アカネ先輩の秘密(2)
ベンガルトラ事件から数日後の放課後。
俺は現在、進路指導室のソファーに座り、豪田先生と向かい合っている。
問題のありすぎる成績について、そろそろ注意されると思っていたが、ついにこうして呼び出しを受けてしまったのだ。
「あの、俺に話って……?」
恐る恐る尋ねると、先生は咳払いした。
「非常に言いにくい話だが、足立はワナビ戦で、まだ一度も勝っていない。ET本体のカラーも、クラスで一人だけ白だ」
そうなんだよな。
目標はシャンパンゴールドだが、今の俺のETはピュアホワイトだ。
「成績で色を変える方式は、私は個人的に反対なんだが、今現在はそうなっている。この状況は居心地が悪いんじゃないか?」
「まあ確かに、よくはありませんが……」
「いや、無理な強がりは不要だ。最近クラスの男子とも、折り合いが悪いだろう? 先日は池田が注意してくれて場が収まったが、残念ながら根本的な解決には至っていない。これからワナビ戦で勝っていけば、この問題も自然に解決すると思うんだが、これまでの足立の戦い振りを考えるとな……」
そこで言葉を切る豪田先生。
なるほど。
ワナビ戦の成績が思わしくない上に、最近はクラスで浮いてしまっている俺を、先生は担任として心配しているのだ。
ここは元気な姿をしっかり見せて、問題ゼロだとアピールしなきゃな。
「平気です、俺これから頑張ります! そりゃまあ自分は、入学後ずっと負け続きですし、今さら頑張ると言っても説得力は皆無ですけど……」
しかしながら今の俺は、入学直後の俺とは違う。
アカネ先輩やユリナ、それから葵先輩に応援されて、たくさんの悩みを乗り越えて成長してきた。
なんなら俺を助けてくれた一員に、池田リカルドの名を加えてもいい。
とにかくあと少し、どこか一つ歯車が噛み合えば、すべてが上手くいく状況なのだ。
「いや、いいんだ。もうこれ以上は頑張らなくていい」
「えっ?」
もう頑張らなくていい?
予想外の言葉にビックリしていると、先生が一枚のプリントを差し出した。
目に飛び込んだ見出しの文字が、俺の心臓を一瞬で凍りつかせる。
「……退学届?」
何がどうなっているか理解できず、俺は呆然とすることしかできない。
「そのプリントは退学届、見てそのままの意味だ」
「…………」
「実を言うと、隣県に文想学園の姉妹校があってな。そこは至って普通の高校だから、ワナビ戦なんてシステムもない。そこなら足立も伸び伸びと過ごせるだろう。転校の手続きもすぐにできる」
「つまり、それって……」
豪田先生は俺に転校をすすめている。
悲しかった。
ショックだった。
今までの悩みも、それを乗り越えた成長も、何もかも否定された気分である。
「俺には才能がないって言うんですね?」
「いや違う、そうじゃない。ただワナビ戦には向き不向きがあるから、無理に続けるのは足立にとってストレスだと……」
「俺はワナビ戦が好きです! 結果はずっと負けですが、毎回すごく楽しんでます! なのに先生はその気持ちを否定するんですか!」
「足立、まずは落ち着くんだ。先生はお前を怒らせたいわけじゃない。足立の将来を真剣に考えた上で転校の提案を……」
豪田先生の視線は真面目で、そこに悪意は感じられない。
しかし一体、何故だろう。
豪田先生に気遣いされるほど、俺の心は救われるどころか、どんどん深く傷付いてしまう。
「とにかく俺は、絶対に退学しません!」
これ以上議論を続けても、先生はわかってくれない。
そう判断した俺は、大声で捨てゼリフを放ち、進路指導室から飛び出した。
廊下ですれ違った生徒達が、ギョッとした顔でこちらを見ているが、それを気にする余裕もない。
無理やり渡された退学届を持ったまま、俺は一刻も早く帰りたくて、学生カバンを取りに教室へ駆け込んだ。
そこでユリナに会ったのは、予想外の誤算だと言えよう。
「足立くん! 先生との話し合い、終わったんですね!」
「ユ、ユリナ……?」
「えへへ、ずっと待ってたんですよ? さあ、一緒に帰りましょう。実はその、例の絵本が完成したので……」
恥ずかしそうに微笑むユリナ。
その顔は抱きしめたいほど可愛いが、しかし今はタイミングが最悪すぎる。
俺は豪田先生との面談でショックを受け、同時にひどく混乱しており、まともに会話できるような状態ではない。
「あれ、そのプリントは?」
「な、なんでもないっ!」
「あっ、隠すんですか? それなら無理やり見ちゃいますよ~?」
それは親密だから許される、他愛のないイタズラだった。
そんなの充分にわかっている。
ところが俺は、とにかく退学届を見せたくない一心で、ユリナの右手を乱暴に払いのけてしまった。
パシッという乾いた音が、放課後の教室に響き渡る。
「足立くん……?」
驚きに目を見開くユリナ。
ああ、早く今の行動を謝らないと。
心の中ではそう思っているのに、口から真逆の言葉が出てしまう。
「勝手に見るなよ!」
「あ……」
「それに今日は一緒に帰れない! 一方的に待たれたって迷惑だ!」
俺はバカだ。
退学届の件でムシャクシャしているから、まったく罪のないユリナに、あり得ないような八つ当たりをしている。
我ながら本当に未熟だな。
「ご、ごめんなさい、わたしったら調子に乗って……」
大声で怒鳴りつけると、ユリナは今にも泣き出しそうな顔で、か細い声を絞り出した。
悪いのは完全に俺なのに、相手が真面目に謝ってきた事実に、俺はさらにイライラする。
ああ、ダメだ。
これ以上一緒にいても、今この瞬間は、お互いにツライだけだ。
「……じゃあな」
カバンを取って廊下へ飛び出す。
今は誰とも会いたくないし、誰とも会話をしたくないから、とにかく急いで家へ帰ろう。
そう思っている時に限って、その程度の願望も叶わないようで、下足室でアカネ先輩と会ってしまった。
「あら、足立くん?」
「!」
俺は全力ダッシュしたが、こちらの異変に気付いたらしく、アカネ先輩が追ってくる。
「足立くん、待ちなさい!」
無視して逃げ続けたが、結局は体育館裏で追いつかれ、俺達二人は向き合った。
周囲に人は誰もおらず、グラウンドで部活動に励む生徒達の声が、遠くから聞こえてくる。
「ひどい顔じゃない! 何があったのよ?」
アカネ先輩は俺へ詰め寄り、退学届のプリントを、有無を言わさず奪い取った。
そして、内容を見てハッとする。
「まさか、足立くん……?」
「俺の意思じゃありません! 無理やり豪田先生に渡されたんです!」
俺はプリントを奪い返し、力任せにビリビリと破き、地面へ乱暴に投げ捨てた。
それは花吹雪のように、ヒラヒラと美しく風に舞って、やがて土へと辿り着く。
入学式で桜を見た時、数か月後にこんな状況になるなんて、一体どうして想像することができただろう。
「こんなもの!」
俺は大声で叫びながら、何度も何度も繰り返し、プリントを踏みつけた。
腹の虫は治まるどころか、怒りをさらに加速させ、目から涙がこぼれ落ちる。
ああ、もういいや、このまま泣いてしまおう。
「足立くん、顔を上げて」
「イヤです」
「気持ちはわかるわ、でも……」
「嘘です! 学年二位のアカネ先輩に、今の俺の気持ちなんて、わかるはずがありません!」
その言葉がスイッチになったのか、アカネ先輩は血相を変えて、俺の学ランの胸ぐらを乱暴に掴み上げた。
ああそっか。
俺があまりに情けないから、アカネ先輩に殴られるんだ。
そう思って目を閉じたが、その後いくら待ってみても、パンチの衝撃は訪れない。
「……?」
恐る恐る瞳を開けると、俺の顔のすぐ前に、アカネ先輩の拳がある。
しかしながらパンチではなく、その手には、USBメモリーが握られていた。
「わかるわよ。その悔しさも、その涙の温度さえ、今のあたしには全部わかる」
「……え?」
「だってそれは、あたしも通ってきた道だもの」
アカネ先輩も通った道?
いいや、何かの間違いだ。
「嘘だと思うなら自分で確認してごらんなさい。このメモリーには、あたしのワナビ戦の戦闘履歴が入っているわ」
「はあ」
何故そんな物を持ち歩いて……と思ったが、そういえば召喚モンスターの履歴を見せてもらうと、俺達はだいぶ前にしっかりと約束していた。
「あたしね、今でこそ学年二位だけど、最初はずっと最下位だったの。その頃はクラス中の笑い者で、何度も転校をすすめられたわ。こっちはワナビ戦が目的で入学したのに、まったく失礼しちゃう無神経な提案よね」
「そう、なんですか……」
なんだか信じられない話だが、あのアカネ先輩が、こんな嘘を吐くとも思えない。
俺はメモリーを受け取って、胸ポケットへしまい込んだ。
「足立くん」
「はいっ」
「あなたの物語は終わっていない。いいえ、まだ始まってすらいない状態よ」
「…………」
「確かに今日の出来事はイヤな経験だった。だけどね、次のページで大逆転すればいいじゃない。その為にあたしが、ブラザーがいるの。わかったかしら?」
そう断言するアカネ先輩は、格好よくて頼もしくて、俺には眩しく輝いて見えた。
先程までの強烈な怒りも、一体どこへ行ったのか、いつの間にか消えている。
(やれやれ……)
先輩の力は偉大だな。
以前からわかっていたつもりだが、再度それを痛感した出来事だった。
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