第1章
シリウス①
すれ違う装甲車から笑顔の同僚達が見えた。
「シリウス、食うか」
隣に座った同期のバンスイがシリウスに夕食の残りのパンを差し出した。シリウスは開いた窓の向こうを見たまま言った。
「また盗んできたのか」
「人聞き悪いことを言うな。これは料理番から許可を取ってもらってきたんだ」
言いながらバンスイは千切ってシリウスに差し出した分も自分の口の中に放り込む。シリウスはパンの甘い匂いとサクサクという音を聞いていた。白くて、外側が少し硬いココナッツミルクパンは、シリウスが軍隊に来て初めて目にした種類のパンだった。
こんなところ――更地のままの国境付近――へ来るまでは、自分も普通の
「今日は何もないといいな」
パンのカスをはらいながらバンスイが言った。呑気なやつだ。
「そうだな」
シリウスの返事を聞いているのかいないのかわからないが、バンスイは、今度は水筒を出して水を飲んでいる。
「まあそんなに神経質になるなよ。お前がいらいらしたって、南方ゲリラは来る時は来る」
二人の乗った装甲車が停止した。シリウスは降車すると無意識に銃を利き手に持ち替えた。戦場などまっぴらごめんだ。父と兄達は戦場で死んだのだ。軍隊員に選ばれた時、何をしても無駄だと思った。選ばれてしまったが最後、南方ゲリラ討伐が完了するか、引退の年齢になるかしない限り、戦わされ続ける。シリウスは胸ポケットに入れた写真を取り出した。母と次兄と自分の三人で写っている。とても三人の子どもを産んだ女性とは思えない美しい母親だった。離れて暮らしている間に、母の名前ケイネスはシリウスにとって、感情を落ち着かせるまじないの言葉になっていった。
歩きながらバンスイは伸びやかな声で何か言っている。下らないおしゃべりだった。銃を両手で持ってぶらぶら左右に振りながら歩いている。上官に見つかったら怒鳴られるだろうが、シリウスは指摘しない。
「夜の風は気持ちいいな」
「俺は部屋の中の空調の方がいい」
シリウスはにべもなく言った。周囲に自分を守るものが何もないことを否応なしに伝える自然風は嫌いだ。
「お前の冷房設定温度おかしいぞ、ちゃんと除湿しろよ」
いつも汗を掻いているやつが何を言う、とシリウスは思った。
「お前から発生する蒸気が取り除き切れてないだけだ」
「そんなにいつもは汗掻いてないよ」
「いや、結構すごいぞ」
その時、背後からずしりとした重い音が耳に入ってきた。
「今のは何だ」
振り返ると星空を背景にオレンジ色の光が地面のある一点を照らしていた。
「戦車攻撃か」
「まさか、南方ゲリラがそんな高価な武器持ってるわけない」
二人はひとまず警備隊本部に戻ることにした。二人が乗ってきた装甲車が集まっている場所だ。
「遠すぎるな。向こうはどうなってるんだ」
シリウスはスコープで南の方角を見た。暗くてよく見えないが、遠くの方に動いている灯りが見えた。
「歩兵も接近中だ」
警備隊本部から無線で二人に命令が伝えられた。
《敵は戦車一台、歩兵五〇人と推定、各人は速やかに本部に集合、攻撃準備を整え次の指示を待て》
警備隊本部に戻ると上官が二人に白くて筒型の大きな武器を渡した。
「これはまだ試作品だが、南方ゲリラに使うにはちょうどいい。重いから二人で担いで使え。電源を入れれば勝手に戦況を判断して指示を出してくれる」
シリウスは考える前につるっとした丸い兵器の側面を電源ボタンがないか探した。命令を表示する液晶画面の横に電源ボタンはあった。
《右肩に担げ》という表示が出る。
「バンスイ、後ろ持て」
シリウスはバンスイと二人で兵器を担いだ。上官の説明では何もしなくても兵器が指示を出してくれるということだが、本当だろうか。液晶画面はシリウスからしか見えない位置にある。
「バンスイ、俺が兵器からの指示を読み上げるからお前はそれに従え」
シリウスは目を動かして辺りを窺った。南方ゲリラの位置はここからでは遠い。先程の一発目は存在を知らしめるために撃ったのだろう。ゲリラ戦法にそんなやり方があるのだろうか。相手が素人ならそれだけシリウス達には都合がいいことだ。固まって接近してくるところをこの兵器で仕留めてやる。
液晶画面に《一〇時の方角へ二〇〇メートル歩け》と表示された。シリウスはバンスイと歩調を合わせて急行する。その間も周囲に異変はないか確かめる。
照明弾が上空で光った。戦車の姿が浮き上がる。遠くからでもよく見えた。
《一二時の方角に一〇〇メートル歩け。到着したら構えよ》という表示を見て、シリウスはバンスイと一緒に指示に従う。そろそろ一〇〇メートルだろうかといったところで、《衝撃に備えよ》に表示が変わった。筒の中から何かが発射されるのだろう。シリウスとバンスイは立膝をついた。筒に接している右耳に発射準備をしているのだろう音が聞こえてくる。金属の擦れるわずかな音がした後、何の合図もなしに筒の先端からミサイルが発射された。衝撃と共に筒が熱くなる。
「耳痛!」
バンスイが叫ぶ。シリウスは一旦兵器を下して耳栓をするように言った。二人はゆっくり兵器を地面に置いてポケットから耳栓を取り出す。再び兵器を担ぐと、また同じように指示が液晶画面に表示された。
何度か繰り返していくうち、シリウスは兵器について冷静に考えられるようになっていった。兵器の重さは三〇キログラム程度だ。しかし二メートル近い長さのため、一人では担げない。その程度のことは気にすることではない。問題は、この兵器が何を手掛かりに戦況を把握しているのかということだ。兵器がミサイルを発射する方角は敵戦車のいるところ。向こうに居場所が悟られないように距離を置いて攻撃し、発射したらすぐに移動を命じる。見たところ、この兵器にはカメラ等の視覚情報を得るためのものは取り付けられていないようだし、もちろんマイクなどの聴覚情報を得るためのものもない。あるのは液晶画面と電源ボタンだけ。残る手掛かりは、直接兵器と接しているシリウスとバンスイから得られる情報しかない。
シリウスは兵器に自分達が見張られている感覚を覚えた。この一見何もない筒に二人の身体から読み取れる何かに反応するセンサーがついているのかもしれない。視線、呼吸、体温、心拍数。戦況を知る手掛かりになりそうなものはいくらでもある。そんなことができる機械がこの世に存在するだなんて考えたくない。しかし、シリウスはその可能性を否定できない。そして、恐るべき事実もこの兵器が示している可能性も。もし、
「バンスイ、この兵器を頼りにしすぎてはダメだ」
「え? 急にどうしたんだよ」
「自分達の力で何とかしなくては」
「何言ってるんだよお前。この兵器があれば簡単に勝てるぞ」
「そんなにその兵器を頼りにしてるなら、お前一人でやればいい。俺は自分で戦う」
乱暴に兵器を下すと、シリウスは銃を肩から外して弾を確認した。
「兵器の指示に従わなきゃダメだろ」
「お前は兵器だの
「疑う必要があるのかよ? 俺達を幸福に導いてくれるのに」
話しても無駄だと悟った。バンスイは
シリウスは南方ゲリラがわらわらと突っ込んでくる中に突入していった。銃弾が頭上をいくつもかすめる音を聞いた。まるで死神が素早く迫ってきては通り過ぎて行くかのようだ。死神はシリウスを弄んでいるのだ。シリウスはそれに負けずに応戦した。自分の撃った弾が敵兵に当たっているのかどうかわからない。だが、撃たなければ自分が死ぬ。前にも後ろにも敵がいる気がした。バンスイのことを思った。もしかしたらもう死んでいるかもしれない。爆風の名残が何度もシリウスの髪を吹き散らした。耳が遠くなってきた。引き金を引いてももう発射音がわからない。発射した衝撃を感じて慣れた動作で次の弾を装填する。爆発音にも慣れてしまった。目の前の死体も気にならない。死神がシリウスとの遊びに飽きて殺すまで、引き金を引き続ける。敵兵の銃弾がシリウスの頭蓋目掛けて撃ち放たれた。同時に近距離で砲弾が爆裂し火災風が巻き起こった。シリウスはその爆風に吹き飛ばされ、地面に着地してからもしばらく転げ回って、死体の山にぶつかって止まった。
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