葵先輩の意地悪(4)

 週が変わって月曜日。

 俺は現在、屋上で弁当を食っている。

 右にはアカネ先輩、そして左にはユリナという、両手に花の状態だ。

「もうすぐ文化祭ね。足立くんのクラスは、出し物は決まったの?」

「いいえ、まだです」

 それについては次回のホームルームで決める予定だ。

 そういえば、今日から文化祭までは、ワナビ戦の実技がないんだっけ。

 早く勝って白のETを卒業したいが、文化祭も楽しみだから仕方がないな。

「アカネ先輩のクラスは?」

「ウチはもう決まったわ」

「何をするんですか?」

「雀荘よ」

「じゃんそう?」

 それって麻雀を打つ店だよな?

 まさかジャンケンをする店じゃないよな?

「一応学校行事なのに、問題はないんですか?」

「大丈夫よ。もちろん何も賭けないし、脱衣麻雀でもないからね。純粋な知略ゲームとしての麻雀を、お客さん達に楽しんでもらう予定」

「ああ、そうですか」

「まあでも、さすがにそれだけじゃ物足りないから、女子生徒はチャイナドレスを着る段取りになっているわ」

 なんだって?

 つまりその店を訪ねたら、チャイナドレス姿のアカネ先輩と、麻雀が打てちゃうわけか。

 文化祭の出し物なのに、アダルト感が半端ない。

(ふへへ、こりゃ絶対に行かなきゃな……)

 おっと、ヨダレが。

 慌ててハンカチを出して拭くと、ユリナが俺をじーっと見ている。

 普段は穏やかな少女だが、今は頬が膨らんでいて、なんだか怒り気味っぽい。

「足立くんっ、わたしのサンドイッチを食べてください!」

「お、サンキュー」

「動物園で褒めてもらったから、たくさん作ってきたんですよ」

 その会話へアカネ先輩が割り込んでくる。

「あら、二人で動物園へ行ったの? それは全然知らなかったわ」

 うわ、なんか俺、睨まれてるぞ?

 しかしあの件はユリナとの秘密だし、ここで詳細を語るわけにはいかない。

 あくまで無言を貫いていると、アカネ先輩は急に笑顔を取り戻し、俺に唐揚げを差し出してきた。

「サンドイッチもいいけど、あたしの唐揚げも食べて?」

「は、はいっ」

「前回は『はい、あーん』できなかったもんね。今からしましょうか?」

 アカネ先輩のその発言を聞くと、今度はユリナが黙っちゃいない。

「ぜっ、前回っていつですか?」

「や、それはその……」

「二人で会ったりしたんですか? わたし、そんなの全然知りません!」

 これはヤバイ。

 二股がバレてしまう。

 いや、男女交際には至ってないから、正確には二股じゃないと思うが、両人にいい顔をしていたのは確かに事実だ。

 ここで下手な態度を取って、二人に嫌われてしまったら、今までの努力が水泡に帰す。

 これは地味にピンチだぞ。

(誰か、助けてくれーっ!)

 我ながら他力本願だが、その祈りが通じたらしく、本当に助け人が現れた。

「よっ、全員集まってるな」

「葵先輩!」

 まさかここで登場するとは、最高に空気が読める先輩だ。

 葵先輩が会話へ割り込んできたことで、それまで熱くなっていたアカネ先輩とユリナは、唐揚げとサンドイッチを引っ込めた。

 ふう、やれやれ。

 ひとまずピンチは脱したぞ。

「足立よ、喜べ。約束のETカバーだ」

 葵先輩が差し出したのは、家電量販店のビニール袋。

 今まですっかり忘れていたが、そういえば、ETカバーを貰う約束だった。

「オレが直々に購入したんだ。ありがたく使うんだぞ?」

「あら、後輩にプレゼントなんて、葵も意外とやるじゃないの」

「どんなカバーですか? わたし見てみたいですっ」

 よしよし。

 葵先輩のプレゼントのおかげで、すっかり和やかな空気になった。

 後でこっそりお礼を言おう、なんて思いつつ、ビニール袋を開けてみると。

「……え、透明?」

 中に入っていたのは、真っ透明なETカバー。

 もちろん透明でもカバーはカバーだ。

 汚れはしっかり防げるが、しかしこれでは、俺の目的は果たせない。

(違うんです、葵先輩ぃぃぃ!)

 俺の心など知るはずもなく、葵先輩は晴れやかな表情で、カバーの感想を求めてくる。

「どうだ、気に入っただろ?」

「きっ、気に入っ……」

 気に入ったと答えるしかないだろう。

 ここで不満を爆発させたら、アカネ先輩やユリナの前で、透明がダメな理由を話す流れになるからな。

 それは非常に格好悪い。

 白ETに劣等感を持っているから、カバーで隠そうと思ったなんて、そりゃあ誰にも言いたくないって。

「きっ、気に入りました! さすが葵先輩ですね!」

 うわ、棒読みになってしまった。

 しかし俺の異変には、幸い誰も気付かない。

「そうかそうか、そんなに気に入ったか」

「なるほど、カバーもいいわね。あたしも探してみようかしら?」

「最近はオーダーメイドで、絵とか印刷できますよね。わたしも作ってみようかなぁ」

 というわけで、途中で葵先輩も加わって、その日のランチタイムは無事終了。

 ちなみに俺は、冷や汗を止めるのに必死で、途中からの会話は覚えていない。

 まあ、アレだ。

 ピンチの連続をどうにか乗り切った感じだな。

「さてと、あたし手を洗うから、一足先に教室へ戻るわね」

「あっ、わたしも行きます。それじゃ足立くん、また五時間目の教室で」

 アカネ先輩とユリナが教室へ戻り、広々とした屋上に、俺と葵先輩の二人が取り残される。

 そろそろ行こうかと立ち上がると、行く手に葵先輩が立ちふさがった。

「足立、怒らねえのか?」

「え、何がですか?」

「そのETカバーの件だ。透明じゃ使えねえだろ?」

「!」

 まさか葵先輩、知っててわざと?

 思わず両目を見開くと、葵先輩はニヤリと笑って、楽しそうに語り出した。

「まさか、バレてねえとでも思ったか? オメェの思考なんざ、あの電気屋で会った瞬間、丸わかりだっつーの。白いETが格好悪いから、カバーで隠す気なんだろ?」

「うっ」

「その発想が卑屈でダセェから、祝いのプレゼントを装って、わざわざ嵌めてやったんだよ。しかし、なかなか愉快だったぜ? さっきの喜ぶ演技とか、幼稚園のお遊戯会だな」

「ぐぐぐ……」

 葵先輩は味方だと思っていたのに。

 俺は怒りに震えながら、右手の拳を握り締めた。

 頭にどんどん血がのぼり、耳まで赤くなっていくのが、自分自身でもよくわかる。

「ひどいじゃないですか!」

 俺は大声で叫ぶと同時に、手に持っていた透明のETカバーを、地面へ強く投げつけた。

 カシャーンという音が鳴り、カバーの中央に亀裂が走る。

 俺達二人の関係も、カバー同様に亀裂が入って、もう修復不可能だ。

「ちくしょう!」

 俺は無我夢中の状態で、葵先輩へ殴りかかった。

 そこまで怒る必要はないかもしれないが、ショックと混乱をうまく処理できず、つい本能的な行動へ走ってしまったのだ。

 対する葵先輩は、こちらが放ったパンチを、片手であっさりと受け止める。

 このままケンカ勃発だと思っていたのに、至近距離で様子を見ても、何故かまったく相手に戦意は感じられない。

「まあそんな怒んなよ。こりゃ、オレなりの気遣いだ」

「これの、どこが!」

「納得できねえなら、オメェにレシートをくれてやる。迷彩柄が欲しいなら、店で交換してもらえ。今割れちまったが、『最初から割れてました』って言っときゃ、どうにでもなんだろ。ほらよ」

「……?」

 一体何がしたいんだ?

 俺は繰り出した拳を収め、数歩ほど後ろへ下がった。

 こんな意地悪をしておいて、今さらレシートを渡してくれるなんて、ちょっと意味がわからない。

「いいか足立、オメェは学年一位を狙う男だ。その辺のつまんねえ連中とは、そもそも目標が違うんだよ」

「は、はあ……」

「だからこそ、だ。ETの色を隠すなんて勿体ねえ。白から金色へと成り上がるサマを、凡人どもに見せつけりゃいいのさ。最下位からの下剋上は、きっと最高に快感だぜ?」

「…………」

「と思ったから透明を選んだ。ま、使うか捨てるかは、完全にオメェの自由だ。じゃあな」

 葵先輩が去って行くと、そこには亀裂の入ったETカバーと、俺一人が取り残される。

 あれ、なんか混乱してきた。

 つまり葵先輩って人は、敵なのか味方なのか、最終的にどっちなんだ。

(味方……なんだよな、きっと)

 カバーでETを隠すという発想は、考えてみれば確かに卑屈だし、葵先輩の美学に反する行為だろう。

 俺だってそうだ。

 できれば堂々と色を見せたい。

 あの店で葵先輩と会った時、とっさに隠そうとしたのだって、後ろめたいのが理由だった。

 人間観察に長けた葵先輩は、そんな情けない俺にわざと真逆のプレゼントをして、喝を入れてくれたんだよな。

「まったく……」

 落ちたカバーを拾いながら、俺は小さく苦笑を漏らした。

 意地悪されたのは悔しいが、根底にあった感情は俺への期待と応援で、その気持ちは素直に嬉しい。

 たぶんそう、迷彩柄のカバーをプレゼントされるよりも、遥かにずっと。

「ああまで言われちゃ、使うしかないよなぁ」

 思わず呟いてしまった独り言に、昼休み終了のチャイムが重なる。

 それと同時に、カバーでETを隠そうとした後ろめたさも、きれいさっぱりどこかへ吹き飛んでしまっていた。


 その後、俺がどうしたかって?

 亀裂の部分を接着剤でくっつけて、今でも透明カバーを愛用している。

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