第七章 アカネ先輩の秘密

アカネ先輩の秘密(1)

 文化祭の翌日。

 朝登校して席についた俺は、今もっとも気になっている件を、さり気なくユリナへ尋ねた。

「あのさユリナ、ちょっと聞くけど……」

「ええ、なんでしょう?」

「新人賞へ投稿する前に、俺に絵本を見せたいって、少し前に言ってただろ? あれはいつ頃になるのかなー?」

 うわ、我ながら棒読みだ。

 本当は早く家へ行きたいが、それを隠そうとしているせいで、挙動不審になってしまった。

「ああ、その件ですか」

 人を疑わない性格のユリナは、幸い、俺の冷や汗には気が付かない。

「締切が目前に迫っているので、今頑張って、ラストスパート中なんです」

「そ、そうか」

「ちょうど今日の放課後、絵本スクールで出来具合をチェックしてもらう予定なので、来週には形になるかと」

「それじゃ、今日の放課後のワナビ戦は?」

「お休みします。豪田先生に事情を打ち明けて、特別に欠席の許可を得ました」

「へえー、そうなのか」

 締切を理由に学校行事を休めるなんて、さすがは作家志望者が集う文想学園だ。

 他の普通の学校じゃ、まず無理な話だよな。

 教師に応援されるどころか、絶対怒られるに決まってる。

「ところで足立くんは、今も投稿を続けているんですか?」

「あー、それなぁ……」

 実を言うと迷い中だ。

 あれから高校生活の合間を縫って、少しずつ書き溜めてはいるのだが、どうしても一次落ちのダメージが払拭できない。

「悩んでる最中だけど、ひょっとしたら、やめるかもしれない。また一次落ちするの、やっぱり怖いし……」

 情けないがこれが本音だ。

 ユリナは共感するように、俺の言葉に大きく頷いた。

「わたしも一次落ちは怖いです。それはもう果てしなく。落選の夢を見てうなされて、ハッと起きる日もあります」

「なのに何年も続けてるんだろ? ストレスに感じないのか?」

「ストレスがないと答えたら、それは嘘になりますけれど……」

 少し遠慮がちに微笑むユリナ。

「落選するのが怖いのも、いざ落ちた時にショックを受けるのも、それだけ本気で取り組んでいる証拠だと思うんです。だって、どうでもいいと思っている事柄は、失敗したってそんなにショックじゃないでしょう?」

「まあ、そうだな」

「だから落選で落ち込んだ時は、『自分はこんなに本気なんだ』って前向きに考えて、ヘコんだ自分自身を責めないようにしています」

 なるほど、そうか。

 落選が怖いのも、落選して落ち込むのも、それだけ本気を出している証拠。

 俺にとっては未経験の考え方だが、そういう発想もアリかもしれない。

(小説投稿も前向きに進めようか。でも今は、それより放課後のワナビ戦だな)

 いざ放課後。

 ユリナは帰ってしまったが、体育館へ辿り着くと、アカネ先輩が待っている。

「アカネ先輩! いつも見に来てくれて、ありがとうございます」

「足立くん、実はその件なんだけど……」

 アカネ先輩が表情を曇らせる。

「今日から期末テストまで、あたし達の学年は、放課後に補習があるのよ」

「へっ、そうなんですか?」

「ええ。だから申し訳ないけれど、あたしと葵は、今後応援へ来られないわ。もちろん足立くんのサポートは全力で続けるから、何か起こったら電話やメールで教えてちょうだい」

 アカネ先輩はその件を伝えると、補習の為に教室へ戻って行った。

 今日のワナビ戦は、パートナーのユリナも不在だし、珍しく俺一人だな。

 なんて考えていると、豪田先生が登場する。

「よし、みんな揃ったな。今日からは期末テスト対策で、ワナビ戦の内容を、実戦中心に切り替えていくぞ。ああ、まだ勝利していない生徒については、いつも通り私のライオンが相手をしよう。えーと、希望者はいるかな?」

 まだ勝利していない生徒って、このクラスでは俺だけだよな?

 いや、ここで名指しを回避したのは、きっと豪田先生なりの配慮だろう。

「先生、お願いします」

 俺はそう言いながら、一歩前へと進み出た。

「足立、落ち着いて頑張れよ。先生はお前を信じているからな」

 豪田先生の力強い励ましは嬉しいが、むしろその言葉って、見捨てて当然の状況で使う気がする。

 いや、卑屈はやめよう。

 真意がどうであれ、励ましは励ましだ。

「それでは入力開始!」

「よーし、今度こそ!」

 掛け声と同時にETを素早く操作。

 問題ない。

 ハイキングのアニマル・ビンゴで、ETのメモリー(1GB)を増設したから、召喚のクオリティは格段に上がったはずだ。

 俺はこのモンスターで初勝利を奪い取る!


・挑戦者 足立勇気

『鋭いキバ! 響き渡る咆哮! 勇猛果敢な便がるトラ!』


 悪い、今のベンガルトラな。

 思わぬ誤変換を取り消す為に、慌てて削除キーを叩いても、その入力は受け付けられない。

 二重カギカッコで文章を閉じた瞬間に、ETの召喚は即座に発動する仕様なのだ。

(頼む! ベンガルトラよ、出てきてくれ……!)

 白い煙がだんだんと薄れ、そこに浮かび上がるのは、巨大なトラのシルエット。

 召喚は成功した。

 俺のモンスターとは思えないほど、立派なベンガルトラがそこにいる。

 が、後ろの方をよく見ると、糞をしている真っ最中だった。

「な……んだと……?」

 アレか?

 誤変換で入った便という文字が、こんなところで発動しちゃった?

 なんて思っているうちに、脱糞中の勇猛果敢な便がるトラは、豪田先生が召喚したライオンに敗れ去った。

 クオリティは俺史上最高だったが、シチュエーションが最悪すぎたな。


・挑戦者 足立勇気

・試合結果 敗北(0ターン)

【周囲を不快にさせるような召喚はやめてください】


 ETが辛口のコメントをくれるが、誤変換を責められた俺の方が、はっきり言ってよっぽど不快だ。

 それに追い打ちをかけるように、周囲のクラスメートが、侮蔑の視線でこちらを見ている。

「アイツ、ほんとダサいよな」

「けど成績底辺のくせに、女子にゃモテるんだぜ」

「マジかよ? ウソだろ?」

「文化祭の事件、知らねえのか? しかも厚木と上級生と、二股かけてやがるんだ」

「あー、おれも見た見た。サイテーだよな」

 確かに俺は、これまでも敗北続きで、クラスの連中に笑われてきた。

 しかし今日のこの反応は、軽い失笑程度だった今までと違って、明確な悪意に満ちている。

 どうやら自分は文化祭の一件が原因で、クラスの男子生徒を、ことごとく敵に回してしまったらしい。

「ぐっ……」

 思わず唇を噛み締める。

 言い返したいとは思ったが、多勢に無勢では、さらに笑われるだけだろう。

 怒りと羞恥心で顔が熱くなってきた。

 いいや、ダメだ。

 ここで赤面なんてしようものなら、目の前の連中に、さらなる攻撃材料を与えてしまう。

「そこの皆様、うるさいですよ」

 俺の背後から現れたリカルドが、いかにも不愉快そうな表情で、クラスメートの行動を非難した。

「卑怯な真似はおやめなさい。アダチに不満な部分があるなら、本人へ直接言えばいいでしょう? こそこそ陰口を叩いたって、誰一人幸せになれませんよ」

「リカルド……」

 その注意には有無を言わせない迫力があった。

 何しろ池田リカルドは、我が学年のゴールドET所有者で、つい昨日あのエキシビション・マッチを戦った男なのだ。

 クラスの男子連中は、軽い舌打ちをした後、みんなバラバラに散っていく。

 豪田先生が何か言いたそうな顔をしていたが、声をかけられたくなかった俺は、わざと気付かない振りをして逆方向を向いた。

「リカルド、ありがとうな」

「別にアダチを助けたわけではありません。ただ、大勢で一人を笑うという行為は、見ているだけで非常に不愉快ですからね」

「でも、仮にそう思ったとしても、普通の生徒は注意できないよ。だからサンキューな」

 もう一度感謝を伝えると、リカルドはガラにもなく、照れたような顔を見せた。

 この男は俺のライバルで、一番倒したい相手である。

 その事実は以前から変わらないが、実を言うとここ最近の俺は、リカルドを少しだけ尊敬している。

 今の注意もそうだったが、コイツは言動に筋が通っていて、態度がブレることがない。

 やはり四年間も学年首位を続けていると、成績と同時に、精神も相当鍛えられるものなんだろうな。

 もちろんリカルドだけじゃなく、この法則は、葵先輩やアカネ先輩にも当てはまる。

(そういえば今の件は、アカネ先輩に言うべきだろうか?)

 少し迷ったが、やめておこう。

 もう解決した事件だし、仮にわざわざ伝えたところで、アカネ先輩がどうこうできる問題でもない。

 だから俺は、『今日はどうだった?』というアカネ先輩のメールに、『負けちゃいました(笑)でも次は頑張ります!』という無難な返事を送っておいた。

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