち合わせされることもあると東條が言った。

 西武池袋線の満員電車内の吊革に揺られながら、来年のシリーズの企画書にパラパラと目を通す。尚、表紙はちゃんと周りの乗客には見られないようにしてと事前に東條から注意を受けている。うっかり写真で盗み撮りされ、ツイッターやブログ、フェイスブックで情報公開されることが多いそうな。

 企画書は戦軍の企画関係を一手に請け負うプランニング会社が作成したものらしい。企画書は脚本家が練り上げることもあるし、広告代理店の若手プロデューサーが作り上げることがあるともいうが、作品によってまちまちであるということだった。内容はというと、異世界からやって来た悪の大組織が地球(なぜか日本)に襲来し攻撃、そこに未知の力・スカイパワーを手に入れた大学生の男女五人が正義のヒーローに変身、悪の大組織と戦う―というコンセプトで統一されていた。

 しかし毎年手を変え品を変え、よく三十年以上も同じシリーズを長く続けてこられたなとしみじみと思う。同じ特撮の長期シリーズでも、円谷のウルトラマンや東映の仮面ライダーは中断期が挟まっているが、三十何年も一度も休まずシリーズを続けてこれたというのは確かにすごい。そのシリーズ第一作が放送されたのは真由香の生まれ年だという。

 宮地真由香は一九八一年、東京都調布市に生まれた。生まれも育ちもその地から一歩も動いていない。実家はとある大手インスタントラーメンメーカーを経営しており、自分で言うのもなんだが、相当裕福な家庭に育ったと思う。お金に困ったとか、生活に苦労したとかそういったことがいまだかつて一度もない。

 両親の方針で、幼稚舎から私立に通った。女子しか通わない、いわゆるお嬢様学校である。そのままエスカレーター式で高校まで進学でき、大学にも進学することが出来たが、校風その他がガチガチのお嬢様学校に辟易していたこともあり、津田塾を受験しそちらに進学することになった。

 そして東光に入社を考えたのは、もう笑えるくらい単純な理由でしかない。何となくマスコミに入りたかったのである。いざとなれば真由香は父が経営するラーメン会社に入社することも出来たのだが、何となく身内のコネに頼るのは気が進まなかった。周りの女性友達が就職するならマスコミマスコミとやたらと騒いでいたので、何となく自分もそれに感化されたというのが本音である。

 第一志望は在京キー局のテレビ局だった。次に講談社や小学館といった大手出版社、さらには新聞社。しかしそれらは面接で惜しいところまで進んだところもあったが、内定にはひっかからなかった。次いで映画制作会社。東宝、東映、松竹、角川映画、東光などに的を絞った。そのなかで結果、採用内定通知を貰ったのが東光だったということだ。

 そんなわけで、自分ではさして映画に興味があるわけでもなかった、映像制作についても取り立てて関心があるわけでもない。何となくマスコミがカッコいいから―そんな理由だけで東光に入社した。相当バチあたりだと思う。一般的には東光という会社での総合職は誰もが羨む就職先である。また会社が大規模でも従業員数が決して多いわけでもないので、毎年採用があるわけでもない。自分の入社年にはたまたま採用枠があった。これもラッキーな話である。

 最終面接の場では、確か面接官の役員の中のひとりにこう質問されたのを覚えている。薄らハゲのその役員は今現在すでに退任しているが。

 ―キミは自分でワタシは美人だと思っているでしょう?

 それに対して自分で何と答えたか。当時の自分としては多分あれが精いっぱいの答だったとは思うものの、わたしの答にその場にいた石原康は大笑いしていた。

 とにかく何の弾みか、それとも真由香の父親のコネの威光の賜物なのか東光に入社することになった。日本全国には映画テレビといった映像制作に情熱を傾け、真剣に東光に入社を熱望する若者も数多いなか、真由香みたいに特に映画に興味もない人間が採用された。そう考えると彼らに少し申し訳ない気持ちにもなった。

 入社以降はずっと映画制作部門で制作に従事してきた。仕事であるからにはがむしゃらに前に進もうとした。手抜きなどしなかったし、ひたすらに情熱を傾けた。当然最初は雑用同然の仕事しか回ってこないが、やがて独り立ちするにつれ、ようやく自分の進むべき道というか、夢や欲が出てきた時期になっていた。真由香は特にホラーやスプラッターといったジャンルの映画やVシネマが得意だった。別にそういった嗜好に興味があるわけでもなかったが、思い切った映像表現が出来るので便利だと思っていた。あんなホラーを作りたい、こんなスプラッターが撮れればと未来の夢は膨む一方であったが……。

 そんな状況でのテレビ部への配置転換だった。

 大泉学園駅で降りると、北口を出てあとは撮影所まで十三分程歩く。東條信之はせかせかと早足でしかも無口だったので、真由香も無言であとからついていった。

 東光東京撮影所は大小二十のスタジオから成る、東光が誇る広大な撮影施設である。施設はもう開所から半世紀以上が経過しているので、あちらこちらで建物の老朽化が進んでいる。そのため数年前からリニューアルの改築工事も並行しながら行われている。工事関係者の人間や車がそこかしこに行き来している。

 東光東京撮影所は生まれ変わろうとしている途中だった。

 通用口から入ると、撮影所内の正面にでんと構えられた本館脇の通路をまだ西の方向に更に突き進む。いろんな業者や撮影所のスタッフたちや車両などが活発に行き来している。衣装を身に纏った役者連中もちらほら。彼は垢抜けた存在で、微妙にオーラを感じる。自転車で移動するスタッフもあちこちにいる。撮影所自体、小さな町みたいなものだ。食堂、喫茶店もあれば、コンビニだってある。

「テレビプロには行ったことないよね。場所は知ってる?」

 久しぶりに東條が口を開く。

 いえ、と真由香が首を振ると、「まださらに先。この奥。何せ日影にあるからね」と自嘲気味にからからと笑う。真由香は無言で曖昧に笑みだけ浮かべた。

 老朽化が進む所内の中でもひときわくたびれた三階建ての建物が目の前にあった。真裏がもう高層マンションで、確かに陽の光は差さない、日影の立地である。ここが通称日影―東光テレビプロダクションの事務所か。別に戦軍だけではない、刑事ドラマや二時間ドラマもこのプロダクションで制作される。ついでに言うと、テレビプロ直雇用の人間なんて殆どいない。制作部のメンバーは大半が契約社員、ないしはフリーランスが殆どである。

「ちょっと様子見て来るわ。ここで待ってて」

 東條がそう言うと、せかせかと建物内に入っていった。

 途端手持無沙汰になり一人入口の前で佇んでいると、急に人影が飛び出してきた。つい「あららっ」と情けない声を上げ、真由香は尻もちをついた。

 人影は日焼けをした赤シャツの男性だった―いや、女性か。いや、やっぱり男性か。よくわからない。ぱっと見、男か女か判別できなかったが、すごく小柄な体型だった。風貌の雰囲気から察するに、演出部見習いのスタッフなのかもしれない。

「―あ」

 その人物はそう言って、真由香の手を引っ張り起こそうとした。そして、何故かこちらを凝視する。まじまじと見つめてくる。

 え、なに? と真由香は思わず顔を見返すも、その人物はぱっと手を離してそのまま唐突に走り去って行ってしまった。

 なんなんだあいつは―周りに誰もいないことを確認したうえで真由香は大きく舌打ちする。人にぶつかっておいてあの態度、赦せない!

「お待たせお待たせ、じゃ行こう」

 しかし東條が戻ってきてそう告げたので、結局それ以上深く考えることが出来ないまま建物に入る。

 雑然と机が並べられた室内では何人かがパソコンに向かって入力作業に没頭していた。そのうちの何名かがちらほらと真由香を見ている。何者? と訝しんでる気配が伝わってくる。それらの視線を素通りし、「会議室」と書かれた古びた扉の前で東條は立ち止まると、ノックもせずに扉を開ける。

 扉の隙間から、煙草の煙が立ち込めた狭い室内に五人の男が密集しているのがわかった。ローテーブルを取り囲むようにソファに腰を下ろして、一斉にこちらに注目する。真由香は一瞬でこの会議室内の雰囲気、空気が不穏なものであることを察した。この男たちがそれまで決して、和やかな談合をしていなかったことは薄々肌で感じ取った。

 男たちのうちの一人がやって来て、後ろ手で扉を閉めると真由香たちと対峙した。真由香よりも身長が低い、猫背の男だった。いまどき流行らない太い黒縁メガネが特徴的で髪をきっかり七三に分けている。目の形は何となく、『ゲゲゲの鬼太郎』に出て来る猫娘を髣髴とさせた。これは明らかにオタクだろうと踏む。

「こちら宮地真由香さん。既に説明したとおり、来年の戦軍は彼女が仕切るからね……彼が槇君。今、戦軍のプロデューサーの」

 東條の紹介に合わせて、真由香は「宮地です、よろしくお願いします」とぺこりと頭を下げる。

 黄色い半袖のポロシャツを身に纏った槇憲平は伏し目がちに「槇です」と言って、ぺこりと頭を下げた。

 真由香は真正面から槇を見据えるが、彼は何故か視線を斜め下に逸らすのだった。

 槇に対する第一印象はたぶんこの男とは性格が合わない、だった。





 ある人物は、ふと思った。

 彼女、ひょっとして。

 もしかして―。





 槇と顔合わせしたその翌日から、真由香は本格的に来年一月スタートのシリーズの企画準備を始動した。東條からは今放送中のシリーズの制作にはタッチしなくていいと言われており、新番組の準備に専念してほしいとのことだった。一月スタートの戦軍は、基本前年十月上旬頃がクランクインが通例であるという。現在が五月下旬なので、あと四ヶ月くらいしかない。

 ここ最近のシリーズの状況を調べれば調べるほど、かつての上司・志村が言っていたように戦軍の存続は決して安穏としたものではないことが分かった。社内の知らない人間にしてみれば、「ああ戦軍か。もう三十年以上続いているからこれからも終わらないんでしょ。楽な仕事だね」という感想になる。しかし特にここ数年の状況が芳しくない。視聴率の低下、玩具展開の不振、また局側からの制作予算は消費税の税率アップや物価上昇があるにもかかわらず、折からの不景気でここ数年据え置きにされ続けている。

 もし真由香がプロデュースした第三十四作目が成績不振でシリーズ打ち切りになったとする。すると、当然真由香が原因でコケたと社内的には見られる。しかしシリーズが無事存続したとしても「戦軍だから打ち切りにならなくて当たり前」との評価を下されてしまう。

 どちらにしたって特に誰からも褒めて貰えない。

 知らず溜息を吐いた。

こんな損な役回りがあっていいのか!

 そもそも……と真由香は思う。

 所詮は子供番組じゃないか、と。

 長く続くシリーズとはいえ、こう言った特撮番組は社内的な地位が特別に高いわけでもない。シリーズが打ち切りになったら、プロデューサー業をクビになって、どこか別の部署に飛ばされるかもしれない。

 とにかく、自分の担当作品でシリーズを打ち切りにすることだけは避けなければならなかった。随分保身的な考えだなあ、と我ながら内心苦笑する。でもこればかりは仕方ない。

 真由香はプロデューサーである前に、一サラリーマンなのだから。



 社内の喫茶店では落ち着いて考えることも出来なかったので、銀座の駅前のスタバでじっくり考えを練ることにした。この店はたまに利用する。時間は正午になる前だったので、まだ店内はそんなに混雑していなかった。アイスモカを注文する。

 二階の窓際の席に落ち着くと、ノートパソコンを取り出した。真由香の手で企画書をさらに練り直して、広告代理店の担当者に近日中に内容を精査してもらう予定になっていた。

 早々にメインライターとメイン監督を決めるよう東條からは言われている。真由香はこういったテレビの長期シリーズを手掛けるのは初めてだが、映画に置いてもドラマに置いても、脚本家と監督のスキルによって作品の出来が左右されることくらいは理解できる。いろいろと他の決め事も多いが、とにもかくにも核となるスタッフをまず選定する必要があった。東條より「いままでの人間をそのまま使ってもいいし、ヨソから引っ張って来てもいい。あんたがプロデューサーなんだから、自由に決めなさい。ただし、あまり時間はないけどね」と事前に告げられている。

 プロデューサーの仕事のまず初歩は、こういった人集めである。真由香としてはこれまでの映画の実績もあるので、できれば自分の今まで付き合いのあるホンヤを呼びたいとは思う。しかし彼らは揃いも揃って、こういった子供向けというか、特撮番組の経験を持っていない。こういった特殊なジャンルの番組は、分野に精通した人間を呼ばないと後々ややこしくなりそうだと真由香は予感していた。

 また彼らのスケジュールもうまく合わなさそうだった。『サイコパス・ロマン』シリーズで長年の付き合いがある脚本家の柴崎剛に今度戦軍をやるんだけど、と先日電話で報告したところ「聞いてますよ噂は。頑張って下さいね」と励まされた。次いでスケジュール空いてるかなあ、と訊ねたところ「ムリですね」とあっさり断られた。まあ柴崎が多忙なのは事実で、今はそれなりの売れっ子でもあったのでメインでの起用は無理だろうなあとはうすうす感じていた。

 監督についても、真由香がもともと映画人としか付き合いがなかったので、これまで付き合いのある演出家に声掛けしても、「テレビの仕事はちょっと」とやんわりお断りされてしまうのである。なかにははっきり、「戦軍? じゃりばんだろ? 俺はヤだよ」とはっきり拒絶してくる人間もいた。

 そういったわけでいまだメインの脚本家と演出家が決まらなかった。真由香の人脈のなさがモロに露呈した結果と言えなくもない。

 では手練れのベテランスタッフをそのまま起用し続けるのか……ただ、それも抵抗感があった。そもそも戦軍シリーズはここ数年視聴率も番組評価も右肩下がりであるにもかかわらず、なぜかメインスタッフは同じ顔ぶれなのだった。この四年間、メインライターは白石壮一郎、メイン監督は阪口大輔でずっと固定されている。その点について東條に問いただすと、「あいつらは慣れてるから。槇もやりやすいって言ってたし、戦軍に関わって長いんだよ。ずっとやり続けてるから、まあ家族みたいなもんだよ」という答が返ってきた。

 いやいや、そんな慣れているからという理由だけでシリーズを続けられてはたまったもんじゃないでしょう―そう思わずにはいられない。よく言えば家族的、悪く言えば馴れ合ってるだけだろうがと感じる。

 シリーズに新しい血を入れるしかない。

 真由香はグラスをテーブルに置いた。中の氷がカランと音を立てた。



 それからの数日間、終電間近になるまでそれまでの戦軍シリーズを手当たり次第に社内の映像ライブラリで視聴することにした。当然全シリーズ全作品見返していたら時間なんていくらあっても足りないので、取り急ぎここ近年のシリーズの各話をチェックしていく。

 そんな中で少し認識を改めなければならないと感じたのは、各作品の出来だった。ここ数年視聴率が低下している、とのことであったためどうせ作品の出来もそれなりなのだろうと感じていたが、見る限り決してお粗末な作りにはなっていなかった。白石をはじめとするライター陣の脚本も悪くなく、阪口を中心とした監督連中の演出もまずまずだった。

 視聴者の目が肥えているのか、真由香の目が節穴のせいかは分からないが、作品の出来自体は悪くなかったと感じる。

 もしかしてメインスタッフは手慣れた彼らに託すというのも悪くないのかもしれないと一瞬思う。しかし、と真由香は首を振る。多分、自分がわざわざテレビ部に呼ばれたのはここらあたりに理由があるのではないか。今のシリーズの流れを大きく変えなければ、シリーズの存続は危ぶまれる……上層部がそう判断したから、わざわざ新参者の自分が呼ばれたのだ。

 ならば、現在のメインスタッフはやはり刷新する必要がある。

 では、どういったメンバーを招聘すればよいのか。

 その命題に頭を悩ませながら過去の作品を見返していく。すると知らないうちに自分がのめり込む話があった。オハナシ云々ではなく、その内容には映像や画作りのセンスが抜きんでている印象があった。これは明らかに演出家のセンスによるものだった。そしてそのどれもが、同じ監督の作品であることに気付くのにそんなに時間はかからなかった。

 カット割りが非常に特徴的だった。メリハリが聞いていて、見る者に余韻を残す。音楽の選曲も独特で、明らかに他の監督とのスキルの違いが際立っている。不思議な余韻を残す作りとなっていて、次第に真由香はその監督のことが気になり始めた。

 それらの作品の全てに「監督・長門清志郎」と必ずクレジットされていた。

 いったい、この監督は何者なんだ?

 気になってネットのフリー百科事典・ウィキペディアでその名を確認してみる。すると、簡単に情報は検索できた。長門清志郎は昭和二十六年一月、京都生まれ。つまり現在は六十二歳ということになる。豊富なキャリアを誇り、刑事ドラマや時代劇など多くのジャンルのテレビドラマを手掛けてきたが、特に際立つのが特撮ドラマの演出だった。特に戦軍では膨大な演出本数を誇り、マニアやオタクの心を刺激し、数多くの傑作を世に送り出したという。特撮マニアの間では「長門演出は至高」「長門演出は神演出」と一部で熱狂的に崇め奉られていたという。

 へえ、不勉強だっただなわたしは、そんなカントク知らないよ―などと思ったが、戦軍で長年メイン監督を務めていた長門は二〇〇八年の作品を最後に演出が途絶えてしまう。以降、戦軍を降板しもう四年に亘って沈黙を守っている。他の作品で演出業をこなしているわけではないらしい。

 尚、ウィキペディアには長門清志郎の人となりについても触れられている。東光特撮作品によって最も恐ろしい鬼監督と称され、とにかくそう言ったエピソードに枚挙はない。いわくとある役者の縁起にはダメを出し続け50テイクも芝居のやり直しを命じた、いわくとある役者が上手く泣きの芝居が出来なかったので頭をゲンコでポカリと殴りつけ無理矢理泣かせた、いわくロケで熱中症で倒れ込んだ役者に自分の持ってた麦茶を頭から浴びせて無理矢理芝居を続けさせた、いわく水落ちをイヤがる女の役者をドンと海に突き落とした……などなど。そして、そういった癖の強さ故に若手プロデューサーに敬遠され、活躍の場を失ったとまで来歴には記されている。

 そもそも映画人はこういった人種が多い。怒鳴る、殴る、蹴る、拗ねる、灰皿投げるといった感じの。ただ最近世の中はゆとり世代の役者も増えてきているので、こういう鬼監督は次第に減ってはきてはいる。プロデューサーとしてもそりゃ確かに良い画を撮る監督を重用はしたいが、扱いづらい煙たいベテランよりも何でも自分の言うことをハイハイと聞く腹心の監督の方が仕事がやりやすいという事情もある。

 とはいえ、長門清志郎の紡ぐ映像センスは捨てがたい魅力を放っている。

 真由香は思わずうーん、と唸る。髪の毛を掻きむしった。

 ところで今はこのカントク、どこでナニしてるんだろう?



 翌日真由香は東條を掴まえると、長門清志郎について訊ねてみた。すると老プロデューサーは、途端にニヤニヤとする。

「そんなに気になるの?」

「気になりますね。視聴者の心を掴まえるのが上手い。大人も子供も夢中になれる映像が作れる演出家だと思います。正直、今の演出陣よりも一歩も二歩も上を行くレベルです。どうしてあの監督は今シリーズを離れているんですか?」

「あの人が一番齢は食ってるからね」

「それでもまだ還暦付近でしょう。それともどこか躰を壊した、とかですか?」

 東條は首を横に振る。「いや、すこぶる良好。誰よりも健康」

「じゃあ、まだまだイケますよ。……年齢が原因じゃないということですね。なぜ戦軍を降板したんですか? 問題が多いって噂をネットで見ましたけど、なにか問題でも起こしたんですか?」

 いやね、と東條は鼻筋を指で掻いた。

「そういうわけでもない。ウデは抜群なんだ。一流の中の一流。プロデューサーとしてはとても頼りになる、信頼できる監督だよ。すごく頭のいい人でね。ただ、長門さんはとにかくクセの強い人なんだな。いろいろな面で。そういうところから、他のスタッフから敬遠しちゃうという」

 わかるようでわからない説明だった。

「一度長門監督にお会いしたいなと思うんですが」

真由香の言葉に、「……もしかして、長門さんをメインに持ってこようと思ってる?」と東條が面白そうに訊ねてくる。

「まだ決めてませんけど。でも、気になる監督さんなんで」

「昔の人間を呼び戻すのかとか、ロートルを使うのかとか周りから反対されるかもしれないよ」

「そういう意見があるなら、私が説得に回ります。腕がある人なら若手とか古株とか関係ないですから」

 スタッフの意見なんて関係ありませんとか、無視しますなどとは到底言えない。プロデューサーは、周囲のスタッフの意見や意向もある程度尊重しなければならなかった。





 六月に入り、本格的な梅雨のシーズンの到来となった。今日は朝から雨がずっと降り続いている。社内で制作予算関係の確認業務が遅れ、予定より出発する時刻が遅れてしまった。東京メトロで渋谷まで行くと、京王井の頭線に乗り換える。駒場東大前まで向かう予定だった。

 あれから東條に長門の携帯連絡先を教えてもらうと、あとは敢えて周囲の人間に長門の評判について聞くことはしなかった。自分で直接長門の人となりを確認するつもりだった。長門にはすぐ連絡が繋がった。物腰の柔らかそうな穏やかな声をしていた。今は週二回、駒場東大前の児童劇団でワークショップの授業を受け持っており、明日はその授業が夕方四時から六時まであるので、授業の後お話しましょうということになった。今はテレビの仕事はしていないんだと長門は自嘲的に笑っていた。折角なので長門の演技指導の風景を見学させてもらおうと考え本当は四時までに現地に向かう予定だったが、出発が遅れてしまったというわけだ。

 駒場東大駅前で降りると、スマホで地図を確認する。教えても貰った住所は駅から離れ、ここからさらに徒歩十分程度のところにあった。辿り着いたのはラーメン屋が一階のテナントに入ったうらびれた雑居ビルで、そのビルの五階が児童劇団の事務所であるという。「イーソー企画」というのがその事務所の名前だった。時刻は五時を回っていた。

 何とも古びたエレベーターで五階まで行くと、二つほど扉が並んでいて、お目当ての事務所の扉は奥にあった。ノックしようと拳をあげようとしたところ―。

「ピーピーピーピー喚くな、このションベンガキがっ!」

 おっさんのだみ声が扉越しに高らかに聞こえてきた。それで一瞬ノックを躊躇し、よくよく耳を澄ませば小学生くらいの男の子のひっひっひっ、と懸命にしゃくりあげるような泣き声が微かに耳に入ってくる。

「そんな小難しい芝居すんじゃねえよ。もっとオーバーなくらい、分かりやすく芝居しろって言ったよな。声を張り上げて……前に出てきて。ほら、はい!」

 すると男の子がひくひくと声を震わせながらも「……おじさん……アメちょうだい」と何とか台詞を喋っているのが聞こえる。何かの台本の一節なんだろうか。

 いつまでもドアの前で佇んでいるのもあれなので、静かにドアを開ける。狭い一室の床に子供が六人地べたに座っていた。多分台詞を喋っているであろう男の子は一人立ち上がり、台本を持ちながら懸命に「ケンタくんは……公園に行ったの?」などと更に台詞を喋っている。

 印象的なのはどの子供も皆悲壮感に駆られた表情になっていたことだ。狭い部屋の端にパイプ椅子が並べられていて、子供の母親らしき女性の皆さんも心配そうにその授業風景を見守っている。誰も真由香が入ってきたことに注意を払わなかった。

 そして真正面の椅子に腕組みをしながら足は大股開き、でんと構えているのが、おそらく長門清志郎と思しき男であった。髪はオールバック。サングラスをかけ、チェックのジャケットをお洒落に着こなし、なぜか下駄を履いている。良くも悪くも、古き良き活動屋のオーラを醸し出していた。六十二歳とは思えない、エネルギッシュな印象。周囲に対する威圧感は抜群だった。

「違う違う違う!」

 男はだみ声を張り上げる。「聞き取りやすく、ゆっくり、分かりやすく! ……ほら、もう一度!」

 パンと手を叩く。幼くてなかなか可愛い顔立ちの男の子はひっくとしゃくりあげながら「……おじさん……アメ……」と何とか言葉を絞り出すが、それ以上は声も枯れて、結局台詞が続かなかった。

 長門清志郎は黙って、傍らのパイプの灰皿を男の子に向かって投げつけた。灰皿は床でくしゃりと形が変形した。そして、遂に男の子は「わーん!」と高らかに泣き叫び、周囲の子供たちも恐怖に恐れおののき、泣き始めて……。

 真由香はその場に留まるのもいたたまれなかった。



 そんなこんなで、長門清志郎のワークショップは十八時で予定通りに終了した。子供と母親は特に長門に挨拶するでもなく、蜘蛛の子を散らしたかのようにさっさとその場から退散する。そうして部屋に残ったのは長門と真由香二人のみとなった。

 長門は何も言わず、手帳にペンでさらさらとメモを記している。真由香の存在に気付いているはずだが、特に何も言ってこなかった。

「……長門カントク、ですよね?」

 ちょいとびくびくしながら真由香は声を掛ける。男はおもむろに顔を上げた。

「―あんたが東光の女プロデューサーか」

 随分な言い方だと多少ムッとしながら「はい、宮地と申します」と名刺を差し出した。

「ずいぶんと力の入った指導でしたね」

「あいつは見どころがある。常に目がぎらついている。足元踏ん張って、懸命に腹から声を出している。まるでうどんのように、叩けば伸びる」

 真由香の皮肉に対して、真面目に回答する。ただのスパルタなのか、子供相手に大人げないのか、それとも真に熱心な演出家なのか区別がつかない。

急に一人の老人が部屋に入ってきた。小太り丸顔で、頭はツルリと海坊主のように剃りあげている。

「困るよセイさん、あれだけ穏便に子供たちには教えてやってくれって言ったじゃないか」

「そんな約束はしたつもりはない」長門は手帳をぱたんと閉じた。「あの程度でツブれるなら、それまでの素材だったということだ」

「幼稚園の子供相手にムキになってどうするんだい。……いいんだよ、多少手加減して大きな目で見てやってさあ。海のように広い心で指導してやってよ。未来の役者志望の子供に恐怖とトラウマばかり植え付けるんじゃないよ」

「俺は月謝を貰って演技指導をしてる。手は抜けない。ナメた仕事なんてしてられるか」

「……母親たちが講師を変えろって言ってきた」

 海坊主は腕を組みながら、静かにそう言う。「それでなくても、次々生徒が辞めて困ってる。あんたの悪評判も広がってる。最近のネットの力は凄いよ。あそこの講師はパワハラ監督だって噂があちこちあるし……とにかく、こちらの方針に従ってもらえないかね」

 それには何も答えず、長門清志郎は傍らのショルダーバッグに手帳とペンを詰め込むと、さっさと立ち上がりスタスタと部屋を出て行ってしまった。

 どうしていいかわからず、真由香も後についていくことにした。思わず傘を忘れそうになったので、慌てて手にとる。

 背後から、海坊主の盛大な溜息が聞こえた。

 長門はさっさとエレベーターに乗り込もうとしたので、真由香は慌てて「ちょっと待ってください、カントク!」と追いかけた。



 駒場東大前駅前のドトールで真由香は長門清志郎と向かい合った。長門は喫煙者なので、当然喫煙フロアのテーブルである。

 演出家はマイルドセブンに火をつける。サングラスは外さない。そんな威圧感が周囲からきわめて浮き上がっているので、真由香としてはすこぶる居心地が悪い。多分周囲の人々からはヤクザに脅される三十路女、みたいに見られているのだろうか。

 さあ、どこから話をしていこうか―真由香がもじもじしながら、「カントクの『ビクトリーフォース』の第一話、抜群の映像のキレで感動しました」とまず感想を言ってみた。

 『超電戦軍ビクトリーフォース』は二〇〇〇年に放送されたシリーズ第二十作目である。メイン監督を長門清志郎が務め、パイロットである第一話も長門が担当した。第一話は他の回に比べれば予算も時間も潤沢にある回ではあるのだが、それを仮に差し引いたとしても長門の映像センスは冴え渡っていた。当然、映像作品なのだから、役者の演技、撮影技師のカメラワーク、照明マン、アクション監督、特撮監督といった諸スタッフの腕などの条件も含めての話にはなるのだが、最終的にOKテイクを出すのは現場の最高責任者である監督である。その作品の出来が面白いのなら、やはり監督の手柄になるのである。

 しかし、賞賛された当の本人は実に素っ気なかった。

「……何それ?」

「いや、何それって……」

「忘れたよ」長門はホットコーヒーにミルクを入れると、くるくるとスプーンで掻き混ぜた。「いったいどれだけシリーズに関わっていたと思っている? そしてそのシリーズで何本も撮ってるんだ。いちいち全部の中身なんて覚えてられない」

「でも記念すべきシリーズ第一話ですよ。心の片隅にちらっとでも記憶ありませんか?」

「作品いちいち記憶していたら、次に進んでられない。だいたい昔のココは良かった、あそこはマズかったなんて懐かしむ暇なんてない。前に進むしかないんだから」

 前に進むと言っておきながらお前はもう何年も東光を干されてるだろうが、と思いながらもグッとこらえて「なるほど」と真由香は感心したふうに頷いておくことにした。

 長門清志郎、六十二歳。

 京都の某大学を中退後、ピンク映画の独立系プロダクションに身を置き、助監督として長らく活動。昭和五十五年にピンク映画『燃える女教師・禁断の音楽室』で監督デビューを飾る。その後東光のテレビプロにフリーランスの助監督として身を置き、刑事ドラマ『特甲警察』でコンスタントに作品をとるようになり、同番組終了後はしばらく東光を離れた時期もあるが、戦軍シリーズの監督としてスライドする。数多のシリーズで数多くの作品を手掛けるも、数年前にシリーズを離脱。今はテレビの仕事からは距離を置き、児童劇団の演技講師として週二回活動を行っている……。

 開店休業中の老監督は、美味そうにコーヒーカップに口をつけると、「俺はな」と呟く。

「何でしょう」

「今、ヒマなんだ」

「はあ」

 こちらが何ともリアクションをとりづらい言葉を口にした。

 そして「腕では誰にも負けない。自信はある」とも続ける。しばらくこちらは黙って、長門の言葉を待とうとした。

「体力もある。気力も十分……だが、今の時代に合わなくなった。俺のような鬼はもう現場には必要ないらしい。今の現場は役者と監督の馴れ合いの場。批評性もない。個性もない、真剣勝負の場ですらない。プロデューサーは予算を守って、自分の思い通りの画を撮って、ハイハイ言うなりの監督だけを求めている。年上で、煙たくて、口やかましくて、ズケズケ物申すベテラン演出家なんて必要としていない訳だ。槇とは特に相性が合わなかった」

「じゃあ槇さんからもう参加しなくていいって言い渡されたということですか?」

「いやアイツと仕事をすると、将来モメることが目に見えていた。だから言ってやった、戦軍は降りてやると。引き留めは一切されなかったし、それで四年前にサヨナラだ」

 それって、自ら降板したのか、番組を降ろされる雰囲気を察知して自分から身を引いたのか―今の話を聞いただけでは判断できない。

「ただ、まだ俺はやれる、と思う。早い話が消化不良なんだな。テレビの仕事はまた機会があればやってみたいなあ、と考えているんだが」

 心なしか媚びた口調にも感じられる。なに、これって目の前の女プロデューサーに対するアピールなわけ? このカントクの性格が本当に掴めなかった。

 真由香はゆるゆると首を振った。

「―制作はチーム単位で行うものです。特にこういったドラマの現場は何十人ものスタッフで動き、みんなの力が結集して成り立つんです。フォア・ザ・チームです」

「そうなんだよ」あっさりと長門は頷く。「俺にはホンは書けない、カメラも回せないし、セットも作れない。芝居だって出来ない。わかってはいるんだよ、わかってはいるんだけど、つい熱が入っちゃうんだよなあ」

 かつての鬼監督はそう言うと、マイルドセブンを深々と一服した。

 さて真由香は長門清志郎に戦軍の新シリーズのオファーをしようかどうか、大いに迷った。プロデューサーにとってメイン監督は運命共同体。安心して命を預けられる人間でないと、とても作品を任せることなんて出来ない。この男の悪評判は何となく理解は出来た。どうやら噂通り、クセの強い人物であることに疑いの余地はなさそうだった。数時間一緒に話をしただけでそれがよーく、わかった。

 だが、作品を作る力、画面を切り取る腕はこの目の前の男には間違いなくある。

 ややこしそうな男だがその腕を買うか、それとも画作りのセンスはほどほどでも扱いやすい別の演出家を探してくるか。

 ただし、あまり時間がない。

 真由香は意を決することにした。

「……何作かカントクの作品を拝見しました」真由香は肚を決めた。「とても味わい深い出来で、正直感心したんです。こんな素晴らしい画を撮れる人なのにどうして現場を去っていったんだろうと疑問にも思いました。……あたしの耳には、現場で持て余してるという声もちらほら入っています。こちらとしては、現場に馴染んで、ディレクター主導でなく、ちゃんとプロデューサーシステムに則って作品を撮ってくれる監督となら、是非一緒に作品を作っていきたいと考えているんですが」

「いいよ」

 あっさりと長門は頷く。「は?」とこちらが拍子抜けするくらい、安請け合いっぽい返事にも聞こえた。

「俺は生まれ変わる。生まれ変わって、役者にもソフトに対応する。スタッフにも優しくする。ムリは言わない。プロデューサーの言うことはなんでもハイハイと聞く。予算も時間もキチンと守る……これでどうだ?」

 おそらく長門なりに、ここ数年監督業を干されて改心するところがあったのか、そんな殊勝なことを言う。

 そこまで言うのなら、と真由香もこのサングラスの男を信頼することにした。

 こうして来年の戦軍シリーズのメイン監督に、長門清志郎が復帰することになった。

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