スタリ・シビリ①
冬には気温が摂氏零度を下回る街スタリ・シビリ。世界的な気温の上昇で珍しくなった雪が毎年降るということもあり、
小さなバーのソファ席を一人で陣取る男がいる。片手にはグラス、テーブルに置かれた酒は
「ハルキじゃない、また一人で飲んでるの」
真っ赤なイブニングドレスを着た体格のいい女がハルキの隣に座る。濁りのない金色の長い髪を、首を振る勢いで片側の肩に集めて整える。ドレスと同じ赤い唇が予め持っていたグラスに吸い付く。
「好きで一人でいるんじゃない。待ち合わせをしてるんだ」
「アルハンブラ?」
女は露骨に嫌な顔をする。
「そんな顔をするな。彼女は僕の実の娘だぞ。いくら教育機関に預けていたってそれは変わらない。向こうが会いたいというなら会ってやるのが筋ってもんさ」
「飲んだ勢いでできた子どもにそこまでしてやるだなんていいパパだこと」
「君にも子どもがいるんだろ?」
ソーニャ、と名前を呼ぶと女は嬉しそうに口角を上げて話す。
「そんな話しないで。私はここで夜通し遊ぶのが好きなの」
「君のような素敵な女性が母親だと知ったらきっと喜ぶ」
「ダメよ、教育に悪いわ。アルハンブラだって、あんたなんかと会ってるから職業が決まらないんじゃないの?」
「問題なのはどれだけ早く職業に就くかじゃない」
出入口の扉の開く音がする。ソーニャの位置からは客の姿が見えたようだった。顔を確認すると、挨拶を残して席を離れていった。客は迷わずハルキのいるソファ席に近づいてくる。
「今日は早いね」
アルハンブラはバーに入るには地味すぎるセーターにジーンズという服装だった。何枚も重ね着しているため、屋内では暑いくらいだ。
「もうやんなっちゃう」
「期待されてるんだろ。しっかりやれば大丈夫だ」
「そんなことない。私の適性に合う職業が見つからないからって、手当たり次第になんでも勧めてくるだけよ」
アルハンブラは今まで自分がやったことのある職業訓練を指を折って数える。
「ホテルの従業員、カジノの経営、劇場のスタッフ、デザイナー、そして今回が戦争歌姫の候補者」
「華やかな仕事ばかりだね」
「パパと同じような職業に就きたいって言ったの」
「僕の仕事は地味だよ。家でずっと本を読んだり、文章を書いたりするだけ」
「でもすごいと思う。パパの本、私すごく好き。初めて読んだ時、統治コンピュータがこの本の作者が私のパパだって教えてくれて、すごく嬉しかったの」
「そりゃあどうも」
ソーニャがそれがいつもであるかのようにアルハンブラにジンジャーエールを渡して、去って行った。アルハンブラはその後ろ姿を目で追いかけている。
「ソーニャさんって、本当にきれい」
「参考にすると人生を踏み外すよ」
「それ、パパが言えるの?」
「女は特にさ」
アルハンブラは茶髪に染めた髪をいじりつつ、渡された炭酸をちびちび飲む。
「ソーニャは三人子どもを産んだ。一人産むごとに酒癖が悪くなっているのは明白だ」
「どうして?」
「子どもの父親が違うからってことは理由にならない」
ハルキは話題を変えようとグラスに氷と酒を足しながら訊く。
「戦争歌姫の候補者は何をするんだい?」
「ダンスとか歌とか。あと、軍事訓練も少し」
「君が戦争歌姫になったら、僕が歌詞を書くこともできるかもしれないね」
「パパの文章は戦争歌姫には向かないよ」
「文筆家を舐めるなよ」
「官能小説家が何言ってるの」
「七歳の頃から僕の小説を読んでるような君が戦争歌姫になれるなら、僕だって作詞家になれる」
「やめて、恥ずかしい」
そう言ってアルハンブラはハルキから少し距離を空けて座りなおす。
「父親を馬鹿にしたなあ!」
ハルキはアルハンブラの肩に手を回して引き寄せようとする。声は大きいがハルキは本気で怒っているつもりはなかった。アルハンブラも騒いでいるが本気で嫌がっている様子ではない。酒臭いだの、汚いだの言いつつも顔は笑っており、父親とのスキンシップを楽しんでいる。
「戦争歌姫になったら、基地に住んだり軍隊員と一緒に訓練を受けたりするらしいの」
「それは大変だね」
「力には自信あるから、大丈夫」
「ゲリラが出る地域には行くの?」
「知らない。多分行かないと思う」
「危ないから行かない方がいいね」
「きっとね。でも、国境から離れた基地には行くかもしれない」
「ネオペターバーグかガリアヌーヴェルか」
「ネオペターバーグは激戦地だから行かないと思う」
アルハンブラは炭酸が抜けたジンジャーエールを飲み干す。
「もう時間。未成年は帰らないといけないから」
ハルキは、軽く片手を上げて挨拶し、扉に向かっていくアルハンブラを見送った。後ろ姿が母親にそっくりだった。若い分、母親よりも魅力的にも見えるその背中が扉の向こうに見えなくなるまで、ハルキは目を逸らさなかった。
「もう一七歳か」
母親と別れたのはアルハンブラが生まれる少し前。ジブリールが今どこで何をしているのか、ハルキは知らなかった。
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