第五章 葵先輩の意地悪

葵先輩の意地悪(1)

 奇跡が起こった。

 ある朝いつも通り登校すると、なんと俺の下駄箱に、ラブレターが入っていたのだ。

 純白の封筒を飾るのは、いかにも乙女チックで可愛らしい、ハート型の赤いシール。

 手に取って差出人を見ると、女子の名前が書いてあるから、男友達のイタズラではない。

「くっ……」

 目に大粒の涙を浮かべ、思わず天井を仰ぎ見る。

 苦節十五年、初めて女子に告白された。

 封筒を上にかざすと、うっすら「大好きです」という文字が透けているから、これは告白で確定だ。

 長かった。

 ここまで本当に長かった。

 俺はまず携帯電話を取り出して、おふくろに「今夜は赤飯を炊いて欲しい」というメールを送り、封筒を開けて冒頭を読み始めた。

 そこには丁寧な文字で、このように書いてある。


『池田リカルド様へ』


 壮絶な人違いだった。

「ぐふ……っ」

 一撃轟沈。

 いや、確かに下駄箱は並んでいるし、間違える気持ちも多少はわかるが、この人違いはあまりにも残酷すぎやしないだろうか。

「アダチ、どいていただけますか?」

 ここでリカルド登場だ。

 しょうがないから、今の手紙は見なかったことにして、本人へ渡してやろう。

 本当はビリビリに破きたいが、入れ間違いはわざとではないだろうし、さすがに大人げないからな。

「リカルド、お前へのラブレターだぜ」

「なっ! まさかアダチは、わたくしが好きなのですか?」

「ふざけんな、女子からだ。間違って俺の下駄箱に入ってたんだよ」

「ああ、それはホッとしました」

 リカルドはラブレターを受け取ると、取り澄ました表情のまま、読まずにカバンの奥へしまい込んだ。

「見ないのか?」

「たとえどのような内容であれ、手紙というのは、相手のお気持ちそのものです。人前で軽々しくは扱えません」

「はあ」

「ましてや自慢などもってのほか。それでは、わたくしはお先に」

 さっさと靴を履き替えると、リカルドは俺を残し、先に教室へ向かって行った。

 普通だったら舞い上がる状況なのに、ひどく落ち着いた態度が腹立たしい。

(ちくしょう、本当は嬉しいんだろ! ムッツリスケベめ!)

 俺は被害者なんだから、心の中で悪態をついたって、たぶん許されるはずだ。

 なんて思っていたら、アカネ先輩が現れた。

「あら、足立くんじゃない」

「アカネ先輩!」

「途中まで一緒に行きましょ。そんな場所でどうしたの?」

「いえ、実は……」

 教室へ向かって歩きながら、俺は手紙の件を打ち明けた。

 話を聞いたアカネ先輩は、顔に苦笑を浮かべている。

「リカルドくんったら、相変わらずモテるのね」

「またまたぁ、そう言うアカネ先輩だって……」

 モテるんでしょう?

 と思わず言いかけて、その言葉を飲み込む。

 神社で会った時の悩んでいる姿を思い出したからだ。

「ああ、あの、先日はごめんなさいね」

 どうやら、こちらの心情が伝わったらしい。

 自分でも充分に自覚しているが、俺ってどうも、顔に出ちゃうタイプなんだよな。

「あの時は学校の外で会ったから、うっかり本音が出てしまったの。でも、後輩に弱音を吐くなんて、みっともない真似だったわね。あたしはこの通り平気だから、あの悩みは忘れてちょうだい」

 そう言い切るアカネ先輩は、いつも通り毅然としている。

 しかし俺は見逃さなかった。

 アカネ先輩のカバンの隅に、例の良縁祈願の御守が、しっかりと入っているのを。

(なんか可愛いなぁ……)

 彼氏がいないのを気にしつつ、それを隠して先輩らしく振る舞うなんて、なんだかとっても意地らしい。

 これがギャップ萌えというヤツか。

 俺は放っておけなくて、ほとんど無意識のまま、直球を投げてしまった。

「その、よかったら彼氏候補に、俺とかどうでしょうか?」

 ユリナ、ごめん。

 いや、ユリナは彼女ではないし、別に謝る必要性はないのだが、なんとなく良心が咎めてしまう。

 それはさておき、アカネ先輩のその後の反応は、俺には予想外と言えるものだった。

「やっ、やだ、なに言ってるの!」

 動揺した声。

 驚きに見開いた目。

 真っ赤に染まってゆく頬。

 適当に流されると思ったが、まさかの脈ありで、こちらが逆に驚いてしまう。

「だっ、ダメよ! そういう大事な事柄は、その場の同情とかじゃなく、真面目に考えた上で決めなくちゃ! ねっ?」

 ヤバイ。

 これは落とせるパターンだ。

 本当に見込みがなかったら、今の提案は、「あら嬉しい」で終わるもんな。

 しかし問題はここが廊下で、つい先程から、周囲の視線が気になる点だ。

(なんだよ、嫉妬かよ?)

 最初はそう思っていたが、どうもそれは違うらしい。

 廊下ですれ違う生徒全員が、男子も女子も俺を見て、侮蔑の視線を浴びせてくる。

 心当たりなんて全然ないが……いや、待てよ。

(俺のETって白だよな……)

 ワナビ戦で負け続けている俺は、小脇に真っ白なETを抱えている。

 新学期は特に珍しくもなかったが、一学期も中盤になった今、このETは悪い意味で目立つだろう。

 そうこうしているうちに、アカネ先輩も周囲の妙な視線に気付いたらしく、俺から一歩距離を置いた。

 空気はすっかり冷めてしまって、とてもじゃないが、告白するような雰囲気ではない。

「あの、足立くん……」

「はい?」

「……いえ、なんでもないわ。それじゃまた」

 アカネ先輩は視線をそらし、まるで逃げるように、自分の教室へ走って行った。

 彼女のそんな態度は初めてで、これにはショックを隠せない。

(くそっ……)

 昨日まで平穏無事だったのに、今日に限って変な目で見られるなんて、周囲の連中はどうかしている。

 思わず顔が熱くなって、俺は手洗へ駆け込んだ。

 そして鏡を見て気が付いた。

 ズボンのファスナーが全開で、パンツが丸見えになっている。

「……嘘だろ?」

 チャック全開で告白なんかしたら、そりゃもう失敗して当然だし、冷たい視線で見られるのも納得だ。

 っていうか、俺ってどうしてこうなんだ?

 トホホな気分でファスナーを上げて、それから再度廊下へ出ると、変な目で見られることはなくなった。

 つい先程は周囲の連中を呪ったが、どうかしているのは自分だったな。

 いや、本当にすまなかった。

(でもやっぱり、白いETは目立つよな……)

 今は一学期だから大丈夫でも、このままずっと白だったら、俺を笑う奴も出てくるだろう。

 そうだ、カバーをつけようか。

 ETは量産品のタブレットと同じサイズだから、店で売っている物をそのまま装着できるはずだ。

(よし、放課後さっそく探してみるか)

 それにしても。

 チャックさえ閉まっていれば、アカネ先輩に告白できたかもしれないのに、非常に勿体ない経験だったな。

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