第22話 マドンナ3
取っ手を摘まんで扉を上に押しあげ、上履きを取り出す。
まだ新しいつま先が赤いシューズを履き、代わりに脱いだローファーを拾う。
屈むと、肩にかけていた登校カバンと、体操服の入ったトートバックも自然と下へ落ちてきて、百瀬はバランスを崩した。
「きゃっ」
そっか、体操服があるからいつもより重くてバランス崩しちゃったのか。
誰かに見られていたら恥ずかしいな、なんて思いながら百瀬は手早くローファーを下駄箱に押し込んだ。
「見てたぞー。亜依ちゃん」
「み、美奈子ちゃん!」
百瀬の肩に手を置いた遠藤が、おはようとにやにや笑う。
「亜依ちゃんってやっぱどこか天然というかドジっこというか、さすが食パンくわえて登校するだけあるわ」
「そのことは忘れてって言ったでしょもう!今のだってたまたまだもん」
「後わかりやすいんだよねー。さっきだって、こけた後に「誰かに見られていないかな?大丈夫かよかった!やだ、美奈子ちゃん見てたの!?」って思いっきり顔に書いてあったし」
「あのシチュエーションなら誰だって私と同じこと思うよ!」
また顔赤くなってる、とからかってくる遠藤に反論しながら、百瀬は教室のドアを開け、足を止めた。
やっぱり、好きだから一発で見つけちゃうのかな…。
教室の後ろで、王崎と宮本茉莉花が二人で話していた。
窓際に立って、陽の光を浴びて微笑みあう二人の姿は、まるで一枚の絵のようだった。
さっと目を逸らし、百瀬はなんでもない風を装って自分の席についた。
しかし隣を向いても、当の席の主は後方の窓際にいるためにがらんと空いている。
何、話してるのかな。
絵になる二人だったなぁ。
気になってカバンを机の上に置いたまま考えていると、遠藤に声をかけられる。
「おーい、何ぼーっとしてるの?カバンは横にかければいいけど、体操服は後ろのロッカーに入れないと先生に注意されるよ。邪魔だって」
「え、そうなんだ。片付けてくるね」
佐古一高校のルールを新たに知った百瀬は、わたわたとトートバックを持ち席を立った。
確かに通路が狭くなるしこける原因にもなるもんね、と思いながら自分に割り振られたロッカーの扉を開け、さてどこにバックを置こうかと思案する。
ロッカーには、机に入りきらない教科書やノート、辞書や資料集、美術道具や書道道具等が所狭しと積み重なっている。
国語、数学、英語の三教科は必ず持って帰っているが、その他は宿題が出ない限り持って帰らないせいだろう。もうあまり置き場がない。
これはちょっと整理してバックを収めなければならない。
ロッカーの整理に四苦八苦していると、ふとチョコレートのような甘い声と涼やかな声が百瀬の耳に届いた。
「四月に、この作者恋愛小説出したじゃない?」
「あー、あの本!ビックリしたよ。でも流石今までミステリー書いてるだけあって、登場人物の動きとか描写がすごく丁寧だった」
「そこにさりげなく心情を混ぜたりして、それが後々の伏線になってて、恋愛のドキドキ感もあったんだけど」
「どこかミステリー感もあって、違うドキドキがあったな。話の内容は恋愛なのに、魅せ方がやっぱりミステリー小説家というか」
人の会話を盗み聞くなんてよくないと思いつつも、次第に意識は二人の会話に引きこまれていく。
楽しげな様子に、とうとう百瀬は荷物を整理する手を止めて、そろりと視線を窓際に移した。
先ほど百瀬が教室に入った時と変わらず、窓の手すりに背中を預けて横並びに二人は立って談笑している。宮本茉莉花の手には単行本があり、二人が話しているのはその本についてなのだと認識した。
「茉莉花ちゃんなら知ってるだろうなー」
「え?なあに?」
「今日、その作者の新シリーズが発売するんだ」
「ふふ、王崎君の予想通り知ってたわ。今回はまたミステリーで、学生生活の何気ない日常の何気ない謎解きでそこにまた恋愛が絡むかもって噂よね」
「やっぱりそこまで知っていたか。詳しいな」
「王崎君もこの噂まで知ってるなんて、かなりファンね」
微笑んだ宮本茉莉花の顔を見て、百瀬は以前遠藤に言われた言葉を思い出した。
――今のところ、宮本さんが王崎君を好きって話きいたことないし、逆に王崎君が宮本さんを好きって話もきいたことないから、希望が全くないってわけじゃないよ。――
美奈子ちゃんってば、私に対しては鋭いくせに…。
全然違うよ。
「茉莉花ちゃんの予定がよければ、今日帰りに本屋寄らない?俺今日バスケ部ないんだ」
「ほ、本当?私も今日家庭科部ないの」
「やった、嬉しいな。じゃあ放課後本屋に寄って新刊手に入れよう!」
数日ずっと見ていたからわかる。
授業中突然あてられても、誰かが困ってる時も冷静にさらっと何でもこなしていた。友達と話している時、その儚げな見た目通りの綺麗な笑い方をしてた。
いつもどんな時でも変わらず、完璧で綺麗で皆の憧れの人だった。
しかし王崎と話している今の彼女は、うっすらと頬を赤らめ、ふわふわとした微笑みを浮かべ、時折恥ずかしげに目を伏せてはまた目線を合わせている。
完璧で綺麗で憧れの人ではなく、恋をしているかわいい女の子が、そこにはいた。
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