第34話 お菓子の行方2
オーブンの前で今か今かと待ち構えている百瀬に、茉莉花は温めた包丁を手渡した。
「15分経ったし、割れ目をつけましょう」
「割れ目?今生地焼いてるのに?」
「もう表面が茶色く色づいて乾いてる頃だと思うわ。その状態の生地に包丁の先でまっすぐ一本の切り込みをいれると、全体が均一に膨らむから。逆に入れないと、変なところで生地が割れてしまうし、均一に膨らまないの。ちなみに生地が乾いていない状態で包丁を入れると、真っ直ぐに切り込みを入れることができないわよ」
手早くすることもポイントだと告げると、先ほどまで豊かだった百瀬の表情が緊張気味に強張った。
オーブンをあけ、さっと生地の中心まで切り込みを入れ中に戻すと、百瀬もオーブンに型を戻し、表情を緩めた。
出てもいない汗を拭うふりをして緊張した~と気の抜けた笑顔を茉莉花に見せた。
「これで綺麗な形の美味しいパウンドケーキができるんだよね」
「前回のクッキーだって美味しかったわ。ほんの少し、形は崩れていたけど」
「少しじゃないよ~。形ぐちゃぐちゃだったし、味もなんか普通だったし。同じ材料なのに、茉莉花ちゃんのはすっごく美味しかったもん。けーちゃんにも馬鹿にされちゃうしさ」
「けーちゃん…。今回、速水君にあげるの?」
「うん。あの後謝ってくれたからあげるつもりだよ。今回は上手につくってどうだ!って見返すんだ」
見返すも何も、速水君は百瀬さんから貰えればそれだけで嬉しいと思う。
好きな女の子の前では素直になれない彼が、今回素直に美味しいと言えるかどうかは別の話だけれども。
「茉莉花ちゃんは誰にあげるの?」
「私は、結衣にあげるつもり」
後は誰にあげようか。
百瀬の質問がぐさりと突き刺さった。
元はといえば、百瀬が王崎にあげなければなんて思うものの、今朝王崎へあげるチャンスを自ら潰したばかりの身だ。今更不平を募らせても仕方がない。
それに、王崎へは別の機会で渡す機会を作ることもできたし、彼が本当に茉莉花の作ったお菓子を喜んでくれていたことも知ることができた。
今はそれで十分だ。
考えているうちにセットした時間が経ったのか、オーブンが軽快な音をたてた。
ゆっくり扉を開けると、むわっとした熱気と共に、香ばしいバターの匂いが茉莉花を包みこんだ。
甘い香りとさっくり焼けたパウンドケーキの表面に頬を緩めながら、オーブンから茉莉花と百瀬の型を取り出す。
うわぁいいにおい!とはしゃぐ百瀬の声を聞きながら、茉莉花は慎重に自分のパウンドケーキを型から取り出した。
何度作っても型から外す瞬間はドキドキするものだ。
2つとも無事に取り出せたら、荒熱をとるためにケーキクーラーの上に横に倒した。生地を立ててしまうと、ケーキが縮んでしまうのだ。
そこまで終えて、茉莉花は隣が静かなことに気がつき、様子を伺った。
「あれだけオーブン見てたのに、まだ生焼けなのかなぁ」
そう呟いた百瀬が、竹串を生地に刺して確認していた。
「うーん、竹串綺麗だから生焼けじゃないんだろうけど…。茉莉花ちゃん、どうして私のパウンドケーキ、表面に白いのがついてるの?」
「…その白い点は、きっと砂糖ね。卵と砂糖を混ぜるときに、しっかり混ざってなかったのかもしれないわ」
「卵を少しずつ入れるところまでは注意してたんだけど…。これじゃふっくら焼けていても駄目だなぁ…。せっかく、茉莉花ちゃんに膨らみやすい方法で教えてもらったのに、私ってば…」
しょんぼりと肩を落とした百瀬が、深いため息をついた。
「でも、切ったらそんなにわからないわよ。ほら、味見だってまだしてないでしょう」
元気づけるように言った茉莉花の言葉に、百瀬が素直に包丁を入れ、一切れ口に入れた。百瀬から一切れ手渡された茉莉花も、ほんのりと熱を持ったパウンドケーキを口に入れる。
「…普通…」
「そんなことない、おいしいわ!」
ただ、ちょっぴり食感はよくないが。
原因は、卵と砂糖がよく混ざっていなかったからだろう。
前回のクッキーと同様、見た目、味ともに少し惜しいところがあるだけで、美味しくないわけではない。かといって、特別美味しいわけでもない。
コメントに困る普通な味だ。
「そうかなぁ…。でも、確かに前のクッキーと比べたら見た目も味もいいかも」
茉莉花の慰めに持ち直したのか、百瀬はうんうんと頷いた。
わりとすぐに落ち込むが、元気になるのもはやい百瀬に、茉莉花は息をついた。
「前に部長が用意してくれたラッピング道具があるから、それでパウンドケーキを包みましょ」
「そうだね!今回はかわいくラッピングしようっと」
笑顔でラッピング道具を取りに行った百瀬を見送り、茉莉花は荒熱が冷めたパウンドケーキに包丁を入れた。
チョコ生地とバター生地のパウンドケーキの断面は綺麗なマーブル模様になってた。ドライフルーツのパウンドケーキも、ドライフルーツが全体的に散っている。
2種類とも成功したことを確認して、小分けにしたパウンドケーキを透明なラッピング袋に入れる。花形に切ったレースペーパーを使っているため、シンプルながらもかわいらしい。
1つずつラッピング袋に入れたため、全部で袋は8つになった。
やはりこれ全部を結衣に渡すわけにはいかないだろう。
そう考えた茉莉花は4つずつ小さな紙袋に入れた。
「皆、もう片付けに入っていると思うけど、作業しながら聞いてね」
調理器具を洗っていると、黒板の前に立った部長が赤渕の眼鏡を煌かせながら部員に呼びかけた。
「知っていると思うけど、来週から定期テストの準備期間に入ります。そのため、部活は今日が最後!次回はテスト後ね。日にちは黒板に書いとくから、皆メモして忘れないように」
短くふたつに結ばれた髪をふるりとゆらし、部長が黒板に日付を書き込む。
1週間後、いやテスト期間を含めると2週間か。
結構先だなぁ。
茉莉花がぼんやりと黒板を眺めていると、部長がくるりと振り返った。
「テストで赤点とったら当然夏休み補習があるけど、まぁうちは運動部みたいに夏休み中活動するわけでもないから、気兼ねなく補習に出てちょうだい。夏休みを満喫したい人はテスト期間だけでも努力すること」
じゃぁ片付けた人から解散、とスカートを叩いてチョークの粉を落とした部長の言葉にざわめきながらも皆自分の作業に戻った。
「て、テスト…」
隣から愕然とした声が聞こえた。
横を見ると、青ざめた顔の百瀬が体を震わせている。
「…大丈夫?」
「え!?何が!?全然大丈夫だよ、元気ぴんぴん!うふふ、お菓子もラッピングできたし、私は帰ろうかな!パウンドケーキ渡さなきゃいけないし。じゃあ茉莉花ちゃんまた明日」
あわあわと調理器具をラックに戻し、パウンドケーキと鞄を引っ掴んだ百瀬は早口で捲くし立て、ドタバタと家庭科室を後にした。
見るからに慌てていたけれど、もしかして、テストの存在を忘れていたのだろうか。
ここ最近、授業中にどの先生もテストにでそうなポイントを頻繁に教えてくれていたのに。
まぁ、テストと聞いて慌てるのは少女漫画のヒロインに限らず、学生ならお約束だものね。
宮本茉莉花になってからというもの、優秀な頭脳に恵まれた茉莉花はのんびりと後片付けを続けた。
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