アカネ先輩の秘密(4)
・挑戦者 厚木ユリナ
『
その日、ユリナは何も召喚しないまま、ワナビ戦の戦績に黒星をつけてしまった。
これまで順調に勝ってきたのに、一文字も入力せずに不戦敗なんて、まったく初めての出来事である。
「どうした、ユリナ?」
体育館の隅で声をかけたが、ユリナの表情はすぐれない。
「今日はちょっと……調子が出なくて」
「ま、まあ、そういう日もあるよな!」
「はい……」
「あ、そういや絵本の投稿、あれは結局どうなったんだ? 俺、今日なら時間あるけど……」
「その件でしたら結構です。もう締切が過ぎたので、そのまま投稿しました。ウチには来てくれなくて構いません」
ガガーン。
どうやら俺は、せっかくのイベントフラグを、自分でへし折ってしまったらしい。
いやでも、あんな八つ当たりをしたんだから、こうなってしまうのは当然の結果だよな。
何食わぬ顔で水に流そうとか、そういう卑怯な真似はせず、きちんとユリナに謝るべきだ。
「この前の一件だけど、あれは俺が悪かった。この通り謝るよ、本当にごめんな」
「…………」
「俺あの時、豪田先生に退が……いや、ちょっと無神経な提案されて、すっごいムシャクシャした状態でさ。ユリナは少しも悪くないし、俺が未熟だっただけなんだ」
「そんな風に謝らないでください。あの件でしたら、わたし気にとめていませんから」
ユリナは頑張って笑顔を見せるが、その表情は非常に苦しげで、むしろ逆効果にしかなっていない。
一体、どうしたらいいのだろう。
いくら謝罪の言葉を伝えても、ユリナが態度を変えてくれない限り、俺達は仲直りできたとは言えないし、気まずい状態が続いてしまう。
(信頼を築くのは大変だけど、逆に失うのは一瞬なんだな……)
それから数日間、仲直りのキッカケを探し続けたが、残念ながらチャンスはなかなか巡ってこない。
それどころか、ユリナの行動を観察すると、俺を避けているように感じられた。
休み時間は急いでどこかへ行ってしまうし、掃除の時間は、他の女子達と離れないように行動している。
最初は自分の被害妄想かと思ったが、とある日の昼休みに、とうとうリカルドにまで指摘された。
「あの、アダチ」
教室で弁当を食いながら、リカルドが質問してくる。
「下世話な質問をしますが、厚木さんとケンカでも?」
「ギクリ」
まあこの状況を見れば、バレる方が当然だよな。
ユリナが俺を避けているのは一目瞭然で、これまで一緒に食っていた弁当も、今はこうしてリカルドと食っているのだ。
わざわざ隠したって完全に無駄、そう考えて自分から打ち明ける。
「実は俺、とある件でものすごく腹が立って、ユリナに八つ当たりをしちゃってさ」
「はあ」
「もちろん悪いと思って謝ったよ。けどユリナは態度を変えてくれないし、それどころか避けられるようになっちまって、どうしていいか本当にわからないんだ」
「なるほど。近ごろ厚木さんが負けているのは、おそらくそのケンカが原因ですね」
そうなのだ。
ユリナはあれ以降、ワナビ戦の実技において、ひたすら不戦敗を続けている。
タイミングを考慮しても、あのケンカが無関係だとは思えないし、期末テストにまで影響が出てしまったら責任は重大だ。
「リカルドだったら、こういう時どうする? プレゼントとか贈るべきかな?」
「わたくしならどうするか? さあ、わかりませんね。何しろ女性に嫌われた経験など一度もありませんので」
うわ、感じ悪いな、今ナチュラルに自慢したぞ。
「ただ、私見を申し上げますと、プレゼントは逆効果だと思います」
「そ、そうか?」
「ええ。物を贈って解決できるのは、夫婦の痴話喧嘩くらいです。今のあなた達の場合、気持ちが根本的にすれ違っているのですから、そこを解決しなければ以前の状態へは戻れないと思いますよ」
「具体的な方策は?」
「本音でぶつかり合うしかありませんね。それで決裂してしまうなら、その程度の仲だということ。素直に諦めた方がよろしいのでは?」
うう、キツイ。
だがしかし、リカルドの発言は的を射ている。
背伸びしてプレゼントなんか贈っても、それは結局ご機嫌取りで、根本的な問題解決にはならないだろう。
(よし、決めたぞ)
その日の放課後。
俺はクラスの住所録を見て、ユリナの自宅を訪ねてみた。
いきなり迷惑なのは承知だが、こうでもしないと、話し合える機会がないからな。
メールや電話も考慮したが、それだと着信拒否という手段もあるし、互いの顔が見える方が安心感は確実に強いはずだ。
「えーと、ここかな……?」
ユリナの家は閑静な住宅街の一角で、よくある二階建ての一般家屋だった。
表札の「厚木」という文字を確認し、ドキドキしながらチャイムを鳴らす。
ご家族が出てきた場合、相当驚かせてしまうなぁ……と思ったが、ドアを開けたのは運良くユリナ本人だった。
「足立……くん?」
大きく目を見開くユリナ。
どうやら帰った直後らしく、服はまだ制服のままである。
「いきなりごめんな、迷惑だとは充分にわかってる。けど俺、どうしても話し合いたいんだ」
「話し合うって何を……」
「そんなの決まってるだろ? 俺達のこと、それにワナビ戦のことさ!」
俺は思わず熱くなって、玄関先にも関わらず、大声で叫んでしまった。
ドアを閉められるかと危惧したが、幸いそんな展開にはならず、ユリナはこちらの話を聞いている。
「何度も繰り返し言うけど、八つ当たりして悪かった。怒っていいし、怒鳴っていいし、なんなら俺を殴ってくれよ。それであの件は終わりにしよう」
「ちょ、足立くん? 以前もお伝えしましたが、わたしは別に怒っているわけじゃ……」
「それならどうして、ひたすら俺を避けるんだ?」
「そ、それは……」
ユリナはそこで言葉を切り、気まずそうに口を閉ざした。
ああ、やっぱり。
彼女が俺を避けているのは、勘違いじゃなかったんだな。
胸の奥がズキリと痛む。
「ワナビ戦の黒星だって、それが原因なんだろう?」
彼女が初勝利できたのは、絵本執筆に関する悩みを、俺が励ました直後だった。
その俺が、ユリナを否定するような態度を取ったから、彼女は落ち込んで創作意欲を失ってしまったに違いない。
自惚れのような発想だが、最近の状況を冷静に振り返ると、そうとしか思えないのだ。
「それは……違います」
ユリナは首を振って、俺の確信を否定する。
「最近ワナビ戦で負けているのは、わたし自身の問題で、足立くんのせいじゃありません。詳細は言えませんが、それだけは本当です」
「その詳細を教えてくれよ!」
「ダ、ダメです」
「なんでだ! 俺を嫌いになったなら、それでも別に構わない。俺ってひどい奴だもんな。でも頼むから、ワナビ戦では勝ってくれ。楽しそうに文章を書くユリナを、俺はこれから先も見たいんだよ! だから……」
だから俺は、ワナビ戦で勝てなくなった理由が知りたい。
俺自身は嫌われたって構わないから、その問題だけは絶対に解決するんだ。
「俺とのケンカが関係ないなら、どうして意欲が下がったんだ? 新人賞で落選したのか? 評価シートで酷評されたのか?」
「…………」
「だったら遠慮せずに言ってくれよ。一緒に泣いて、一緒に悲しんで、イヤな気分を吹き飛ばそうぜ? 前に俺が落選した時、ユリナが必死に励ましてくれた件、今でもすっごく感謝してるんだ。だから今度は、俺がそういう存在になりたいと思う」
「…………」
ユリナは沈黙を続けたが、ややあって、戸惑いがちに返事をする。
「落選とか酷評とか、そういう原因じゃありません。わたしが弱いから、自分の気持ちと向き合えないから、こんな状態になっているだけなんです」
「だったらその弱い気持ちを、俺が丸ごと受け止めてやる!」
「なんで、そこまで……」
「好きだからだ!」
ああ、ついに言ってしまった。
相手の玄関で絶叫告白なんて、迷惑行為に等しい暴挙だよな。
しかも俺は、自分の告白に興奮して、さらなる迷惑行為をやらかした。
ユリナの肩をがっしり握って、壁ドンならぬ、ドアドンをしてしまったのだ。
壁ドン、ドアドン、リカルドン。
いや、今はふざけている場合ではない。
「やっ……」
ユリナは完全に怯えていた。
震える全身。
拒絶するような瞳。
告白が失敗したのはどう見ても明らかで、俺はいきなり、冷水を浴びたような気分になってしまう。
「ごめんなさい……」
「わ、悪かったよ。乱暴してごめんな?」
「うう……」
「いきなり驚いただろ? いや、いいんだ、驚く方が当然だから」
必死に謝罪の言葉を重ねるが、ユリナはとうとう泣き出して、「ごめんなさい」しか言わなくなった。
彼女の気持ちがわからない。
先に信頼を裏切ったのは確かに俺だが、それを償うチャンスもないなんて、むしろこちらの方こそ泣きたい気分だ。
文化祭で手を繋いだ時は、気持ちが一つになったと思ったのに、今はあの瞬間が果てしなく遠い記憶のように感じられる。
「本当にごめん。俺はもう帰るから、さっきの言葉は忘れてくれ」
これ以上無理に話を続けても、きっと傷付けてしまうだけだ。
俺はユリナに背中を向けたが、しかしながら、そこには小さな期待があった。
ひょっとしたら慌てて俺を呼び止めて、真相を打ち明けてくれるかもしれない。
ああ、それなのに。
わざとゆっくり歩いても、ユリナが俺を呼び止める瞬間は、結局ついに訪れなかった。
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