第52話 奇妙な打ち合わせ2
あの夏祭りの日の夜に、当然のごとく王崎から連絡があった。
彼が悪いわけでもないのに、再度の謝罪と茉莉花の身を案じた内容、そして百瀬の体調について真摯な口調で電話がかかってきたのだ。
いつもの茉莉花だったら、王崎と電話できる機会に胸をときめかせていただろう。しかし、王崎と花火を観られなかったこと、百瀬に寄り添いながら去っていく後姿、努力しても返られなかった現実に対するショックが抜けず、「気にしないで」「こっちは大丈夫だった。百瀬さんも無事でよかった」と最低限の返事しかできなかった。
百瀬からの謝罪のメールにも気にしないようにというシンプルな言葉と、申し訳程度の絵文字をつけて返しだけ。
唯一、速水に対しては茉莉花から「今日はなんだかごめんね。速水君にとっても大事なお祭りだったのに…。それから色々とありがとう」と謝罪と感謝のメールをしたが、こちらは一言「おう」とのみ返信された。百瀬のこと以外反応しない速水の性格上、返信があっただけ彼にしては茉莉花のことを気にかけていたのかもしれない。
そんなやりとりをした数日後、王崎から8月の終わりに開催する臨海学校の打ち合わせをしようと連絡がきた。
先日のお詫びにスイーツをご馳走させてほしい、そこで打ち合わせをしようというメールに、茉莉花は迷いながらも学校の自習室で打ち合わせをしたいと返した。
王崎が女子の意見を否定するはずもなく、8月初旬、彼の部活が終わり次第学校の自習室で打ち合わせをすることになったのだった。
「王崎君には、バスケ部の練習もあるのに大変でしょうって、彼の体調やスケジュールを気遣った風に言ったけど…本音は、その、まだ街で二人きりで行くにはちょっと…」
お菓子作りをしているから甘いものが好きなのだろうと推測した王崎の優しさからの提案だったに違いないが、デートもどきをするにはまだ茉莉花の心は持ち直していなかった。
先ほど速水との待ち合わせ時間より早目に学校へ来て、王崎の部活風景をこっそり眺めたが、相変わらず彼は格好良くて、そして夏祭りのことが思い出されて何となく顔を合わせづらい気持ちが拭えない。
茉莉花の一方的な感情だろうが、二人で楽しく街を満喫するにはかなりハードルが高い心情なのだ。
茉莉花の言い分に、速水は自習室の椅子の背もたれにギィと体重をかけながら、いつも通りの仏頂面で「で?」と続きを促した。
「それと俺がよばれたのと何の関係があるんだよ。関係ねぇだろ」
「だから…王崎君とちょっと気まずい、というか二人でいたくなかったから臨海学校の打ち合わせに第三者をよびたくて。街は二人で行きたいから、学校にね」
「いや…亜依とかよべば」
「そしたら速水君も自動的に来るじゃない。だったら最初からあなたをよべばいいだけでしょ」
というより、百瀬さんはライバルだから。敵に塩を送るわけにいかないでしょ。
という言葉は内心に留めた。
茉莉花の言葉に速水は納得したような、していないような曖昧な相槌をした。
茉莉花が王崎のことを好きだと、速水に伝えたことはないので彼がその事実を知っているかわからない。しかし、入学当初から速水には情けない場面をいくつか見られているし、なにより夏祭りの件も把握している。王崎への恋心をはっきり声に出すつもりは今のところないが、もはや速水に変に隠そうとか取り繕おうという気持ちは起きない。大体、速水は百瀬のこと以外は大して気に留めていないだろうから、遠慮するだけ無駄だ。
そう判断した茉莉花は、日時と自習室に来て欲しいとだけを書いた文章をメールで
送り、遠慮なく打ち合わせに巻き込んだのだ。
「それを言うなら、理由もきかずにOKした速水君のほうがよほど疑問だわ」
「条件出しただろ。…ちゃんと持ってきたんだろうな」
「もちろん。ちょうどお昼頃だし、まず食べてから宿題しましょうか」
茉莉花はそう言って、鞄からお弁当を二つ取り出した。
交換条件に、ご飯を要求されるとは夢にも思っていなかった。
食いしん坊かっと心の中でツッコミはしたものの、それだけ茉莉花のお菓子を気に入ってくれたのだと思うと、嬉しくてこちらとしても気合が入るものだ。甘いものも好きな速水がお菓子ではなくごはんを要求したのは、彼の横でお昼ご飯を食べながら試験勉強につきあっていたから、それを見てリクエストされたのかもしれないと思うと胸がくすぐったくなった。
お弁当と、オマケとして夏休みの宿題もわからないところがあれば教えることを提案したが、頭のいい速水にとっては蛇足だったかもしれない。試験勉強は単に彼が百瀬に見惚れて授業を聞いていなかっただけだったのだから。
「冷やし中華とトマトの冷製パスタの二種類あるんだけど、どっちがいい?」
「あー………冷やし中華」
たっぷり悩んだ後、前者を選んだ速水にパスタも一口あげようと、茉里花は決意した。
速水の注文は「あちぃからなんか冷たいもん」とのことだったので、今回は普通のお弁当ではなく温度を一定に保ち続けることができるスープジャーにした。
具材を入れた後スープジャーの中を冷蔵庫に入れ、家を出た後も保冷材でまわりを固めたおかげか、今もスープジャーはキンと冷たい。
これは中も冷たいだろうな、と思いながら茉莉花は冷やし中華の入ったスープジャーとタッパーを速水に手渡した。
キュッと小さな音をたてながらくるくると蓋をまわし取り外すと、麺つゆから星型のきゅうりの緑色と、くまの形のハムのピンク色と、四等分されたミニトマトの赤色がちらちらと一部顔を覗かせた。
続いてタッパーをあけると、こちらには中華麺が入っている。端には焦げ目一つないふわふわの黄色い錦糸卵がある。
ごく、と唾をのんだ速水は、麺をスープジャーにつけズルズルズルッと啜る。麺つゆの冷たさと、麺つゆにまざっているのであろう酢の酸味が真昼間の夏の暑さに対して心地よさをもたらした。麺つゆに浮かんだ星型きゅうりを口にするとシャキシャキした歯ごたえと程よい麺つゆの味がした。ずっと麺つゆに浸かっていたのに、味が濃くなりすぎていないのは通常の冷やし中華のきゅうりと違って厚目だからか、と考えながら速水は中華麺をスープジャーに浸す。
いつもの仏頂面ではなく普通の高校生のように無言で勢いよくずるずると麺を啜る速水に、重たい思いをして持ってきた甲斐があったな、と茉莉花は微笑んだ。
中華麺自体は非常に簡単だ。
熱湯を入れたスープジャーに中華麺を入れ、数分茹でた湯きりした後、麺を水でしめ時間がたってもくっつかないようにごま油であえタッパーに入れる。
熱くなっているスープジャーに氷水を入れ数分冷やした後、水を捨てる。冷えたスープジャーに水と酢、麺つゆを混ぜたものと具材を入れ家を出る直前まで冷やしておくだけだ。
難点があるとすれば、お弁当箱よりサイズが大きいのと入れ物が二つ必要なことだろう。今日は二人分なので余計に荷物が多かったが、タッパーいっぱいに詰まっていた麺がもう半分に減っているのを見ると、あの重さなんて軽いものだと思えた。
速水の食べっぷりにおいていかれないよう、茉莉花も自分のスープジャーを開けた。冷やしておいたスープジャーに缶詰のトマト、ツナと味付けの塩コショウを入れよく混ぜた後、再び数時間冷蔵庫に入れただけあって、冷やし中華のスープジャーよりも冷たい気がする。タッパーに入ったパスタは水でしめた後、中華麺同様くっつかないようにオリーブオイルを絡めている。
茉莉花はつるつるとしたパスタをフォークで巻き付け、タッパーの蓋の上に置いた。スープジャーを少し傾け、フォークでトマトとツナをパスタの上にのせる。タッパーの端に仕切りで分けておいたバジルを最後にぱらぱらとかけ、速水の方へやった。
「タッパーの蓋で申し訳ないんだけど、もしよかったらそれも食べてみて」
こんもりと蓋の上にのったパスタの小山に頬を膨らませた速水が、いいのかと雄弁に目で語る。
「どうせ、私にはパスタの量多いし。どうぞ」
さっきどちらを食べるかとても迷っていたじゃない、と喉まで出掛かったが迷ってねえよ!と否定されそうなので、それは言わなかった。
そのおかげか速水はすんなりと受け取り、頬の膨らみがなくなるとパスタを口にした。「こっちもさっぱりだ」と小声で呟いた後は、また食べることに夢中になったようだ。
速水の独り言のような感想に、茉莉花もパスタを口にした。スープジャーによってトマトが冷たくひきしまっており、さっぱりしている。夏バテ気味の茉莉花でもこれならつるつるといけそうである。
冬だったら豚汁とかミネストローネとかリゾットとかもよさそうだな、とスープジャーを使ったお弁当を考えていると、速水が箸を置いた。
「両方うまかった。サンキュー」
相変わらず言葉が少ない速水だが、満足げに「ふーっ」と息をついた様子に、茉莉花も「どういたしまして」と満足げに笑みを返した。
「お約束」な少女漫画 相田 渚 @orange0202
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