第一章 噂のワナビ戦

噂のワナビ戦(1)

「あー、これで本日は解散とする」

 担任教師の豪田ごうだ先生(49)が、よく通る野太い声で、クラスの連中にそう告げた。

 美人な女性教師が担任だと嬉しかったが、高校受験で一生の運を使い切ってしまった自分には、むさ苦しい中年教師が関の山というわけだ。

 ちなみに今は入学式が終わり、今後の学校生活の諸注意を聞かされ、めでたく解散となったところである。

「中等部から持ち上がりの生徒は、このまま速やかに帰宅すること。外部から新しく我が校へ入った生徒は、『ワナビ戦』に関するオリエンテーションがあるので、準備ができ次第体育館へ向かうように。以上だ」

 無意味に低い声でそう言い残すと、豪田先生は教室から出て行った。

(そっか、内部進学の奴もいるのか)

 周囲の様子を確認すると、大人しく帰り支度を始める生徒が約半数、「体育館ってどこ?」と囁き合っている生徒が約半数。

 どうやら半分が持ち上がりで、半分が外部からの入学のようだ。

(おっと、ボヤボヤしてる場合じゃない!)

 それより今は一刻も早く、体育館へ向かわないとな。

 何しろ俺は『ワナビ戦』の為に、この文想学園へ入学したのだ。

(体育館は……ああ、ここか)

 はやる気持ちを抑えつつ中へ入ると、背の高い衝立によって、スペースが細かく区切られている。

 各ブースでは先輩らしき生徒が待機しているが、はてさて、これはどのブースへ行けばいいもんだろうか?

 ひとまず入口の受付で尋ねてみよう。

「あの、すみません、これってどこへ行ったらいいんですか?」

「こんにちは、新入生ですね。クラスと名前は?」

「一年一組、足立勇気あだちゆうきです」

「足立、足立……ああ、A01のブースですね。その通路をまっすぐ進んだところです」

「ありがとうございます」

 受付の先輩に軽く会釈して、A01のブースへと急ぐ。

 該当のスペースを見つけた俺は、そこで待機していた先輩らしき人物へ、まずは明るく元気に自己紹介した。

「はじめまして! 外部から新しくこの高校へ入った、一年一組の足立勇気という者です! どうぞよろしくお願いします!」

 とまあ、こんな感じでいいだろう。

 お辞儀した状態から顔を上げると、そこには艶やかな空気を身にまとった、一人の女子生徒が座っている。

(おおっ!)

 髪は今どき珍しい漆黒で、腰まで届くストレート。

 一見するといわゆる大和撫子タイプだが、瞳はいかにも気の強そうな切れ長で、なんとなく頼れるお姉様っぽい雰囲気だ。

 セーラー服のスカートから覗くのは、思わず蹴られたいと願ってしまうような、黒ニーハイに包まれた美脚。

 担任教師にはガッカリしたが、これはなかなかラッキーだな。

(うし、やったぜ!)

 心の中でガッツポーズしていると、黒髪美人は椅子から立ち上がった。

「はじめまして、二年一組の赤根優子あかねゆうこです。今日から一年間、あなたのブラザーになるから、どうぞよろしく。気軽にアカネって呼んでちょうだい」

「アカネ先輩ですね! こちらこそよろしくお願いします!」

「ふふっ、元気な新入生ね」

 アカネ先輩は軽く笑って、俺に右手を差し出した。

(おっ、握手か!)

 と、ここで迷いが発生する。

 ここは力強く握って積極性をアピールした方がいいのか、それともわざと弱く握って、母性本能をくすぐるシャイな下級生を演じるべきか。

 しばらく真面目に悩んでいると、握手する気がないと思われたらしく、アカネ先輩はスッと手を引っ込めた。

 くそっ、失敗だ。

「ところで、アカネ先輩」

「ええ」

「さっきの『ブラザー』って何ですか?」

 アカネ先輩はつい先程の自己紹介で、「あなたのブラザーに」と言っていた。

「えっとね、『ワナビ戦』は慣れるまで大変だから、先輩がつきっきりで後輩を指導するのよ。そのパートナーがブラザーってわけ」

「わーお」

 つきっきり。

 なんて素敵な響きだろう。

 っていうか、その相手に俺を選んでくれたってことは、まさか脈あり?

「ちなみにブラザーの選定は、出席番号が基準であって、立候補とかではないからね」

 俺の思考を読み取ったように、冷静に釘を刺すアカネ先輩。

 そうだよな。

 足立も赤根も出席番号が一番で、お互いに一組だから、自動的にペアになったわけだ。

 いやいや、今は単なる偶然の出会いかもしれないが、いずれは「これって運命だったのね」と言わせてみせようホトトギス。

「文想学園の『ワナビ戦』は有名だけど、外部入学の足立くんは、具体的な内容を知らないでしょう? 口で説明してもわかりにくいから、まずは実際にやってみましょう。ETは持ってきた?」

「はい、ここに」

 ETというのは、正体不明のキモカワ宇宙人の名前ではなく、文想学園で使われている特殊な電子教科書【Electrical Textbook】の略称だ。

 タブレットPCに似たデザインのそれは、三年分の教科書がすべて内蔵されており、辞書やノート代わりにも使える逸品である。

 おっと、もし壊したら弁償だから、扱う時はあくまで慎重に……っと。

「うん、ちゃんと持ってきたわね。それじゃさっそく電源を入れて、『ワナビモード』のボタンを押してみて」

「『ワナビモード』? ああ、これですね」

 アカネ先輩に言われるまま、俺は真新しいETの電源を入れて、『ワナビモード』のボタンを押した。

 即座に文章作成の画面が開き、細いカーソルが点滅している。

「文想学園は『ワナビ戦』を通じて、文章力と想像力を磨く機会を、生徒達に提供する学校なの。その影響か小説家を目指す入学者が多いけど、仮にそうじゃなくても、若いうちに感性を磨いておくのは大切よね。その為に我が校の大学院が開発して、中等部と高等部で試験運用中なのが、この『ワナビモード』っていうわけ」

「はい」

「それじゃまずは、二重カギカッコをつけて、『カエル』と入力してくれる?」

「カエル、ですか?」

 アカネ先輩の指示通り、ETへ文字を打ち込む。


『カエル』


「入力できました」

 と言って視線を上げた瞬間、その場に白い煙が出現した。

「え、ちょっ」

「大丈夫、しっかり見ていて」

 思わず飛びのいた俺の肩に、アカネ先輩が手を添える。

 やがてその場から煙が消えると、そこには小さなカエルが一匹。

「うわっ、カエル!」

 大声で叫んでしまった俺を見て、アカネ先輩は満足そうに頷いた。

「そう、わかったかしら? ワナビモードを使うとこんな風に、文字で入力した対象を、実際に呼び出せちゃうってわけよ。あ、とりあえず、このカエルは消してくれる? 文字を削除すれば消えるわ」

 そう言われて文字を消すと、カエルも同時にさようなら。

「すげぇ……!」

 俺はピュアな少年のように、自分のETを見つめ直した。

 いや、「ように」じゃなくて、実際にピュアな少年だけどな。

「今のは普通のカエルだったけど、もっと色々と説明を書けば、実際にそういうカエルが出現するわよ。例えば『巨大なアカガエル』とでも入力すれば、実際に赤くて巨大なカエルが出てくる」

「へえー」

「こうやって文章力と想像力を駆使しつつ、強いモンスターを出現させて、ワナビ戦で勝利を勝ち取りましょう。あ、モンスターといっても魔物じゃなく、ワナビモードで呼び出した存在を便宜上そう呼んでいるの」

「わかりました。つまり脳内に浮かんだイメージを、文章によって表現したら、それが本当に出てくるんですね」

「そういうわけよ」

 いやはや、これは画期的なシステムだ。

 ワナビ戦は特殊なバトルだと聞いていたが、まさか戦いの方法が「自分で文章を書く」だなんて、さすがは小説家志望者の集まる学校である。

「アカネ先輩、もう一度試していいですか? 俺もっと練習したいです!」

「許可したいところだけど、一回しか使わないよう、先生に言われちゃってね。このシステム自体まだ試験運用の段階だし、生徒が無制限に使えるようじゃ危険だから、本来は担任の立会いがないと使えないのよ」

「それじゃETを持ち帰っても、練習はできないんですか?」

「残念ながら、現状はそうなのよね」

 と答えつつ眉を下げるアカネ先輩。

 さすが上級生の貫禄か、困った顔もうるわしい。

「とりあえず今日は以上よ。とっさに文章を書くのは難しいから、事前にアイデアを用意しておくといいわ」

「はい」

「明日の放課後さっそく実技があるから、初勝負で勝利できるよう頑張ってね。あたしも応援に行くから。それじゃ、また明日」

「ええ、ありがとうございました」

 俺は深々と頭を下げて、アカネ先輩を見送った。

 ちなみにETを持った手は、感動のせいか興奮のせいか、ねっとり汗ばんでしまっている。

(おっと、拭いておかないと)

 急いでハンカチを出そうとしたが、よく考えたらそんな物は持ってないので、シャツの裾で汗を拭き取る。

 そうだ、ハンカチを買わないとな。

 何しろ俺の目標は、ワナビ戦で活躍して人気者になって、女子や女性教師や教育実習で来るかもしれない女子大生にモテることだ。

 その為にも身だしなみは大切に、と。

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