第50話 夏祭り4


「その次の年に亜依は引っ越していたから、それが最後の夏祭りになったんだ」


花火を見るための穴場のスポットがあると言う王崎に連れられ歩く道中、速水がそう語った。

お祭りの雰囲気でテンションがあがったにしても、最初の買い食いから始まってその後の屋台めぐりの際も、やけに積極的に速水が百瀬へアプローチしていたことため、不思議に思った茉莉花が指摘をすると、少し言いよどんだ後に速水が昔語りをしたのだった。


「俺が余所見しててはぐれて、あんな夏祭りになっちまったからな」

「責任を感じて、昔の記憶を今日の楽しい記憶で上書きしてほしかったのね」

「…まぁ」

「それで珍しく食べ物シェアしようって提案をして、射的で欲しいと言われた物を打ち落としてあげて、ヨーヨー釣りにつきあってあげてたんだ」


正確には、百瀬が王崎に話しかけようとする度に「射的の景品のぬいぐるみ、どうせお子様な亜依は欲しいだろ」とか「ヨーヨー釣り昔好きだっただろ。今も変わってなさそうだからつきあってやるよ」等と素直じゃない誘い方をして遮っていた。

百瀬は素直に喜んでいたが、好きな人にアプローチできなかったことに対しては残念に思っていたに違いない。


速水の善意をきちんと受け止めることができるなんて、さすが心優しいヒロインだな、と感心しながらも絶好の機会を逃す茉莉花ではなかった。

速水と百瀬が射的をしている間は、横の金魚すくいの店でふよふよ泳ぐ赤や金の金魚を眺め、速水達がヨーヨー釣りをしている時には、二人で綺麗な柄の水風船を選んで掬った。茉莉花の手には、王崎とお揃いの白い水風船がぶら下がっている。白くて、赤い波模様が入っている水風船は「今日の茉莉花ちゃんの浴衣みたいだね」と王崎が選んでくれた物だ。


速水はあくまで百瀬を楽しませたい一心だったのだろうが、そのおかげで、茉莉花も王崎と夏祭りを堪能することができたのだ。

歩くたびにたゆんたゆんと揺れる白い水風船を見て、茉莉花は心がくすぐったくなった。


「速水君には速水君の事情があるのはわかってるんだけど、そのおかげで私も楽しい夏祭りになったわ。ありがとう」

「お前のためじゃねぇ」

「だから百瀬さんのためだってわかってるって言ったでしょ。後は、メインの花火を楽しみましょう」


今は事情を聞くためにあえて速水といるが、花火を見る頃にはまた速水が頑張ってくれるはずだ。そうなれば、花火も王崎と2人で見ることができるに違いない。


期待に胸を膨らませていると、前方を歩いていた王崎と百瀬が立ち止まった。


「着いたよ。ここからだと人も比較的少ないし、花火もよく見えるんだ」

「知らなかった、こんな場所があるなんて」

「色々知っててすごいね!王崎君」


茉莉花と百瀬がはしゃぐ中、速水が「まだ時間あるよな?」と問いかけた。


「後5分程あるよ」

「どうしたの?けーちゃん」

「ここにくるまでに、亜依が食べたがってたチョコバナナとベビーカステラの店見つけたからちょっと買ってくる」

「わー!けーちゃん!!違うの、王崎君、あの私は一口欲しいなって思ってただけで全部食べようとかそういうわけじゃ…」

「は?さっきイカ焼きとからあげ食ってるときに散々甘いものは別腹だとか言ってたじゃねぇか」

「もー!!けーちゃんのバカ!」


たこ焼きと焼きそばと焼きとうもろこしの他にイカ焼きとからあげも食べてたんだ。その上にチョコバナナとベビーカステラって、見た目に反して本当に胃袋強いな百瀬さん。


王崎の前でばらされて顔を赤くする百瀬に首を傾げながら、とりあえず買ってくると速水は去って行った。


「2人で分けてたけど、確かに思い返してみると食べ過ぎたかも…」

「お祭りの屋台の食べ物って何故だか無性にどれも食べたくなるよね」


そう言った王崎に、百瀬は笑顔を見せるが、引きつっており、どことなく顔が青い。

本人も異変を察知したのか、口元に手をやると同時にふらつき、王崎に向かって倒れかかる。


「百瀬さん!大丈夫?」


受け止めた王崎に無言で首を横に振った百瀬はポツリと「気持ちが悪い」と細い声で漏らした。

どうやら自分でも気がつかないうちにキャパシティを超えるほど食べ物を摂取していて、自覚した途端気分が悪くなったようだ。


「大変…。浴衣の帯もきっと原因の1つのはずよ。いつもより締めているから苦しいと思うの。すぐにラフな洋服に着替えて安静にした方がいいわ」

「それなら今帰ったほうがいいな…」


そこまで言いかけて、王崎が悩ましい表情をする。

優しい王崎のことだ。この状態の百瀬をまさか1人で帰すはずもないが、茉莉花を1人置いていくのも気が引けるのだろう。かと言って、速水は未だ帰ってこないから彼に頼むことも、そして戻ってくるはずの彼を置いて3人で去ることもできない。

茉莉花に残された道は1つしかないのだ。


「私はここで速水君を待っているわ。きっと食べ物で両手が塞がって携帯も見れないでしょうし。それより早く百瀬さんを楽にしてあげて」

「でも、茉莉花ちゃん…」

「今日はとっても楽しかったわ、王崎君。ありがとう。百瀬さん、お大事に」


にっこりと笑みを貼り付けて言うと、少し逡巡した後王崎は気遣わしげに眉を下げた。


「俺も楽しかった。ごめんね。茉莉花ちゃんに甘えて先に帰るけど、すぐ出れるようにするから何かあったら携帯に連絡して」

「茉莉花ちゃん…ごめん…」

「本当に気にしないで。2人とも気をつけてね」


笑顔で手を振って、申し訳なさそうに去る2人を見送る。

百瀬は王崎に支えてもらいながらゆっくりと歩きはじめた。

紺色の浴衣と桃色の浴衣が寄り添っている後姿をずっと笑顔で見つめ、やがて2人の影が遠くでぼんやりと重なって見える頃になると、機械的に振っていた右手がだらんと力なく下がり、その拍子に指からするりと水風船が落ちていった。

堅い地面にぶつかった白い水風船は簡単に破裂し、中に入っていた水が飛び散り、地面を染めた。

その様子を眺めながら、茉莉花は自嘲した。


やっぱり、ヒロインには勝てないのかな。

百瀬さんがはぐれないように気をつけ、王崎君にも認めてもらえるほど目立つ浴衣にして、速水君に協力してもらって…。

それなのに、最後にあっさりすべて持っていかれちゃった。


思っていることが顔にでる百瀬だ。

あの苦しそうな表情は演技ではないだろうし、きっと食べ過ぎたのも偶然に違いない。大方王崎とのお祭りにテンションがあがって自分のキャパシティがわからなくなっていたのだろう。


ただの不運な出来事。

茉莉花にとっては、そう簡単に片付けることはできそうになかった。


運命論者というわけではないが、きっと今日は最初からこうなる運命だったのだ。

もともと『スイートチョコレート』では王崎と百瀬2人でお祭りに来て、ぐっと距離が縮まる話だった。そこに無理やり割り込んだのは茉莉花達だ。

どんなに未来を先回りして不安の芽を摘んでも、過程は異なっても、最終的に漫画通り王崎と百瀬が2人で夏祭りをすごし、距離を縮めることになるのは当然の結果だ。

何故ならば、百瀬も王崎も速水も、そして茉莉花も『スイートチョコレート』の登場人物なのだから。


「こうなるって知ってたから嫌だったのに。でも、好きになっちゃったんだもの…」


馬鹿だな、私。

それでも、どうしても、好きなんだもの。


「何が好きなんだよ」

「…速水君、おかえり」

「おう。亜依はどこ行った?」


両手に食べ物を持った速水に尋ねられた茉莉花は、百瀬達とのやりとりを説明して速水にも帰るよう勧めた。

家が近いのだから、すぐにでも好きな人のところへ行って容体を確かめたいだろうし、この場でこれ以上好きでもない女の子といるメリットもない。


しかし、速水は茉莉花の予想に反して、ふぅんと相槌を打ったっきりその場を動かなかった。


「速水君、帰らないの?」

「お前はどうすんだよ」

「私は…もうちょっとここにいる」


こんな気持ちで、お祭り気分の人ごみの中を通って家に帰る気には、とてもなれそうにない。少し気持ちを落ち着けてから帰るつもりだ。


「なら俺もいる」

「…なんでよ。私を1人にすることを気にするって言うなら、特に心配しないでいいのに」

「そんなんじゃねぇよ。買ってきたチョコバナナとベビーカステラ食べるから残るだけだ。それと…これやる」


ずいっと突き出すように渡された物は、真っ赤なりんご飴だった。

頼んでいないのに、何故渡すのかという疑問が顔にでていたのか、茉莉花が尋ねる前に速水が眉間に皺をよせてぶっきらぼうな表情で言い繕う。


「…テスト前にキャラメルくれたし、勉強も見てもらったから…礼だ。食べ終わるまでは一緒にいてやる」

「あぁ…林檎の…」


茉莉花が作った一口サイズの林檎のキャラメルよりも何倍も大きい林檎飴をしげしげと眺め、カプリと噛み付いた。

パリパリとした飴の食感と林檎の甘さがふんわりと口の中に広がる。


「…こんなに大きかったら、花火終わるまでに食べ終わらないよ…」

「そうかよ。そんだけ時間かかるんだったら…少なくとも食べ終わる頃にはその変な顔も治ってるだろ」


おかしいな。宮本茉莉花はあまり表情が顔に出ないのに、速水君が気付くほど表れてるんだ。


「…りんご飴、甘いね。おいしい」

「チョコバナナもベビーカステラも甘え」


お互いぽつりぽつり静かに言葉を漏らす。

いつのまにかあがっていた花火の音が暗闇を裂くようにけたたましく鳴っていても、不思議とその小さなやりとりや、パリパリと砂糖の溶ける音や、お互いの息遣いは鮮明に聞こえる。


色とりどりの花火の刹那の光に照らされ、つやつやと赤く切ないくらいに綺麗に輝く甘いりんご飴を、茉莉花は少しずつ少しずつ食べていった。

食べ終える頃には、きっといつもの涼しい顔に戻れているはずだと信じて。

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