第17話 百瀬亜依

ジリリリリ。


けたたましい音で、目覚まし時計がガタガタと揺れながら起床時間を告げる。

スヌーズ機能が使われている目覚まし時計が鳴るのは、これで5回目であった。

当初の起床予定の時間より30分も経っている。


5度目のアラームでやっと目を覚ました少女は、時刻を見て一拍おいた後、ベットから飛び降りた。


「たいへん!もうこんな時間!」


驚くべきはやさで朝の身支度をすませた少女は、カバンを片手に食パンを口に咥えながら慌ただしく家を飛び出した。


「いってきまーす!」


幼い頃住んでいた街につい先日戻ってきた少女は、転校先の新生活に向けて胸いっぱいに希望を抱いていた。

当時、別れたきりの幼馴染もきっとその高校に通っていることだろう。

泣き虫な彼は、今どんな風に成長しているのだろうか。

新しい学校では、たくさん友達ができるだろうか。

楽しみすぎて、夜なかなか寝付けなかったほどだ。

その結果もともと朝が得意ではない少女は、転校初日の今日、見事に寝坊してしまったのである。


「ホームルームの時間には間に合いそうだけど、説明があるから早めに来てくださいって言われてたのに〜!遅刻しちゃう!」


食べかけの食パンを片手に持ち、腕時計で時間を確認しながら更に足を速めていた少女は、スピードを落とさずに角を曲がった。


「きゃあっ」

「うわっ」


曲がった先には通行人がいたようで、彼女は勢いよくぶつかってしまい、しりもちをついてしまった。


「いったあ…」


そうぼやきながらも、何とか落とさないように死守した食パンを口にくわえなおし、少女が立ち上がろうとすると、すっと手が差し伸べられた。


「大丈夫?」


チョコレートのような甘い声に顔をあげると、そこには物語から出てきたような王子様がいた。


光の加減かキラキラと金色にも見える髪。

真っ白い制服に包まれたすらりとした体躯。

優しげな微笑。


少女は思わず見惚れてしまった。

差し出された手に、恐る恐る自身の手を重ねると、彼は重力を感じさせない動作で立ち上がらせてくれた。


「前を見てなくて、ごめんね。怪我はないかな?」


心配そうな表情ですらも輝いて見えて、少女は顔を真っ赤にしながらこくこくと頷くだけで精一杯だった。


「ああ、それならよかった」


彼の安心したような微笑を向けられ、とうとう少女は耐え切れなくなった。蚊の鳴くような声でお礼だけ言うと、カバンをひっつかみ足をもつれさせながら、急いでその場を離れた。


残された王子様のような少年は、彼女の可愛らしい様子に笑みをこぼした。

真っ白な制服に、彼女とぶつかった小さな茶色の証をつけて。


『スイートチョコレート』の冒頭って、確かそんな感じだったなぁ。


壇上に立っている少女を見つめながら、茉莉花は思い出していた。

転校初日に遅刻しそうなヒロインが食パンくわえながら走ってるところにヒーローにぶつかる。

ベタな展開が多い『スイートチョコレート』だからこその出会い方である。


黒板に大きく、百瀬 亜依と名前を書かれ先生に紹介されている少女は、茉莉花の記憶の中の『スイートチョコレート』のヒロインの顔と合致した。


セミロングのふわふわとした柔らかなクリーム色の髪。

あまり高くない身長。

好奇心旺盛そうなくりくりとした飴色の目。

愛嬌のある鼻に、ぷるぷるの唇。


まさに少女漫画における正統派ヒロインがそこにはいた。


『スイートチョコレート』で百瀬は、「私、百瀬 亜依。どこにでもいる平凡な高校生!」なんて自分語りをしていたが、どこからどう見ても平凡という言葉はあてはまらない。

周囲から宮本茉莉花が綺麗と評されるように、百瀬亜依はかわいいと評されるに違いない。


「季節はずれの転入ですけど、仲良くしてください」


緊張しているのか少し震えている高めの声で、百瀬はお辞儀をした。

そして顔をあげた後に「あぁっ!」と驚いた声をだした。


「どうした、百瀬。知り合いでもいたか?」

「あの…いえ、今朝ちょっと…」


萩原の質問に百瀬が言葉を濁らせていると、王崎が助け舟を出した。


「今朝、縁があって百瀬さんと知り合ったんです」


ね?と微笑まれると、百瀬は顔を赤くして首を縦に振った。


「そうか、王崎の知り合いか。…学級委員だし、ちょうどいいな。百瀬、席は王崎の隣に座ってくれ。堀田、後ろの空いてる席に移動してくれるか。いいか、お前隠し事向いてないから、後ろに移動したからって授業中内職するなよ」

「ちょっと先生!それどういう意味ですか」

「そういう意味だ」


萩原と堀田のやりとりにクラスで笑いが起きる。

野次が飛ぶ中、堀田が荷物を抱えながら後ろへ移動し、かわりに百瀬が恐る恐る席に着いた。


王崎の席は中央の列の前から五番目というど真ん中にあるため、後ろからよく見える。

なんとなく視線を向けていると、お隣同士よろしく、なんて王崎に言われた百瀬が壊れたブリキのオモチャのように頷いていた。

茉莉花がその光景にちくりと胸を痛ませていると、隣から小さな声が聞こえた。


「なっ…」


萩原が教室に入ってきた時から姿勢を正し、百瀬が壇上にいた時も彼女の姿を凝視をしていた速水が、今は呆然とした顔で、百瀬を見つめていた。


あぁ、百瀬さんが成長した自分にすぐに気づいてくれると思ってたのかな。

もしかすると彼の予定では、隣の席になれるはずだったのかもしれない。


現実では、百瀬は今のところ全く速水に気づいていないし、隣の席に座っているのは茉莉花のままである。


ショックを受けたまま固まっている速水を横目に、一時間目の授業の準備を始める。


騒がしくない教室の中でところどころ聞こえてくる王崎と百瀬の声をかき消すように、茉莉花は教科書とノートを机の上でトントンと整えることに神経を注いだ。

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